2023年ノベル大賞 選評/似鳥 鶏
今年のノベル大賞は激戦。選ぶ側も大変でしたが、その甲斐はありました。
今回はかなり白熱しました。いや、みなさん紳士淑女なので罵りあい掴みあいになったりはしないのですが、意見が割れてぶつかるというより、結論が出なくて全員で唸る脱出ゲームのような感じでした。問題文の書かれたカードをひっくり返してためつすがめつする人、鍵のナンバーを一つずつ試してみる人、「下の方にヒントがないか」と床に這いつくばる人、という感じで、選考委員及び運営スタッフ一同、気がつくとろくに水も飲まずに何時間も議論を。水ぐらい飲みゃいいのですが(目の前に用意してもらっていますし)、結論が出るまでは頭が停まってくれず、休憩中にも結局議論をしていたりするような情況でしたから、つい忘れるのです。なので受賞者が決定すると全員ほっとしてぐったり……しながらまだ議論をしていたり。まあ、選考が終わった途端に今年の確定申告とか神保町のおいしい中華とかの話を始める人がいたら、それはそれで「こいつやべーな」と思うかもしれないのですが。
ちなみに、基本的に新人賞の選考側は大賞を出したがっています。「今年の大賞受賞作!」と言って売り出せる作品と作家を獲るためにお金と労力をかけて新人賞をやっているわけですので。したがって何も出なかった年というのは勝浦(※千葉県南部にある海釣りの聖地)まで遠征したのに一匹も釣れなかった日曜日みたいなもので、選考委員もスタッフも「一作も出なかった……」「何のためにここまで……」と、どんよりしてしまいます。なんせ一月からずっと選考作業をしてきたわけですので。かといって無理矢理受賞者を出していると「この水準で大賞なんだ? ふーん」と思われて賞のレベルが下がってしまう。どの新人賞も抱える永遠のジレンマです。
準大賞二作に佳作一作という今年の結果は、そうした葛藤と議論と罵りあいと掴みあい(※していない)の結晶です。「候補作が五作で、その半分以上に何か出すということになってしまうが?」という話にもなったのですが、そういう理由で水準に達している作品を落とすわけにもいかず、こうなりました。候補作全五作、鋭く光るいい作品ばかりだったのですが、それぞれ瑕疵もあり、「高水準にまとまっているが大人しい優等生であり、パンチが弱い」が一作、「センスは感じるし今後に期待できるが現段階では技術的にもう一歩」が二作、「明らかにキワモノで技術的にもだいぶ危ういが異様なインパクトがあり無視できない」が二作、といった印象でした。知らない方には全く分からない喩えで恐縮ですが『SLAM DUNK』の湘北高校に喩えると赤木・流川・流川・桜木・桜木という感じ。もしチームだったらバランス最悪でして、これがコンテストで本当によかったです。
以下、読んだ順に。敬称略とさせていただきます。
※また選評の性質上、ある程度のネタバレを含みますことをご了承願います。
『ジャレッド・エドワーズの殺害依頼』
心理描写が濃密で秀逸でした。そしてジャレッドとマイケル(と表記します)の関係性の設定が面白い。メインの恋愛部分が非常によくできた作品でした。かつて復讐代行業者の手先として自分を破滅させた男。だが破滅したのは自分がこの男に惹かれたせいで、演技だったと分かった今でもこの男から離れられない……というジャレッドの情況は実に面白く、振り回される自分に嫌気がさしたり、相手に支配されているように感じて劣等感を覚えたり、わがままに振る舞ってみたりと、どうしようもなくぐちゃぐちゃになっていく心理がなんともスリリング。ラスト付近の語りは切実で壮絶でした。それを振り捨てることができないマイケルの葛藤もまたいい。
また二人のキャラクター造形もしっかりしていて、序盤、使用人として登場したマイケルとジャレッドの「正解は、俺の牛乳臭いシャツでした。」といったやりとりも活き活きとしているので、マイケルに惹かれていくジャレッドの心理にスムーズに寄り添うことができます。文章的にも、オープニングの女主人と老探偵という構図や、メープル・ロードの地理描写など、画的にかっこいい場面がいくつもありました。
