#2 【111号室のメリーさん】


「ミユに霊感あるってことは、昔からわかってたの。小っちゃい時からそうで、ママの後ろにおじいちゃんの顔が浮かんでんのとか見たし。
 そのせいでね、いろんな幽霊さんがミユのまわりに集まってきちゃうわけ。だからミユが写真撮ると、よく心霊写真になっちゃうんだ。そういうのミユにとっては普通だから、気付かないままSNSに上げちゃうこともあるのね。
 そしたらこの写真は変だ歪んでるって、騒がれたっていうかまあ炎上しちゃったわけ。だって、これは幽霊さんが写ってるんだってどんだけ言っても信じてくれなくて、加工のせいで歪んでんだろって勝手に決めつけてくる人ばっかなんだよ。ミユのことイタい子扱いしてさ。そんで暴言吐いたり、笑ったり、(かぎ)アカから引用したり? 
 別に気にしないけど、バカが発する負のオーラばっかミユが浴びてると、あの子たちにとってもよくない気がするんだよね。ああ、あの子たちっていうのは、ミユのお人形さんたちのこと。あの子たちに囲まれてると、悪い霊が寄ってこないんだ。小学生の頃から今まで、ミユのこと守ってくれてんの。元彼と最悪な別れ方した時も、あの子たちが慰めてくれたからなんとか立ち直れたんだ」

「おまたせいたしました」の声に、あざみはうつむきがちになっていた顔をはっと上げた。
「ブラッドオレンジジュースのお客様?」
「あ、それミユの」
 あざみとジャスミンの目の前に座る、今日の依頼人であるところの女性──ミユがさっと手を上げた。白いブラウスの(そで)にたっぷりと付いたフリルが、かわいらしく揺れる。
 あざみの着ているブラウスにもフリルはついているけれど、総量が全然かなわない。
 ミユのブラウスは、「ブラウスにフリルが付いている」というよりは、「フリルをそのままブラウスに仕立てた」と言った方が正しそうな、いわゆるロリータファッションだ。ブラウスとおそろいの真っ白なスカートはパニエでふくらみ、優雅な曲線を描いている。ストレートの黒髪は、毛先がソファの座面につくほど長かった。
 かなり目立つ格好なのに、よどみなくしゃべり続ける彼女の血の色めいた唇ばかりに目がいって、服の印象はかえって薄い。
 あざみとジャスミンの前にそれぞれメロンソーダとアイスコーヒーが置かれると、ミユが「だからね」とまた話し出そうとしたので、ジャスミンが慌てて制した。
「ええと、お話はだいたいわかりました。つまり、心霊写真が本物だと証明してほしいということですよね」
「そう。さっきも言ったけど、写真に写ってるのはミユのまわりを漂ってる幽霊さんたちだってわかってるの。でも、ミユが言ったんじゃバカな奴らは聞く耳持たないわけ。
 都市伝説解体センターって、ちょっとは有名なんでしょ? BooTubeの動画もけっこう回ってたし。そういう専門機関が『これは心霊写真です』って証明してくれたら、あいつらもちょっとは黙るかなと思って」
 ミユは、唇と同じ色をしたブラッドオレンジジュースを一口飲んだ。飲み物を口に含んでいる間だけは、彼女の口から音楽のように流れ出す言葉が途切れる。
 ミユの言葉には()(じゅん)があると、あざみは気が付いていた。
 さっき「周囲の反応は気にしない」と言っていたけれど、本当にそうなら、こんな依頼は必要ないはずだ。雑音は全部無視すればいい。
『心霊写真の証明』よりも手っ取り早い方法を、あざみはひとまず提案してみることにした。
「あのう、少しの間SNSから離れてみたらどうでしょうか。炎上って、だいたい一時的なものだと思うので」
「え、なにそれ、普通に無理。プラベアカはともかく、店のアカウントもあるから。完全に離れるとかはできないよ」
「お店、というと?」
「ミユのバ先、コンカフェなんだ。キャストがSNSやんのも業務の内なの」
「なるほど、SNS断ちは難しいと
 けれどおそらく、ミユはバイトの件がなくともSNSから離れられなかっただろう。こうして面と向かって話している今も、スマホをテーブルに置き、真っ赤なジェルネイルに彩られた指先でタイムラインをスクロールしている。
「それじゃ、さっそくなんですけど。心霊写真を見せていただけますか」
 あざみはジャスミンをちらりと見た。ジャスミンは「言いたいことはわかる」とでもいうように、小さくうなずく。
 ミユの「心霊写真」は、メールで依頼を受注した際、すでに一部を送ってもらっていた。
 それらの写真は、心霊写真といわれてあざみが想像するようなものからかけ離れていた。
 写真はすべて自撮りだった。不気味な(ふん)()()もなく、カフェやテーマパークなど、日常的な場所で撮影されている。
 どれも取り立てて特徴のない写真だったが、()いて挙げるなら、加工が強いことはどの写真にも共通していた。ミユの両目はやけに大きく強調され、あごは(けず)られ、肌の色は生気が感じられないほど漂白されている。
 だけどそんな加工は別に珍しいわけじゃない。SNS上にいくらでも投稿されている。
 あざみはまちがい探しでもするように、写真を拡大したり引っくり返してみたりしたが、写り込んだ幽霊を見つけることはできなかった。キラキラしたエフェクトは、前にセンター長から講義を受けたエクトプラズムに似ている気がした。けれどこれも加工の一種で、心霊写真とは関係ないだろう。
 ミユはリボンのパーツでデコられたスマホをあざみたちに向けた。
「これが一番わかりやすいかも。はっきり見えるから」
 その一枚は、どうやら自宅で撮られたものらしかった。球体関節人形を抱いたミユが、ロココな部屋に座っている。奥に映る(たな)にも、何体もの人形が並んでいるのが見えた。小さくしか映っていないが、どの人形もかわいらしい衣装とポーズで飾られており、ミユに大事にされているらしいのが伝わった。
 あざみは隅から隅まで、映り込んだほこり一つ見落とさないくらいに両目を見開き、写真を凝視した。
 それでもやっぱり、「霊」はどこにも見当たらない。
 助けを求めるようにジャスミンを見ても、あざみと同じでお手上げらしかった。
 奥の手として、さりげなくメガネをかけてみる。
 すると、棚の前に立つ男性らしき影がぼんやりと見えた。けれど影はスーツを着ているようで、あんまり幽霊っぽくない。おまけにメガネをかけないと見えないのなら、普通の人にこの男性は見えないはずだ。たぶん、過去にミユの部屋を訪れただけの人だろう。彼氏かもしれないし、兄弟かもしれない。
 あざみは観念して、ミユに直接質問してみることにした。
「あの、ミユさん。これって、どのあたりが心霊写真なんでしょうか」
「うそ、わかんないの? 本職なんだからしっかりしてよ。ネットの自称専門家とは違うってとこ見せてよね」
 文句を言いながらも、「ほらここ」とミユは自分の顔の横に映り込んだレースのカーテンを指差した。
「これ、形が歪んでるでしょ」
 カーテンは、ミユの言う通りねじくれて写っていた。風にそよいだだけなら、絶対にこんな形にはならない。
 たしかに写真の一部だけ歪んでいる様は、不気味といえば不気味だ。
 ひと昔前なら、この写真は心霊写真だと認定されただろう。
 だけど今は、ひと昔前ではない。現代を生きるあざみとジャスミンには、カーテンの歪みが心霊現象とはとても思えなかった。
 これは単に、顔を加工した影響で、背景まで一緒に歪んでしまうだけの現象だ。
「でも、あの、この歪みって」
 あざみが口ごもると、ミユの視線が鋭くなった。
「え、なに? もしかしてセンターの人まで、加工のしすぎだとかいうわけ? だとしたらがっかりだわ。なんのために金出して依頼したと思ってるの? どう見ても、ミユの写真はそういうのとは違うじゃん」
 話している内に興奮してきたのか、ミユのチークを塗っていない白い(ほお)が紅潮する。
「いえ、まだこれだけでは判断できません。こういった写真が撮られるようになったのはいつ頃からか、覚えてますか。たとえば幼少期の写真はどうだったかとか」
 ジャスミンがたずねると、ミユは面白くなさそうに唇を()んだ。
わかんない。ミユ、過去のこととかってあんまり覚えてないから」
「そうですか、わかりました。ちょっとこの件は、あたしたちの手に余るようです。一度持ち帰って、センター長に相談させてもらってもかまわないでしょうか」
「センター長? センター長ってあの、TKCチャンネルに出てる人だよね。だったら最初っからあの人が来ればよかったじゃん」
「すみません。センター長は足が悪いので
「あ、そうなの? まあいいや。トップの人に鑑定してもらえるなら、安心かもだし」
「ありがとうございます。鑑定が終わり次第、またこちらからご連絡します。とりあえず、今日は契約書にサインだけいただけますか」
「えー、オカルト絡みでも契約書とかあるんだ。変なの」
「お支払いにも関係することですので。ご一読の上、署名をお願いします」
 ミユは明らかに読んでいないスピードで契約書をぱらぱらめくると、名前を書いた。
 失礼な感想だけど、イメージに反してとても()(れい)な字だった。
「これでいい? なるべく早く連絡してよね」
「はい、ご(そく)(ろう)いただいたのにすみません。センター長にはよく伝えておきます」
 ミユが行ってしまうと、あざみとジャスミンは顔を見合わせた。
さて、どうしたもんかね」



