2025年ノベル大賞 選評/丑尾健太郎
大賞に輝いた二作品は、世界観も作風もまったく異なりますが、いずれも発想の独自性に富んでいて、読者を最後まで惹きつける力に満ちていました。
今回も大変な選考会でした。嬉しい意味で。
最終選考に残った五作品はどれもレベルが高く、中でも『四人のナオちゃん』と『佐藤の告白』は突き抜けて面白く、選考委員の票も『ナオちゃん派』と『佐藤派』とで真っ二つに分かれました。この二作品はジャンルや世界観がまったく異なるもので、例えるなら「野球とサッカー、どちらが面白いか」「寿司とステーキ、どちらが美味しいか」というくらい同列に扱うことが難しく、もはや最終的には「選考委員の好み」という理屈を超えた領域での争いとなり、難航しました。両陣営の主張もあらかた出尽くして、最後はもう殴り合うくらいしかないのでは……などと悩んでいた中で、それまでじっと戦況を見つめていた編集長・大好環美さんが静かに口を開きました。
「大賞、2本で、いきましょう」
その言葉に、どよめきと歓声が上がりました。「そんなことできるんですか⁉」「大丈夫なんですか⁉(予算的、色々な立場的にも)」という問いに、大好さんは静かにうなずきました。
「何も問題ありません。どちらも大賞にふさわしいですから」(意訳)
こうして、今回は大賞が2本生まれたというわけです。受賞者の皆様、おめでとうございます。そして、大英断をされた集英社の皆様にも心から御礼申し上げます。――そんな、大変だったけど楽しくて幸せな選考会でした。
『ガラクタの神様』
「神様の残りカス」である「神滓」と人間が共生する世界――という設定は魅力的でワクワクしました。一方で、こうしたフィクションを描く際に大事な「世界観の説明」が不足している印象です。「神が死んだ」とは、具体的にどういう状態なのか。その神の「残りカス」とは、どういうものなのか。何がどうなってそれが人間界に存在するようになったのか。人間はなぜその「神滓」を忌み嫌うのか(たとえ「残りカス」だとしても、かつては神の一部だったものを、なぜ嫌悪するのか)……など、根幹にかかわる疑問が生まれてきます。一応、説明はあるにはあるのですが、哲学的で詩的な言い回しになっていて、結果として核心的な部分は伝わらず、意地悪な言い方になってしまいますが「説明から逃げた」というふうに見えてしまいました。これは書き方の問題かもしれません。もしこれが軽いタッチの文章で「あるとき神様が、気まぐれに自分の残りカスを人間界に落としちゃったんだよね」ぐらいの調子で書かれたとしたら、読み手も軽く「ふーん、そっかそっか、それで?」とアッサリ設定を受け入れたかもしれません(それでも多少の説明は必要ですが)。本作は冒頭から重めの文体で真面目に書かれていたので、読み手も真面目に身構えてしまって、そのために「その理屈は変じゃないか?」という疑問が真面目に湧いてきてしまう形になったのかなと。
とはいえ、序盤の説明を抜けて、いざ本編が動き出すと、途端に読みやすくなります。適度に肩の力が抜けていて、上手な比喩やオシャレな言い回しもあり、会話も軽妙で。これが作者の持ち味だと感じました。主人公・汐音と神滓の碧の関係性も魅力的です。会話も軽やかでテンポがよく、程よい甘ったるさで、この二人の距離感も好きな人にはたまらなく好きなものだろうと。
一方で、引っ掛かる点も幾つかありました。汐音は幼い頃から碧と一緒にいる設定なのに、碧の能力について初めて見たり聞いたりするような事象が多かったり。汐音と母親との関係が長年うまくいっていなかったとのことですが、その間、この三人(汐音、母親、碧)はどんなふうに過ごしてきたのか、碧は汐音(と母親)に対してどう接していたのか、などがよく分からず、最終的に碧が母親の死に関わっていたことも、心情的に理解できるまでには至りませんでした。
作中のセリフ「神滓の根底にあるのは、誰かにとっての何者かになりたいって欲求よ。近代化で居場所を失った神が、ただ、居場所を探しているだけ」――というのが、本作のテーマの一つを象徴しているものです。この視点はとても面白く、神滓ってカワイイじゃないか、と微笑ましく思いました。こうしたキュートな世界観だったり、親しみやすさのようなものが、作品を通してもっと感じられたら、とっつきやすく読みやすいお話になったのかもと感じました。(母親の死から物語が始まるので、重苦しいカラーになってしまうのは仕方ないかもしれませんが……)