ただ一方で、ストーリー上、肝心のところを書かずに飛ばしてしまう癖があり、そこが作品の美しさを大きく損なってしまっているのが残念でした。最大の問題点は二人の再会のシーンで「指示されてジャレッドを騙した実行犯に過ぎないとしても、『自分を破滅させた相手』であるマイケルに対し、ジャレッドはなぜ穏やかに自宅に誘っているのか」です。マイケルの方も、普通は「ヤバい。あの時のターゲットだ」と逃げるでしょうし、そうでないにしても「こいつは何を考えているんだ?」と警戒し、ほいほい誘いには乗らないでしょう。ブルー・ヒルについてももっとはっきり覚えているはずです。その後も、普通に考えれば「一緒にいる方がおかしい」はずの二人が、「うまくやっていけそう」と考える……つまり、一緒にいなければならない、という前提があるかのように考えているのは読者から見れば不自然で、「そもそもなんで一緒にいるの?」と思ってしまいます。
また、そもそもの発端である「ジャレッドに対する復讐計画」も少々、強引に過ぎます。何年もかけて潜入し、ジャレッドが自発的に財産を譲渡するほどに愛される、という計画だったとすれば、これは相当に博打で無理があり、依頼人は報酬をどうやって準備したのだろう、とか、評判があっても十四歳の少年に任せるだろうか、とかいった点にもいろいろ疑問がでてしまいます。何より当主とはいえ当時十五歳のジャレッドの一存で家の何もかもを赤の他人に譲渡できるものでしょうか。「感染症の患者がいるから私が部屋に入ります」と言うほど忠実な執事のギルベルトが、契約書一枚でもう他人であるかのように豹変するでしょうか。そもそも、ジャレッドは家督すべてを生前贈与してしまって、死期が延びたらどうするつもりだったのでしょうか。このあたりはせめて「ギルベルトも隠していた彼個人の恨みから犯行に協力しており、弁護士の相手その他手続は彼がやった」といった形にしておいた方がよかったかと思われます。また、1956年1月のシーンは夢うつつのようで、何があったのかはっきりせず、どういう順序で契約が発効し使用人がいなくなっていったのかもよく分からないので、読者が混乱してしまいます。
犯罪計画に関するディテールの甘さは他の部分にもあり、フィリップが持つ形見の懐中時計の「精巧に作られた模倣品」をいつどうやって用意したのかとか、復讐代行業者は三十年も前の電話番号そのままでいきなり通じるのかとか、そもそもなぜそんなメモが残っていたのかとか、二人の生活と感情を描く部分以外の辻褄合わせがちゃんと詰められていないようでした。これは「美しい家を建てたのに建築許可を取っていなかった」ようなもので、そもそもこの状況は成立しなくないか? という根本的な疑問を残したままでは、せっかくの二人の関係や心理描写にすべて疑問符がついてしまうことになりますから、非常にもったいなかったです。
他の部分についても、もう少しディテールを書くことでよくなるであろう部分が散見されました。たとえば架空の国にせずイギリス等にした方が作品世界が想像しやすくなりますし、これだけ屋敷の自然について描いているなら、「クラブアップル」「クレマチス」といったように植物の名前を具体的に出した方が実在感がでます。パーティーのメインディッシュは何なのか、ジャレッドが飲んだのは何の薬なのか、等も具体的に書けばより空気感が出るでしょう。
こうしたことをいちいち取材するのは大変ですが、逆に言えば、取材さえすればもれなく作品がレベルアップするお得な部分でもあります。一番大事な「関係性のアイディア」を創出する能力と、それを濃密に美しく描き切る筆力はすでにあるので、あとは裏設定や辻褄合わせ、舞台設定に合わせた取材など、裏方仕事を頑張っていただければと思います。将来性をとても感じるので、「奨励賞があればなあ……」というところでした。
『やんごとなき日々』
珍品というか珍味というか、「奇妙な魅力」としか言いようのない、選考委員の語彙を超えた感じの作品でした。試しに世に問うてみたい気もするのですが(まあ、いち選考委員にその権限はありませんが……)、はたしてどういうパッケージで、どういう層に向けて宣伝をすればいいのか……?
