2025年ノベル大賞 選評/今野緒雪
選考会を終えての感想は、「よかった」でした。
二〇二五年は、今後ノベル大賞を語る上で間違いなく「特別な年」になるでしょう。何せ史上初、二作品が大賞に選ばれたのですから。
選考会を終えての感想は、「よかった」でした。この二本はどちらも大賞にふさわしく、またタイプの違う作品なので優劣もつけにくい。どちらも素晴らしい作品と認めた上で、選考委員にはそれぞれ推しもある。終わりの見えない壮絶なバトル(……おいおい)が続く中、ついに編集部サイドから大賞二本でもいいですよ、の許可が出たのでした。前例を作ってしまいましたが、これはイレギュラーなことなので、今後しばらくはないはずです。
『ガラクタの神様』
この作品の褒めるべき点は、神滓という存在を作り出し作品内に放ったところでしょう。ただ、残念なことに、設定は面白いのに肝心の神滓が描ききれていない。
始めは八百万の神様とか妖怪のようなものだろうか、と考えていました。けれど、ケガはするので実体はあるらしい。その上で物体の通り抜けはできる。生物ではない、と明記されている。イメージが固まりません。
碧は、見た目は少し変わっていて超能力は使えるけれど、中には人間が入っているように感じました。せっかく神滓という存在を生み出したのだから、それを十分生かしたキャラクターを作り込んでもらいたかった。主人公に寄り添うにしても、人間とはまったく違った接し方が引き出せたかもしれません。
簡易デコヒーレンス装置のくだりも、理解が難しかった。草の神滓や碧はダメージを受けるのに白銅は大丈夫なのか、とか。作者の中でちゃんと答えがあるなら、読者に対してもう少し丁寧な説明が欲しかったです。
神滓を家族もしくはビジネスパートナーとして迎えるにあたっての、一般的な決まり事もわからなかったです。管理センターにもらいに行くとか飼うとか書かれていると、ペットのような扱いに思えるし、その一方で、好きだから一緒にいる、みたいな同等の立場でのつながりも見られる。神滓の意思は尊重されるのか、否か。――なんて首を傾げていた私はまだまだ甘い。似鳥先生が「神滓の人権」までも問題にされているのを聞いて、確かにそうだと感心しました。
ストーリーは、いろいろなエピソードを組み上げてはいますが、やや散漫な印象があります。このお話で、何が一番書きたかったのかを改めて自身に問いかけてみてください。それを一本の太い幹として据えておくと、伸ばした枝葉にも意味がついてくると思います。
主人公の生い立ちにも疑問があります。母親は汐音がかなり幼い頃から精神的に不安定だったようですが、いったい生活はどう成り立っていたのでしょう。逃避や隠遁生活を送っていたわけではなく、汐音は学校にも通っていたのですから社会と断絶はしていなかった。ならば、役所や児童相談所の介入があって然るべき、です。母親の病気を取り上げたからには、細部まできっちり決めた上で書いていただきたい。
母親の手紙の内容も、首をひねりました。汐音と碧が一緒にいて欲しいと願うならば、自分の自殺に碧を巻き込むことは矛盾しています。そして、いつ発見されるかもわからない手紙に詳細を書いたのも謎です。
碧の、汐音に対する態度の変化も腑に落ちませんでした。汐音の母親が亡くなった時点で、碧は彼女の自殺を幇助してしまった事実に気づいていたはずなのに、その後も汐音に恋愛を仕掛けるような態度をとる。しかし途中から「いい奴見つけろ」とか自分がいなくなることを匂わせる言動にチェンジ。この変化が、汐音の母の死を境にするならばとても効果的だったのですが。
警察の黒須というキャラクターも、生かし切れていない気がします。話を進めていく上で必要なのはわかるけれど、それだけの存在で終わっています。自分は白銅を使っているのに、碧のことは否定するのはなぜか。彼女には神滓に対する複雑な思いがありそうだし、葛藤もあるだろうと想像がつくわけです。そこをほんの少し掘り下げるだけでも、物語に深みが出ます。ストーリーを動かすためだけなら、名前もない一警官にしてもいいのです。
それから。心情を語りすぎる、情報が重複している、会話のみで長々と進んでいる箇所がある点が気になりました。
神滓が誕生したくだり(『箱の中の猫』を逃がした)はあまりくどくど説明せず、むしろもっとふわっとするくらいでいいと思います。
『税理士 鮫島桐子』
経理関係の話なので、数字などが出てきて最初は読みにくいのかな、と身構えたのですが、達者な文章とテンポの良い展開でどんどん引き込まれていきました。いろんな会社の経理事情ではなく、一貫して水戸研磨工業のゴタゴタを描いていたのでわかりやすかったです。伏線の張り方が巧みで、何気なく書かれていたことが後々効果的に現れて、なるほどとうなりました。