「神滓」というものを生み出したアイデアなどはとても良く、さらには男女間の絶妙な「萌え」を描くのも上手です。あとはその世界観にどれだけのリアリティを持たせられるかが勝負かなと。そのためには様々なことを調べたり、掘り下げたりする作業が必要になってきます。めちゃくちゃ地味な作業ですが、やればやるだけ地力がつきますし、これが出来る人がプロになるのではないかなと思います。
『税理士 鮫島桐子』
プロットも巧みで、業務描写のリアリティもしっかりしています。さらには、税務に詳しくない人にも分かりやすいように工夫がされていて、まさに「お仕事もの」として良くできた作品です。
一方で「よくできたお仕事もの」で終わってしまっている印象もあって、もう一歩踏み込んだ「仕事プラスα」が欲しいと感じました。特に主人公のキャラの幅や人間ドラマなどがもう少し見られたらなと。主人公・鮫島桐子は、とても優秀な人間ですが、それは「税理士としての優秀さ」であって、業務以外での鮫島の人間性やキャラの奥行きは弱いように感じます(甘いもの好き、麻雀が趣味、だけでは弱いかなと)。結果、鮫島桐子がどういう人間なのかよく分かりませんでした。この人物の家族や過去、恋愛など、仕事以外の一面をもっと見たかったです。あるいは、そうしたプライベートをあえて見せず、掴みどころのない人物にする場合でも、その「ミステリアスさ」を物語の中で楽しませる工夫があれば良かったなと。
もう一つ気になったのは、鮫島があまりにも完璧すぎる点です。問題が起きると解決に向けて一直線に進んでしまうため、寄り道が少なくなってしまいます。こうした物語において一番楽しいのは、解決に至るまでの「寄り道」だったりします。その中で、鮫島のキャラも遊べたりできますし。たとえば鮫島に、出来の悪い後輩などの「相棒」を作るという手もあります。その相棒の目線で、鮫島という不思議なキャラを見せていく。また、その相棒との恋愛模様を入れたり、小さな失敗を交えたりして寄り道を描いていくと、物語にも遊びや幅が生まれるかもしれません。
それから、本作はコンクール作品なので「売れる」「売れない」については、意識しなくても良いのですが……だとしても、やはり「地味なお話」という印象は否めず、少し勿体ないと感じます(いざ読めば面白いけども、そもそも読者がこの作品を手に取ってくれるかどうかという問題)。税理士という一見難しそうな題材に加え、舞台が研磨工業という堅そうな業界のため、興味のない人にとっては敷居が高く見えてしまいます。これが、芸能人の税金事情を暴露していくような話なら、掴みはありそうですけども。あるいは、作者の意図とは外れるかもしれませんが、たとえば主人公を税理士ではなく、研磨工業の経理部に入って来た新人の派遣の子――にするなどの大胆な手法もあります。その新人社員・鮫島桐子が、入社一日目に会社の伝票を見て「社長、脱税しようとしてるでしょう」と言い出すとか……。本作のように題材が難しそうな作品は、どれだけとっつきやすそうなお話にするか、面白そうな匂いを醸し出せるか、といった工夫も求められてきます。
とはいえ、逆に言うと、これだけ地味な題材を、ここまで分かりやすく噛み砕き、物語として上手に仕上げた力量は見事です。この作者は、実力はすでに充分ある方なのでエンタテインメント性を意識すれば、より多くの読者に届く作品を作り出せるようになると思います。期待しています。
『洋菓子店ニュイ・ブランシュ』
文章が巧みで、スラスラと読ませます。お菓子作りの描写は丁寧で臨場感があり、まるで香りまで漂ってくるようでした。「白ジェリー」や「ブルペンでも食べられるお菓子」など、作中に登場するスイーツのアイデアも面白く、作者の知識の深さにも感心しました。
一方で、ストーリー展開においては説明不足と感じる箇所が幾つかありました。特に主人公の内面が見えにくかったなと。主人公が「何かと理屈っぽいキャラ」というのは楽しく読めるのですが、その根底にあるもの――主人公が生きる上で大切にしているものは何か、主人公にとってスイーツとはなんなのか――などの核心となる部分が描かれておらず、あまり感情移入ができませんでした。
