2023年ノベル大賞 選評/今野緒雪

投稿作なのですから、趣味に走っていいんです。

 今回の選考は、本当に難しかったです。
 私の中で最終選考に残った五作品の点数には大差がなく、選考委員四人の合計を出しても、ほぼ横並びでした。ですから、当然賞を決めるのもすんなりとはいきません。
 そのまま出版できるレベルに達している作品がなかったのは、残念でした。それでも個々の作品を見れば、それぞれ魅力的な部分と、修正するべき部分があって、何をもって差をつけるか迷い、議論を重ねました。結果、準大賞二本と佳作一本と決まりましたが、(きん)(さ)です。作者五人の、今後の奮闘に期待します。

『ジャレッド・エドワーズの殺害依頼』
 風景描写が細やかで、森や庭や海など、美しい映像が目に浮かびます。その中で、男同士の友情、愛憎を描くというのがこの作品のテーマではないでしょうか。しかし、私には二人の心の動きがストンと落ちてきませんでした。
 ジャレッドが死を選んだ理由は、何だったのでしょう。エイプリルに捨てられそうになったから、とか。裏切った裏切られた、とか。対等になりたい、とか。わかり合える、とか。ヒントはいろいろ書いてありましたが、それらに説得力をもたせるためには、どうしてもジャレッドの、エイプリルに対する執着を描く必要があります。
 ジャレッドは、エイプリルに恋していたのではないのですか。恋する気持ちを押さえられない、自分の情欲を知られそうで怖い、それもまた死を望む一因になりえる気がします。プラトニックを通して構いません。髪に触れるシーンはとても美しかったので、その延長線上にもう一歩踏み込んだエピソードがあればと思いました。
 ジャレッドの姪マライアが伯父の死の真相を探る、という導入はいいです。ジャレッドとエイプリルの過去を追いながら、途中要所要所に現在を織り込む構成は、読者にヒントを投げかけ、推理を促します。三人称と一人称、と違いをつけたことでスムーズに切り替えもできています。ただ、ラスト、エイプリルの独白で終わらずに、マライアのいる三人称の世界で締めた方がよかった気がします。
 この物語でどうしても違和感を感じるのは、彼らの年齢とこの世界の仕組みです。
 エイプリルとマイケルが、まだ子供と言える年齢で、ジャレッドの全財産を奪う計画をたてて実行できるものなのか。マイケルは復讐業者に依頼するすべを持っていたのか、破格な報酬をどうやって準備したのか。
 書類一枚に名前を書いただけで、未成年同士で全財産を贈与できるのも無理があります。ジャレッドには、後見人がいなかったのでしょうか。そもそも、マイケル・カートンなる人物が異母弟であると、ジャレッドは知っていたのか知らなかったのかも読み取れませんでした。
 エイプリルにしても、十四歳くらいですでに指名されるほどのキャリアと実績があるのは不思議です。復讐業者の組織の仕組みもはっきりしないし、復讐というより(さ)(ぎ)(し)まがいの仕事にも見えます。後々、マライアがどういう組織だと思って電話をしたのかも、よくわかりません。
 ジャレッドは未成年で失踪したことになっていますが、マイケルはジャレッドが別荘を使うことを許してたようですし、ジャレッドは近所の人とも交流があったので、関係者が彼の成人後の生存を知らなかったというのはつじつまが合いません。
 細かいことですが、大木の根元には成人男性を埋めるほどの穴は掘れません。
 作者が書きたかったのは、マイケルが異母兄の全財産を奪う話ではなく、エイプリルとジャレッド二人の心のぶつかり合いだと思います。美しい情景や機微が描ける作者なのですから、派手な設定に走らずとも、独自の物語が紡ぎ出せると信じています。

