スペシャルミニ小説!

京都左京区がらくた日和 謎眠る古道具屋の凸凹探偵譚 SHORT STORY

『夏のおわりと、迷い猫をめぐる謎』 杉元 晶子

ワケアリ?猫と遊ぶ郷さんに遭遇した雛子。
今日も今日とて、怪しげな郷さんは何か隠し事をしているようで……?
 八月最終週の月曜日。
 私が通う高校では、短縮授業と文化祭の準備が始まった。入学して初めての文化祭だから楽しみだけど、緊張もしている。終わった夏休みを惜しみながら家に帰る。
 田園風景が広がるのどかな我が町、京都市左京区岩倉。
 県外の人が京都と聞いて思い浮かべるのは、メジャーな観光地だろう。修学旅行先の定番、京都御所、清水寺、二条城、金閣寺とか。地名で言えば、嵐山、祇園、鞍馬とか。
 歴史ある神社や寺院の数々。コンビニですら瓦屋根のモダンな色使い。伝統と格式が息づいた古都。ただまあ、地域によって住民性が大分違う気がする。
 良くも悪くも噂になる京大を筆頭に、著名な役者やイラストレーターを輩出する芸大や有名私立校がある学生街左京区には、個性的な人が多い。
たとえば、袴姿でチューリップハットをかぶった金田一耕助ファッションの人や、段ボールで作ったドンキーコングの木槌を携えた人がいても、「左京区だし」と思ってスルーする。つまり、犯罪性のない変な人が多いのだ。
 それを重々わかっている私でさえ、道ばたの小屋の影から出て来た大男にはギョッとした。サングラスで目を隠し、汗で長い前髪が濡れ、無精ひげの生えた頬や首には真新しい引っかき傷。だぼついたズボンのウェストを持ち上げながら、あやしげな男は言った。
「あ、おかえり。雛(ひな)ちゃん」
 敬遠したい見た目のこの人が、ご近所さんの石川原郷(いしかわらごう)さんだ。
「あやうく、悲鳴を上げそうでした……」
 心臓がバクバクしてる。胸を押さえながら言えば、郷さんは「なんで?」と首をかしげた。
「なんでってそりゃあ……」
 変質者かと思ったからとは、さすがに言えない。
 我が家の真裏で郷さんが古道具屋を始めてから、約二ヶ月。
 彼が仕入れる古道具は、素人目にはガラクタにしか見えなくても、謎めいた経歴や大切な思い出が詰まった品々ばかり。ミステリ小説好きで日常ミステリに憧れる私は、風変わりな佇まいの店も、一癖も二癖もある彼自身も気になっている。
年齢不詳だった彼が二十四歳だと知ったのは、昨日。お互いを「郷さん」「雛ちゃん(私の名前は雛子(ひなこ)だから)」と呼び合う間柄でも、まだまだ知らない部分が多い。
「そこで何してたんですか?」
「猫とボールを取り合ってた」
「え?」
「ちょっと待ってね」
 と言い置いて、郷さんは田んぼのあぜ道に向かって小走りに駆け出す。太った白猫を抱え、自慢げに戻ってきた。
「ほら、猫」
 いや、私が聞き返したのは猫の存在を疑ったからじゃないです。
 猫とボールを取り合う成人男性が存在するのかと疑ってしまったからなのです。でも……、いたんだなあ。
定休日の過ごし方はいつもこんな感じですか、と聞きたかったけど、脇腹を抱えられてミョーンと縦に伸びた白猫のお腹の特徴に気づいた。
「この子、腹黒ちゃん!」
「性悪なの?」
「そうじゃなくて、お腹だけ黒いんです。二年前、弟たちが勝手に連れ帰っちゃったから、返しに行ったことがある猫です。雑貨屋さんの猫で、たしか首輪に住所が……、あれ?」
 鈴のついた首輪を覗き見ると、番地と飼い主の名前がマジックで塗りつぶされている。
「なんで番地を?」
 引っ越して住所が変わったり、飼い主が変わったりしたら、全部書き換えるはず。こんな中途半端なことをする理由は何?
 推理モードに入った私は、腹黒ちゃんを見る。半紙に墨汁が落ちたみたいに、お腹だけテンテンと黒い。この特徴にちなんだ名前があった気がするけど、なんだっけ?
「あ! 足に血がついて……ない?」
 左後ろ足の肉球とその周辺の毛が赤というか、朱色に染まっている。絵の具かインクを踏んだ?