また、主人公は洋菓子店の経営について詳しいキャラになっていますが、いつ、どのようにしてその知識やノウハウを身に着けたのかが不明です。過去に両親の姿を見て経営の厳しさを知った、というだけでは根拠としては弱く、むしろ過去にそんな辛い経験があれば、スイーツ業界から一切遠ざかることだってあるはずです。そのあたりの「なぜ?」「どうして?」といった描写なり説明が全体的に不足している印象を受けました。
物語の展開も、やや都合が良すぎる箇所があります。何の準備もない二人が勢いで洋菓子店を始めて、果たしてここまで上手くいくものだろうかと。さらに、人気スイーツブロガーの女子高生や、有名プロ野球選手が店に来てくれたりと、チャンスが勝手に向こうから来てくれている印象も受けます。かつて親が経営難に苦しんだ過去があるのなら、主人公も同じように経営面でのリアルな問題や葛藤を抱える姿を見せて欲しかったです。親には超えられなかった問題を、主人公は超えることができた――といったエピソードなどもあれば良かったなと。
相棒となる水嶋の描き方にも、引っ掛かる部分がありました。特にこの作品の最大の仕掛けでもある「実は水嶋が、復讐のために主人公を店づくりに巻き込んだ」という真相が、やや唐突すぎるというか、前フリや伏線がもっと欲しかったですし、もっと上手に嘘をついて欲しかったです。水嶋は「かつて主人公と同じ学校にいた」という設定で接近しますが、それならそれで、嘘が混じってもいいから「あの頃、こんなことがあった」「当時、僕らはこんな子供だった」などの、普通はあるべき会話をして欲しかったなと。その会話の中に、こっそりと本当のことを幾つか忍び込ませておくなど、読者をミスリードする工夫があれば、終盤の真相もより響いたのではと思います。
とはいえ、スイーツに対してとても愛があることは伝わりますし、ご近所のオジサンたちのキャラにも愛があって、微笑ましく読めました。書くこと自体を楽しんでいる様子が感じられて、それはとても大きな才能だと思います。あとは、よくある物語に収めるのではなく、粘り強く工夫を重ねられるかどうか、どこまで自分に厳しくなれるかの勝負だと思います。応援したくなる方です。
『四人のナオちゃん』
「『金子直子』という同じ名前で顔もそっくりな女性に、人生で三度も出会い翻弄されてきた主人公の前に、四人目の金子直子が現れた」――このあらすじだけでも充分に興味をそそられますし、開始数ページで一気に物語に引き込まれました。『世にも奇妙な物語』を思わせるような、じんわりと不気味な世界観を描きつつも、ただのオカルト話ではなく、人間が丁寧に描かれています。特に、日常の人付き合いにおける「この人、なんとなく苦手」「理由は分からないけれど、イヤな感じがする」といった、言語化しにくい違和感や、なんとなく息苦しくなるような感覚がよく伝わってきました。
この作品の魅力の一つは、物語の構造にあります。我々の日常に潜む「人間関係での小さな引っ掛かり」を描くだけでは地味な話で終わりかねませんが、そこに「何人もの金子直子が主人公の前に次々と現れる」というアイデアを加えたことで、物語は厚みを増し、エンタテインメント性が一層際立ちました。
物語が進む中で、主人公が「このままでは更なるナオちゃんが現れてくるはず」「私はこの『ナオちゃんループ』から抜け出さなければならない」と決意する下りもとても面白いです。自分を取り巻く不可解な出来事について、主人公が一方的に解釈しているにすぎないのに、妙に説得力があります。一歩間違えれば興ざめしかねない展開ですが、物語としてきちんと成立させている筆力には感服しました。さらに、この複雑な問題を、曖昧な形で終わらせず、最後は主人公なりの方法で解決させた、という点も良かったなと。クライマックスで主人公が長く胸に溜めていた言葉を叫ぶ場面は感動を覚えました。この作品を読んで、どこか救われた気持ちになる読者もいるのではないかなと思います。
