2023年ノベル大賞 選評/吉田玲子

この賞からベストセラーが生まれることを願っております。

 年ごとに暑さが増す夏。そうした中、選考会は無事、終了し、今年も受賞作品を出すことができました。

『ジャレッド・エドワーズの殺害依頼』
 全体の雰囲気がよく、(ずい)(しょ)に心惹かれる描写がある作品でした。ただ、説明不足の箇所が多く、それがせっかくの魅力を()いでいるように感じられました。物語の舞台となる国は、(えい)(こく)をイメージしているのだとは思いますが、曖昧でややわかりにくい。国有数の鉄道会社であるエドワーズ家に関する情報も、もっと欲しいところです。また、マライアという少女が、会ったこともないジャレッドという伯父の死の真相をなぜそんなにも知りたいのかも判然としません。現在と過去を行き来しながら事件を解決するよう仕掛けた構成が、むしろ足を引っ張っている感もします。マライアや登場する探偵が言う「わざわざ遺体をうちの別荘の近くに埋めるなんて、怨恨以外に考えられない」「嫌悪は殺人の動機にならない」という推定にも首を傾げてしまいます。ジャレッドとマイケルの関係はよく描けているように思ったので、無理に事件に仕立てず、ある出会いにより、少年の生涯が狂わされていくというストーリーを丁寧に追ったほうが、よかったのかも。

『やんごとなき日々』
 主人公の男性は、やる気も夢もなく、太っていて、仕事は続かず、頭の中にあるのはゲームのことだけ。なのに、読み終わったあとには、その主人公のことがなぜかちょっとだけ愛らしく思えてしまいました。それは自分の欠点を一応はわかっていること、まどかという女性の理不尽さにも世の中に対しても、怒ったり恨んだりしないからかもしれません。しかし、主人公がゆるいのだとしたら、彼を取り囲む女性陣は、どこかに彼女たちなりの、リアルでシビアな人生観を持っていてほしかったです。また、小説内の価値観がやや古いように感じてしまいました。特に世のステイタスが立地のよい場所に不動産を持っていることという不動産至上主義はひと昔前の感があります。結婚相談所という舞台設定も同様でした。

『甘いたぬきは山の向こう』
 たぬきケーキを作る人々のこだわりはよく伝わってきて、それを作る描写にも臨場感がありました。ただ、なぜたぬきケーキでなければならないのかという理由に納得感がなく、ゆえに探し求めていたものを見つけた時の達成感にも(とぼ)しいです。テンコという山主の存在もよくわかりません。現実世界はよく描けているぶん、ファンタジー世界の構築が不足しているように思いました。テンコが力を失ったのなら、最後には取り戻したその力を発揮する場面は必要なのでは。また、(あおい)の心境の変化も理解できませんでした。マスコミの功罪を感じて前職を辞めた葵のトラウマが、テンコとの出会いや店主たちのこだわりを知ったもので癒えるものなのか。長編としては構成が単調であるのも気になりました。

『私のマリア』
 これは成立しないのではないかと思うほど事件の設定が荒く、あまりにも登場人物たちが隠匿したい事実を喋り過ぎるのにも納得できませんでした。ですが、それぞれに傷や痛みを抱えている(あゆ)()(いずみ)()(れい)という三人の少女たちには惹かれるものがありました。他人の気持ちに鈍感で、欲にまみれた大人たちの中で生き抜かねばならない彼女たちに、もっと焦点を当てたほうが完成度が高くなったように思えます。誘拐事件ではなく、謎の失踪ということにして、その理由を鮎子が追うという形でもよかったのではないでしょうか。道具立ては類型的ではありますが、影の濃い登場人物たちの個性は、うまく描き分けられています。今回の最終候補の中では、二番目に高い点数をつけさせていただきました。ダークな青春ものとして魅力があるので、この作品を映像化したいという監督やプロデューサーがいるような気がします。

『レディ・ファントムと灰色の夢』
 自分は、脚本家という立場から応募作を読ませていただいてきました。原作から脚本を作る際に困ったなと思うのは、「ドラマがない」「事件がない」「世界がない」「人間関係がない」場合です。本作にはそのどれもがあり、ゆえに一番高い点数をつけさせていただきました。やや個性には乏しく、描写にも足りない部分はありますが、この作品内の価値観がきちんと描かれていることも、評価を上げた理由です。『彼は知らないのだ。貴族が結婚する、その難しさを。家同士の利権や家格のつり合い、長男か次男か、持参金を用意できる金額はいくらか、そんな要素で結婚相手は選ばれる。好いた相手がいようと、必ず結婚できるわけではない。叶わなかったからと言っていちいち恋の相手を選んで復讐していたら、オルランド王国の貴族社会はとうに壊滅している』。架空の王国に住む主人公の社会観や実感が見事に描かれた一文です。幽霊が自分の死に納得できるまで成仏できない、そうした幽霊は死の直前の場面を何度も繰り返すという描写も、作者が構築したファンタジー世界のルールをきちんと説明できています。主人公が特異な力を持つゆえに疎外され、孤独感を感じているという点もよかったです。登場する男性キャラクターも魅力的でした。せっかく用意した双子の兄・クレメンスは、もう少し生かせることができたのでは。双子ゆえ感情を共有してしまうという設定は面白かったので、好きになった相手の死の真相を知りたいという兄の思いゆえに、妹ががんばるというだけでも、兄の存在価値が上がると思います。優しいけれどダメ兄貴でもいいかもしれません。予知夢のような夢を見るのは、ないほうがよかったかも。

最後に。十二年続けさせていただいた審査員ですが、今回を最後に、次の方にバトンタッチしたいと思います。応募してくださった皆様、審査員の皆様、編集部の皆様、本当にありがとうございました。この賞からベストセラーが生まれることを願っております。