麻布あらかじめ見られ方が決まっているって、大変そうですね。

岩谷どこへ行ってもそうですね。飲みの場へ行っても「LDHの」って言うと必ず「ならレモンサワーっしょ」って。「ハイボール飲みたい時もあるわ!」ってなります(笑)。

麻布うわー難しそう。岩谷さんの中には絶対にLDH、THE RAMPAGEの血は入ってて、でも岩谷さん個人もいて。それは不可分一体ではあるけど、あらゆるシーンにおいてそうなのかというとそうでもなくて……バランスめっちゃ大変ですね。僕も、インターネットとどう向き合うべきか考えることがあります。ネット出身の人って、ネットでバズったキャラクターに依存し続けるうちに吞み込まれる傾向があって。自分自身は、「ネットはお遊びの場だ」と割り切っているからそうはなっていないんですけど。

岩谷ネットは反響が数字で見えちゃうし、いい反応も悪い反応もすぐに届きますから、メンタルに来るのも分かります。

麻布一方で、今文芸誌で連載をやっていますが、こっちはリアルタイムでの反応が全然少ないから、まるで暗闇に向かってボールを投げ続けているような感覚です。もう、暗闇の先に壁があるのかすら分からなくて。今まで書いたそばからリアクションが来るネットという世界にいただけに、己を奮い立たせる原動力をどう維持したらいいだろうというのは考えますね、最近。岩谷さんはどうやって書くモチベーションを維持しているんですか?

岩谷最初は、結構生半可な気持ちで書くことに足を突っ込んでいたんですが、最近はその大変さを思い知らされているところです。書くことって、自分を削ること。削らなくても書けはするんですけど、多分それでは読み手に何も残さない。

麻布小説も書かれるということですが、まだ発表はされていないですよね。

岩谷はい。自分はまだまだ未熟なので、修業の意味で書いてみようと思って。でも、ゴールがないからブラッシュアップするのもきりがなくて、結構大変です。

麻布一人で当てどなく書いている時って不安になりますよね。自分が書いたものには価値があるのかとか、すごい凡庸なものを書いているんじゃないか……とか考えちゃう。その作品は、今後発表される可能性はあるんですか? 発表の場としてインターネットは選択肢に入れていますか?

岩谷僕、結構アナログ人間なんです。スマホもパソコンもそんなに器用に使いこなせないですし、90年代の音楽やカルチャーが好きで憧れている。未だに電子書籍も読めないぐらいで、自分にはアナログへのこだわりがあると思っています。だから、自作を発表するならやっぱり紙の本がいいですね。

麻布僕は長らく電子派だったんですが、最近仕事の関係で紙の本を手にする機会が増えてきて、やっぱり紙はいいなっていう感覚が戻ってきています。読み終えて、本を閉じて、まだ読後感の余韻に浸りながら本棚に置く時の感覚は何物にも代えがたい。

岩谷アザケイさんは、どんな物語の書き方をするんですか? 書き出しと締めをどう決めているのか、気になります。

麻布Twitterでやってた時は本当に何も考えずに書いていたんですけど、今は1日1ファイル。毎日、前日に書いたものから良かったところだけを引き継いで新しく書くっていうやり方です。毎日壊していかないと、昨日の自分に引きずられちゃうような気がして。だから、物語の冒頭とラストも書きながら変わり続けていきます。

岩谷なるほど。僕は逆で、ちゃんと頭とお尻を決めて、その間をどうするか練ってからでないと書けないです。だから、アザケイさんのようにTwitterに軽やかに投稿する書き方は真似できないと思いました。『この部屋』を書籍化する時は、改稿はされたんですか?

麻布ほぼほぼネットのままですね。変えたのは固有名詞の調整ぐらいです。

岩谷結構ほろ苦い読み味の作品が多いですよね。

麻布読み返してみたらハッピーエンドが全然ないなと気づいて、自分の深層心理が怖くなりました。でも、人生って一筋縄じゃいかないですよね。若い頃は、人生が決められたひとつの方向に向かってサラサラ流れていくんだろうなという期待があったんですけれど、実際は生きれば生きるほどままならないものが増えていくなと思って。

岩谷どういう時にそれを感じるんですか?