奇っ怪なことに、そもそもこの作品、「つまり何の話なのか」「どういう物語なのか」がよく分からないのです。旧華族のニート坊ちゃん(小太り)が三十を前にして、家にお金がなくなったことにより働きに出される。コネで幼馴染の運営する結婚相談所に就職する。職場の描写が妙に細かいので仕事を始めるのかと思えば、たまたまバスで助けた女性がやってきて初デートでドキドキし、したと思えばまた仕事パートが始まる。主人公は特に努力した様子もないのになんとなく人当たりの良さでいつの間にか日常業務ができている。恋愛パートの方に再び戻ったかと思うとあっさり振られて終わる。そして家が火事になり全焼して終わる。
読んでも、この主人公とこの作品がいったいどこを目指して進んでいるのか分からないのです。特に仕事に面白さを見出したり熱心に学んで成長していくわけでもなく、かといって恋愛に関しても、乗り気に見えて努力をする気はなく、服の用意を全くせず当日になって悩んだあげく変なTシャツのまま出てきたり、レストランの会計時にくしゃくしゃのクーポンを出して有効かどうかで店員と争い、そのことを全く気にかけていなかったり。本人的には緊張したり悩んだりしているようなのですが、いまいち本気なのか分かりません。主人公は旧華族として唯一残った(らしき)お屋敷が自意識の底にあり、幼少時から初対面の人に「君の部屋は何帖?」と訊く奇癖があるのですが、ラスト、お屋敷が全焼してなくなっても、それで特に彼が成長するでもなく、家の方も土地の一部を親戚に買ってもらっただけで普通に再建されます。これは何の話なんだ……? となりました。主人公は別に成長しないし、お仕事小説でも恋愛小説でもない。
ですが、これが妙に読みやすく、心地よくするするといけてしまうのです。
主人公は決して好感のもてる人物ではなく、休憩時間にゲームに熱中するあまり叫び声がフロントに丸聞こえになったり、同席すべきお見合いの場に遅刻していった上に顧客に朝ご飯をおごってもらい、食べたら出番がなくなったので帰ってくる(!)、と仕事に関してはダメを通り越してひどいです。恋愛に対しても相手の顔を「うーん、なんだか口が大きいな。キスしたら顔ごと飲まれそうだ」と評して幼馴染に叩かれたり、という有様で、何より仕事を世話してくれた幼馴染に対して感謝する様子もなく、火事から助け出してくれた時に当たりちらしても後日「ごめん」の一言もない。他人の好意に寄りかかって生きているくせにそのことに無自覚、という人物です。常識から考えれば不愉快極まるはずなのですが、なぜか憎めないし、妙な可愛らしさのようなものがある。もともと、何をされても他人を恨まない人物である、という指摘も選考会で出ました。認識不足はあっても悪意はない主人公なのです。
結果、読者は彼を応援する気にはなれず、かといって不幸になれ、と憎むほどでもなく、ただ彼がしくじったり泣いたりするのを「観察する」感じで進むのですが、それが妙に気楽なのです。これは主人公のほどよく「こんな奴どうでもいいし」と思わせる感じゆえなのか、泣いても笑ってもどれも心の底から、という感じがせず、こいつならどんな目に遭ってもまあ大丈夫なんじゃないの? という謎の無敵感からくる安心なのか、よく分かりません。既存の小説ジャンルに当てはめるとNGなはずなのに、読みやすいのです。
文章に関しても同様で、単純な言葉遣いの間違いから誤字脱字、「女ターザン」等古い表現、なんでここでこの表現を? という変な部分など多々あり、お世辞にもうまい文章とは言えないのですが、それで読むのがそこまで苦痛にはならず、この世界はこうなんだろう、となんとなく読めてしまいます。
一方、キャラクターについては皆、活き活きと動き、いろいろとおかしな面はあるもののはっきり「面白い」と言えました。面倒見がよく、かといって主人公にベタベタしすぎはせず、自分は遠距離に彼氏がいて主人公とは一切いい雰囲気にならない幼馴染のユウ。小学校の頃はいきなり暴力をふるってきて金を要求し、しかも女子のリコーダーをこっそり嘗めている暴力変質者なのに、なぜかいつの間にか「友達」ということになってしまい、変なTシャツを売り歩く赤井(個人的にこいつが一番面白かったです)。結婚相談所の注文の多い常連じいさん。不自然に接近してきて勝手にキスして勝手に振っていなくなる、勝手すぎるヒロインのまどかさん(しかも初デートでバンジージャンプに誘い、バンジージャンプだけして帰ってくる)。みんなそれぞれ振る舞いに奇矯な点はあるのですが、ある部分妙にリアルだったりします。そして彼らは主人公に対し、そこまで熱心に気遣うでも嫌うでもなく、適当に自分が関わりたいだけ関わってさっさと通り過ぎていく、という独特の距離感で描かれます。
