【佳作】問われる十畳(著:原沢青)


「まいったなあ
「まいりましたね
 二人がそんなやり取りをした回数も、そろそろ二(けた)に突入しかけている。いや、もしかしたらすでにしていたかもしれなかった。
 なにせ深夜の山中、(がけ)(した)(かつ)(らく)した直後だ。
 それも面識のない相手と二人きり。片方は中年期も後半に入っていそうな男で、もう片方は二十四歳になったばかりの女ときた。これでは最近流行(はや)りの曲やらアニメやらの話題を振っても盛り上がれそうにない。
 だから女の方(なぎさ)はまた、
「まいりましたよ、ほんと」
 と(つぶや)いた。それだけが、今ここにおいて相手と絶対に共有できるものだから。
 渚の体力その他(もろ)(もろ)がもう少しまともな状態であれば「これからどうしましょう」くらいは続けられたかもしれないが、今はとにかく心身が()(へい)していた。
 しかし男の方はさすがに()きたらしい。
「まあ、朝になればまた状況も変わるかな」
 前向きな一言を落として、崖縁に向けていた顔と懐中電灯を下ろす。それが唯一の光源だ。渚のスマホは滑落時に壊れてしまったし、彼のスマホも上に置き去りになっている。へたに動き回るよりは、言うとおり朝を待つのが賢明だろう。光が渚を照らした。
「そういえば、君、怪我(けが)は?」
「擦り傷がたくさん。骨は平気そうです」
 散々まいったまいったと中身のないことを言い合って今さら訊くのかとは思った。が、先に確認してくれた分、そして渚が訊き返さない痛がったり苦しがったりしていないから大丈夫なのだろうと判断した分、彼の方がよっぽど上等だ。
「殺人犯も怪我とか気にしてくれるんですね」
 たとえそういった人物であっても。
「別に、君に死んでほしいわけでもないし心配くらいはするよ」
「はあ。ありがとうございます」
 お互いに緊張感がないなと渚は思う。
 滑落する直前にも似たようなことを考えていたな。そんなどうでもいいことに気付いて、渚は視線を暗闇へ投げた。
 山の夜は長い。すぐ隣には(とし)の離れた異性の殺人鬼もいる。どうでもいいことでも回想しておかなければ、朝まで間がもたない。

 お盆だからと()(せい)したのが今日の午前中。墓参りだの(いっ)()(だん)(らん)だの、そのあたりは特筆することもなし。
 問題は夜に起きた。そもそも最近、仕事関係のストレスで不眠気味だったのだ。久しぶりの実家ならばと期待して布団へ転がったが、まあダメだった。
 それでスマホだけを持って、近くの山林へやって来たわけである。
 祖父が所有しており、昔から遊び場にしていた山だ。中高生の時分などは(うっ)(ぷん)が溜まると夜中に入り込んで、時には姉を連れて、虫や小動物の気配にぎゃあぎゃあ言ったり言わなかったりしながら時間をつぶした。他にも色々とたくさん思い入れのある場所だから、久しぶりに足を運ぶのに(ちゅう)(ちょ)はなかった。奥へ奥へと歩みを進めることにも。
 そうしたら、例の中年男と出くわしたのだ。
「あれ」
 きょとんとして、男は声をあげた。
 左手に懐中電灯を、右手にスマホを持っていた。渚は自身のスマホのライトを彼へと向ける。リュックサックの肩紐も見えた。
「君、どうしたの、こんな時間にこんな場所で。危ないよ」
 こっちの台詞(せりふ)であった。
 ワイシャツとスラックスに包まれた体はすらりとして、品よくまとめられた髪に(ほそ)(おもて)。見覚えはない、はずだ。
「そちらこそ何を
「僕は」
 彼は手指の代わりにスマホを自身の口元に添え、目線を左右へ交互に動かした。ひとしきり考え込むようなそぶりをしたあと、渚へ瞳を向け直す。
数ヵ月前に人を殺して」
 理解が遅れた。
 ひとを、と気の抜けた声で復唱する。
「この山に埋めたんだけど、そこにちょっと用ができたから来てみた」
 うめた。再び復唱して、数秒後にようやく頭が追いついた。今度は渚の目が左右に動く。彼のそれよりは落ち着きがなく、何度も。
「冗談ではなく?」
「冗談ではなく。証拠見る? 埋めたときの写真があるよ」
 いらない、とは言わなかった。彼が傾けたスマホの画面を、渚はまっすぐ凝視する。