 カフェを出て、あざみとジャスミンは車を停めたコインパーキングに向かって歩いていた。
 昼間は晴れていたのに、夜空にはどんよりと雨雲が立ち込めている。今にも一雨きそうな雰囲気だ。
「あー、なんか疲れたわ。あの人が幽霊連れてるっていうのも、あながち嘘じゃないかも。人の生気吸うタイプの精霊とか()いてんじゃないの」
「でも、あの写真はどう見ても心霊写真じゃないです」
「あざみー、メガネかけてみたでしょ。何も見えなかった?」
「ダメでした。普通の人間っぽい影が見えるだけで」
「じゃあやっぱり、ただの加工でできた歪みだよねえ。あんなの心霊写真認定したら、オカルトマニアどころか素人(しろうと)にも笑われるよ」
「だけどミユさんにそう伝えても、納得してもらえないですよね。どうしたらいいんでしょうか
「センター長任せでいいんじゃないの。あの人ならうまいことおさめるでしょ」
「でも私、あの写真そのものよりも、ミユさん本人がちょっと心配なんです。強がってましたけど、SNSでトラブルにあって混乱しているみたいでしたし。私もそういうのには、美桜(みお)の件で覚えがありますし
「あのねえ、あざみー」
 ジャスミンがくるりと振り返った。
「依頼人に深入りしない方がいいと思うけど。あたしらは怪異を調査するのが仕事で、人間のケアはサポート外。冷たく聞こえるかもだけど、割り切らないときりないって」
「そうですよね。すみません」
「謝んないでいいって。あたしは依頼人より、あざみーが心配なだけ。頑張りすぎは体によくないからさ」
 ジャスミンがそう言ったところで、雨粒が頬を打った。
「げ。降ってきた」
 パーキングまで、もうしばらく距離がある。あざみたちは早足になったが、それを追いこすように、あっという間に()(しゃ)()りになった。
「今日、雨降るって予報出てましたっけ⁉」
「聞いてない! 最悪!」
 二人はずぶ濡れになりながら車に駆け込んだ。雨に打たれたのはものの一、二分だったのに、髪の毛から水がしたたり落ちてくる。ジャスミンのお団子もやや崩れかけていた。
「あーもう! ついてない」
 ジャスミンは車内に置いていたらしいタオルをあざみに放った。
「あ、ありがとうございます」
 そうしている間にも、雨はますます強くなっていく。パーキング前の道路を、男子高校生たちが「ガチやばいって!」と叫びながらコンビニへ走り込んでいった。
「ミユさん、濡れなかったでしょうか」
「あの服、濡れたら大変そうだよね。どうやって(せん)(たく)すんだろ」
 ジャスミンが言い終えると同時に、あざみはくしゃみをした。
「とりあえず、シャワー浴びないとやってらんないわ。このままじゃ風邪(かぜ)ひくし」
「はい。それじゃあ、今日は解散ですね」
 いや、あのさ、とジャスミンが頬をかく。
「あたしの家、こっから近いんだわ。よかったらシャワーくらい貸すけど」
 あざみは目を丸くしてジャスミンを見た。
「雨の中帰るのダルかったら、泊まってってもいいし。どうする?」
「それってお泊まり会ってことですか⁉」
「お泊まり会? 会かは知らないけど、まあ泊まりではあるね」
「やったー! お泊まり会! 私、友達の家にお泊まりするのが夢だったんです!」
「別にそんな楽しいもんじゃないと思うけど。じゃ、とりあえず行こうか」
「ありがとうございます! お邪魔します!」
 あざみがシートベルトを締めると車は発進し、パーキングを出た。
 雨はフロントガラスを強く叩き続けている。



「あざみー、着いたよ」
 ジャスミンの声に、はっと目を覚ました。
 ワイパーの反復運動を眺めている内に、寝入ってしまっていたらしい。
 車内のデジタル時計は十九時過ぎを示している。
「すみません、私ばっかり寝ちゃって
「いいよ別に。早く部屋行こ」
 ジャスミンの住むマンションの駐車場は、残念ながら屋外タイプだった。
 したがって、車を降りたら強雨の中を全力疾走するしかない。
 あざみは傘代わりに、背負っていた(かばん)を頭上に(かか)げた。
「あざみー、こっち!」
 すべって転ばないように気を付けながら、ジャスミンの背中を追う。
 エントランスの明かりがだんだんと近付いてきて、その中へ走り込んだ。
 ジャスミンが慣れた手つきで暗証番号を入力すると、オートロックが開く。
「す、素敵なお住まいですね」
 マンションは、あざみが想像していたよりずっと綺麗だった。以前に訪れた()(みず)(えい)()の住居のようにいかにも高級というわけではないけれど、()(ねずみ)の状態で侵入するのが申し訳なくなるくらいエントランスは(そう)()が行き届いているし、オートロックだって付いている。普段のジャスミンのイメージからすると、「家って別に帰って寝るだけだから」と二階建ての木造アパートに住んでいても不思議はなかったので、この住まいは意外だった。
 ジャスミンは集合郵便受けを確認しに行ったが、(から)だったらしい。手ぶらのまま戻ってきてエレベーターに向かった。
 ちょうど降りてきたケージから、二十代くらいの若い男の人が出てくる。Tシャツにジャケットのありがちな格好だけれど、背が高くて様になっていた。なんだか大きな袋を小脇に抱えている。
「わ。どうしたんすかそれ」
 ずぶ濡れのジャスミンを見て、彼はそう言った。どうやら顔見知りらしい。
「急に降ってきたんだよ。今からそんな大荷物持って出かけんの? 外、雨やばいけど」
「そんなにっすか。まあでも、早めに行っとかないとなんで」
 それじゃあ、と男性は()(しゃく)をして去っていった。
 男性と入れ替わりにエレベーターに乗り込み、ジャスミンが「11」のボタンを押す。階数表示からして、このマンションは十八階まであるらしい。
「さっきの人、お隣さんですか?」
「いや、同じ階の人。引っ越してきた日に(ろう)()で話しかけられて、それから(あい)(さつ)くらいはするかな。あたしは二か月くらい前からここ住んでるんだけど、あっちはその一週間前に越してきたんだって」
「ジャスミンさん、お引っ越しされてたんですね」
「うん。前の家、センターから遠くてさ。物件探してたら、今の部屋が相場よりかなり安く出てるの見つけたから」
「え⁉ あ、あの、それって!」
 あざみの脳内に、「事故物件」「前の住人が〇〇」などの不穏ワードが点滅する。
「いや違うって、訳あり物件とかじゃないから。相場より安いのは、日当たりの問題とか、デッドスペースが多めとか、そういう地味な理由が積み重なってるだけ」
「なんだ、そうだったんですか」
 あざみは(あん)()の息を吐き出した。
「怪異だの心霊だのは、センターの仕事でたくさん。家にまでそんなの出たら、心休まるヒマないよ」
 わずかな揺れもなく、エレベーターは十一階で停まった。
「11」のボタンに点灯していた明かりがふっと消え、ケージの扉が開く。
 まっすぐ伸びた外廊下の右側に、部屋の扉がずらりと並んでいた。一番手前が118号室なので、一フロアにつき八室あるのだろう。あざみは濡れないよう、できるだけ右に寄って歩いた。
まー、だったんね」
「え?」
 ジャスミンが何かつぶやいた気がしたが、雨音に(まぎ)れてよく聞こえなかった。
「ジャスミンさん、今何か言いました?」
「いや? なんにも」
そうですか?」
 ジャスミンがそう言うなら、これ以上きいても仕方ない。
 あざみが首を(かし)げている間にも、ジャスミンは先に立って行ってしまう。
 ジャスミンのパーカーのフードからしたたる水滴が、廊下にぽつぽつと染みを作るのを、あざみは追いかけた。
 防音がよほどしっかりしているのか、耳に届くのは雨音ばかりで、廊下はしんと静まり返っている。まるで十一階には、誰も住んでないみたいだ。あざみがそう言うと、「このフロア満室だよ」と答えが返ってきた。
 ジャスミンは廊下の一番奥、角部屋の前で立ち止まる。
「111」とゾロ目の部屋番号プレートが扉に取り付けられていた。
「ここがあたしの部屋ね。あんま綺麗じゃなくて悪いけど」
「お、お邪魔します!」
 部屋は1LDKの間取りだった。物が少ないせいもあってそう見えるのか、一人暮らしにはだいぶゆったりした空間だ。しかしジャスミンが言っていた通り、部屋の隅に奇妙な(おう)(がた)のデッドスペースがあった。そこに引っ越し時から開封していないと(おぼ)しきダンボール箱が重ねて押し込まれている。ラックを置くにも微妙な幅のスペースだし、案外今のダンボール箱積み重ね状態が、収納力は一番高いのかもしれない。
「そうだ、洗濯物干してたんだった。あーマジでだる、全部洗い直しじゃん」
 ジャスミンがベランダに出ていったので、あざみも手伝おうと後を追った。
 ベランダには、悲しげに濡れそぼった洗濯物が並んでいる。最近のマンションらしく、高い位置ではなく手すりの下部に物干しが設置されたタイプだ。これなら外から洗濯物が見えなくて防犯的には安心かもしれないが、低い位置に干されたシャツやパーカーは水を吸ってハンガーからずり落ち、(すそ)が床に付いてしまっていた。
「あざみー、こっちはやっとくから。先にシャワー使ってて」
「え? いえ、ジャスミンさんの家ですし、ジャスミンさんがお先に」
「あたし、これからもっかい洗濯機回さないといけないし。タオルと着替えは脱衣所に、洗顔とかシャンプーはお風呂の中にあるから適当に使って」
 そうしてあざみはジャスミンに背を押され、バスルームに押し込まれた。