『やんごとなき日々』
 最初、本当に嫌なヤツだった主人公(みぎ)(た)が、幼なじみのもとで真面目に働き、時に失敗し、恋もして成長していく様が基本に忠実に描かれていました。とにかく、文章が読みやすい。
 脇を固めるキャラクターたちも、よかったです。甘くて厳しくて天然の母。格好いいユウ、元いじめっ子だけど仲よくなった(あか)(い)、結婚相談所にやって来る、タイプの違うお客さんたち、恋愛に発展しそうで適わなかった憎まれ役のまどか。どの人物もどこかに存在していそうでありながら、右太の成長にさりげなく一役かってくれています。
 家が焼失してしまうことで、広い子供部屋から卒業するという流れである以上、火事は不可欠であるわけですが、出火原因が猫というのは唐突な気がしました。例えば、古い家だから(ろう)(でん)して出火した、とか。猫のせいにしたいのだったら、右太が見ている時におしゃまっぷが何回も危ない行為をしていて、その都度注意していたのに今回は眠りこけてしまったために阻止できなかった、とかですと、受け入れやすくなりそうです。
 その、猫。(かおる)さんが勝手に呼び名を変えていましたが、わざわざ「イギリスが起源のネコちゃん」と言っているのだから、イタリアやポルトガルをイメージしそうな「レオナルド」は考え直したほうがいいです。
 「憐れ灰と木炭になり果てた」とあったので家は全焼と思われますが、そうなるとキングサイズのベッドを売ったというエピソードと矛盾します。
 ところで、父方の伯父さんと、母方の叔父さんが混在していました。字は違えど混乱するので、地名や名前をつけて呼ばせるとか、思い切ってどちらかを「おばさん」にする手もありますね。

『甘いたぬきは山の向こう』
 たぬきケーキのことは知っていました。
 店それぞれ形が違っていて面白い材料ではありますが、その一種類のケーキから話を膨らませて小説一本に仕上げたのですから、作者の力量を感じます。
 文章も上手く読みやすかったです。作者の視線には温かさを感じます。何より、テンコが可愛らしい。脇のキャラクターも、しっかり役割を果たしています。
 主人公が(ざ)(せつ)し、新しい仕事をこなしながら立ち直っていくというストーリーは『やんごとなき日々』と似ています。どちらにも言えることですが、大きな事件が立て続けに起きたりしない分、展開に派手さがない。特にこちらはファンタジー要素がある物語なのに、(ま)(か)(ふ)(し)(ぎ)な出来事はあまり起こらない。もっとあった方がいいのでは、とも思いましたが、読み終わってみると、現代版昔話のような雰囲気のままでいいのでは、と考え直しました。
 ただ、テンコや(り)(じょう)がどういう存在なのか、はっきりしません。山の主とはどのようなものなのか、折に触れて説明されるものの、それでもよくわからないのです。山の主であるテンコは、身体は狐のまま半永久に生きるようですが、じゃあテンコの前の山の主はどうしていなくなったのか、とか。
 狸猩は妖怪の(たぐ)いのようですが、妖怪も死ぬのか、とか。薄くなって消えていったということは、実体はないのか。テンコと狸猩は同じように人間に化けて人間の食べ物を口にするのに、実体の有無は別なのか、等々。もし、作者の中でしっかりした設定があるのなら、読者に伝わるように書かないともったいないです。
 狐の姿のテンコにしても、イメージがしにくかったです。(あおい)は最初「大きな犬」と表現していましたが、一般的な狐だったら、小さな犬より大きいけれど、大きな犬より小さい気がします。大きな犬サイズの生き物が、自転車のかごに収まるとも思えません。動物病院に連れて行った際、獣医が「犬」と断定したのなら、山の主となったことによりテンコは狐よりむしろ犬に近い見た目に変わってしまったとみるのが正しいのでしょうが、ならばどうして葵は「狐に似ている」と思ったのか。読者は想像しながら読むわけですから、作者はまず自分の中でイメージをしっかり固めて描写してもらいたいです。
 また、主人公が男性だということが判明するのが、遅すぎます。男女ともに違和感のない「葵」という名前を選んだのだったら、登場してすぐに明記するべきです。最初に(た)(わ)(だ)さんの名前が出た時ならば、自然に触れられたはずです。
 風景やたぬきケーキを売っている店の様子などは描写も細かく、目に浮かぶようで感心しました。気になったのは、「(さい)(たま)」とか「(いけ)(ぶくろ)」とか実在の地名が出てくるのに、架空らしい路線や駅名なども存在している点です。実在か架空か、どちらかに統一したほうがいいと思います。
 葵の妹の椿(つばき)が出てくるシーンは、少し浮いている気がしました。もっと前から家族の事は小出しにしておけば、唐突に感じなかったはずです。例えば、テンコのことを「親戚の子」と説明する場面で「妹」と言いかけてやめ、椿のことを思い出す。それだけでも、後々出てきた椿を受け入れる準備はできるはずです。
 あと、タイトルですが、『甘いたぬき』だけでよくないですか。