 夜中の山林で撮った写真のようだった。フラッシュを()いたのか中心だけが明るい。写っているのは主に地面で、一部分だけがやけにほぐれた土と投げ出されたシャベル。それだけ。「埋めたあと」といった風情(ふぜい)はある。
「死体が写ってないけど、証拠になるんでしょうか」
「言われてみればそうかも。でも写真はこれしかないんだ、さすがに遺体を撮るのは気が引けて
「殺すときは引けなかったんですね。気が」
 真偽はともかく、およそまともな人でも状況でもない。相手も同じ感想かもしれないが。
 一応言っておくと、渚の心身が万全であればもっと激しく(ろう)(ばい)できていたはずだ。今は全ての()み合わせが悪かった。
 だから男人殺しが一歩踏み出した瞬間、反射的に逃げようとしたのは、生存本能とかそういう根源の力によるものだったのだろう。
 そのときに来た道を戻るのではなく右へと足を伸ばしたのは、ぱっと見で木々が少なくて走りやすそうだったからだ。
 だが渚がそこに体重を乗せた直後、地面がずるりと滑るように動いた。
 なんのことはない。木が少ないのではなく、木が生えるようなスペースがそこになかっただけ。昼であれば(いち)(もく)(りょう)(ぜん)だったろうに。
「あ」
 どちらの声だったか、あるいは両方か。男が(とっ)()にスマホを投げ捨て渚へ手を伸ばすも、結局彼もバランスを崩し
 二人仲良く、崖の下へ。そういう運びだ。

「それほど高い場所じゃなくて良かったね」
 戻って現在。座り込んだ男が、リュックサックを下ろしながら言った。
「ですね、おかげで軽傷で済みました。でも登ろうと思えば高いですよ」
 渚は手近な岩壁を()でる。いくらか傾斜はあれど、素人(しろうと)が何の道具もなしに登るには険しい。四方もそんな感じだった。崖に囲まれた、おおよそ十(じょう)分ほどのスペース。そこに渚たちはいる。
「そのリュックに使えそうなもの入ってません? ロープとか刃物とか」
「あいにく、財布とクリアファイルだけ」
「そんなものを思わせぶりに持ち歩かないでほしい
「ひどい言いがかりだ」
 理不尽な物言いに気を悪くした風もなく、笑い混じりの声が返ってくる。穏やかだし、渚に殺意はないらしいし怪我の心配もしてくれたし、なけなしの警戒心がますます薄れていく。ばかばかしいことに。
 彼は懐中電灯を足元に立たせるように置いた。(しゅん)(じゅん)し、渚も光のおこぼれにあずかれる程度の範囲に腰を下ろす。なんとなく、彼からも視認できる場所にいないと、自分だけが闇に()まれ消えてしまいそうで悔しかった。
すみません。こんなことになって」
「いや、怖がらせた僕が悪い。ごめんよ」
 返事が浮かばず、膝を抱えて(うつむ)いた。傷口に髪の毛が触れて、ちくちく(いた)(がゆ)い。
「君はどうしてここに来たの」
 問いかけられ、傷から彼へと意識が移る。
 髪は乱れて服も汚れて顔には擦り傷。それでもやはり目つきや声が穏やかな人だ。ただ同時に柔らかな圧も感じる。
「僕の目的は教えた。君の返事はもらえてない。不公平じゃない?」
 しばらく沈黙を返してやった。見つめ合う。根負けしたのは渚の方。
「仕事で悩んでて、それで気分転換というか、インスピレーションのためというか
「何の仕事を?」
「曲を作ってます」
「あれ、もしかして歌手?」
「私は歌わないです。あのー歌詞やメロディを入力すると、合成音声で歌ってくれるソフトがあって」
「ああ。あるね」
 どうしたって若者が中心の文化だ。伝わりやすいように手探りで説明しようとしたが、彼はあっさり(うなず)いて、なんならそのソフトの名称さえ口に出した。まあ、そこまでは()()ある。だが続けて人気の楽曲名まで挙げ始めたものだから、それには驚いてしまった。
「詳しいですね」
「そこまでじゃない。給食の放送や体育祭なんかで生徒がそういう曲を使いたがるから、触れる機会がそこそこあるだけ」
 渚はぱちぱちと瞬きをした。男が口角をわずかに上げる。
「隣町の中学校で国語教師をしている。互いの職業が分かったね、これで公平だ」
 一拍遅れて、渚は視線を顔ごと横にずらしながら、何度か頷いた。教師。なるほど。言われてみれば、そのような(ふん)()()がある。
「どんな曲を作ってるか訊いてもいい? 僕も知ってるかも」
