2025年 ノベル大賞受賞作文庫化!
- 『佐藤の告白』特集
- 『四人のナオちゃん』特集
- 『税理士 鮫島桐子』特集

2025年ノベル大賞 大賞受賞作
『四人のナオちゃん』
松本愛世(装画:AiLeeN)
上原桃子、三十八歳。夫と小学生の娘がひとり。ありきたりな専業主婦の彼女には、とある悩みがあった。人生の折々で、同姓同名かつ同じ顔、ただしそれぞれはまったく別人の『ナオちゃん』に遭遇するのだ。一人目は小学校の時の担任で、他の生徒にはいい先生なのに桃子だけはいじめられた。二人目は新卒で就職した会社の先輩で、やっぱり上司や同僚にはいい顔をしつつ、桃子には嫌がらせをしてくる。三人目は娘が通う幼稚園の保護者で、同じ行事の係になった際、自分の意見をごり押しして桃子はひどく振り回された。呪いなのか、奇跡的な偶然なのか――ともかく『ナオちゃん』は自分を苦しめる天敵だと桃子は確信する。そんな中、四人目の『ナオちゃん』が娘のクラスメイトとして現れ……!?
夫のワイシャツにアイロンをかけ終えると、時計の針は午後二時半を指していた。
今日は水曜日、五時間授業の日だ。あと十分もしたら小学三年生の娘、紗希が学校から帰ってくる。おととい誕生日プレゼントとして、サオリちゃん人形シリーズの「二階建て豪華マンション」を買ってあげたから、たぶんお披露目のために友達を家に誘っている。
アイロン台を押し入れに収納した直後、玄関のチャイムが鳴った。
帰ってきた!
玄関ドアを開けるなり、「ただいま!」と紗希が飛び込んできた。五月の連休が終わったばかりなのに、うっすらかいた汗のせいで、前髪がぺたんとなっている。
「真里菜ちゃんと梨子ちゃんが遊びに来るけど、いい?」
ランドセルの肩ベルトを外しながら許可を求めてくる。
やっぱりね。どんなに些細な事柄でも、娘に関して予想が当たるのは嬉しいものだ。
紗希はリビングの隣の和室にランドセルを置くと、学習机の上でお行儀よく佇む金髪ロングヘアのサオリちゃんを愛しそうに撫でた。一番のお気に入りなのだ。次におもちゃケースから四体のサオリちゃん、ドレス、小物類を取り出し、机の横に鎮座しているマンションを部屋の中央に配置した。じつにてきぱきとした動きだ。
「手洗いとうがいが先よ」
声をかけると、「はーい」と洗面所に向かう。
「連絡事項があるなら、忘れないうちに教えてね」
「わかった」
戻ってきた紗希は、ランドセルの中を探り、素早く連絡帳を取り出した。連絡帳は、宿題や家庭への連絡事項を子どもが記入するノートである。
「学校からのプリントはなし。宿題は漢字ドリル十ページと十一ページ、算数ドリル十ページ。以上です!」
内容を読みあげた直後に玄関のチャイムが鳴り、紗希はツインテールを左右に揺らしながら、ドアを開けに跳んでいく。まるでウサギだ。やがて真里菜と梨子が「おじゃましまーす」と陽気な空気を振りまき、リビングに入ってきた。
真里菜とは同じ幼稚園に通っていたので、母親とも知り合いだ。自宅はすぐ近所、去年も同じクラスだった。対する梨子は四月のクラス替えで一緒になったばかりだが、サオリちゃん人形好きとしてすぐに意気投合し、互いの家を行き来する仲になった。
「いらっしゃい、あら?」
いそいそと和室に向かう仲良し三人組の後ろから、女の子がもう一人現れた。ブルーの無地の長袖Tシャツの下に、ひざ下までのキュロット。前髪をピンで留めておでこを出しているが、俯いているので顔がわからない。足音をたてまいとするかのように遠慮がちな様子だ。この子、誰だろう?
「いらっしゃい」
屈みこんで話しかけてみる。すると彼女は止まって顔を上げた。
うわっ!
思考よりも先に身体が反応し、私は大きくのけ反ってしまった。
微妙に離れた黒目がちの双眼とぷっくりとした赤い唇が、卵形の顔に絶妙なバランスで配置されている。個性的で不思議な魅力のある容貌……。
ナオちゃん先生! なぜここに?
強く動揺したが、波打つ心臓を両手でおさえて呼吸を整える。
身長百三十センチくらいの、どう見ても小学生の女の子。ナオちゃん先生であるはずがない。これまでも似た場面が二度もあったじゃないの。今回だって別人よ。
- 松本愛世(まつもと あいよ)
東京都在住。
本作にて、2025年集英社ノベル大賞で大賞を受賞。
読書と「プリティ・リトル・ライアーズ」(海外ドラマ)、編み物が大好きなインドア派。
好きな食べ物は、はちみつ梅干しと豆乳ヨーグルト。





















三浦しをん
本作においては、見事に「オチ」があることに感嘆した。
選評全文を読む
今野緒雪
絶対面白い小説だと確信し、実際その通りでした。
選評全文を読む
似鳥 鶏
「まず興味をひくこと」が冒頭たった4頁でできており、応募原稿としてはこの時点で成功していました。
選評全文を読む
丑尾健太郎
読後にはじんわりとした不気味さと爽快感が同時に残り「こんな小説、初めて読んだ」と思えました。
選評全文を読む