キャラクターもステレオタイプではなく、それぞれのバックボーンなども想像できるような厚みがありました。
主人公鮫島の甘党エピソードは、「長身」という身体的特徴と並んで彼女の個性を紹介する助けにはなっていますが、おいしく食べるだけで終わっているのがちょっと残念です。あれだけしつこく甘い物を欲する人間なんだから、食べていたスイーツが事件解決のヒントになるとか、ストーリーに絡んでくればいいと思いました。今後があるなら……、お願いします。
スーパー税理士の大活躍は痛快ではありますが、一方で何でもかんでも鮫島に解決させるのには無理がある気もしました。お金がらみのことは彼女のテリテトリーですが、事故に見せかけた殺人事件のトリックを見破るくだりは、ちょっとやりすぎかな、と。実際に事故だったとしても、自転車は警察が調べるだろうし、たとえ乗らなくても、ハンドルを握って引いていたら被害者も自転車の不具合に気づく気がします。
文章に関しては、三人称で書かれている章と一人称で書かれている章が混在していました。これは統一できるはずです。
『佐藤の告白』
中学時代の、少しぴりついた教室の雰囲気が、読んでいて蘇ってきました。
ちょっとしたことが許せない、すぐに傷つく、他人を攻撃する、気持ちが不安定になって理由もわからず泣いたりする。そういう繊細な心の動きを拾い上げるのが、とても上手です。
当初私は、「佐藤君の告白騒動で、生徒や大人たちがどう感じてどう行動したのかを追う物語だからこれでいいのだ」と理解しつつ、それでもテーマが絞りきれていない、一つの物語としてのまとまりが欲しい、と思いました。
選考会では、思ったままを言わせてもらいましたし、他の選考委員の方たちのご意見も聞かせていただきました。それで、数日経った今、私が一番引っかかっているのは佐藤の母の告白の章だったと結論づけました。あの章だけどうにも異質で、そのせいで全体のまとまりを欠いている気がします。母の告白をやめて、生徒の告白をいくつか増やす、という道があるのなら、私はそちらを支持します。
登場人物が多すぎるせいか、誰が何組で何をした人だったか、ページが進むにつれわからなくなってきます。重要人物を絞る、数人の行動を一人にまとめる、「誰かがそう言った」のように氏名を省く、などの工夫で解決できそうです。
しかし、どうして佐藤君の証言だけで、「佐藤が鈴木に告白して振られた」とみんなが納得してしまうのでしょうか。それより、二人が抱きしめ合っていたという刺激的な目撃情報があるのだから、彼らがつき合っているという噂が流れるのが自然な気がしました。
登場人物同様エピソードも多いので、もう少し厳選してじっくり丁寧に進めていくと、作者の強みがより発揮できるはずです。とはいえ、本当に小さな出来事で心の動きを表現するのが上手いのも事実。たとえば、岡本先生に聞き取りされる事を拒否していた南さんが、岡本先生が教室でキレた直後に音読に名乗り出たエピソードなど秀逸でした。
いろいろ注文をつけましたが、素晴らしい作品であることには変わりありません。今後生み出される作品も楽しみです。
『洋菓子店ニュイ・ブランシュ』
二人の青年が、新規開店した洋菓子店で提供する菓子を通して絆を深め、互いに成長していくという物語。が、キャラクターもエピソードもうまく回せていない、という印象です。
過去にあったことは、彼らの一部でしかありません。過去にこだわっているだけでは、リアルな人間像が見えてこないのです。土台となる個の部分を固めてこそ、エピソードに深みが生まれ逆にエピソードから個性が垣間見えることもあります。たとえば、スポーツにやたら詳しいというのが若葉の特性だとしたら、ティンカーベルの正体を推理したりスポーツ選手との交流だけで終わっては、もったいない。スポーツの知識を店の運営に役立てたり、新作菓子のヒントにつなげたりできませんか。もう一歩踏み込んで、身体を動かすことが好きで毎朝ジョギングしているとか、スポーツが絡むと頭に血が上る熱血青年だったとか。それなのに、過去を引きずって生きている……みたいなほうが、応援しがいがあります。
水嶋に関しても、本来は「くそ生意気なヤツ」だったという設定はいいので、終盤で種明かしするのではなく、頑張って真面目を装っている時にも、言動の端々にその片鱗が垣間見られる、とか。あるいは最初から問題児丸出しで、礼儀正しくしているつもりがあきらかに失敗している、とかだとむしろ可愛くなってきます(作者は彼に「可愛いさ」なんて求めていないかもしれませんが)。
その水嶋ですが、彼の父親が亡くなってからの暮らし向きが見えてきません。遺産がたくさんあったのでしょうか、高そうな家に住んでいたり、若いのに独立できたり(こちらは借金かもしれませんが)。身の上話を聞きたいのではなく、察するヒントが欲しいのです。実際に登場することもないので、妹がいる設定はなくてもいい気がします。