「印泥(いんでい)かな?」
 郷さんはヒントをくれるけど、初耳の単語だった。私が聞き返すより先に、「練り朱肉」と言い直してくれた。
「一般的に事務用で使われているのはスポンジ朱肉で、練り朱肉は書画の落款印……、はんこを、押すときに使う顔料……、インク?」
 わかりやすく言い換えるうちに、どんどんぎこちない発音になっていく。
腹黒ちゃんの飼い主の雑貨屋さんは、ミニプラネタリウムや星モチーフのアクセサリーを扱った天文雑貨店だった。事務用のスポンジ朱肉ぐらいあるだろうけど、印泥? ちょっとした違和感が気になる。
「取り合ったボールって、どんなボールですか?」
 何気なく聞くと、郷さんの顔がこわばった。漫画だったら、『ギクッ』と効果音が出そうなほど、あからさまだ。
「別に普通のボールだよ」
 サングラスで隠れているけど、きっと目が泳いでいるだろう。いつも嘘がない人だから、ここまで嘘が下手だと知らなかった。
「腹黒ちゃんが店から持ち出したボールだったら、返さないといけませんよね?」
「いや、店のボールじゃないから」
「どうしてそれがわかるんです?」
「見ればわかるよ」
「じゃあ、見せてくださいよ」
 手のひらを差し出したら、郷さんは困ったように笑ってごまかそうとする。
 私は五人兄弟の長女なので、こんな問答は日常茶飯事。
 先ほど、郷さんがズボンのウェストを持ち上げていたのは、ポケットに入れた何かが重いせいだ。両サイドのポケットは膨らんでいないから、後ろのポケットかな?
 背後に回ろうとすると、郷さんはそれを嫌ってその場で回る。グルグルグルと、ふたりして三周ほど回った。
「……わかりました! 私には見せなくていいです。でも、飼い主さんには見せてください。お店までの道は大体覚えてます。腹黒ちゃんのおもちゃじゃないってわかったら、私も納得しますから」
 さあ、行きましょう! と私が言い出せば、郷さんは「それでいいなら」とうなずいたから、ちょっとがっかりだ。
 私には見せたくないけど、他の人には見せるの?
 隠しごとをされるのは悲しい。信頼する相手ならば、なおさらだ。
 郷さんは謎を拾ってくる割に、その選択肢を私に委ねる。謎解きに付き合ってくれるけど、私が誘わない限り、自分からは動かない。私は郷さんと過ごす時間が楽しいけど、郷さんはそうじゃないのかなと、たまに不安になる。
記憶を探りながら岩倉川沿いを南下し、府道を鞍馬・貴船方面に向かって歩くと、線路に突き当たる。左京区を走る私鉄、叡山(えいざん)電車だ。
「ここを曲がったらすぐです」
 そう言いながら曲がると、記憶にはない更地があった。ちょうど雑貨屋さんの区画だけ、何もない。
「ほ、ほんとにここにあったんです!」
 焦る私に郷さんはのんびりと言う。
「引っ越したのかな? 近所の人に聞いてみようか」
 それから郷さんは周辺の家を覗き見て、
「ここなんか、いいんじゃない?」
 と、古民家の前に立つ。たしかに他の新興住宅に比べれば、地域のことに詳しい人が住んでいそうな雰囲気だ。
 古い家だからドアは引き戸で、インターホンさえなかった。しかも掲げられた表札の文字が……なんだろう? 読めそうで読めない漢字。
 米……澤? でも『氵』じゃなく、『川』に見える。
私が迷う間に郷さんが引き戸をノックして、私の背後にサッと隠れた。
「なんで隠れるんですか!」
「俺、人付き合い苦手だから。雛ちゃんお願い」
 古道具屋の店長で接客業のくせに! と、声を大にして言い返したいけど、知らない人の家の前だし、中から物音がしたから我慢した。
 引き戸を開けて顔を出したのは、小柄で細面のおじいさん。ランニングシャツとステテコの部屋着姿で、見知らぬ私に戸惑っているようだ。
「すみません、あの。猫……」
 言いかけた瞬間、腹黒ちゃんが郷さんの腕を蹴って、地面に着地する。そのまま玄関に入り込み、おじいさんのふくらはぎに体を擦り寄せた。おじいさんは慣れた手つきで、腹黒ちゃんの顎を撫でる。
「おかえり、黒点」
 そうだ、腹黒ちゃんの名前は黒点だった。太陽の表面に見られる斑点の名前。
「この子、雑貨屋さんの猫でしたよね? でも今は更地になってて……」
「ああ、春に引っ越さはってね。新天地で黒点がよう馴染まれへんかったから、ワシが世話さしてもろてんねん」
「だから、首輪の住所は番地だけ塗りつぶしたんですか?」