考えてみればこういう雰囲気の小説はあまり類例がなく、穿って見ればこの作品自体が「どこにも向かわない(いろいろ起こりはするが)」ところも「なぜ、どこかに向かわなくてはならないのか?」という、まずジャンル分類ありきの現代のエンタメ文芸に対するアンチテーゼと見られないこともないです。小説の主人公は、どうして仕事を頑張って覚えないといけないのか? どうして仕事を通じて成長しないといけないのか? どうしてデートで服装を気にし、クーポンを出してはならないのか? どうしてこだわりを捨てて成長しないといけないのか? なんもやらん奴が一人くらいいてもいいし、やらなかったところで本人の評価が下がるだけですから、それは本来、本人の勝手です。
そう考えてみれば、ただ単に主人公を応援も軽蔑もしないままに観察し、その周囲を奇矯で面白い人物たちが通り抜けていくだけ、という小説があってもいいのかもしれませんし、実際的な価値を求めて汲々としないそうしたスタンスは、なるほど『やんごとなき日々』だなあ、と納得したりもします。
とすると、一般的なエンタメ文芸の観点から、この作品の筋立て云々を指摘するのは何か違うのかもしれません。最低限、文章のおかしい所等のみ修正したら、あとは好きなように好きなものを書いていただいて、どうなるか……というのは面白い気がします。さすがにあまりに何なのか分からないのと、技術的な問題点がいろいろとあることで受賞は逃しましたが、ちょっと今後が気になる作品と作者でした。
『甘いたぬきは山の向こう』
作品の完成度は候補作の中で頭一つ、というより二馬身くらい抜けていました。昨年の大賞受賞作に受けたのと同じ「これはこのまま出せるな」の印象です。文章が安定してうまく、冒頭の風景描写から、「キッチンハルニレ」での仕事の描写、ケーキ作りの描写に出会う人物の描写とどれもうまく、いい声の大人が語ってくれている感じがしました。
何より上手なのが飲食店のお仕事と料理の描写。出入りの精肉店の配達が出勤前に来てしまって電話で呼び出されたり、バタークリームやコーティング用のチョコレートは別のメニューには使えないからコストがかかる、と語られたり、客からは見えない業務まで目配りがきいているためリアリティがあり、主人公のがんばりも伝わり、すばらしいです。料理の描写も、作ってみた焼きメレンゲが見た目はおいしそうなのに食べてみると駄目だとか、「そこは糸を垂らすみたいにターッと」という言い回しとか、単にレシピや工程を説明するのでなく「実際に作ってみた時の感覚」を描けており、この「取材力に裏打ちされた文章力」はこの作品の大きな魅力の一つだと思います。文章そのものの流れやテンポ、省略の程度や場転のタイミングなども手慣れており、小説家としての基礎体力という点で候補作中トップでした。そして、こういう方の例に漏れず、誤字脱字や妙な表記がなく、(選考では考慮されませんが)あらすじも分かりやすく書けていました。書き手としての所作が綺麗というか、読み手のことを常に考える、というプロ感覚が窺え、こうした原稿はやはり好印象になります。誤字脱字のないきちんとした原稿であることで高得点を得られるわけではありませんが、高得点を得られる原稿はえてして誤字脱字がなく、きちんとしているものです。
もちろん、問題点がなかったわけではありません。テンコのイメージからしても、男性と社会的には「同棲する」ことになる点からしても、彼女が中学生くらいに見えるというのはちょっと大人っぽすぎる(男性の側からすれば「家に女子中学生を泊めている」ことになるので、最初に考えるのは「捕まる!」です)とか、テンコが人間でない、と主人公が納得するのが早すぎる、とかいった点はすぐに直せるので(テンコが目の前で一度、変身してみせれば済む)、たいした問題ではないかもしれません。しかし山の主が山に対して具体的にどういう影響を及ぼしているのか、力を取り戻すとは具体的にどういうことか、冬になって眠りにつくとどうなるのか、狸猩の死の期限がはっきり決まっているのはなぜなのか、といったファンタジーの設定部分が曖昧なため、冬までにたぬきケーキを見つけなければ、という行動動機に切迫感がなく、テンコと主人公の必死さが理解しにくくなっていて、ここは困りました。
また、読者の立場からすれば、そもそも狸猩を捜す手段として「思い出のたぬきケーキを作ればきっと来てくれる」という消極的な方法以外に何かないのだろうか? と考えてしまうのが人情です。もっと他に、直接的な方法で捜せないの? と思ってしまうため、たぬきケーキの再現にこだわる主人公たちがもどかしく感じてしまうのです。ファンタジーは何でもありであるがゆえに、「問題→解決」型のストーリーの場合、「この魔法では何ができて何ができないのか」を最初に、説得的に明示した方がいい場合がほとんどです。これは応募原稿のみならずプロの場合でもしばしば出てくる「適当な魔法でなんとかできないの? 問題」でして、読みながら常に「テンコは山の主として何か、捜索に使える能力はないのか」と思ってしまったのは残念でした。