 体が温まると、やっと人心地ついた。
 今はジャスミンがシャワーを浴びにいっている。
 あざみはジャスミンに借りただぼだぼのTシャツにショートパンツ姿で、洗濯機の回る音を聞きながらSNSを眺めていた。
 ジャスミンには深入りするなと言われたけれど、やっぱり気になったので、ミユのアカウントを確認していたのだ。
 ミユのポストは、ロリータ服を着た自撮りや人形の写真がほとんどだった。
 心霊写真の話は、どうやら自撮り写真の背景の歪みを指摘され、『加工しすぎw』とリプを付けられたことから始まったらしい。それにミユが「これは加工じゃなくて幽霊さんが写り込んだ結果です。いつも誤解されて困ってます」という意味のことを百倍くらい強くした言葉で反論したせいで、発言を切り取られ「自称霊感女の()(こう)(ちゅう)」として(さら)され、炎上に発展したみたいだった。過去の写真も掘り返され、一時は職場のコンカフェに冷やかし目的で押しかける人までいたらしい。
 だからミユは、自分の写真が心霊写真だというお(すみ)()きを求めて都市伝説解体センターを頼ったのだ。専門機関(?)に証明してもらうことで、自分を笑った人たちを見返したいんだろう。
 あざみは思わずため息を吐き出した。
「センター長に相談する」なんて言って今日は逃げてしまったけれど、この依頼をどう解決したらいいのか、見当もつかない。
 あざみは一旦頭を休ませようと、ミユのアカウントから離れ、ほかの話題に目を移した。
『雨やば。すげー音する』
『せめて予報しといてよー』
『家の前が川みたいになってて怖い』
 突然の大雨へのポストが多く流れていく。
 その一方で、同じ都内でもまったく降っていない地域もあるみたいだ。というか、雨が降った範囲の方が狭かったらしい。隣の区で(もよお)されたイベントの写真に写る人たちは、雨に濡れた様子なんかこれっぽっちもない。
 こっちはまだこんなに降ってるのに、と窓の外に目をやったところで、バスルームの扉が開く音がした。
「おまたせ~」
 バスルームから出てきたジャスミンは、いつもは二つのお団子にまとめている髪を下ろしている。シャワーを浴びたのだから当然なのだけれど、初めて見る姿になんだかそわそわした。
「ジャスミンさんて、本当は髪長かったんですね!」
「本当はってなんだ。普段もまとめてるだけで長いんだってば」
 ジャスミンは豪快にわしわしと髪の毛を拭いた。毛先の傷みはあまり気にしないタイプらしい。
「んじゃ髪乾かしてくるわ。しばらくドライヤーうるさいけど勘弁して」
「あ! 待ってください!」
 あざみは洗面所に引っ込もうとしたジャスミンを捕まえた。
「実はですね、私! 友達の家にお泊まりしたら、髪を乾かしてあげるのも夢だったんです!」
「あざみーの夢、いくつあるんだいったい」
「えっと、友達の家に泊まったら、お気に入りのパジャマを着て、一緒にピザとポップコーンと(いも)けんぴを食べながら映画を見て、ボードゲームとかもしたいですし、あ、あと、好きな人の話をしたり!」
「もりだくさんだなあ。寝るヒマなさそう」
「だって漫画とかによくあるじゃないですか、そういうシーン!」
「よくわかんないけど、髪乾かすくらいで夢が叶うならお安い御用よ」
 ジャスミンはドライヤーを持ってくると、ソファにいるあざみの膝に頭を預けるようにしてフローリングに腰を下ろした。
「じゃ、よろしく」
「はい!」
 あざみはわくわくしながらスイッチを入れた。
 吹き出した熱風にジャスミンの髪がなびいて、あざみの手の上をすべる。当たり前だけど、さっき借りたのと同じシャンプーの香りが広がった。オレンジと、かすかなベルガモットが鼻をくすぐる。さわやかでジャスミンらしい香りだ。
「ジャスミンさん! 今、私の夢叶ってますよ!」
「そりゃよかった」
 ジャスミンは反り返るようにしてあざみの顔を見上げる。
「てかさ、『友達の家にお泊まりしたら髪乾かしてあげたい』ってことは、あたしってあざみーの友達?」
「あ! それは言葉の(あや)といいますか! せ、先輩! 先輩です!」
 よろしい、とジャスミンは笑った。
 サイドの髪を乾かしにかかると、ジャスミンの耳がよく見えた。左右の耳たぶに三個ずつ、合計六個穴が()いている。
「ジャスミンさんて、ピアスの穴たくさん空けてますよね。痛くなかったですか」
「耳たぶだし、バチっとなるだけで別に痛かないよ。あざみーも空けたい?」
「い、いえ! 私は(えん)(りょ)しておきます!」
 バチっとなるって、つまり痛いってことじゃないだろうか。想像しただけであざみは体がすくんだ。
「それに、ピアスって有名な都市伝説があるじゃないですか」
「空けた穴から白い糸が出てきてってやつ? 六個も穴空けたけど、一回も見たことないわ。あれは百パー嘘」
「そ、そうですよね。センターに来る依頼はともかく、身近に都市伝説めいたことなんかそうそう転がってないですよね!」
 一瞬、不自然な沈黙があった。
 あざみは思わずドライヤーを切った。
「ジャスミンさん?」
「うん、そうだよ。あざみーの言う通り。都市伝説なんか身近にあるわけない。あるわけないんだよね」
「あの、どうかしたんですか?」
 ピン、ポーン。
 その時、インターホンが鳴った。
 しかしジャスミンは立ち上がる様子がない。床にぺたんと座り込んだままだ。
あざみー。悪いんだけど、出てもらっていい?」
 声は硬く、どこかノーとは言わせない響きがあった。
「あ、はい。わかりました」
 立ち上がってインターホンへ向かうわずかな間に、違和感が胸の中でむくむくとふくらんでいく。
 なんだろう。何かが変な気がする。
 ともかく今は応答しないと、とボタンを押した。
「はい、もしもし」
 一瞬の後、インターホンのカメラが起動した。
 しかしそこには誰も映っていない。
 カメラは無人のエントランスだけを捉えている。
「え、あれ? もしもーし?」
 呼びかけても返事がない。
 もしかして故障だろうか。今日の大雨が機械に入り込んだとか? 
 だけどインターホンもカメラも、エントランス内に設置されていたはずだ。
 何度呼んでも返答がないので、仕方なくあざみは通話を終了した。
「誰もいませんでした。誤作動ですかね?」
 振り返ると、乾きかけの髪を垂らしたジャスミンがすぐ後ろに立っていた。
「わ、びっくりした! 気配ゼロで背後に立たないでください!」
 ジャスミンの顔面からは、色も表情も失せていた。シャワーを浴びてすっきりしたはずなのに、雨に打たれた直後と同じか、それ以上に冴えない顔色だ。
「ジャスミンさん、さっきから変ですよ。どうしたんですか?」
あのさ。ちょっと見てほしいもの、あって」
 違和感はついに、嫌な予感に姿を変えた。
 しかし「いえ、見ません!」と拒否できるわけもなく、あざみはジャスミンが手招くままついていった。
 デッドスペースに積まれたダンボール箱の(すき)()からジャスミンが引っ張り出してきたのは、薄い紙束だった。くしゃくしゃだったり折り目がついたりした、何の変哲もないコピー用紙だ。
「それは?」
 あざみの問いには答えず、ジャスミンはテーブルの上に一枚ずつ、無言で並べ始めた。
 紙は全部で十枚あった。
 その一枚一枚に、1から10までの数字が番号札のように書かれている。
 数字以外に文字が添えられた紙も見えた。
 丸っこく(くせ)のある字で、「3」には『まだとおい』、「5」には『ここまできたよ』、「7」には『まちきれない』。
 あざみは紙から顔を上げて、ジャスミンを見る。
 ジャスミンは下を向いており、目を合わせてくれなかった。
「ここんとこ毎日ね、それが郵便受けに入ってたんだ。一枚ずつ」
 ジャスミンの指が「1」の紙を指し、「2」「3」と番号順に移動していく。
「それで昨日入ってたのがこれ」
 指差されたのは「10」。
 添えられた文章は──『あしたあえるね』。
「待ってください。昨日の時点で『あした』ってことは、それってつまり」
 ジャスミンがこくりと小さくうなずく。
「今日ってことですよね⁉ え、それじゃあ、さっきのチャイムって!」
 あざみは思わずインターホンを振り返った。
 しかしそれは不気味に沈黙している。
「どどどど、どういうことなんですか⁉」
 ジャスミンは沈むようにソファに座った。あざみもその体を支えるように、隣にすべり込む。
「あたしも全然心当たりないし、意味わかんないのよ。『1』の時とか、誰かゴミ入れたのかなって思ったくらい。でも何日も連続して数字の紙入ってて、さすがに
「これって、だんだん階数を上がってきてるってことですよね? ジャスミンさんの部屋がある十一階まで」
「やっぱりそう思う? ははは、いたずらにしては手がこんでるわ」
 ジャスミンは笑ってみせたけれど、声には力がなかった。
「きょ、今日は何か郵便受けに入ってましたか?」
「いや。さっき確認したけど(から)だった」
 短い沈黙が二人の間に流れる。
「あの、通報は、しましたか」
「してないよ。だって入ってんのって数字書いてある紙だけよ? 文章にしても(きょう)(はく)ってわけじゃないし、警察沙汰(ざた)にするようなことじゃないでしょ」
 ジャスミンはがしがしと頭をかいた。
