2023年 ノベル大賞受賞作文庫化!

幽霊を見る目を持つ伯爵令嬢が、親友の死の謎を解き明かすー!?

2023年度集英社ノベル大賞・準大賞受賞作「レディ・ファントムと灰色の夢」
栢山シキ(装画:SNC)

あらすじ

オルランド王国の伯爵令嬢クレアは、
幽霊が見えることからレディ・ファントムという不名誉なあだ名で呼ばれていた。
ある時、唯一の親友ともいえる子爵令嬢アネットが亡くなった。転落死だった。
他殺か事故か自殺か。
葬儀は執り行われたものの、真相は分からないまま。
そんななか、刑事だという二人の青年が伯爵邸を訪れ、クレアを疑うような質問をしてきて…!?

登場人物紹介

  • クレア・フォスター
    クレア・フォスター
    幽霊が見えることからレディ・ファントムとあだ名される伯爵令嬢。
  • デュラン・コーディ
    デュラン・コーディ
    無愛想で口の悪いヘイリーの相棒
  • アネット・カーステン
    アネット・カーステン
    大階段から転落死してしまったクレアの親友。
  • ヘイリー・ラス
    ヘイリー・ラス
    リーヴァイ警視庁の若き刑事。

試し読みまんが

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本文試し読み

 エイベル伯爵令嬢クレア・フォスターは、十七になる年の十一月に初めて女王の住まうエルトン宮殿へと足を踏み入れた。何も特別の理由があってのことではない。このオルランド王国で貴族の娘として生まれたからには、当然経験すべき儀式のためだ。
 女王との初謁見。特別な宮廷用衣装─襟ぐりの開いた、袖の短いドレスと、引きずるほど長いトレーン。美しく結い上げた頭にはヴェールを被り、肘まである長いオペラグローブを嵌めた手にはブーケを持つ─に身を包んだ少女たちは、女王からの祝福を与えられて初めて、子ども部屋から社交界へ飛び出す許可を得られる。
 クレアもまた、この日のために誂えられたドレスを纏っていた。伯爵家として最大限の贅を凝らしたドレスは重く、左腕に抱えたトレーンは長すぎて、しっかり抱えていないとずり落ちていく。なんとか大階段を上りきったところで、目当ての広間を見つけた。すました顔をして扉の前に立っている案内役の小姓に、紹介人である親戚の侯爵夫人と、クレア自身の名前を記したカードを渡すと、小姓はもったいぶった仕草でそれを検め、ゆっくりと広間の扉を開いた。
 広間の中には、両手の指を使っても数えきれないほどの令嬢たちが、同じ型の─とはいえ、ひとつとして同じ意匠のものはない。娘の晴れ着に手をかけない貴族などひとりとしていないからだ─ドレスを身に纏って、謁見の順番待ちをしていた。この中にいる令嬢全員が謁見してから自分の番がくるのだと悟って、クレアは早々にうんざりし始めた。
 広間の壁には、所せましと絵画が飾られている。順番待ちの無聊を慰めるためか、それとも所有する絵画の美しさを誇るためか、理由としてはどちらもだろう。重いトレーンをゆすりあげ、クレアは他の令嬢に交ざって絵画の鑑賞を始めた。見るともなしに眺めている間に、一枚の絵画に目が吸い寄せられる。
 それは、美しい女性の絵だった。金に近いが、オルランド王家特有の白金髪を高く結い上げ、真珠やオパールなど、白を基調とした宝石で飾っている。レースの襟を高く立て、襟もとを台形に仕立てて白い胸元と細い首を強調するデザインは、今から八十年ほど前に流行したデザインだ。榛色の瞳は優しそうに和み、桃色の唇は緩やかに弧を描いている。唇の右端には、羽根ペンの先で突いたようなほくろがあった。
 ここに飾られているからには、そこらの令嬢などではないだろう。じっと目を凝らすと、背景に白い薔薇が描き込まれていることに気づいた。八十年ほど前の王家に連なる女性で、白薔薇となると、クレアはひとりしか思い浮かばなかった。
 先代国王の妹君、パール・アレクシア。海を隔てた隣国、フォルクマーのフェルモ王太子と熱烈な恋に落ち、嫁いでいった女性だ。彼女の恋物語は現在でも人気で、数々の小説のモチーフになったり、演劇の題材になったりしている。
(夫と死別後、生国に戻されたことを考えると、そう幸せでもない気がするけど)
 幸せそうに微笑むパール王女の肖像画を見上げて、クレアは胸中で独り言ちた。
 両国の不仲や他の妃候補との問題を乗り越え海を渡ったパール王女は、しかし嫁いで三年後に夫と死に別れ、子どもがないことを理由に故国に帰された。それを憐れんだ父王は以来パール王女をどこにも嫁がせることなく手元に置いたというが、恋夫を亡くし、あっけなく嫁いだ国からも追い出された女性の胸中は如何ばかりか。
(……こんな顔をなさっていたのね)