 おじいさんの家は雑貨屋さんの三軒隣だ。ほぼ同じ住所なのだろう。
おじいさんはハハッと苦笑し、
「書き直さなあかんとは思ってるんやけど、細かい字はよう書かれへん」
「代わりに俺が書きましょうか?」
 そう言ったのは郷さんだ。おじいさんは今更、郷さんの存在に気づいたらしく、彼をぽかんと見上げた。まあ、女子高生の背後に隠れる大男を見れば、こんな反応になりますよね。
 おじいさんは飼い猫と不審者を秤にかけて、飼い猫を取ったらしい。ネームシールと耐水性のペンを持ってきた。玄関先で郷さんは言われた通り、新しい住所と飼い主の名前『米澤』と書く。あれ、やっぱり米澤表記で合っていたのか。
黒点ちゃんの首輪にシールを貼ると、ぴったりと合った。
「兄ちゃん、ありがとう。上出来やわ」
 うれしそうに米澤さんが郷さんの肩をポンポンとたたく。
「じゃあ、俺たちはこれで」
と、郷さんが帰る流れを作ったので、慌ててボールについて聞いた。
「黒点ちゃんが遊んでいたボールを見てもらいたんです。黒点ちゃんのボールなのか、そうじゃないのか……」
 言いながら郷さんを睨むと、スマイルマークを貼り付けたみたいな笑顔を彼は浮かべた。『見せなくていいって、雛ちゃんは言ったよね?』とアイコンタクトを送ってくる。
仕方なくその場から一歩引いて、背を向けた。でもスマホを取り出し、カメラで背後を覗き見る。郷さんがズボンの後ろポケットから取り出したのは、ボロボロの軟球だ。しかも縫い目を覆うようにシールがベタベタと貼ってある。
 米澤さんに確認するまでもなく、猫が口にくわえて運べるサイズではなかった。
「知らんなあ……」
 予想通り、米澤さんは言う。郷さんが軟球をしまうのと同時に、私はスマホをスカートのポケットにしまった。よし、タイミング完璧。スパイになれるかも。
 でもこれで、謎はふたつになった。
 ひとつは、郷さんが私にボールを見せたくない理由。
 そしてもうひとつが、郷さんが黒点ちゃんの飼い主宅を見つけた方法。
 同じ町内なら、ほぼ同じ住所の家が何十軒もある中で、黒点ちゃんの現飼い主宅を偶然一軒目に選んだとは思えない。
米澤さんに見送られて別れたあと、私は郷さんがやったように周辺の家を見る。玄関に犬シールを貼っている家もあるが、米澤さんの家には猫シールがない。
「雛ちゃん、何か探してるの?」
「郷さんが黒点ちゃんの飼い主さんを見つけた方法を探してます」
 しばらくの間、郷さんは黙って私を見守っていたけれど、このままでは帰れないと思ったのか、高らかに言った。
「ヒントターイム」
「まだやめてください!」
「表札」
 慌てて耳を塞いだが、遅かった。表札がヒント? 普段あまり表札を気にしないけど、改めてちゃんと見るとそれぞれ個性がある。苗字だけだったり、ローマ字表記だったり、世帯主の名前だけだったりもする。
 そして肝心の米澤さんは、私が読めなかった書体の木彫り表札だ。
「こういうデザインを見たことがある気がするんですよね……、どこだろう?」
「ヒント2もいる?」
「いりません! ヒント1もいらなかったです!」
 家の前で騒がしくしていたせいか、米澤さんがまた顔を出した。
「この書体は篆書って言うねん。紙幣の印にも使われてるわ」
 まる聞こえやったで、と呆れたように言い、表札と同じ書体を捺印した一筆箋をくれた。
「そんなに興味あるなら、持って帰り」
 興味があるのは書体じゃなくて推理です、とは言えなくて受け取る。まだ乾いていないインクがてらてらと光っていた。鮮やかな発色の朱色。
「これ、黒点ちゃんの毛についていた色……」
そう言ってから、ハッと気づいた。
「こだわりのインクを持つような人は、表札の書体だってこだわっている可能性があると思ったんですか?」
 答え合わせをするように聞くと、郷さんは「そだね」と軽くうなずく。やっと正解できたけど、悔しい。ヒントは目の前にあったのに、私には気づくだけの知識がなかった。郷さんの豊富な知識量にいつも負ける。
 改めてお礼を言ってから、米澤さん宅をまたあとにした。
 探偵ごっこをしていたせいで日は沈み、すっかり暗くなった帰り道。少し早足の私とゆっくり歩く郷さんとで、歩調はぴったり合った。
「ボール」
 ぽつりと私がつぶやけば、郷さんはビクリと肩を上げる。やっぱり、話してくれるつもりはないらしい。
 さみしいし、悲しいけど、でも許そう。