「とりあえず管理会社には連絡して、監視カメラ確認してもらったの。でも郵便受け周りも入り口の監視カメラにも、不審な人物は映ってないって言われたわ」
「それじゃあ、同じマンション住人のいたずらでしょうか? ジャスミンさん、誰かの恨みを買った覚えはありませんか」
「ないって! 二か月前に越してきたばっかりなのに、そんな爆速でご近所トラブル起こさないから」
「でも、外部の不審者でもマンション住人でもないとすると、それって、あの」
 あざみは人差し指を向かい合わせ、くるくると回した。
人間以外の何かがいるってことに、なっちゃいませんか」
「ストップ、無理、やめて、それはない。いやあたしだって、その可能性を考えなかったわけじゃないわけ。一応センター職員だし。でも幽霊だったら、もっとそれっぽい方法をとるはずじゃない? 電話かけたり、部屋に現れたりとかさ。それをしないで手紙だけって、なんか妙に人間っぽいっていうか。そもそも幽霊って、紙みたいに物理的なもの触れんのかって考えたら、やっぱり人間の犯人がいるはずって結論があたしの中で出てうん、絶対そう。間違いない。やっぱ幽霊関係ない」
 口では言い切っているのに、ジャスミンの目は焦点が合っていない。
ジャスミンさん」
 あざみが低い声を出すと、ジャスミンはいつものような「おー」「なに?」ではなく、神妙な(おも)()ちで「はい」と返事をした。
「変だなあとは思ってたんですよ。廊下で何か言いかけてたのも、さっきインターホンに私を出させたのも、急におうちに呼んでくれたのも」
はい」
「つまり、もし幽霊が出た時に一人だと怖いから、私を家に連れてきておいたってことですか⁉」
 ごめん、とジャスミンは両手を合わせて頭を下げた。
「この件に幽霊は関係ないんだけど、でも万一ってことはあるじゃん?」
「謝ってもダメですよ! ジャスミンさんがお家に誘ってくれた、念願のお泊まり会だ、わ~いって喜んだ私の純粋な気持ちを返してください!」
「ごめんって。あざみーがお泊まり会にそこまで夢見てるとは思わなくてさ。こういう時に頼れる相手って、あざみーしか思いつかなくて」
「あざみーしか」というセリフが、あざみの耳をぴくりと動かす。
「いや、あざみーが怒るのも当然だわ。こんな時ばっかり呼ばれたくないよね、いくらあざみーの力が必要でも。頼れる後輩だからって、寄りかかりすぎだったわ。先輩なんだし、あたし一人でなんとかしなきゃダメだよね」
「あざみー(の力)が必要」「頼れる後輩」。言葉が悪魔のように耳の穴にすべりこむ。
そうは言ってないです!」
 あざみは思わずジャスミンの手をがっと握った。握ってしまった。
「人間にしろ幽霊にしろ、こんな悪質ないたずらをする誰かが部屋に来ちゃうかもしれない日に、ジャスミンさんを一人にしたくないです! 呼んでくれてよかったですよ、私を!」
 あざみー! とジャスミンはあざみとつないだ手を上下に振った。
「マジありがと。超頼りになる。さっすが世界一頼れる後輩」
「本当ですか? えへへ
 なんだかうまいこと誘導されてしまった感もあるけれど、こうまで言われたら悪い気はしない。
「人間相手だったらさ、あたし一人で余裕なんだけど。強く()りゃいいだけだから」
 たしかにジャスミンの蹴りは強力だけど、加減を間違えると()(じょう)防衛で捕まりかねない。
 相手が人間でも幽霊でも、あざみが側にいた方がいいだろう。
「なんにしろ、『あしたあえるね』ってことは、今夜だけ無事に乗り切ればいいんですよね。それに本当にまずい事態になったら、センター長さんが電話をかけてきてくれますから! まだかかってきてないってことは、今のところ差し迫った危険はないはずです。一晩二人で頑張りましょう、ジャスミンさん!」
 あざみが声高くそう宣言した瞬間、チャイムがもう一度鳴った。
 ひ、と思わず(のど)が鳴る。
 あざみとジャスミンは、どちらからともなく身を寄せ合った。
「ジャ、ジャスミンさん」
「あざみーはここにいて。あたしが行く」
「い、一緒に出ましょう!」
 あざみはジャスミンの背中にくっ付いて、インターホンの前までそろそろと歩いていった。
出るよ」
はい」
 ジャスミンが通話のボタンを押す。
 すると、今度はカメラに人影が映った。
『こんばんはー、お荷物のお届けにあがりました』
 エントランスに立っているのは、ダンボール箱を抱えた人だった。
 ()(ぶか)にかぶったキャップに、深緑と黄色のボーダー柄ポロシャツ、軍手とマスク。
 どこからどう見ても運送会社の人だ。
 あざみの肩から力が抜ける。
 ジャスミンも同じだったようで、はあっと息を吐き出した。
「こんな大雨の日にすいません、今開けます。荷物は部屋の前に置いといてくれたら大丈夫なんで」
 ジャスミンがボタンを操作し、オートロックの鍵を開ける。
『了解です、ありがとうございまーす』と元気のいい声を残して、通話は切れた。
 ジャスミンの背中に貼り付いたままだったあざみは、ようやく体を離した。
 振り返ったジャスミンと目が合って、思わず二人で笑ってしまう。
「びっっっくりしましたね
「いやマジで、なんでこのタイミングで来るかなあ。でも案外、このまま何もない気もしてきた。さっきの無言チャイムで、いたずらは終わりだったんじゃないかなーって」
「そうだといいんですけど」
「いや、たぶんそう。絶対そう」
「じゃあ今からでも、お泊まり会再開できますか?」
「できるできる」
 部屋の中に、なんとなくまのびした空気が流れる。
「あざみー、お泊まり会でピザ食べるの夢だったんでしょ。今から頼む?」
「え、本当ですか! 頼みたいです!」
 あざみはさっそくピザ屋のサイトを開き、メニューを眺め始めた。
「ジャスミンさんはどれがいいですか? 焼肉好きですし、やっぱりお肉のやつですか!」
「焼肉とピザにのっかってる肉はもはや別物でしょ。あざみーが食べたいやつ選んで」
 どれでもいいと言われると、目移りしてしまう。サラミの載ったのもおいしそうだし、明太じゃがも、四種の(ぜい)(たく)チーズも食べてみたい。
 ジャスミンはあれこれと迷うあざみをしばらく眺めていたが、やがて立ち上がった。
「好きなだけ悩みな。あたし、届いた荷物回収してくるから」
 あざみが幸せな悩みで頭を抱えている間に、ジャスミンは小さなダンボール箱を抱えて戻ってきた。
「ちょっと待ってください。メガ盛りマックスミートかシーフード(きわ)みスペシャルのどっちかまで(しぼ)ったので、あとは二択
 言いかけて、あざみは口ごもった。
 またしてもジャスミンの顔が、さっきと同じか、それよりももっと暗く曇っていたのだ。
「ど、どうしましたか」
「これ」
 ジャスミンは持ち帰ったダンボール箱をあざみに見せた。
伝票貼ってないんだよね」
「え」
 部屋の中の空気が、またしても張りつめる。
 宅配便なら、専用の伝票が必ず貼ってあるはずだ。そもそも送り先も依頼主もわからない荷物なんか、業者が運んでくれるはずがない。
「じゃあ、この荷物って
 ジャスミンは無言で箱を開けにかかった。
「だ、大丈夫ですか? 無闇に開けない方がいいのでは」
「開けないままにしたら、もっと気持ち悪いって!」
 たしかにそれはそうだ。そのままごみに出すにしても、回収日までは家に置いておかないといけない。
 ジャスミンがびりびりとテープをはがしていくのを、あざみは(かた)()をのんで見守った。
 開いた箱を、二人揃って(のぞ)き込む。
 はたしてそこには、ダンボール箱の底に貼りつくように一枚の紙が入っていた。
 書かれた数字は、「11」。
 添えられた言葉は──『いまいくね』。
 その時、ドン、と扉が鳴った。
 思わず、あざみとジャスミンは玄関を振り返る。
 ドンドン、と今度は二回。
 ジャスミンさん、と名前を呼ぼうとしたのに、声は声にならならず、ただ喉が引きつっただけに終わった。
 一瞬の静寂を挟んで、さらに強く扉が叩かれる。
 ドンドンドン
 扉を叩く誰かが(しび)れを切らしたように、扉は(かん)(げき)なく打ち鳴らされ始める。
 ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドドンドンドンドンドンドンド
 あざみは耳をふさいだ。けれど(てのひら)を貫通して、音は()(がい)に響く。
 逃げ場がない。音はまるであざみの脳を揺さぶるかのようだ。
「だ、だれ⁉」
 声を振り絞って叫ぶと、音が止んだ。
 一秒、二秒、と静寂がのろのろと過ぎていく。
「行った?」
 息を吐き出したのも(つか)()、今度は高い声が聞こえてきた。
 女の子の声だ。
 語尾が上がり、こちらに何か問いかけている。
るんでしょ?』
 あざみは耳から手を離し、ジャスミンにすがりついた。
『そこに、いるんでしょ?』
 ガチャガチャとドアノブが鳴らされる。
『あけて、ねえ、あけて』
 もう嫌だ、逃げたい。誰かたすけて。
 そう念じた時、あざみのスマホが特徴的な音色で鳴った。
「セ、センター長さんだ⁉」
「あざみー、出て! センター長ならなんかわかるかも!」
「ははい!」
『ピンチのようですね、あざみさん』
 センター長の息遣いを耳元に感じた途端、(あん)()で泣きそうになった。
「電話してる場合じゃないくらいピンチですよ! センター長さん!」
『そうおびえなくとも大丈夫ですよ』
 女の子の声に混じって、ダンダンダン、とまた扉が打ち鳴らされ始める。