ちなみに、「どうしてそのレシピにこだわるの?」という問題は、プロのごはんものでもしばしばぶつかる難問です。主人公の料理人がトラブルにぶつかる。あるいは頼みごとをされる。それを解決するためにはこの料理を(しばしば関係者の思い出の料理を)再現してみせるしかない! という展開はよくありますが、大抵の場合、「もっと直接その人に訊いたら?」とか「そんな回りくどい方法より、直接説得した方がよくない?」みたいなツッコミが入り得る状況設定になっています。「思い出のレシピを再現することで問題を解決する」という筋立ては、もともと無理があってけっこう難しいようです。
一方、狸猩に会うためたぬきケーキを訪ね歩く二人のシーンは丁寧に描かれており、なにより「若者に対する社会」を温かみとリアリティをもって描写できているところは非常に好印象でした。作中人物が「年寄りはね、若い子が心配で仕方ないの」と言っている通り、年長者というものは基本的にがんばる若者に対して親切であり、若者の行動を見ていてあれこれ手助けをしてくれたりするものです。応募作にありがちなミスとして、「主人公と、目の前にいてやりとりをしている相手しか書けていない」というものがあるのですが、この作品では「やりとりをしている主人公の会話を立ち聞きしている人」や「主人公の訪問をあとから聞いた人」など、ちゃんと主人公の周囲の動きも描けており、ブログの管理人が登場する展開などはなるほどと思いました。これは主人公だけでなく、その周囲の「社会」もちゃんと描けている作者でないと思いつけない展開です。
ちなみに、振り返ってみるとこの作品のおじいちゃんおばあちゃん率はけっこうすごく、登場人物の年齢層が幅広いのも、個人的には好印象でした。また、洋菓子リリーの店主が帰り際に「せっかく来てくれたのにごめんね」という意味でクッキーをおまけしてくれる、といったものも、現実の人間の動きを上手に再現しており、細かいながら見事なものでした。
そうしてみると、技術や目配りやきちんとした取材ができており、作品の水準は高いのに、設定がよくある、地味なものになってしまった点が大変悔やまれます。本作は間違いなく「デビュー」に足る水準になっているのですが、山の主のもののけ少女、思い出のケーキ捜し、前職のトラウマを乗り越える主人公、といった題材はいずれも非常によくあるものであり、「デビュー」の先の「ベストセラー」を見据えた場合、あまりにフックがない、というのが困りどころでした。たとえばフックとして考えるなら、舞台はもっと地方色があってもよく、狐と狸が両方見られる兵庫や長野、宮城などを舞台に「ご当地の魅力」を出す手もあり(これも大概、首都圏寄りの思考ではありますが、現実に商業小説において「そのやり方」は存在します……)、この筆力と取材力であれば「土地」の魅力を書けそうなのに、埼玉の西武線沿線あたり、という「中途半端な」土地柄にしてしまったことも勿体ないところでした。あまり都市部から離れるとたぬきケーキのある店が少なくなってしまうという問題を考慮したのかもしれませんが、本作の書き方であれば「実際にはこの地域にこんなにお店はありませんが」と嘘になってもいいところです。
本作はクオリティを考えれば「読めば満足してもらえる」のですが、商業小説において一番難しいのは最初の「まず手に取ってもらうところ」です。そこは編集部の仕事、ではあるのですが、やはりそれにも限界はあるわけで、内容的にも読者が「全部読んで『うん。よくできていた』と頷く」だけでなく「面白そう! と興味をひかれて読み始める」ような、目立って個性的な「売り」が必要です。題材選びもそうですが、「移り変わるもの、でも受け継がれて続くもの」といういいテーマなのにそれほど前面にはっきり出されなかったり、テンコとの別れの場面はもっと泣かせてもいいところだったりと、全般的に大人しい印象があるのがもったいなかったです。本作が候補作中群を抜いた完成度を誇りながらも大賞受賞とならなかった最大の理由はおそらくこの「大人しさ」にあるのではないかと。
とはいえ、抜群の完成度と温かみのある世界観で準大賞は異論なしでした。今後、作者の「得意」や「好き(性癖)」をどんどん見られるといいな、と思います。
『私のマリア』
綺羅星またたくノベル大賞の夜空に現れた、赤紫色に光る妖星ゴラスでした(※実際のゴラスはオレンジ色)。とにかく作者が自分のやりたいことを凄まじい熱量でやりきった作品で、選考会でも常に議論の中心にあり、実のところ選考会後もこの作品と作者の話題がずっと続いていたのですが。
さて、これをどう扱ったものか。非常に迷いました。
この作品の「特色」は以下の二つです。
①徹底してベタな昭和風ドロドロ人間模様
もう徹底したベタでした。規則の厳しい全寮制お嬢様学園。主人公はちょっと元気でお転婆な女の子で、同室になるのは学園一の美人で性格もよく皆から慕われる「マリア様」。煙草を吸う不良少女が実はいい人で、皆から蔑まれる不思議ちゃんがいて。
