第9回
酸素不足になったようだ。
私の口がいまだに小学生のそれならば、気がつかぬうちによだれが垂れていたかもしれない(恥ずかしながら、小学校低学年の頃は、集中しすぎて、漢字ドリルによだれが垂れそうになったことがしばしばあった)。
本作は、太平洋戦争に敗れ、引揚船で朝鮮から日本に渡ってきた身寄りのない少年・群青(ぐんじよう)が、謎の男・赤城(あかぎ)と共に混沌の時代を切り拓く物語。
戦後80年を迎えた今年。若輩者である私は、戦中・戦後を自分の肌では知らない。しかし、本作が戦後の世の中を生き抜く少年の物語であるという前情報から、普段読書をするとき以上に、キリリと背筋が伸びるのを感じた。それで良い。
息を詰めて、一文一文と向き合っていた。
緊張していた。物語にピンと張り詰めた空気が、私の呼吸を奪っていった。特に、群青が、唯一の肉親であった母を殺した疑いがある赤城と、まだ混乱の中にある戦後の日本を生きることになるまでの流れ。母を失った悲しみ、仇敵に向けられる怒り、それでも赤城がいなければ生きられないもどかしさ、物語に充満する混沌とした世の中の雰囲気。
全てが私を包み込む。息苦しい。
ふと章が変わり、流れが進む。水泳でいうなら100m自由形。クイックターンをした後に、忘れていた息継ぎをするような感覚。一瞬の隙をついて、酸素を取り込むが、私はまた呼吸を忘れながら次の章に潜っていく。
気がつけば緊張感だけでなく、物語に引き込まれて集中している心地よさが満ちてくる。
それは群青と共に暮らすことになった人たちの魅力によるものだと思う。
近江(おうみ)はガサツさもあるが裏表のない人で生き抜く術(すべ)を知っていて心強いし、群青よりも年下の佳世子(かよこ)は暗かった日々を照らす明かりのような存在だ。何より赤城。憎む相手だったはずの彼の清く正しく温かい姿に、群青が兄弟のような絆を感じはじめる。四人は周りの人を助けながらもがくなかで、石鹼作りという仕事に活路を見出していく。
母と赤城、石鹼作り、群青の未来。様々な出来事を追いかけながら読み終え、ゆっくりと深呼吸をする。不足していた酸素が全身に行き渡り、読後の満足感に浸りながら、考えを巡らせた。
群青にとって石鹼作りは、生きる術であり、自分を魅了する宝だった。赤城と共に挑む夢だった。
私の生きる術、魅了する宝は、なにか。
読書かもしれない。持て余すように青い表紙を撫でていた指先にピリリと電流が走る気がした。
本の「中」に逃げてきた過去を経て、本をもっと広い「外」へ届けるために、今、文章を書いている。
少し、呼吸が荒い。