「これでおびえるなっていう方が無理です!」
『落ち着いてください。まずは、現在扉を叩いている怪異の特定といきましょうか』
「急ぎめでお願いします!」
『あざみさんの望みとあれば、仕方ありませんね』
 すうと息を吸う音が聞こえたかと思うと、呪文のようにセンター長の声が流れ出した。
『毎日、自分の居場所を知らせるように郵便受けに入れられる一枚の紙。しかもそれはだんだんとジャスミンの部屋に迫っていることを示しています。字を使って文章をしたためていることから、言語を解さない怪異は除外されるでしょう。ひらがなのみで構成された文章を書くため、おそらく大人のそれでもない。以上の特徴は、今回の怪異があまりにも有名な一つの都市伝説の亜種であることを示しているように思われてなりません。亜種の存在を許せば、都市伝説そのものが揺らいでしまうという批判もあるでしょう。しかしそういった批判を口にされる方には、都市伝説の成り立ちを思い出していただきたいものです。都市伝説は人々の(うわさ)によって命を吹き込まれる。本来的に語り手や時代によって姿を変えるものなのです。代表的な例としては、タクシー幽霊が挙げられるでしょうか。タクシーの運転手が深夜に女性を乗せる、しかししばらく走って振り返ると、そこには濡れたシートがあるばかりで誰もいないという怪談です。しかしこの怪談はタクシーが普及するまでは、人力車にまつわる話であったと言われています。時代の(へん)(せん)によって人力車が姿を消しても、怪談は消えず、タクシーという新たな(ばい)(かい)を見つけて乗り移った。実に(たくま)しいものだとは思いませんか? また、(くち)()(おんな)やトイレの(はな)()さんを撃退する呪文一つとっても、様々なバリエーションが存在します。こうした例を考えれば、種々の都市伝説に枝葉の微妙に違う亜種が存在するのはむしろ宿命であって──』
「センター長さん! 今その話はいいです! 早く! そっちにも聞こえてますよね⁉ 扉がガンガン叩かれてて、女の子の声まで!」
『おや、すみません。つい熱が入ってしまいました。さて、今回の怪異に(けん)(ちょ)な要素は「だんだん近付いてくる」「接近を相手に知らせてくる」ことでしょう。
 二つの条件に当てはまる都市伝説はなんでしょうか。有名なので、あざみさんも聞いたことくらいはあると思いますよ』
「だんだん近付いてくるえっと、ええと
 喉元まで出かかっているのに、扉を叩く音に頭がかき乱されて、あと一歩のところで思い出せない。
『仕方ありませんね、お困りのようなのでヒントです。「今、あなたの後ろにいるの」がキラーフレーズの怪異といえばわかりますか?』
あ!」

 あざみの(のう)()に、地下四階の薄暗い空間で、今と同じように早口で都市伝説の(こう)(しゃく)を垂れるセンター長の姿が思い浮かんだ。
 あの時、センター長は一体のビスクドールをデスクに載せていた。
『彼女はひとりでに動き、しかもターゲットのお宅を訪れるというんですよ。訪問前には、(りち)()に電話をかけたりもするんです。それも一度ではなく、二度、三度と。「今、交差点の前にいるの」「今、玄関にいるの」「今、あなたの後ろにいるの」──といった具合に。ですがそういう()(ちょう)(めん)さが元の持ち主には嫌われてしまったようで、こうして私が引き取ったというわけです。すっかり()りてしまったのか、残念ながら私は電話をもらったことがありませんが』
 センター長の掌が、人形の頭を()でる。
『さて、そんな彼女の名前は──』

「メリーさん! メリーさんです! 扉の外にいるのは、メリーさん!」
『Excellent! そう、今回の怪異はかの有名な「メリーさん」の亜種と言えるでしょう。電話ではなく手紙を用いている点で、本流とはいきませんが。さて、これで特定は済みました。しかし解体へと進むにはまだ情報が足りません。あざみさん、ジャスミン。調査を頼みますよ』
「調査⁉ と、ということは
『今扉を叩いている怪異を()らえ、その正体を明らかにしてください』
「捕まえる? 物理的すぎませんか⁉ ジャスミンさんもセンター長さんになんとか言ってください!」
 あざみはジャスミンを揺すったが、ジャスミンは唇をなめ、小声でささやいた。
「センター長がそう言うってことは、あたしがふんじばれるんでしょ。つまり、扉叩いてんのは怪異じゃないってことだよね」
「え? ああ!」
「相手は人間! なら怖くないんだよ‼」
 そう叫んだかと思うと、ジャスミンは玄関へ走った。
 それは「走る」なんて言い方では生易しすぎる、「跳んだ」と言った方がしっくりくるような動きだった。
 あざみが慌てて後を追った時には、扉は音を立てて外側に開いていた。
 誰もいない、と思ったけれど、(ろう)()を疾走する二人分の足音が響いてくる。
「待ちな! 素人(しろうと)が逃げられると思うなよ!」
 ジャスミンの声がして、すぐに(かん)(だか)い悲鳴も聞こえてきた。
「ジャスミンさん⁉」
 廊下に走り出ると、うつ伏せに倒れ込んだ人の上に馬乗りになるジャスミンの姿があった。
「大丈夫ですか!」
「平気! 一回取り押さえたらこっちのもんよ」
 犯人は(こう)(そく)から逃れようともがいているが、言葉通りジャスミンはびくとも動かなかった。
「宅配業者に化けてたわけね。だから管理会社に監視カメラ調べてもらっても、不審者は映ってないって回答になったってことか」
 犯人は、大手宅配業者の制服である深緑と黄色のポロシャツを着ていた。
 後頭部を押さえ付けられており、その顔は見えない。
「さて、通報する前に(つら)拝んどこ。なんでこんなことしたのか、理由も聞かせてもらわないと」
 ジャスミンが組み敷いた人の顎をつかみ、上を向かせる。
 その拍子にキャップが脱げ、一つにくくった長い髪がばさりと現れた。
「え?」
「は?」
 あざみとジャスミンの、困惑の声が重なった。
 そこにある顔を、二人は知っていたからだ。
「ど、どうしてあなたがここに」
 ジャスミンが犯人のマスクを()ぎ取る。
 その人は、数時間前までカフェで相対していた──依頼人の女性、ミユだった。
 あざみたちは混乱していたが、奇妙なことにミユもそれは同じようで、なぜこんな事態になっているのかさっぱりわからないという顔をしていた。
「なんでセンターの人たちが部屋から出てくんの⁉ ていうか痛いし、離してよ!」
「そりゃこっちのセリフだよ! どうしてあんたがここにいる?」
「意味わかんないあ、わかった。リョウと(きょう)(ぼう)してミユのことはめたんでしょ」
 話している内に興奮してきたのか、ミユの顔が赤くなっていく。
「お、落ち着いてください。私たち、そのリョウって人のこと知らないですし」
「そんなわけないでしょ!」
 ミユが吠えたその時、廊下の奥のエレベーターが開いた。
 中から出てきたのは、一人の男性だった。もみ合っているあざみたちを見て、走り寄ってくる。
「何事っすか⁉ 警察とか呼んだ方がいい感じですか!」
 男性が近付いてきて顔がよく見えるようになると、さっきエントランスですれ違った人だとわかった。
 彼の顔を見て、ミユがかすれた声でつぶやく。
「リョウ
「え? この人がリョウさんですか?」
 事態が見えないまま、あざみはミユとリョウの顔を見比べた。
「なんでお前がここにいんだよ! しかも捕まってるし、何やってんの?」
「何って、リョウに会いにきたに決まってんじゃん! なのに、なんかこの人たちが
 ミユはまだしゃべり続けようとしたが、上に乗ったジャスミンに体重をかけられて黙った。黙ったというか、黙らされた。
あのさ。ちょっと何が起きたのかわかんないから、順番に説明してもらってもいい?」



 あざみとジャスミン、それにミユとリョウの四人は、ジャスミンの部屋でテーブルを囲んだ。
 犯人と目されるミユを含めて、全員の顔にそれぞれ困惑が浮かんでいる。
「あの俺、一応こういう者です」
 リョウはあざみとジャスミンに向かって名刺を差し出した。広告関連らしい会社名に、「(ふか)()リョウ」という名前が印字されている。
「あたしは(とまり)()、こっちはあざみー。(ふく)(らい)あざみ。あたしらは都市伝説解体センターってとこで働いてる同僚ね」
「えっと、リョウさんはミユさんとどういったご関係なんでしょうか」
「あー、ちょっと前まで付き合ってました。ミユとお二人は、もともと知り合いだったんすか?」
「ミユが、別件でセンターに調査を依頼してたの」
「で、なぜかこんな形で再会することになったってわけ」
 ジャスミンが視線を向けると、ミユはさすがにばつが悪いのか下を向いてしまった。そうしていると少しは落ち着くのか、ぎゅっとスマホを握りしめている。
「あのミユさん。郵便受けに変な紙を入れたり、荷物を持ってきたのはミユさんってことでいいんですよね」
 ミユからの返答はない。けれど否定しないということは、肯定と同じだ。
「どうしてそんなことを?」
 しばらく沈黙が続いた後、「こんなはずじゃなかったの」とミユはか細い声でつぶやいた。
センターの人たちを巻き込むつもりなんか、全然なかった。依頼したのは、本当に偶然だったし。
 ミユ、リョウと最悪な別れ方したのね。しかも別れてからは、仕事でもSNSでもたくさん嫌なことあって、なんかそれも全部リョウのせいみたいな気がしてきて。だから」