そしてマリア様と呼ばれるヒロインには裏の顔があった。旧家である実家には家柄を鼻にかけヒロインを蔑み虐める奥様達。それというのも当主から寵愛され莫大な遺産相続を約束されているから。財界の大物である当主と、精力的な実業家肌の息子。ヒロインのいとこである男子たちはヒロインへ歪んだ独占欲を抱く美青年と、無邪気に見せて幼さを武器にヒロインを独占しようとする美少年。ヒロインは外から来た家庭教師の好青年と恋に落ちるが実は好青年は財産目当てで……という具合です。比喩も誇張もなく本当にこういう設定です。あまりにベタすぎて、読者からすれば「どこかで見たような設定」どころか「みなさんよく御存知のアレ」で通じてしまうレベルで、そこから外れた設定は一つもありませんでした。
②ちらちらと覗く嗜虐趣味
学園では「マリア様」と呼ばれる清楚な美少女のヒロインが、とにかくひどい目に遭います。誘拐され全裸の写真が警察に送りつけられます。実家では長年、当主の妖怪みたいな老人に性的虐待され、モノ扱いされています。恋に落ちた好青年にレイプされます。奥様達に体がぼろぼろになるまで暴行されます。誘拐犯に両手の爪十枚すべて(!)剥がされます。焼きごてで下腹部(子宮)に家紋の焼き印をつけられます。恋人からはひと目につく屋外での性行為を強要されます。もちろん最後は妊娠しています。
同様に主人公も、実はなかなかひどい目に遭わされています。「マリア様」だと思って慕っていたヒロインが誘拐され、全裸の写真を送られてきたことを刑事からいきなり聞かされ、実家では当主の妖怪じじいにどういう具合に性奴隷にされていたかを聞かされ、ヒロインが屋外(神社の境内)での性行為を強要されるのを見ていた神主からは「ああ、青姦か」と露骨な言葉で説明されます。これらも立派なセクハラであり、要するに主人公も、「清楚な高校一年の少女が、大人たちにより露骨な性的言動をぶつけられる」という構図で嬲られているのです。
また、本作では暴力描写が妙に丁寧で、ヒロインの抜かれた爪は付着した肉片まで具体的に描写されていたり、ガソリンをかけられて焼き殺された「遺体の顔面は崩れ落ちていたのだ」ときちんと書かれたり、本来そこまで書かなくていいところまで書いています。
つまり、本作では「肉体破壊」と「清楚な少女が性的に穢される」の二つのテーマが繰り返し描かれ、嗜虐的なスパイスとして扱われているのです。
迷うのは、これらが本作の魅力にもなっているからです。徹底したベタは本当に徹底されていて(出てくる煙草がマルボロと「セッター」で、ライターはダンヒル!)、明らかに自覚的に、「こういうのが好き」というタイプの読者のニーズにばっちり応えています。嗜虐趣味についても同様。悪趣味ではありますが、「悪趣味であること」は本来、読者が好悪を示すのは自由でも、小説の「出来不出来」の評価には関係のないことでして、それを理由に減点されるのはおかしいと思います。そして本作は、この①②に関しては本当に情熱を注いで描かれており、新人賞に求められる「作者の情熱」は痛いほど感じました。何より作中でも「異常な家」と言われているヒロインの実家の面々が、ちょっと普通やらないレベルの妖怪じみた描かれ方をしており、この妖怪性がなかなかの迫力で、徹底した昭和ベタドロドロと合わせ、「横溝乱歩先生」とでも言いたくなるような強烈な印象を残します(もっとも乱歩のエログロや横溝のドロドロは彼らの「最もキャッチーないち側面」に過ぎず、乱歩作品も横溝作品も他に様々な趣向があるのですが……)。ともかくも応募作の中で「一番インパクトがあった」作品であり、これを無視することはできそうにありませんでした。
ただ、ジャンル問わずでおよそカテゴリエラーなどないと思っていたノベル大賞でも、さすがにここまで特異な趣向は想定しておらず、また市場的にも大変マニアックな趣味であり、好きな人は確実にいるがその何倍も「見るのも嫌」という人がおり、一般受けは難しそうだという問題もありました。また、残念なことに単語の選択が独特で文章が少々読みづらかったり、登場人物の行動に無理があったり、結末も、はたしてこれで二人は今後、やっていけるのか……という決着になったり、「気狂い」「痴呆」「白痴」という単語を何の躊躇いもなく使ってしまったりと、技術的な問題点がいくつもありました。何より話の縦糸となるミステリ部分にかなり無理があったことが大きく、佳作という結果になりました。
たとえば、本作は主人公の高校生がヒロインの誘拐事件を解決しようと奔走する「素人探偵もの」なのですが、「素人探偵もの」には、昔から厄介な問題が付属しています。
一・普通、刑事事件が発生したら素人は自分で解決しようとせず、警察に任せるものである。
二・捜査の素人である主人公が、経験豊富なプロの集団で、人員も予算も使える科学技術も行使できる権限(家宅捜索等)も段違いである警察より先に事件を解決できるはずがない。