ニュイ・ブランシュの経営については、謎だらけです。水嶋は若葉に「一緒に店をやってほしい」と頼んではいますが、共同経営ではなさそうなので単なる従業員だと思われます(その割に威張ってますけれど)。給料とか、働く条件とか、いったいどうなっているのか。お店が舞台のお話ですから、説明は必要です。給料といえば、三尋のバイト代はどうなっているのでしょう。まさか、本当にケーキだけで働かせているわけではないですよね。いつ来るかわからないバイト、というもかなり問題です。
お金の話が出たのでついでに言えば、最初は「メロンショート 450円」とか「ゼリー30個で9600円」とか記されていたのに、依頼されてケーキを作り出してから料金のことが明記されなくなったのはどうしてでしょう。クッキーの代金は5000円でお釣りが出る金額らしいけれど、それでは幅がありすぎてイメージしにくい。ギモーヴは、いくらで販売することにしたのか。こちらも釣り銭とレシートは出てきますが、わかりませんでした。白ゼリーに至っては、何度も何個も試作を繰り返して提供しているのに、代金を受け取った記述が探せません。無料ならば、そう書いておいてくれないと、気になって仕方がありません。
細かいことですが。若葉は水嶋が失踪した時、「俺にあいつを探す手がかりなどない」と言っていますが、最初に水嶋からもらったメモに書かれた番号になぜ電話をしなかったのか。
店は東京にあるのに、水嶋が「俺雪って見たことがないんだ」と言っているのも不思議です(東京も雪は降ります)。
勢いで文章を書いてしまう癖があるのか、時々言葉の選び方に誤りがあります。安いものでいい、と言う意味で「ピンキリ」を使ったり、たぶん七十歳前後であろう山野辺さんを「妙齢」と表現したり、女学校を卒業したと書いていたり(女学校を出ている人は、ゆうに九十歳を超えています)。自分にはそういう傾向がある、と心に留めて推敲してください。
あと、後半の三尋の一人称で書かれた章だけ浮いています。三尋しか知り得ないエピソードかもしれませんが、若葉と三尋の会話だけでも成立させることはできます。
それと冒頭のコンビニのシーンは、長すぎます。もう少しコンパクトにして、メインのストーリーへ早々に移行したほうがいいです。
商店街の店主たちは、生き生きしていてとても良い味を出しています。彼らはフルネームを出さなくても、「包丁屋」「布団屋」だけで十分。コンビニで働く仲間も、「バイトの優奈ちゃん」くらいでいいと思います。
『四人のナオちゃん』
ナオちゃんと呼ばれる四人の人物を取り上げたオムニバス小説かと予想を立てながら読み進めていたのですが、全く違いました。
二ページ目の中程で「ナオちゃん先生! なぜここに?」という文章を目にした瞬間、絶対面白い小説だと確信し、実際その通りでした。
身近にありそうな日常を描きながら、SFのような、パラレルワールドのような、独特の世界を作り上げています。
最初のナオちゃん、ナオちゃん先生にいわれのない差別といじめを受けたのを発端に、職場のナオちゃん先輩、子供の幼稚園が一緒のナオちゃんママ、娘の友達のナオちゃん、と、何度も同じ顔同じ名前の女に嫌な目に遭わされる桃子。それだけでもかなりぶっ飛んでいるのに、逆サイドでは桃子の母「川野雅子」がなんと七回も現れてナオちゃん先生を苦しめていたなんて、予想を超えた展開に大爆笑しました。
ナオちゃん先生の急な辞職や、ナオちゃん先輩のいじめが突然なくなった理由を、読者に「多分こんなことがあったのでは」と想像させておいて、ラスト近くで種明かしをするのも上手いですね。さりげなく張った伏線とその回収も見事。意地悪や迷惑のバリエーションも程よくリアルでした。
桃子の年齢が上がるとともにナオちゃんとの立場の差が小さくなり、同等になりやがて逆転する。それにともない、桃子はナオちゃんと戦う力を身につけていく。成長物語としてよくできています。最後は、まったく敵わなかったラスボス、ナオちゃん先生に立ち向かう展開も素晴らしい。
一方、桃子の一部の言動については、選考会で否定的な指摘もありました。その点は私もその通りだと思います。しかし、これは作者が納得するならば、直すことは可能でしょう。
最後、小学生だったナオちゃんが成長し教育実習に行って桃子そっくりの生徒を見つけます。桃子と直子が悪いループから解放されたことが、読者にだけわかる方法で示され、直子が正しい教師になるであろう未来を想像させるラストも圧巻でした。
同じ名前同じ顔を引き寄せてしまう現象に写真が関わっているという仕組みは、なくてもいいのかな、と思いました。最初に同じ顔の「川野桃子」が二人いたことも含め、すべてに答えを出す必要はないのかもしれません。
わからないままでも、面白いものは面白いのです。