 貴族といえど、そう簡単に王族にお目にかかれるわけではない。生まれるはるか前の王族ともなれば、象徴やエピソードは知っていても、実際に肖像画を見ることもない。おそらくは、この広間にある人物画はほとんどが王族を描いたものなのだろう。初めて社交界に足を踏み入れようとする令嬢たちが、今まで家庭教師から習ってきたことを繋ぎ合わせ、実在した人物としてその重みを受け入れる、そのために飾られている。
 クレアもまた、幾度となく耳にした恋物語の主人公を、初めて見る実在の人物として見上げた。この世の痛みも苦しみも知らず、幸福だけを抱えているような顔で笑うパール王女。彼女がこの後経験したことを思うと、きゅうと胸が苦しくなる。
「――クレア・ベアトリス・フォスター」
 厳かに名前を呼ばれて、クレアは我に返った。どれだけパール王女の肖像画を見上げていたのだろう。すっかり固まってしまった首を慌てて戻して、はい、と返事をする。
 その瞬間、広間の空気が変わった。今まで楽しく談笑していた令嬢たちが、揃ってひそひそと声を潜めた。ブーケの陰からクレアを盗み見る令嬢さえいる。舌打ちをしたい気持ちを抑え、それらを一切黙殺して、クレアは肖像画の前から離れた。
 重いトレーンに四苦八苦しながら人の波をかき分け、謁見の間に続く長広間へと入る。長広間は左右が鏡張りになっていて、令嬢たちはここで最後の身づくろいが許される。二メートルを超えたトレーンを係官が杖を使って広げ、握りしめすぎてしおれかかったブーケの花を少しでも見栄えがいいように調整する。歩きながらドレスや髪型に乱れがないことを確認して、クレアは小姓に渡したのと同じ内容のカードを、謁見の間の直前で王室長官に渡す。王室長官はそれに瑕疵がないことを確認し、すう、と大きく息を吸い込んだ。
「エイベル伯爵令嬢、クレア・ベアトリス・フォスター嬢」
 浪々と響き渡る声に合わせて、重い扉が開かれる。扉の隙間がどんどん広がって、クレアの眼前に謁見の間の全容が現れていく。
 女王は、濃紺のドレスを纏って椅子に腰かけていた。たっぷりした布が椅子からはみ出して、柔らかな稜線を描いている。レースのヴェールを被った頭髪こそ白くなり、顔には深くしわが刻まれているものの、六十年オルランド王国という島国に君臨してきた威厳は一切損なわれていない。周囲を老練の文官に囲まれながらも、圧倒的な存在感を放っている。
 謁見の間の入り口に立ったまま、クレアはぶるりと肩を震わせた。今更、緊張で体が冷たくなる。
(落ち着いて……落ち着いて……練習通りに……)
 ふっと息をついて、無理やり足を前に進める。結論から言って、まったく練習通りにはいかなかった。転びはしなかったものの、絨毯の小さな段差に蹴躓いて体勢を崩し、淑やかとは言い難い歩幅で歩き始めてしまった。素知らぬ顔をして進むものの、今度はブーケから一輪、カスミソウが落ちてスカートに引っ掛かった。
 最悪な気持ちで、女王の御前に進み出て、礼をする。片足を後ろに引き、もう一方の片足を折って、背筋を伸ばしたまま腰を曲げる、カーツィと呼ばれる膝折礼。これは完璧に上手くいった。このまま女王がクレアの頬か額にキスを贈れば謁見は終了し、クレアは下がっていいことになる。しかし、女王は椅子に腰かけたまま、小首をかしげてクレアを見つめていた。
「レディ……」
 柔らかい、それでもどこか力のある女性の声がして、クレアはどきりとした。この部屋でクレア以外の女性というと、女王に他ならない。
 初謁見で女王のお言葉がいただけるとは思っていなくて、クレアは頭を下げたまま震えた。緊張の度合いがどんどん高まっていく。それでも女王のお言葉はひとつとして漏らすまいと、耳だけはそばだてる。女王が小さく息を吸う、それすらクレアの耳にははっきり聞こえた。
「レディ・ファントム?」
 ざ、とクレアの体から血の気が引いた。体を支配する緊張を、混乱と恐怖が上回っていく。

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著者プロフィール

著者
栢山シキ
岡山県出身。『レディ・ファントムと灰色の夢』で2023年ノベル大賞準大賞受賞。
猫をこよなく愛しているが猫にはただの餌やり機だと思われている。猫が添い寝してくれないのが悩み。

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書籍情報

表紙
レディ・ファントムと灰色の夢
著者
栢山シキ
装画
SNC
2023年4月18日(木)発売
ページ数:320頁
価格:792円(税込み)
ISBN:978-4-08-680555-1

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