「だから、嫌がらせをしようと思い立った?」
 ジャスミンの言葉に、ミユは反論しようと口を開きかけたが、結局は小さく頷いた。
「リョウのせいで別れたのに、なんでミユばっかりこんな目にあってるんだろう、リョウもちょっとは嫌な思いしてくれなきゃおかしいって、思っちゃって。リョウは別れた後に引っ越したって聞いたから、新しい住所調べて
「それで部屋を間違えて、あたしとあざみーを襲撃することになったと」
 ミユが黙り込んでしまうと、なぜかリョウが「すんません」と頭を下げた。
「ていうかミユ、どうやって住所調べたんだ? 部屋番号を間違えたとはいえ、マンションは合ってたわけだし。俺らって共通の友達もいないのにあ、探偵でも雇った?」
「違う。リョウが教えてくれたんじゃん。全部書いてあったよ」
「俺が教えた? 書いてあった? 何のことだよ」
 その時、あざみの(のう)()にひらめくものがあった。
 確信がほしくて、メガネをかける。するとミユの握ったスマホに、おびただしい数の手が重なって見えた。真っ赤に塗られた爪を持つその手は、すべてミユのものだ。
 これでわかった、とSNSを開く。
「あの、たぶんミユさんはここから読み取ったのではないかと」
 スマホの画面をかざすと、全員があざみに注目した。
「このアカウント、リョウさんのもので間違いないですか?」
 あざみが示したアカウントのアイコンは、青空にピースサインを(かか)げた写真だ。アカウント名は、本名をカタカナにした「フカミリョウ」となっている。
「そうです。早いっすね、見つけるの」
「さっき大雨の話題を眺めてた時に、名前を見かけた気がしたんです」
「お、あざみー、SNS調査で鍛えた成果か?」
「えへへ、ジャスミンさんに指導してもらいましたから」
「でも俺、別れてからミユのことブロックしてたんすけど
 何言ってんの? という顔でミユはリョウを見た。
「リョウがブロックしたのなんて、せいぜい三個くらいでしょ。ミユが全部で何個アカウント持ってると思ってんの」
「何個持ってるんですか?」
 あざみがきくと、ミユはなんでもないことのように「十七個」と答えた。
「はは。それじゃブロックした意味なんかないわな」
「で、でも、アカウント見られるだけじゃどうしようもなくないっすか。さすがに俺、住んでる地名書き込むほどリテラシー低くないっすよ」
「たしかにざっと見た限り、はっきりとした地名は書かれてません。ですがまず、今日の投稿なんですが」
 あざみはリョウのアカウントのトップに表示されるポストを指差した。
『雨やば。すげー音する』
「これだけでも、豪雨が降った地域に住んでいて、おそらく自宅か、少なくとも屋内にいることは読み取れます。今日の雨はそれほど広い範囲では降ってないみたいなので、大きなヒントです」
「でも、これは今日のことっすよね。ミユの嫌がらせって、もっと前から始まってたって話じゃなかったっすか?」
「そうですね。でもさかのぼっていっても、おそらく
 あざみは九月の投稿までスクロールして、指を止めた。
 ジャスミンがスマホを(のぞ)き込み、(がい)(とう)のポストを読み上げる。
「『花火、部屋からめっちゃ見える! 引っ越して正解だわ』。あー、これって区が主催の花火大会のことでしょ? 日付から調べれば、どこの花火大会かすぐわかるじゃん」
「はい。しかも花火が部屋から見えるマンションとなれば、物件はかなりしぼられてくるはずです。たぶん、このポストとかもまずかったのでは」
『エレベーター、点検で使えない。十一階まで階段って地獄か。最上階の部屋借りてる奴とかどうすんの?』
「あーあ。これじゃ住んでる階が十一階だって丸わかりじゃん」
「しかも、マンション自体は少なくとも十二階建て以上、おそらくはもっと高いということもわかります」
 あざみがそう言うと、黙って聞いていたミユが口を開いた。
「すっごい、怪異専門とはいえさすが探偵さん。そう、そうやって探したの。リョウってばミユに見つけてほしいのかと思うくらい、いろいろ書いてくれてて。さっき言ってたポストのほかにも、マンションのシャワーの水圧弱いとか、デッドスペース多いとか。だいたいの地域がわかったら、そういうのをヒントに物件サイトの口コミで(しぼ)り込めるんだよ」
 リョウはぎょっとした目をミユに向けた。
 しかしミユはそれに気付かないのか、楽しげにしゃべり続ける。悪事を暴かれているというのに、はしゃいだような(こわ)()だった。
「マンションを特定してから、()き部屋の内見もしたんだ。その時見せてもらったのは九階の部屋だったから、『もっと上の階って空いてないんですか?』って不動産屋の人に聞いたのね。そしたら『ふた月前だったら十一階の角部屋が両方空いてたんですけど、もう埋まっちゃいました』って教えてくれたの。だからリョウがいるのは十一階の右端か左端、111号室か118号室のどっちかってわかった。なんかね、探偵になったみたいでどきどきしたよ」
 ジャスミンがうんざりしたような声を出した。
「で、そこまで詰めたのに、なんで最後の二択を間違えたわけ?」
 そう問われた途端、ミユはひるんだように声のボリュームを落とした。
「だって、リョウは絶対118号室を選ばないと思ったから
「だからなんで選ばないと思ったのか、その理由をきいてんのよ」
 しかしミユはへそを曲げたのか口を閉ざしてしまい、ジャスミンを軽く(にら)みさえした。
「二択だったら、(せん)(たく)(もの)を見ればどっちの部屋に住んでるかわかるんじゃないですか?」
「ダメ。ここ、外から洗濯物見えないようになってるから」
「あ、そういえばそうでした」
 ジャスミンがベランダから洗濯物を取り込もうとしていた時、たしかに物干しは手すりより低い位置に付いていた。
「ていうか、正解した理由じゃなくて、間違えた理由を考えないとだし」
「なんだかややこしくなってきましたね
 (ほお)に手を当てて考えを巡らせてみたが、決め手になるようなことは思い付かない。
 目の前の問題がわからないので、大元のそれに立ち返ってみることにした。
「そもそもどうしてミユさんは、こんな手の込んだことをしたんでしょう? リョウさんを怖がらせたいだけなら、インパクトのある手紙を一回出せばよかった気がするんですけど。それなら別に自分で(とう)(かん)しにこなくても、郵送でいいわけですし」
「たしかにね。毎日通ってきてたら、不審に思う人がいるかもしれないし」
「つまり、ミユさんには危険を冒してでもメリーさんを真似(まね)る理由があったってことですよね? それに加えて、リョウさんは111号室にいると思い込む何かがあった」
 都市伝説「メリーさん」を模した面倒な嫌がらせ、「111」号室。
この二つって、もしかしてつながってるんでしょうか?」
そうつぶやいた時、特徴的な着信音が鳴り響いた。
「またしてもセンター長さん⁉」
 あざみは急いでスマホを耳に当てる。
『いいところに気が付きましたね、あざみさん。真相に近付いてきましたよ』
「本当ですか? 今ちょうど、行き詰まってしまったところなんですが」
『わからない点は、「ミユさんがなぜまわりくどい方法を選んだのか」「なぜ111号室を確信を持って選び、その上で間違えたか」ですね』
「はい。ミユさんはSNSをかなり読み込んで、このマンションを割り出しました。ヒントが揃っているとはいえ、実際に物件を特定するのはかなりの手間だったはずです。内見までしたそうですし。
 しかも嫌がらせを実行に移す時には、毎日変装してマンションに足を運び、郵便受けに紙片を入れています。そこまで労力を()いたのに、どうして(かん)(じん)の部屋番号を間違えてしまったんでしょうか。メガネをかけてマンションや手紙を見てみたら、何かわかりますかね?」
『いいえ。おそらくメガネでは見えないと思いますよ。今回の謎を解くのに重要になってくるキーワードは、「電話番号」と「(おと)()(ごころ)」の二つです』
「は、はあ?」
『あざみさん。今回の怪異が「メリーさん」であると特定した際、これは亜種だと私は言いました。その理由を覚えていますか?』
「ええと普通、メリーさんは電話をかけてくるからです。けれど今回は、郵便受けに手紙を投函するという方法がとられていました」
『Great! その通りです。ですが今回の件にも電話は関わっていたのですよ。正確にいえば電話番号が、ですが。通常、メリーさんからの電話はあちらから一方的にかかってくるものです。けれど「メリーさんの電話番号だ」とささやかれる番号が存在するんですよ』
「え、メリーさんに電話が通じるんですか⁉」
『いえ、あくまでも(うわさ)に過ぎません。実際は無関係の施設に(つな)がるのみですので、いたずら半分にかけてはいけませんよ』
「なんだ、そうなんですか。それなら、今回の件となんの関係があるんです?」
『その番号、何番だと思いますか。ヒントは「とても覚えやすい三(けた)」です』
 三桁と言われて、あざみの脳に数字が二つ浮かぶ。
 今まさに問題にしている、「111」と「118」だ。
あのう、まさかその電話番号がジャスミンさんの部屋番号と同じだったりとか、そういうことですか」
『Excellent! メリーさんの電話番号は「111」です。ちょうどジャスミンの住んでいる部屋番号と一致しているんですよ』