「一番有名なのは『(ほし)(くず)()(くず)』ってアニメのエンディングテーマです。歌ってるのはソフトじゃなくてアーティストですけど」
「知ってる。今年放送してて人気だったやつだ。クズクズって略すんだっけ」
 彼の声がほんの少し高くなった。
「最後の二話だけ観たことあるよ。ちょっと暗い話だったよね、曲がそれに合ってていいなと思った」
「ありがとうございます」
「でも、インスピレーションのために夜中の山に来る? そういうもの?」
 それには再び黙った。いくら凝視されようと今すぐ答える気はない。
「これ以上は不公平ですよ」
「というと?」
「あなたもまだ理由を説明しきってない。死体を埋めた場所に、何ヵ月も経ってからできる『用』って何です?」
「そんなに気になることかな」
 繰り返すが、渚は疲れている。全てに嫌気が差していた。このところずっとそうだ。
 なのに今はそうでもない。
 空腹のときに少しだけ食べ物を入れたら余計に腹が()くのと似ている。少しだけ話したからもっと話したい。話したいから、彼にも話してほしい。
「だってもう、なくなってるでしょう。死体。私が知ってる事件の話なら、ですけど」

 約五ヵ月前。『星屑と藻屑』の最終回翌日、親から連絡があった。山菜を採るため山に入った(おお)()()が死体を発見したと。
 埋められていたのを獣に掘り返されたらしく、いくらか損壊していたが、若い女であるのは分かったそうだ。警察の捜査で身元もすぐに判明した。
 (ふる)(でら)()()。地元の会社員。死後二週間かそこら。(こう)(さつ)。生前最後に姿を確認されたのは、隣町のコンビニの防犯カメラ映像。
 以降の捜査に進展はなく、犯人は見付からなかった。今この瞬間まで。

(から)っぽの場所に何の用が何の意味があるか知りたいんです」
 渚の言葉に、男の目が(いぶか)しげな色を宿した。それは一瞬で消え失せ、瞳が左右に動く。最後に渚の方を向いて止まった。
卒業式の準備で、いつもより帰りが遅くなった日だったんだ」
 渚が訊いたのは今日のことなのに、彼は春の話をしようとしている。かまわない。聞きたい。きっと彼の言葉全てに意味がある。
「コンビニで何気なく目に入ったお菓子に手を伸ばしたとき『あっ』と声がした。振り向いたら、そこに立ってたのがあの子だった」
 あの子。被害者。古寺玲奈。
「その商品は(たな)に一つしか残ってなくてね。欲しいんだなと気付いたから彼女に(ゆず)って、僕はお弁当の棚に移った」
「それから?」
「買い物を済ませて店を出て、少し歩いたところで声をかけられた。あの子に」
 慌てていて、ちゃんとお礼をできていなかった。ありがとうございました。コーヒーか何か(おご)らせてください。
 そんな感じのことを言われたのだそうだ。
「お菓子ひとつで大げさなと思ったよ。同時に楽しい子とも思った。だから、帰宅の道すがら、話し相手になってほしいと頼んだ」
「その子、そんな誘いに乗ったんですか?」
「君くらいの年頃の娘がいる、最近ろくに話せてない、どんな話題があるか教えてほしい。そういう作り話をしたら頷いてくれたよ」
「作り話」
「子供はおろか結婚もしてない」
 男は左の薬指を親指でさすった。
「僕の家が駅に近いって嘘もついた。そっちは意味もなく言ったんだけど、彼女には都合が良かったみたいだ。バスがどうとか言ってたかな」
 足元の懐中電灯に、ちらほらと虫が近付いては離れていく。これが(たき)()でないから彼らは助かっている。彼女はそうではなかった。
「人懐こい子で話も弾んだ。そのうち、まったく(ひと)()のない辺りに差しかかったから、路地裏に押し込んで」
 男は宙に両手を伸ばし、握りこむような動きをしてみせた。
「毎回そういう手口なんですか?」
「人を殺したのなんて、あれ一度きりだよ」
「手慣れてるように聞こえましたけど」
「そりゃあ今は落ち着いて話してるからね。当時は緊張してひどいもんだ」
なんで殺したんです?」
 なんでだろう、と軽い声。
「元々そういう(しょう)(ぶん)ではあったかも。小動物とか可愛(かわい)らしいものを前にすると、切ないような、胸がぎゅっとなる感じがして、わっと叫んだり暴れたりしたくなる瞬間が時々あった。五十年分のそれがたまたま爆発したタイミングだったんだ、たぶん