これです。個人的に「素人探偵問題」と呼んでいますが、本作でもこの問題が解決できていませんでした。未成年で、しかも「財界の天皇」(あれだけ露悪的な人物であれば周囲にもその人間性が伝わっているはずで、そうした人物にこういう異名がつくようなことはないでしょうが……)と呼ばれる人間の孫娘が誘拐され生死不明、という状況であれば、警察はすぐさま特捜本部を立て、限界まで人員と予算を叩き込んで対応します。本作の状況であれば戦後最大規模の捜査体制がしかれておかしくないでしょう。そうなればもはや事件は警察の、大人たちのものであり、主人公が「自分がやらねば」と考えるような状況ではありません。そもそも被害者の誘拐時に同室だった上に不可解な言動をしている主人公は「重要参考人」であり、厳重な監視下に置かれるはずで、自由に捜査に動くことなどできませんし、事件関係者に勝手に接触することもできません。事件に関係のある場所は警察車両と捜査員がガッチリ固めており、関係者にも捜査員が何度も訊き込みをかけているはずで、主人公が事件に関する新事実を訊き出すなどありえないでしょう。それなのに本作では、登場する捜査員はほとんど堅木刑事ひとりで(彼の所属はどこでしょうか?)、捜査員も捜査車両もほとんど出てきません。そもそも堅木刑事は単独で何の仕事をしていたのでしょうか。
また、本作の事件関係者はなぜか初対面の主人公に対してどんどん事件のことを(しかも自分に不利になったり、ばらされたら致命的なスキャンダルになることまで)喋ってしまっており、これも少し都合が良すぎますし、堅木刑事もまた、訊かれてもいないのに捜査情報をどんどん主人公に話してしまいます。テンポよく進めるためだとしても、さすがにこれは無理があるでしょう。また身代金「百億円」(ジュラルミンケース百個分で、札そのものの重さだけでも約1トン)をどうやって用意して運ぶのかとか、受け渡し場所の監視と追跡があまりに少なすぎるとか、それ以前に「孫」は法的に「相続人」にはならず、生前贈与だとしても遺留分というものがあるので「全財産を孫と無関係の人に相続する」という前提状況がありえないとか、やはりミステリとするとあれこれ無理がありましたし、大きな謎として提示される主人公の移動が「夢遊病(睡眠時遊行症)」であった、というのも肩透かしです。
ただ、本作のインパクトの源泉はとにかく強烈な①と②であり、ミステリ形式はとっていても作品の主眼はそちらにあることを考えれば、これらミステリ的瑕疵は実際の読者からすればそれほど気にならないものではないか、とも思えました。本作の世界観であれば堅木刑事の行動も「実は彼も変質者であり、捜査情報を主人公に伝えてショックを与えることを楽しんでいた」という設定にできそうですし、妖怪一家の末路もある意味、痛快であると言えます。つまり個々の瑕疵を具体的に見ていけば減点が多くても、全体の印象はそこまで悪くないわけで、何より作者の強烈なクセと情熱が目をつむっても瞼の裏に張りつくようなインパクトを残すため、この作品に何の評価もないのはちょっと、という結論になりました。新人賞で求められるのは「個性」と「勢い」であり、本作はその点で無理矢理評価をもぎ取ったと言えそうです。
それにしても選考委員として、なかなかに強烈な体験でした。世の中にはいろんな書き手がいるものですね……。
『レデイ・ファントムと灰色の夢』
粗削りながらセンスを感じ、魅力的なところがいくつもある楽しい作品でした。
何より最も光っていたのがキャラクター造形の良さです。対になるように異なった特殊能力を有する双子の兄妹だけでなく、雰囲気も性格もくっきり違うヘイリーとデュランの探偵コンビが特に魅力的で、この二人がそれぞれ「自分のやり方」で主人公と打ち解けるさまが実に活き活きとしていて楽しいです。それに対する主人公の態度もきりりとしていて好感度が高く、よくある「周囲のイケメンが魅力的なため、かえってそのせいで、それに囲まれている主人公が嫌われていく現象」にも陥っていません。主人公兄妹がテレパシーで会話できるゆえ、お互いの感覚を共有してしまい、今感じているのが自分の感情なのか相手の感情なのか分からなくなることがある……という設定も面白く、この設定だけで一本書けそうでした。
また、貴族の立ち居振る舞いにリアリティがあり、ただ華やかな衣装を着て舞踏会で社交をするだけのセレブでなく、使用人たちの雇用主であり、行動に品格を求められる立場であることがきちんと描かれていました。主の許可なく来客が邸内に上がりこんだことは「メイドの手落ち」であり、貴族の令嬢が一人で街の広場まで出てくることは「異常事態」であり、使用人は「主人のいないところで着席しないようにしつけられて」いたり、一般人とは違う「貴族」と「使用人」の細かい規則や制約が丁寧に描かれているため、とても雰囲気があります。初対面の来客に家の内部のことを勝手に喋ったメイドは解雇されて当然、と書かれたり、オフシーズンの途中で紹介状もなく解雇されたメイドなど雇われるはずがない、と言われたり、なるほどと思わされるレベルで貴族社会のリアリティがありました。主人公クレアもただお淑やかなだけでなく、玄関に押しかけた刑事たちに対し「ここをエイベル家のタウンハウスと知っての狼藉ですか!」と、毅然として怒鳴りつけるシーンなど、「貴族」「主人」に求められる威厳もちゃんとあり、恰好良くて好感が持てます。