「でも、それっておかしいです。どうしてメリーさんの電話番号と同じだからって、111号室にリョウさんが住んでいると誤解するんですか。メリーさんの都市伝説は有名ですけど、電話番号のことまで知ってる人ってそんなに多くないと思います。実際、私も知りませんでしたし。部屋番号と電話番号が一致しただけでメリーさんの真似をしたっていうなら、だいぶ無理があるような」
『そこで効いてくるのが二つ目のキーワード、「乙女心」です。二人が別れた理由を聞けば納得できると思いますよ』
「は、はあ
 この状況でそんなことをきかなくてもと思ったが、リョウはあっさり答えてくれた。
「別れるちょっと前、俺が仕事でミスして落ち込んでた日があったんすよね。ミユに慰めてほしくて、これから会えないかって連絡したんすけど断られて。あ、ミユが人形集めてるのは知ってます?」
「はい。SNSにもよく載せてますよね」
「そうそう。で、ミユはその日、人形の新作発売日だから会えないとかって言ってて」
「発売日じゃないってば! 何度も説明したのにやっぱりわかってないんじゃん。
 あの日はね、推してる人形作家様の新作ドールのオンライン抽選会があって、どうしても外せなかったの。抽選っていっても、抽選権を得るのにまず先着の申し込みがあるのね。だから次の日じゃダメかってきいたのに、なんかリョウがキレ始めて」
「メンタル落ちてたから、俺もイラついちまったんです。彼氏より人形優先とか、おかしいんじゃねえのって」
「言い訳でしょ、そんなの。その時はそれで終わったんだけど、後でリョウはミユの部屋に(あい)(かぎ)で入って、メリーさんを勝手に連れ出したんだよ。何回も応募してやっと当たったってミユが喜んでたの知ってたくせに、本当に許せない」
 ミユはその時の怒りを思い出したのか、目に涙を浮かべた。
「え、あの、今メリーさんって言いましたか?」
「そうだよ。リョウが(ゆう)(かい)したお人形は、メリーさんって名前で発表されたシリーズの新作だったの。その後で『こんなことするならもう別れる』って伝えたら、メリーさんを返さないままいなくなってさ。連絡取ろうにも電話は着拒されてるし、DM送っても無視されるし」
それはさすがに、ひどいですね」
 あざみがリョウに顔を向けると、彼は「すんません」と頭を下げた。こうしているとミユが訴えたようなことをしそうにないが、瞬間的に頭に血が上るタイプなのかもしれない。
「ね、センターの人もひどいと思うでしょ⁉ だから都市伝説のメリーさんを使って、リョウを怖がらせてやろうって思い付いたの。メリーさんの話は有名だし、リョウは『メリーさん』を盗んだ。メリーさんをまだ持ってても売っちゃったとしても、すごく怖がってくれるはずだから」
 これで一つ目の謎、「なぜミユはメリーさんを真似たのか?」は解けた。
 しかしリョウはなぜか居心地の悪そうな顔をして、すっと右手を上げた。
「どうされたんですか?」
 あざみが促すと、リョウは目を泳がせながら「えっと」と口を開いた。
「あの、ミユ、悪いんだけど。俺、あの人形の名前がメリーさんだってこと、今初めて知った」
「はああ⁉」
 ミユの頬がかあっと赤くなる。
「なんで⁉ だってミユ、何回も話したよね? メリーさんがどうしてもほしくて、だからあの日は会えなかったんだって!」
「いや、ほんとごめん。でも人形の話ってなると、ミユが何言ってんのか全然わかんなくなるから、脳が勝手に聞き流し態勢になるみたいで」
「信じらんない! じゃあじゃあ、ミユが頑張ってマンション特定して、毎日変装して通ってたのも全部意味なかったってこと⁉」
「ていうか、部屋間違えてあたしんとこに来てる時点で意味ないんだけど」
 ジャスミンにじとっと見つめられ、テーブルを叩かん勢いだったミユはおとなしくなった。
 と思ったら、今度はぼろぼろ涙を流し始めた。
「あたし、何のためにあんなに一生懸命
「おいおい、泣きたいのはこっちだよ」
 そう言いながらも、ジャスミンはティッシュの箱をミユに差し出す。
 ミユは意外にも、豪快に音を立てて(はな)をかんだ。
「もうやだ。リョウが最悪なのって、それだけじゃないんだよ。別れる前、ミユの誕生日には一緒に旅行しようって決めてたのね。でもリョウは『ボーナス入ったら返すから』とか言って、ホテルと新幹線予約する時ミユのカードで払ったの。それで勝手にいなくなったから、こっちはキャンセルもできないわけ。意味わかんない。なんで楽しいはずの誕生日のことで、こんなに嫌な思いしないといけないの?」
 話している間にも、ミユの涙は止まることがなかった。流れる涙で、目元のメイクがやや崩れてしまっている。
 しかしあざみは、ミユの泣き顔よりも気になることがあった。
誕生日?」
 誕生日。
 誕生日の数字を並べれば、二桁から四桁の数字になる。
 三桁の数字──つまり、「111」や「118」もあり得るのだ。
「あの、ミユさん。つかぬことをおききしますが、お誕生日っていつですか?」
一月十八日だけど」
 BINGO! と脳内でセンター長が叫んだ気がした。
 ミユが隣に座るリョウを睨む。
「だから絶対、リョウは118号室に住んでるはずないって思ったの! だってあり得ないでしょ、あんな別れ方した元カノの誕生日と、おんなじ数字の部屋に住むとか!」
 はあ、とジャスミンが(あい)(づち)とため息の中間のようなものを吐き出した。
「そんな理由のせいで、あたしはここんとこ毎日びくびく暮らしてたのか
 膝に置いたスマホから、ふ、とかすかな笑い声が()れた。
『さて、あざみさん。答えは出揃いました』
「セ、センター長さん! まだいらしたんですね!」
『もちろん。事件の終わりを見届けていませんからね。
 それではいよいよ「解体」といきましょうか。まずは一つ目の謎からです。なぜミユさんは、118号室にリョウさんはいないと確信したのでしょうか』
「ええと、リョウさんとミユさんは後味の悪い別れ方をして、118はミユさんの誕生日を示す数字だったからです!」
『Brilliant! では、二つ目に進みましょう。なぜミユさんは、手間をかけてまでメリーさんを模したのでしょうか?』
「はい! リョウさんがメリーさんと名付けられた人形をミユさんの元から盗み出したからです!」
『Fabulous! お疲れ様です、あざみさん。見事、怪異は解体されました。あとはもうひと踏ん張り、後始末を頼みましたよ』
 センター長との会話が終わると、あとには心底うんざりという顔をしたジャスミンと、落ち着かなそうなミユとリョウの二人が残された。
 しばらく、誰も口をきかなかった。
 沈黙に耐えられなくなり、最初に口を開いたのはリョウだった。
すいません。ミユも、ほんとにごめんな。全部俺が悪いんです。お二人には、ミユの代わりに俺が謝ります。だからあの、できれば通報しないでやってほしいっていうか。こんなこと頼める立場じゃないのは、わかってんすけど」
 リョウが頭を下げると、ミユがリョウの片腕にからみついた。
「やめてよ。ミユがやったことなのに、なんでリョウが謝んの? もう彼氏じゃないんだから、リョウは関係ないでしょ!」
「関係ないとか言うなよ! ミユなら、なんで俺が118号室選んだのかわかるだろ?」
 ん? とあざみは首を(かし)げた。
 ミユの目には、ふたたび大粒の涙が浮かんでいる。
「わかんないよ。ちゃんと言ってくんないと、ミユバカだからわかんない!」
「じゃあ言うよ! お前のこと、忘れられなかったからだよ!」
「リョウ!」
 リョウとミユはしばし見つめ合った。
 なんだか話が明後日(あさって)の方へ進もうとしている気がする。
 ジャスミンの方を見ると、「帰ってほしい」としか読み解けないシワが()(けん)に刻まれていた。
「リョウ、ごめん。ごめんね、こんなことして。ミユもたくさん悪いとこあったのに、全部リョウが悪いみたいに言ったりして」
「いいって、実際俺が悪かったんだから。ミユが大切にしてるもの盗むとか最低だった。でも離れてみて、俺にはミユしかいないってわかったんだよ。だから今日、ミユに謝りに行って、人形も返すつもりだったんだ。でもこの雨で電車が止まっててさ。それに毎晩、公衆電話から電話かけてきてくれたのもミユだったんだろ? 俺、こんなに愛されてたんだって嬉しかった」
 熱っぽい目をしていたミユが、一瞬真顔に戻る。
「え、公衆電話? それは知らない」
「照れなくていいって! こんなバカな俺だけど、ミユ、やり直してくれないか?」
「リョウ!」
 二人がひしと抱き合ったところで、我慢の限界を迎えたジャスミンが立ち上がり、両手でリョウとミユの首根っこをつかんで玄関へ引きずっていった。
「なにすんの!」
「ちょ、苦しいっす、やめてくださいよ!」
「うるさい、もう用は済んだんだから帰れ! 通報しないだけありがたいと思いな!」
 ジャスミンは二人を(ろう)()へ放り出すと、音を立てて扉を閉めた。素早く(かぎ)とチェーンもかける。そうしないと、二人が戻ってきてしまうと思っているみたいに。
「通報しなくて大丈夫でしょうか?」
 ジャスミンは特大のため息を吐き出した。
「いいよもう。あんなののために、この時間から取り調べ受けたくない」
 立ち回りを演じた肉体疲労よりも精神疲労が大きいらしく、ジャスミンはよろよろとソファに倒れ込む。