 郷さんは私にできないことがたくさんできるくせに、嘘をつくのが下手過ぎる。そんな下手な嘘で守りたいことがあるなら、それはきっと大切なことなんだ。いつか、その領域が許されるぐらい信頼して欲しいけど、力不足は実感している。
ふいに郷さんが立ち止まり、一点を見つめた。暗闇の中、田んぼのあぜ道でふたつの煌々とした灯りが揺れている。蛍にしては季節外れ。人魂かとギョッとしたけれど、よく見れば、懐中電灯を持った私の弟たちだ。腹黒ちゃんを勝手に連れ帰った双子で、小二になった現在もいたずらばかり。
「迎えに来てくれたの?」
 驚いて私が聞けば、「むかえ?」「なんで?」と同じ顔の双子がそれぞれ答える。まあ、そうだよね。期待した私が悪かった。でも遊びの帰りだとすれば、わざわざ懐中電灯を持ち出した理由がわからない。
「今日はずっと、懐中電灯を持って遊んでたの?」
 なんで? と聞くより先に、双子の弟・雅紀が声を上げた。
「おっちゃん、ほんまに見つけてくれたんか!」
 ん? おっちゃんって誰? と振り返ると、郷さんが唇に人差し指を当てていた。そして、双子の兄・琢磨が郷さんの手から奪うように軟球を取った。ふたりして軟球に灯りを向ける。
「よっちゃんのボールや! やるやん、おっちゃん。さすがやな!」
 うれしそうに言う琢磨と、いち早く危険を察知した雅紀をそれぞれ捕まえた。よそ行きの標準語ではなく、家族向けの言葉で聞く。
「そんなボール持ってたっけ? 借りたん? そして、借り物をなくしたん?」
 優しく尋ねるつもりだったけど、どんどん声が低くなる。
「郷さんに探すように頼んだんか? お姉ちゃんには秘密にしろって?」
 それなら、郷さんがずっと隠していた理由が腑に落ちる。
店のボールじゃないと言い切ったのは、うちの双子が探すボールだと知っていたからだ。
 双子は口々に言い訳した。
「ひろったんはよっちゃんやけど、オレらのボールやから」
「そうや。みんなのボール。シールがしょうこ」
いや、よっちゃんのボールって言ったじゃん。共有のボールだとしても、所有権は他人にあると思ってるから、必死で探したんでしょ?  しかも私に知られたら怒られるとわかっていて、郷さんに口止めした。
双子の証言はどこからでも崩せたけど、一番大事なことをまず言った。
「他人に嘘をつかせるようなお願いをしたら、ダメ!」
 本気で怒っていることは、普段私をなめている双子にも伝わったらしい。ふたりから「ごめんなさい」と言葉を引き出した。でもこの場限りで謝っている気配がビンビンする。
「雛ちゃん、その辺で……」
 まるで自分が怒られたみたいにしゅんとして、郷さんが言う。
 これじゃあ、私だけがのけ者だ。
 弟たちを甘やかさないで欲しい、と言いたかった。
 秘密にされて傷ついたんですよ、と言いたかった。
 郷さんはズルイ。
 謎めいた古道具が並ぶ店も、そんな商品を仕入れる郷さん自身も、私にとって魅力的に映るとわかっているくせに、全然わかっていないみたいな顔をする。
 郷さんが私の推理ごっこに付き合ってくれなくなったら、すごく困る。今後もぜひ、私を甘やかして欲しいから、弟たちだけを甘やかさないでとは言えない。
「帰ろっか……」
 ため息まじりにつぶやいて、捕まえていた双子から手を離すと、その途端にふたりが駆け出した。よーいドンの合図があったみたいに息ぴったり。……あー、絶対懲りてないな。
「郷さんはあの子らといつ知り合ったんですか?」
「開店してすぐぐらい」
 郷さんの店に惹かれた弟たちの気持ちはわかる。高一の私でさえ気になる品揃えだから、冒険心あふれる小学生にはより一層魅力的だろう。
少し歩いて我が家の街灯が見え始めると、郷さんがまた立ち止まった。
「じゃあ、俺も帰るね」
 そして来た道を戻って行く。今まで私と一緒に歩いていたのは、てっきり店に寄るつもりだからだと思っていた。
「……」
 わざわざ送ってくれてありがとうございます、なのか。
 またお店に行きます、なのか。
 姉弟ともどもよろしくお願いします、なのか。
 ちょうどいい距離間の言葉を選べないうちに、猫背ぎみの後ろ姿が遠のいてしまう。
 郷さんの休日の過ごし方は、近所の子どもに頼まれたボール探し、かあ。
見た目はちょっとあやしくて、何を考えているかわからないけど、でもトータルで見ると素敵な人だ。
 振り向かない背中に向かって、私は小さく手を振った。