「そんな性分の人が中学校の教師を
「人間の子供は可愛くないから平気」
 それから彼は遺体を埋めるまでの経緯も話してくれた。近場の友人にこれまた(うそ)(はっ)(ぴゃく)を並べて車を借り、地図アプリから適当に選んだ山へ向かったのだと。山にした理由は、車のトランクにシャベルがあったから。
「全部が突発的なもので()(さん)だ。どうせすぐ捕まると思ってたよ。でも実際はどうだろう、僕は何事もなくお盆休みを迎えた」
「そうみたいですね」
「あんまりだ。異常者に衝動のまま殺されて、遺体こそ見付けてもらえたが犯人はお(とが)めなし。彼女にしてみれば不公平が過ぎる」
 つっこむべき()(しょ)は山ほどある。つっこんだところで(せん)()いことでもある。きっと育つ過程で()じれた部分とまっすぐな部分が入り組んでしまった人なのだ。渚はそう解釈した。
「だから彼女を埋めたところに手がかりでも残しに行くことにした。お盆なら、もしかしたら誰かが花を供えに来て見付けてくれるかもしれないでしょう。で、結果はこのざま」
 ははは、と男は笑う。反対に、渚は深く長い溜め息をついた。
「罰が当たりましたね、あなたも私も」
「おや、君も。どういう(いわ)れで?」
 さあ、今度は渚が話す番。
「被害者の古寺玲奈は、私の友達です」
 大したリアクションはない。彼も状況や渚の言動から何かを察していたのだろう。
「中学で仲良くなりました。私たちオタク趣味というか、まあそういうのが好きで。ただ玲奈は見る専だったけど私は」
「みるせん」
玲奈はイラストや動画を見ることだけ楽しんでたけど、私は何かを作ってみるのが好きで、よくネットに投稿してました」
 その中で特にウケが良く、長続きしたのが楽曲制作であった。
 コンスタントに投稿を続けたこと。有名な配信者がSNSで紹介したこと。年齢を公表していたこと様々な要因が絡み合って、高校を卒業する頃にはあちこちで持て(はや)されだした。あの時期は常に眩暈(めまい)がしていたような感覚で、自分の感情の動きがいまいち思い出せない。代わりに玲奈が大げさに喜んでくれていたことだけ覚えている。
「大学も仲良く同じとこ行ったんですよ。でも初めて、仕事として作曲依頼が来て
 そこからがまた早くて、忙しくて仕方がなかったから二年の途中で休学し、仕事相手に誘われるまま上京した。
 玲奈とはそれ以来ろくに遊んでいない。()(せい)の折に時間が合えば軽くお茶をして近況報告するくらいで、メッセージのやり取りも間があいていった。最後にもらったのは今年、年始の(あい)(さつ)に添えられた「新曲の配信聴いたよ! 最高! テレビでも観るの楽しみ!」というお気楽な三文。
 その『星屑と藻屑』の曲でもって、渚の評判は最高潮を迎える。もちろん一番の光は歌ったアーティストへ当てられたが、曲自体の出来も良かった。らしい。視聴者いわく。
 ダークな曲調と歌詞が世界観にマッチしている。特に歌詞は本編と符合する文言ばかり。たとえばこの単語。ほら、あの一節なんか終盤の展開を(にお)わせて!
 そんなこと渚は考えちゃいなかった。事前に聞かされた序盤のあらすじとタイトルに関係しそうな言葉を適当に並べただけだ。
 とはいえ評価されれば嬉しい。こんなこともあるかと愉快な気持ちでもいた。
 だが。
「三月の半ばに新しい依頼を受けました。ミステリー小説が映画化するから、その主題歌をって」
 二呼吸。声が少し、震えた。
「山で女の子の死体が見付かるところから始まる話でした」

 『クズクズ』みたいな、暗い(ふん)()()で、歌詞も展開に合わせたものをお願いしたいんです。全てに意味があるような。

 担当者はそのように言った。分かりました頑張ります、渚もそのように答えた。
 直後、玲奈の一報が入ったのだ。
歌詞がまったく思い浮かばなくなりました。物語じゃなく玲奈に(つな)がっちゃう気がして。それがひどく()(きん)(しん)に感じて
 全てに意味があるような。
 意味って? 殺されて山に置いていかれた女の子。死体の状態と彼女の過去が導く真実。それを示唆(しさ)する歌詞を書く。そうすればみんなが喜ぶ。あれにもこれにも意味があるんだと楽しむ。こういうのが好きだと嬉しがる。意味って?