『私のマリア』
 近親相姦、同性愛、性的虐待、予期せぬ妊娠、殺人。重いテーマがこれでもかと詰め込まれています。なのに、なぜかどれも軽く扱われているように感じてしまいました。
 結果、この小説で何を書きたかったのかが見えてこない。
 聖女のような(いずみ)(こ)が、実はまったく違う顔を持っていたことなのか、誘拐事件の真相を探るミステリーなのか、みんなどうかしている(とう)(じょう)一族のおどろおどろしさなのか。
 その中で、私は泉子を助けると言いながら何もできなかった(あゆ)(こ)と、「ヨゼフになった」(れい)の対比が、軸になると思いました。であるならば、鈴と泉子の親密な関係を示すエピソードをもっと盛り込むべきでした。もし鈴の一方的な想いであるなら(そっちの線のほうが強そうですが)、鈴の気持ちをまったく気づかない泉子の無知ゆえの残酷さや、逆にすべて承知の上で鈴を利用した泉子のしたたかさを描いて、二人の複雑に絡み合った強い(きずな)を読者に突きつけてもらいたかったです。
 この小説は、ミステリー仕立てにしているにも関わらず、仕掛けの甘さが目立ちます。綿密に計画した犯罪に「夢遊病」という、その日起きるかどうかわからない要素を組み込んだり、学校の門限が厳しいのにセキュリティが甘すぎたり。序盤の「聖堂の時計が五分遅れている」エピソードは、誘拐事件の重大なトリックでもなく、恋人と長く一緒にいたいから泉子がいじっていたというあっけない種明かしでした。聖堂の時計が時折五分遅れるならば、関係者は原因を探って対策を立てるはずです。
 極めつけは、身代金受け渡しのエピソードです。なぜこんなことをする必要があったのか、わかりません。身代金目的の誘拐を装うため、でしょうか。対外的にも死んでいるはずの(あつ)(き)に身代金を運ばせるよう指示をした意味は? (かん)(ざき)をおびき出すためだとしても、神崎が現場に来る確証なんてないし、神崎が敦己のふりをしていたことはまだ伏せられていたので、敦己の替え玉として神崎に白羽の矢が立つとも限らない。実際、その現場で誰がどう動いていたかの描写がほぼないので、謎だらけです。だから鈴が神崎を誘拐したシーンも、うまく想像できません。女子高生がたった一人で、どのように大人の男性を殴打し拘束したのでしょうか。
 あと、身代金が現金で百億円はあり得ません。一億円が、小さなジュラルミンケース一つくらいの大きさ。スーツケース三つに百億円は収まらないのです。また、銀行はそんなに大量の現金を手もとに置いていないので、複数の銀行に声をかけたとしても、すぐに百億円は用意できないと思います。そして、警察は身代金を出してはくれません。
 カーテンにつけられた泉子の血、送りつけられた全裸写真、剥がされた十本の手の爪は、この物語の不気味さを演出するための一役はかっているかもしれませんが、どうしても必要なものとは思えません。狂言誘拐のリアルを邪魔しています。特に爪を剥ぐ行為は、かなりの拷問。声ひとつあげない、なんて信じられません。ましてや十本ですからね。
 神崎が敦己になりすまして文通していたというエピソードも、封筒に書かれた住所や宛名のことを考えると、現実的ではありません。
 それから、(もと)麿(まろ)の全財産を泉子と敦己だけが相続することはできないと思います。元麿の実子である(さね)(ひこ)(なる)(こ)には、遺留分があるはずです。
 大人たちが高校一年生相手に情報を流しすぎ、なのも気になります。敦己の母親はともかく、映画館や店で働く人たちやバスの運転手が、まるで警察相手に証言するようにしゃべるしゃべる。特に神主は、神社で神崎と泉子が性行為をしていると知っていて黙認し「無理矢理かどうかわからない」とまで言っています。それは、犯罪を見て見ぬふりしていたと自白したのと同じですが、悪びれた様子もありません。
 元麿が泉子にした行為も、元麿自身がしゃべったことで鮎子は知るわけですが、子供相手にしていい話してはいけない話の区別もできないのでしょうか。
 ミステリーの確信や謎が、誰かの語りや証言ばかりで進行したり判明していくのは上策ではありません。
 想像するに、作者はミステリーを書きたかったわけではないのです。だったら不得意分野には手を出さず、自分の書きたい世界をとことん追求したほうがいい。このお話だって、「狂言誘拐」を「失踪」に置き換えても成立すると、選考会でも意見が出ました。投稿作なのですから、趣味に走っていいんです。
 あと、高校一年生の鮎子が妙に煙草(たばこ)に詳しいことに違和感を覚えました。刑事の吸っている銘柄をマルボロと言い当てたり、セブンスターがセッターと呼ばれている事を知っていたり。
 ラスト、鈴は「泉子が逃げる限り逃げる」と言っていましたが、犯罪に手を染めた鈴はともかく、泉子が逃げ続ける必要はない気がしました。生まれてくる子供のためには、戸籍と財産を手放さないたくましさが必要です。