もう遅いけど、これからピザ頼む?」
 時計を見上げると、二十二時を過ぎていた。
「いえさすがにそういう気分では
 あざみもジャスミンの隣に沈み込み、しばらく二人して天井を見つめた。
 まだ雨に濡れた服を着ているかのように、体が重い。
 無事に事件を解決したというのに、達成感も何もなかった。あるのはただ、徒労感ばかりだ。
「これで事件は解決ってことでいいんですよね? 二人がまた恋人になるなら、メリーさんもミユさんの元に戻りますし」
「そのはずだけどさあ」
 あーあ、とジャスミンがあざみの肩に寄りかかる。
「なんだったんだ本当。人間のしわざだったのに、怪異に絡まれたのと同じ気分だわ」
 ジャスミンの髪の毛は、まだかすかに湿っていた。
「そういえばジャスミンさん、髪乾かしてる途中でしたね」
「そうだった。でももう動く気力もないわ。あの二人の呪いでしょ、これ」
「じゃあ、最後まで責任持って私が」
 あざみはよいしょと立ち上がると、置きっぱなしになっていたドライヤーを手にした。
 吹き出す熱風をジャスミンの髪に当てる。
「あー、やっぱりあざみーを家に呼んどいてよかった。そうじゃなきゃ、明日は髪の毛爆発してるところだったわ」
「えへへ、そうですか? いつでも呼んでくださいね」
「いいの? あたしが連れてきたせいで、変なことに巻き込まれたのに」
「もう今日みたいなことは起きませんから。ぜひお泊まり会リベンジさせてください!」
 今日はあざみもジャスミンも疲れ切ってしまって、髪を乾かしたら眠ることになるだろう。ピザは頼めなかったし、アイスも食べてないし、映画鑑賞だってしていないのに。
「うん、いいよ。また泊まりにきな」
「やったー! 約束ですよ、ジャスミンさん! 今度こそちゃんとパジャマを持参して、ピザを頼んで、映画見て、デザートにアイスと(いも)けんぴも食べて、(かん)(ぺき)なお泊まり会をやりましょうね!」
「それさっきも言ってたけど、芋けんぴだけ、あんまり定番イメージじゃないような
 ジャスミンは眠たげな声でむにゃむにゃ言った。
 そうしている間にジャスミンは寝入ってしまい、あざみの記念すべき「第一回・友達の家でのお泊まり会」はあっけなく終わりを迎えたのだった。



「というわけで、ミユさんから心霊写真の調査依頼は取り下げるとメールが送られてきました。結局、『写真の加工が強いのをバカにされたのが頭にきて、これは心霊写真だとつい言ってしまい引っ込みがつかなくなった』というのが本当のところだったみたいです。都市伝説解体センターに連絡したのは、こういう()(さん)(くさ)い機関なら、お金さえ払えば嘘でも心霊写真だとお(すみ)()きをくれると思っていたから、とのことでした」
 あざみはいつものビルの地下四階で、センター長に事件の(てん)(まつ)を報告していた。
「なるほど、そうでしたか。ジャスミンもあざみさんも、とんだ災難でしたね。お疲れ様でした」
「はい、疲れました。ミユさんたちが仲直りできたのはよかったですけど、できれば他人を巻き込まないでほしいです」
 抱き合うリョウとミユの姿を思い出して、あざみは疲労がふたたび体にのしかかるのを感じた。
「そんなあざみさんを、さらに疲れさせる事実を教えてあげましょうか」
「あまり聞きたくないのですが
「あの二人が別れて復縁するのは、これで三度目のようです」
「聞かなかったことにします!」
 手遅れとわかっていても、あざみは両耳をふさいだ。
「ですがこれで、一件落着でしょう。胡散臭い機関によって、ミユさんのやったことはすべて解き明かされました」
 センター長は、胡散臭いと言われたことを案外気にしているのかもしれない。
「でも、まだわからない点がいくつかあるんです」
「わからない点。たとえばどんなことでしょうか」
「一つ目は、ミユさんがどうやってマンションの中に入ったのかということです。ジャスミンさんのマンションはオートロック式だったのに」
「オートロックといえど、防犯上完璧ではありませんからね。住民が(かい)(じょう)した時に、あとをつけて侵入することもできるといいます。それに彼女、内見をしたんでしたか。その際に、暗証番号を入力する不動産屋の手元を盗み見ることもできたのでは?」
「な、なるほど。じゃあ、ミユさんが運送会社の制服を持っていたのはどうしてなんでしょう」
「フリマサイトで正規品が多数出品されていますよ。なんのために購入するのかよくわかりませんが、人の趣味は多種多様ですからね」
「うーん、未知の世界です。ええとそれじゃあ、リョウさんに毎晩公衆電話から電話をかけてきていたのもミユさん、ということでいいんですよね」
 センター長は口元だけでほほ笑んだ。
「ミユさんご自身は、知らないと言っていたんでしょう?」
「はい。でも、普通に考えたらミユさん以外にいないですよね」
()()に考えればそうでしょう。しかし都市伝説は()()(らち)(がい)です」
 センター長はデスクに座らせたビスクドールに語りかけた。
「よかったですね。あなたのお仲間が、存外身近に潜んでいるようですよ。今度会いに行ってみたらいかがですか?」
「センター長さん! お人形に変なこと吹き込まないでください!」
 あざみはセンター長の手からビスクドールを奪うと、定位置である(たな)の中に戻した。
 正面から見つめると、人形の口元がいつもより引き上げられている気がする。
 あざみは彼女に「勝手にどこかへ行ったりしたらダメですよ」とささやいた。
 ビスクドールはあざみの言葉などはなから聞いていないのか、それとも「わかったわ」という返事のつもりなのか、静かにほほ笑んだままだった。



 数日後、届いたばかりのピザを前に、あざみとジャスミンはソファに並んで座っていた。
 今日は、待ちに待ったお泊まり会リベンジの日だ。
 ピザはさっき届いたばかりだし、あざみはこの日のために新調した、フードにくま耳が付いたもこもこのルームウェア姿だ。
 フードをかぶってみせると、ジャスミンは「うんうん、たぬきみたいでかわいいぞ。ボーダー柄もたぬきのしっぽみたいだし」と感想を述べたが、断じてくまである。それにしっぽに(しま)()(よう)があるのは、たぬきじゃなくてアライグマだ。
「お泊まり会といえば、やっぱり映画鑑賞ですよね。センター長さんのおすすめを聞いておいたので、ピザを食べながら見ることにしましょう!」
「やだよ、見ないよ。センター長のおすすめなんか、怖いやつかキモいやつに決まってんじゃん」
「そんなことありませんよう。ちゃんと『怖くないやつでお願いします』って伝えておいたので! この中だと、ジャスミンさんはどれに興味ありますか」
 センター長のおすすめ映画のリストを見せると、ジャスミンは顔をしかめた。
あざみー、これタイトル調べてみ」
 あざみは言われるまま、上から順にタイトルを検索してみる。画面に次々と現れたのは、おどろおどろしいデザインのポスターたちだった。ジャンルは調べるまでもない。
「え? 全部ホラー映画じゃないですか!」
「あの人がホラー以外の映画なんか見ると思う? うーわ、しかも全部人形ものじゃん。最悪」
「で、でも、見てみたら案外怖くないのかもしれませんよ?」
「ホラー好きの『怖くない』ほどあてになんないもんはないでしょ。あたしはパス」
「そんなあ~。じゃあ、ジャスミンさんの見たいやつでいいので!」
 あざみはどうしても「お泊まり会で映画」をクリアしたくて食い下がった。
「ならアクションがいい。スカッとしそうなやつ選んで」
「わかりました! アクションですね!」
 あざみが映画配信サイトを起動すると、テレビ画面に大量のサムネイルが表示される。
 その時、あざみのスマホが震えた。
 せっかくのお泊まり会中に誰だろうと、反射的に電話に出る。
 スピーカーを耳に当てると、ゴオ、と風の音のようなものが聞こえた。
 その音は、暗いトンネルに風が吸い込まれていく様を思わせた。
 もしもし、とあざみが口にする間もなく相手が言う。
『このあいだは、たのしかったね。またね』
 通話はそれで切れた。
 ツー、ツー、と無機質な音が耳に響く。
 あざみは着信履歴を見た。
 発信元は、「公衆電話」。
 はっとしてSNSを開き、ミユのアカウントを検索する。
 最新の投稿は、ミユとリョウと(おぼ)しき二人分の手の写真に、「やっぱりきみだけ!」という手書きの()(れい)な文字が添えられた画像だった。
 ──違う。
 違う、これは、この字は違う。
 ジャスミンの元に届いた、十一枚の紙。
 あれに書かれていた丸っこい文字とミユの書き文字とは、筆跡がまったく違っている。
 思い返してみれば、契約書に書かれたミユの字も端正だった。
 筆跡をわざと変えた? よりメリーさんらしく見せるために?
 そうかもしれない。でも──
 センター長は言っていた。
 ──()()()()()やったことは、すべて解き明かされました。
「あざみー、どした? 電話、誰からだったの」
 ピザの箱を開けながら、ジャスミンが問う。
 あざみは引きつった笑いをなんとか浮かべた。
ジャスミンさん。この部屋、なるべく早めに引っ越した方がいいかもです」

 どこかで、同じ名を持つ人形が笑う。
 マンション十一階の角部屋で、ビルの地下四階で。
 あるいはあなたのすぐ後ろで。

【おわり】