麻布僕、本当は昨年末に結婚する予定だったんですけれど、自分が「結婚」という制度にどうしても適応できない人間だと分かって、婚約破棄になったんですよ。一方で、世の中を見るとみんな結婚指輪をつけて歩いてる。自分はきちんと勉強頑張っていい大学を出て就職して、人並みの人生を送っているはずだったのに、世の中の人が当たり前にできることができないんだなと。ただ、それって「心の形」の問題だとも思うんです。生まれ持った心の形が社会に合わないことって、あると思う。このことについて、象徴的な経験があるんです。僕は家族みんなが仲良しの家庭で育って、自分でも自分は明るく真面目な優等生だと思っていた。でも、大学入学を機に初めて一人暮らしをすることになって、引越しを手伝ってくれた親が帰って一人になった瞬間、自分が本当に息をできる場所を初めて見つけた気がして、ものすごく安心して……。それまで難なく生きてきたつもりだったけれど、多分、うっすら無理をしていたんだろうし、自分自身にそれを気づかせないよう無意識にコントロールしていた。子供の時に明確にあった「清く正しく生きましょう、友達や家族と仲良くしましょう、人の悪口を言ってはいけません」みたいなルールに合わせていたけれど、それが得意かというとそうではなかったんでしょうね。

岩谷今、すごく共感しました。僕は親が転勤族だったので、幼稚園から高校までの全部に転校経験があって、常に「転校生」という立場だったんです。既にできあがってるコミュニティに入っていくわけで、あの時に今の自分の「周りをよく見て、誰とでも仲良くできる」今の性格が形成されたなと感じています。それって物事を俯瞰で見るわけで、人のこともいろんな角度から見えちゃう。でも、人を斜めから見るのって意地が悪いことだと思っていたから、相手をなるべくまっすぐ見て好きにならなきゃって思ってたんです。だから今回アザケイさんの本を読んで「あぁ、僕だけじゃなかったんだ」と思いました。

麻布ものの見方を決まった形に限定しなくていい、と思ったきっかけは、やっぱり読書なのかもしれないです。古の日本文学って、基本ドロドロしていると思うんですが、学校の図書館には、「清く正しく」を教える本と一緒にそういう作品が置いてあって、読むことでその価値観に触れることができるから。「日常に潜む悪意」じゃないですが、図書館って学校的な価値観への反乱の場だなと思いました。

岩谷価値観の反乱……。すごく納得できました。アザケイさんって、お会いしてみたらとても明るい方だったので、どうやって「この部屋」のようなテイストの本を書かれたんだろうと不思議だったんですけれど、今、すとんと腑に落ちました。……あの、これは今日、訊いてみたかったことなんですが、『この部屋』に収録されている「東京クソ街図鑑」について。いろんな人を敵に回しそうな内容ではありますけれど、すごく巧いし「なんか分かる!」って僕はなったんですよ。

麻布これは当初、みんなに怒られるかなって思ったんですけれど、逆にこの章が一番好きって言ってくれる人も多いんです(笑)。そして「お前は東京の解像度が低い」なんて言われたりする。ここに書いてあることが、僕にとっての各街のリアルなんですけど、みんなもまた別のリアルを持っているんだなと、良くも悪くも思い知らされました。「リアルを書く」って、何を書けばいいんでしょうね。一個人の人生を生きてきた自分が主体性を持って語るリアルとは違って、作家が書くリアルには、ある種の無責任さ、暴力性が伴います。たとえば、タワマン文学の同業者である窓際三等兵さんという作家さんがいらっしゃるのですが、彼が豊洲を舞台にしたタワマン文学を書くと、豊洲に住んでいる人にめちゃくちゃ怒られるそうです。他人が愛しているものに、僕らが踏み込んで決めつけて書くのだから、怒られるのも仕方がない。でも、書く行為はその暴力性からは逃れられない。だからこそ、自分の作品が誰かを傷つけている、何かを決めつけているという暴力性に、自覚的でいなければならないなと思っています。

岩谷「東京クソ街図鑑」には中目黒も登場しますが、中目黒界隈の人、LDHの人間って、アザケイさんにはどんな風に見えているんですか?

麻布中目黒の人はとにかく、中目愛が深くて中目から出てこないイメージですね(笑)。東京で勢いのある街って時代とともに移り変わっていくんですけれど、中目の人にとっては中目黒こそ世界の中心で、あれはもう「東京における地元」ですよね。東京の中心って今はもう、『この部屋』を書いた頃と比べても変化しつつある。その一方で、中目は中目であり続けるんですよ。やっぱりLDHがあることが効いてるのかな……。

【クレジット】
構成:増田恵子
撮影:西岡泰輝
ヘアメイク:上野綾子(KIND/岩谷さん)
題字:岩谷翔吾(THE RAMPAGE)