また、本作も『甘いたぬき~』同様、やりとりをしている主人公たちの「周囲」がちゃんと描けていました。広場での会話を「ここでは誰に聞かれるか分からない」と止められたり、乗っている馬車の御者の態度が書かれたり、主人公たちがちゃんとその空間にいる、という実在感がありました。そうした地味な点だけでなく、広場の階段から「何度でも転落し続ける」幽霊とか、クライマックスに至り次々と湧いて出る死者たちとか、画的に華やかな部分もあり、時々主語や人物同士の位置関係が分かりにくくなる、といった細かい点はありつつも、描写力を感じました。転落死事件の風向きが次々移り変わっていくテンポもよかったです。
これら多数の魅力を備えていながら大賞とならなかった最大の理由は、これらの美点が充分に作中で活かされず、特に後半にスタミナ切れを起こしてしまっているところでしょうか。たとえば兄妹が分けあうように能力を持っている点はいいのに、兄が中盤、ほとんど出なくなってしまう。テレパシーと感覚の共有という設定はとてもいいのに、ストーリー上、特に必要がないまま進行する。ヘイリーとデュランの対比がとてもいいのに、ヘイリーが中盤、出てこない。デュランは単体でもいいキャラですが、ヘイリーと一緒に出して対比させるともっと輝いたのに、というのは大変惜しかったです。アネットの転落死が「事件」として捜査される、つまり特殊設定ミステリとしてスタートするのに、結末ではファンタジーの「幽霊譚」として終わってしまう。最初は立ち居振る舞いに気を付けていた主人公も、後半ではわりと気軽に男性と二人きりになったり、打ち解けた後のくだけた会話は妙に現代っ子ぽかったり、「オールドミス」「ピックアップ」といった和製英語が出て雰囲気を壊してしまったりと、前半の美点が後半まで持続していないところも残念でした。
主人公の能力にしても「幽霊が見える」「兄とのテレパシー」「予知夢のような夢」と三つも出ており、これは盛り込みすぎと言うべきで、本作では「幽霊が見える」に絞った方がよかったでしょう(選考委員から「妹は見えるけど声が聞こえない、兄は声が聞こえるけど姿が見えない」といったふうに能力を分けあう、といったアイディアも出ました)。特にテレパシーの設定はそれだけで一本書けるほど掘り下げ甲斐があるので、本作に足してしまうのは勿体ないところでした。どうもフルーツを盛りすぎたタルトというか、いろいろ盛って華やかだし個々のフルーツはおいしいけどこれどうやって切り分けるの? とか、シャインマスカットとラズベリーに加えてドラゴンフルーツとココナッツは載せすぎじゃね? のような、スタートの勢いはいいけど、スタートで並べた要素のあと始末が追いついていない、という傾向がありました。「元凶」の動機や鎮め方もあれでは少々物足りないところで、ミステリ風にするなら「大階段そのものに転落を誘発する仕掛けがあった」とするとか、幽霊譚にするならもっと派手に色々幽霊を出した上、「元凶」の隠された事情を明らかにした上でそれに応じた説得するとか、決着のつけ方も色々と他にやりようがあった印象なのも残念でした。
とはいえ、本作の問題点はどうも設定等の整理不足や後半のチェック不足といった「書き終えてからの推敲が甘い」(もしかして時間がなかった?)点に起因するようで、時間をかけてゆっくり直せば欠点は解消され、美点はより伸びる……というヴィジョンがすんなり浮かぶため、準大賞となりました。また会ってみたいキャラクターに、また行ってみたい世界でした。次回作も楽しみです。
ちなみに今回特に「ジャレッド・エドワーズ」と「レデイ・ファントム」に顕著に見られたのですが、舞台を架空の国や時代にするのは、あくまで次善策だと考えた方がよいです。史実との関係上、この設定にできる国がない、というなら仕方がないのですが、そうしなくても話が成り立つなら、なるべく実在の国名・地名にした方がよいでしょう。「ロンドンから馬車で一日半」「ナポレオンの死後十年」と書くだけで実在感が増しますし、架空の場所である、とされてしまうと、読者はまず「この国のイメージはどのあたりなのか?」「時代設定は? 電気はあるのか?」等、不確定のまま宙ぶらりんにされるところから始まるため、ストレスが大きくなります。現地取材に行く費用と時間がなくても、本とストリートビューと動画サイト(世界の有名都市であれば、散歩して周囲を映す動画、というのが存在します)でも何とかなります。センス等と違って「がんばればできる」部分なので、是非がんばりましょう。そこで得た知識と経験は今後、別作品を書く時の引き出しにもなります。
というわけで、今回は激戦だった分、たくさんの書き手が登場しました。準大賞二作、佳作一作ですが、選外となった二作もそれぞれに作者のセンスとパワーが光っており、今後が楽しみです。選ぶ側も大変でしたが、その甲斐はありました。ご応募、まことにありがとうございました。