 ものの一週間で耐えられなくなり、依頼は辞退した。
「切り替えて、軽い曲を作ろうとパソコンに向かったけどそれもダメでした。気付けば断った仕事について考えてる。玲奈のことも」
 むりやり(ひね)り出した無関係の曲を一度投稿してはみた。意味深で考察の余地が多分にあって、やはり喜ばれた。(むな)しい。
 そこからずっと、停滞し続けている。
「だから、玲奈の埋められてた場所を見に行きたくなったんです」
 それで何が起こるかは分からない。ただそこに行きさえすれば、きっと何かはあるはずだ。きっと意味があるはずだ。
 身勝手な祈りだった。
 山に入ってみると、軽く()(そう)された山道から分かれるように、踏み固められた横道が一本伸びていた。捜査員が何度も出入りした名残(なごり)だとすれば、この先に遺棄(いき)現場がある。
 疲れていた。
 早く目にして、楽になりたかった。
「それで僕と(はち)()わせして、今に至る」
 しばらく黙っていた男がようやく一言落とし、両手を広げた。
「友達の(かたき)だ。どうしたい?」
「特に何も。玲奈以外どうでもいいし、犯人と相対する可能性も考えてなかったから私も困ってます。睡眠が足りてて元気だったら(なぐ)ってたかもしれないですけど
「君もなんだか楽しい子だな。良くないよ」
 男の腕が下りて、目線が上がる。(がけ)の方。
「あの写真、どうだった?」
「そっちもなんか、実感なかったです」
「やっぱり直に見ないとダメか」
 そうなのかもしれない。でも、もう現場へ行くことなどできない予感もあった。たとえ朝が来ようと。
今、お盆なんですよ」
「うん」
「玲奈も帰ってきてて、私たちに怒ってるんです。自分のことを殺した人と、ろくに相手しなくなったくせに傷心ぶって野次馬に来た友達に」
 口にしてみると、自分の方が大罪人のように響いた。罪悪感だけは立派なものだ。
「だから僕らをここに落としたって?」
「それなら全部に意味が通ります」
 膝を抱えなおして顔を埋める。ちくちく(いた)(がゆ)い。傷口とか色々。
 しばしの静寂が十(じょう)の処刑場を満たした。虫や鳥の声は方々から聞こえるのに、どうしてこうも静かなのか。
「まだ話してないことがあった」
 不意にがさがさと騒がしくなった。見れば、男がリュックサックからビニール袋を取り出している。そこから、今度はぺらぺらしたものを引っ張り出した。
「これ、クリアファイル。『星屑と藻屑』の」
 本当はジュースやお菓子も入ってたんだけど、さすがに賞味期限切れのものまで供えるのは気が引けてそう言って、彼は話を続けた。気の引けどころが毎度ずれている。
「三月にコンビニでキャンペーンをやってた。対象商品を購入すると、クリアファイルが一枚もらえる」
 渚はただ(ぼう)(ぜん)と、それを見つめた。
「自宅まわりの(てん)()はすぐに景品が切れてたから隣町まで来たんだと言ってたよ。やっと手に入ったって喜んでたのに、一緒に埋めずに持ち帰っちゃって悪いことしたなとずっと思ってた」
 無意識に渚の手が伸びていた。彼はすんなりとクリアファイルを渡してくれる。
「曲を目当てに観始めたけど、すっかり本編にもハマったんだそうだ。でも曲を聴いているときが一番嬉しい気持ちになるんだって」
 つるつるの表面にプリントされたキャラクターを指先で()でる。じくじく痛い、どこがかは分からない。
じゃあ玲奈が死んだの、私のせいじゃないですか」
「殺人犯を差し置いてそれを言う?」
「私が曲を作らなかったら玲奈がアニメ観なかったら、あなたと会わなかった」
「人気作だ。曲が違ってたとしても、話題の作品なら彼女は観ていたかもしれない。こういうの好きな子なんでしょう」
 ファイルの端に()が留まる。動けない渚の代わりに節くれだった長めの指でそれを払い、彼は「ごめんね」と(つぶや)いた。
「僕が全部を話しきらないのは不公平な気がしただけで、君にそういう顔をさせるつもりじゃなかった」