『レディ・ファントムと灰色の夢』
 はじめは、クレアとクレメンス兄妹の「特技」が設定として面白く、期待しました。しかし読み進んでみれば、クレメンスはアネットの恋人だったということ以外は大筋関わってこず、終盤になって「妹が口説かれるのを気に食わない兄」とし再登場して(ちん)(ぷ)なドタバタを繰り返すだけで、「人の心を読める」特性を全く生かせていません。
 もしシリーズ化を狙っていて、今回はクレア中心の話だからクレメンスの活躍がない、ということであるならば、クレメンスの特技を隠して物語を進行させたほうが良かった。とにかく、クレメンスの影が薄すぎます。アネットの死はショックだったはずですが、クレアと離れて暮らしているので、具体的に彼の様子がわかりません。いっそ兄妹が離れている理由は、クレメンスがアネットに死なれたショックのあまりカントリーハウスに籠もって泣いているからで、妹の危機を知ったことが立ち直るきっかけになった、というような流れもありかと思います。
 クレアにしても、「幽霊が見える」という特技をもっと生かさないともったいないです。「幽霊が見える」クレアと「見えないけれど頭脳明晰」のデュランがタッグを組んで難事件を解決する、という形にもっていくのが理想です。そのためには、綿密なトリックや各々の抱える事情、関係性、予期せぬアクシデントなどを計算して配置して、最後には「なるほど」と読者に思わせなければなりません。たとえ連続金髪女性怪死事件は幽霊の仕業だった、という結末だったとしても、その幽霊が女性たちを死なせるに至った理由を探偵役の二人がスカッと解き明かしてくれれば成功です。
 そのためには、クレアとデュランが互いを理解し尊重するに至るまで距離を詰めていかなければならないし、その先の恋愛に発展しそうなエピソードも欲しいところです。
 しかし、郵便局にすら使用人が同行しなければ行けないお嬢さまのクレアが、身内でもない男性と一泊旅行に行くのは飛ばしすぎです。
 貴族の生活を丁寧に描写できているのですから、架空の国のお話ではなく、舞台を過去のイギリスなど実在の国にお引っ越しさせて、その世界のルールの中でキャラクターたちを自由に遊ばせてみたらどうでしょう。リアルに身を置くことで、クレアやクレメンスの持つ特殊能力が引き立つ気もします。
 ところで。最初のパーティーでクレアが幽霊から請け負った頼み事は、とっておきの切り札であったはずなのですが、効果的に使えていない気がします。「妹が探している」と伝えただけで、これまでたくさんの女性を殺してきた幽霊が改心した、ではスッキリしません。
 しかしながら、死者が自分の死を受け入れるまで何度も死ぬシーンを繰り返す、というのはとても面白いです。
 デュランについては、彼の過去や仕事を含めた現在の状況に説明不足の部分が多いので、補足が必要です。雨に濡れたら落ちる粉で髪の色を変えるのは無理があります。どうしても赤い髪にしたいのなら、カツラをかぶせたらどうでしょう。
 それから、ヘイリーという人物ですが、警察の人間で、探偵のアシスタントで、デュランとは従兄弟同士で、婚外子でと背負っているものが多すぎる気がします。今後、彼の肩書きや血縁関係に関わる事件が起きるとしても、今回は伏せておいたほうがいいと思いました。クレメンスの特技同様、です。

 最後になりましたが、今回をもちまして、吉田玲子先生がご勇退されることになりました。吉田先生の「作品を映像化するとしたら」という視点はとても参考になり、他にも学ばせていただいたことがたくさんありました。
 ありがとうございました。
 そして、お疲れさまでした。