
18世紀末、フランス。
乳飲み子を抱いた王妃マリー・アントワネットに女占い師はこう告げる。
「その御子をお育てになってはなりません」と。
そしてこうも言う。
「王家は破滅する。
陛下の御子で生き残るのはお一人だけ」と……!
出自を隠して育ったソフィーは、
いかにして残酷な運命から逃れ、
いかにして民衆を熱狂させるに至ったか?
革命に翻弄された少女の一代記――!
タンプル塔の暖炉掃除係の少女だが実は、フランス国王ルイ16世とマリー・アントワネットの末の王女。身分を偽って育てられる。
15歳のとき、ルイ16世に嫁いできたオーストリア王女。1792年にフランス革命戦争が勃発すると、一家でタンプル塔に幽閉される。
ルイ16世とマリー・アントワネットの間に生まれた王子。ソフィーの一つ年上で、タンプル塔にやってくるソフィーと親しくなる。
ソフィーが捕らわれ、馬車のなかに閉じ込められた時、同じように捕らわれていた青年。カメオのブローチを残して消えてしまう。
どこか不気味さの漂う、異質な女だった。
煌びやかな宮殿には似合わぬ質素な身なりの平民だから、というわけではない。
日頃当然に彼らを分け隔てている身分などとはまったく異なる次元で、何かが違うと感じさせる女だった。
まだ十五ばかりの田舎娘とは到底思われぬ、落ち着き払った物腰。遥か彼方を見据えたようなまなざしは、王妃の御前にあってさえ少しも怯むことはない。
「それで、どうなのです。この子のゆく末は」
王妃はその白く柔らかな手でそっと、慈しみを込めてゆりかごに触れた。母親譲りの真珠の肌をした、まばゆいほどに愛らしい我が子の眠るゆりかごに。
「この子は将来どこの国の王妃になるのか、申してごらんなさい」
この女が占いで見知らぬ者同士の結婚を言い当てたという話が、使用人のあいだで評判になっていた。それが女官の耳にまで届けば、この余興が用意されるのは必然と言える。トランプ占いが大好きな王妃の退屈を慰めるにはうってつけだったのだ。
「はじめに申し上げますが、赤子の運命というのは身体と同じで、ぐにゃぐにゃと頼りのないものにございます」
「案ずることはありません。当たらずとも罰を与えたりはしませんから、遠慮なく申してみなさい」
麗しの王妃は寛大さを示したが、彼女に侍る女官たちは、その完璧な微笑を見てはいなかった。
昼なお暗い森を思わせる女の瞳に釘づけになり、蔓草が音もなく足に巻きついてくるような、漠とした不安に囚われていた。
この女からは、畏れというものが感じられない。
いまの淡々とした口上も、占いが外れた場合の予防線だとは、王妃以外の誰一人として考えなかった。
普通の平民ならば王妃の私室に召されただけでも身が縮み、立っているのがやっとであろうに――女はまるで百年生きた老婆のように、あるいは千年を生きた大樹のように、もはや何事にも乱されず、動かず、世の趨勢をじっと見つめる暗い洞のような目をしている。
その異様さに、むしろ女官たちの方が畏れを抱きはじめていた。
「では、大変残念なことを申し上げねばなりません」
言葉とは裏腹に、感情のない声だった。
「まあ、いったいどんな小国に嫁ぐというのかしら。大国でも手紙がすぐに届かないような遠くへ行ってしまったら不幸だわ。ああ、いっそ叔母さま方や可愛い義妹のように、結婚なんてしないで、ずっとわたくしのそばにいてくれたらいいのに。そうよ、あなたはどこにも行かず、いつまでもこのヴェルサイユでわたくしたち家族とともに暮らすのです。この母が、夫など及びもつかないほどの愛で包んであげますからね」
愛おしくてたまらないといったふうに、王妃は幼子へ口づけの雨を降らせる。
「なりません」
誰もが耳を疑った。
平民が、一介の商家の娘が、偉大なるフランスの王妃を前に、どうしてこのような口をきけようか。
「その御子をお育てになってはなりません」
神の代理人たる王の后であり、神聖ローマ皇帝の娘でもあるこの最も貴き女性には、たとえ大司教ですらこんな物言いはできないはずであった。
「……ひとまず無礼は置いて、理由を聞きましょう。まさかこの子が不吉だとでも?」
怒りを抑えて尋ねる王妃に、女は抑揚もなく答えた。
「いいえ。不吉なのは王后陛下、あなたさまでございます」
女官たちが息を呑んだ。
まさしく神をも畏れぬ振る舞い。あまりのことに声を失う王妃へと、女はまだ何か言い渡そうとしていた。
定めし条文を読み上げるような、揺るぎのない声。信じることを超越した確たる口振り。
これは、これではまるで、占い師などではなく――――予言者のようではないか。
「王家に未来はございません」
倒れかかる王妃を支える女官も、「下がりなさい!」と女を退けようとする女官も、みな足が竦んでいた。
「あなたさまの運命はもはや動かすことはできません。御子さま方の運命もまた、それに従い定められております。ですがまだ幼いこの御子は、数奇な星を持っておいでです。このままおそばに置かれれば、この王女殿下を皮切りに、四人の殿下のうち三人までがお命を落とされるでしょう。ですがいまのうちに引き離せば、残った三人のうちお一人は生き延び、この御子もまた破滅を逃れて、新たな運命を引き寄せるやもしれませぬ」
女官たちが叫ぶ。
「お、お黙りなさい! 何たる不敬……衛兵! 衛兵! この無礼者を捕らえるのです!」
控えの間から雪崩れ込んできた兵士たちに拘束されながら、なおも女は続けた。
「ご決断なさいませ。陛下の御子のうち、生き残るのはたったお一人。どうかお忘れなく」
女が連行された後も、王妃は一言も発せず、ただその身を震わすことしかできなかった。
投げつけられた言葉も恐ろしいものだったが、より耐えがたい恐怖を王妃に与えていたのは、その目に見えたものだ。
兵士に連れられてゆく不遜な娘、あの尋常ならざる女の、深く暗い瞳を覗いた瞬間――まざまざと両の眼に浮かんだ光景。
広場に押し寄せた群衆が、熱狂し、野次を飛ばし、あるいは固唾を呑んで一点を見上げている。
冷たい秋空の下、ぎらつく無数の視線を照り返す鈍色の刃。
取り巻く熱気までを断つように、巨大な刃が滑り、罪人の首を斬り落とした。
まだ温かい血が滴りながらも、瞳の光は消え失せた首。
その青ざめた顔は、確かに王妃マリー・アントワネットのものであった。
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