 その手指で、いっそ自分の首も()めてくれないかなと思った。願いを込めて男の顔を見る。なのに彼はこっちではなく、どこか遠くへ目をやった。渚の後ろ、上側。
「授業中、よく思うことがある。筆者の気持ちを答えなさいとか、この台詞(せりふ)の意図は何でしょうとか、変な問題だなあって。本人に確認なんかできないし、深く考えず書きましたってこともあるだろうに」
 彼の瞳が動く。考え込むのとはまた違う。
「ただ、あれは生徒の読解力や共感性を養わせるために存在してるんであって、別に正解はどうでもいいはずなんだよ。だから僕はよっぽど社会通念に反してない限り、大体の解答に丸をつけてる」
 そこで視線が渚に戻った。
「だけど今回に限っては本人に『正解』を教えてもらえるかも」
さっきから何の話
「君の答えをまとめると、彼女が殺されたのは僕と君による共犯みたいなものだ。片や警察の目を逃れて(ゆう)(ゆう)と教師人生を送り、片や己の罪を知らずぬけぬけと遺棄現場を見物しに来た。あくまで君の考えでは」
「そう。だと、思いますだから私たちこんなとこに落とされて、もう助けだって来ませんよ。きっと」
「それぐらい憎まれてると?」
「もちろん」
「なら、彼女の方こそ見物しに来るかもね。クズどもが無様にもがく愉快な穴」
 様々な鳴き声の合間に、ざり、という音が混じった。
 初めは遠かったそれが近付いてくる。ざり。ざり。間隔から人の足音のように思えるが、どこから聞こえるのかが分からない。疲れているからか。それとも幽霊の足音はそういうものなのか。まず幽霊に足があるか?
 ざり、ざり、ざり。
 音が大きくなる。高い場所。
 見上げると同時に大きな光が降ってきて、目がくらんだ。
「渚!」
 覚えのある声だったが、懐かしいそれではなかった。もっと直近に聞いた
 光が動いて、ようやく相手の姿を視界に収められた。
 寝間着姿の両親と姉が、崖の上にいた。
「なんで
 渚の呟きに、(あん)()した様子の姉が答える。
「トイレに起きたときに玄関見たら、あんたの(くつ)ないんだもん」
 てっきりコンビニにでも行ったのだと考え、夜食が欲しいとメッセージを送ったのだそうだ。しかし一向に既読がつかず帰っても来ずで、ふと昔のことを思い出したという。そういえば昔、よく山に忍び込んだなと。
「まさか事件あったとこに行かないでしょとは思ったけど、でも玲奈ちゃん絡みだし、だんだん不安になっちゃって」
 両親を叩き起こし、(しん)(せき)にも連絡したうえで探しに来たということらしい。
そちらの方は?」
 ()(げん)な顔をした父が男を見やる。
 どう答えたものか迷って渚は口をつぐんだ。そういえば名前も知らない。こちらの本名はたった今聞かれてしまったのに。
 だが不公平だとは思わなかった。どうせこの後、ニュース記事か事情聴取の際にでも知ることになる。
 男は小さく笑う。懐中電灯よりも強い光を浴びた(ほそ)(おもて)はいくらかすっきりしていて、決して「まいったなあ」という表情ではなかった。そうして横目に渚を見る。
「君の解答には丸をあげられなかった」
はい。まいりました、ほんと」

 玲奈が埋まっていたという場所は、もう普通の土や石や草があるだけだった。
 (ぶつ)(だん)へは昼のうちに手を合わせてきた。クリアファイルも、一応は証拠品だから警察に預けることになる。
 結論、ここで得るものも与えられるものも渚にはない。ただ玲奈が埋められて、見付かった場所。それだけだ。それだけで良かったのだ。
 自身のあれこれにむりやり意味なんて(くく)りつけられたら、玲奈だって、あんまり重たくて変な場所に転げてしまう。
 これくらいは手つかずのままでいい。
「ほら、もう行こ。あんたぼろぼろだよ」
 付き添ってくれた姉に促され、渚は(うなず)いた。
 疲れた。眠い。子守歌めいた、優しくて切ないメロディが頭を流れていく。
 (りょ)(こう)(かばん)に仕事用のノートパソコンを入れてくれば良かったな、と思う。

【おわり】