一方で、物足りなさを感じた部分もあります。過去に登場する歴代の金子直子たちとの対峙がどれも面白かったのですが、いざ現代に舞台が戻ってからはその勢いがやや失速したというか。王道の流れとしては、この現代で出会う金子直子こそ、過去最恐の相手であって欲しかったなと思います。たとえば、子供ならではの狡猾さを武器にして主人公を孤立させていくような、まさにモンスターチャイルド的存在であれば、物語の緊張感はさらに高まったかもしれません。しかし実際には、ここでの少女・金子直子は、ワガママや泣き落としといった、言ってみれば子供レベルでの行動に留まり、主人公が「その気になれば大人の力で何とかなる相手」で収まっていて、その点がやや物足りなく感じられました。
とはいえ、本作にはそうしたマイナス面をはるかに上回るプラスの魅力が溢れています。多彩な仕掛けや伏線、アイデアが随所に盛り込まれていて、最後まで飽きることなく一気に読ませてくれます。読後にはじんわりとした不気味さと爽快感が同時に残り「こんな小説、初めて読んだ」と思えました。
『佐藤の告白』
文章がとても巧みで、言葉のチョイスも洗練されていて、小説の魅力がふんだんに詰まっている作品です。たとえるなら、水面に一粒の小石が落ちたときに波紋が広がっていくように「ある男子生徒が、ある男子生徒に告白をした」というたった一つの出来事が、周囲の人々にどんな影響を与えていったのかを丁寧に描いています。通常の物語とは違い、明確な起承転結があるわけでもありませんが、それにもかかわらず最後まで一気に読ませてしまう筆力には感服しました。
女子高生、担任教師、保護者、男子生徒……と複数の視点で描かれていて、それぞれの立場ならではの空気感や内面がリアルに表現されています。特に印象に残ったのは、序盤の「ひなのの告白」でした。佐藤を好きになった女子高生の、抑えきれない気持ちの暴走が生き生きと描かれていて、文章から若さのエネルギーが溢れ出すようで、読んでいて気持ちよかったです。ひなのが佐藤に恋に落ちた瞬間も、ドラマチックな大事件などではなく、小学生の頃のささいなやり取りだったという点もリアリティがありましたし、そうしたエピソードの緩急のつけ方も見事だなと感じました。ラブレターも、現代では少し時代錯誤に見えるかもしれませんが、(文面も含めて)むしろそこにひなのの狂気を強く感じられて最高でした。そして、そんなラブレターを貰った佐藤が拒絶するわけでもなく、きちんと受け入れていたところも良かったです。このように、直接は描かれない佐藤の内面が、周囲の視点を通して少しずつ見えてくる構造も、この作品の面白さの一つだと思います。「オカジュンセンセイの告白」の章も、教師の葛藤が切実に描かれていて、最後の生徒に対する言葉はハッとするほど鋭く、読んでいてスカッとしました。
LGBTQを扱った作品は近年増えていますが、本作のメインはそこではないというところも良かったです。たとえば、ひなのにとって「佐藤くんが男の子を好きだった」という事実は問題の本質ではなく、それよりも「その相手が自分ではなかった」ということこそが重要で、それが彼女を突き動かしている。そうした描き方、作者の姿勢がとても気持ち良く響きました。
一方で、序盤の章があまりにも鮮烈だったぶん、後半は少し物足りなく感じてしまいました。もちろんそれは物語のトーンが大人になっていったとも言えるのですが、個人的にはもう一つ爆発するような展開があれば、さらに強烈な読後感になったのではと思います。とはいえ、これは贅沢な望みかもしれません。それほど序盤のエネルギーがすごかったということでもあります。
この作品は、言葉の力や人間描写の鋭さにおいて群を抜いていたと思います。学校という小さな世界で起きたささやかな出来事を、ここまで大きな物語として楽しませる筆力には感服しましたし、読んでいる間ずっと「小説って、やっぱり面白い」と実感させられました。
というわけで、選考の結果『四人のナオちゃん』と『佐藤の告白』の二作品が大賞を受賞することとなりました。受賞された皆様へのお祝いの気持ちとともに、集英社編集部の懐の深さと、そしてこのコンクールに懸ける本気の覚悟を強く感じました。編集部の方々は、才能の発掘に真剣に取り組んでいるのだと。
大賞に輝いた二作品は、世界観も作風もまったく異なりますが、いずれも発想の独自性に富んでいて、読者を最後まで惹きつける力に満ちていました。こうした素晴らしい作品、そして才能に出会うことができて、選考委員をお引き受けして良かったと思えました。来年以降もこのようなワクワクする作品が生まれてくることを願っています。