#1 【三名様だと思いました】

『先週な、食べてきたんすわ。けっこうな有名店の鰻を』
『いいですねー、夏といえば鰻ですよね。僕誘われてないですけど』
『もう夏ちゃうやろ、秋やろ。うまかってんけど、話したいんは鰻のことじゃないねん』
『あ、そうなんですか? それじゃ何を』
『出たんや』
『はい?』
『真昼間なのに出たんや!』
『出たって、まさかGが』
『ちゃうて! 霊や霊! ほんまもんの幽霊ですよリスナーの皆さん!』
『いいですねー、夏といえば怪談ですよね。誘われなくてよかったです』
『おもんないボケ天丼すなやカス、めっちゃ怖かってんねんぞ!』
『まあまあ落ち着いて、息吸って吐いて。順を追って話してくださいよ』
『……あんなあ、最初からおかしいとは思てたんよ。人は大勢おるのに、店ん中入ったらなんっか変な感じすんねん』
『まるで異世界にでも踏み込んだみたいな?』
『異世界? あー、そやな。そういう感じかもしらんわ。俺らは二人で店行ってん。なのに店員がお茶三つ持ってきて──』
「やっぱり私、納得いかないですよ!」
食べかけのシチリア風ドリアを前にしながら、福来あざみはそう言った。メニューに唐辛子マークが三つ付いているのを見逃したせいで、さっきから唇がひりひりする。
「お、急にどうしたあざみー」
あざみの真向かいに座ったジャスミンこと止木休美は、眺めていたまちがいさがしから顔を上げた。
テーブルの上には、あざみのぶどうジュースとドリア、ジャスミンのレモンスカッシュときのこのパスタ。それとお冷が載っている。
閉店間際のファミレスに、人の姿はまばらだった。店の奥に位置するテーブルに陣取ってしまうと、二人のほかには誰の姿も見えない。目に入るのは、壁のそこここに描かれた天使の顔だけだ。店員でさえ、注文を取りにきた時に見かけたきりである。お冷と料理は、あざみがドリンクバー、ジャスミンがトイレに立った隙に置かれていた。
この店に来るのは初めてじゃない。けれど人の姿がないだけで、まったく別の場所に迷い込んでしまったような気分になるから不思議だ。
ソファの背面が鏡張りになった席に、あざみたちはいる。ジャスミンがソファに座り、あざみはその反対側で鏡と向かい合う形だ。あざみの背後の壁にも頬杖をついた天使が描かれており、壁面の鏡に映り込んでいた。
こんな風に、鏡が近くにある席というのはあんまり嬉しくない。
あざみとジャスミンは『怪異でお困りの方‼』をキャッチコピーとする「都市伝説解体センター」で調査員として働いている。先日受けた依頼に「鏡」に関連するものがあったことから、あざみはセンター長かつオカルトマニアである廻屋渉から「合わせ鏡を使って異世界に行く方法」「真夜中の鏡に見知らぬ誰かが映り込む怪談」「剃刀をくわえて水鏡を覗き込むと未来の結婚相手が見えるおまじない」などを浴びせられる羽目になった。以来鏡を見る度、そこに何か奇妙なものが映り込んでいないか不安になるのだ。
しかも、よりによって時刻はすでに真夜中近い。
センターに届いたとある依頼の調査を終えた帰りがけ、空腹に耐えかねた二人は、看板の明るい光に引き寄せられて入店したのだった。
今日の依頼は「知らない男が夢に出てくる。夜中に不審な物音もして眠れないので、調査してほしい」というものだった。しかし調査を始めてすぐに、天井裏にハクビシンが住み着いていただけと判明し、あとは専門の業者に任せることになった。
依頼人は「こんなことでお呼び立てしてしまって」と恐縮しきりだったが、幽霊や怪異なんて、なるべく出ないでいてくれた方がありがたい。
そう、だから事件そのものには何の問題もなかった。
あざみが現在鼻息を荒くしているのは、まったくの別件である。
「これなんですけど」とあざみは勢いよくスマホの画面をつき出した。
ジャスミンは画面を見た途端、露骨に顔をしかめた。
画面には、谷原きのこのBooTubeチャンネル画面が映し出されている。
谷原きのこは先日、都市伝説解体センターへとある事件の調査を依頼した。事件は無事に解決となったが、あざみとジャスミンは彼から多大な迷惑をかけられる結果になった。
表示された谷原きのこのチャンネル登録者数は、八十一万人。
人気チャンネルであることは疑いようもない。オカルト界隈ではトップの数字だ。
「きのこはおなかいっぱいだから当分いいって。なんであたし、きのこのパスタなんか注文しちゃったかなあ」
ジャスミンは皿の上のしめじをフォークの先っぽでつついた。
「てかあんなことあったのにさ、また登録者数増えてない? 気のせい?」
「そこなんですよ」とあざみは深くうなずいてみせた。
調査当時の登録者数は、八十万ちょうどくらいだったはずだ。それがさらに一万人も増加している。
あざみが谷原きのこについての話題を蒸し返したのには、もちろん理由がある。
今日の依頼のせいだ。
事件はスムーズに解決できたし、依頼人はお茶菓子まで出してくれるいい人だった。
それはたしかだ。
たしかなのだけれど──依頼人は顔を合わせた途端、「あなたたち二人、谷原きのこの配信に出てたわよね!」と目を輝かせたのだ。
彼女はきのこのチャンネルの熱心な視聴者だった。これまでの配信は全部リアタイしているのだと誇らしげに口にした。調査の最中にも「きのこは全部一人で作業をやっているはずだが、幽霊役は誰がやっていたのか」「これからTKCチャンネルとコラボの予定があるのか」「事件後にきのこは怨霊に取り憑かれて行方不明になったと聞いたが本当か」などと切れ目なく質問され続け、調査そのものよりも相槌を打つことに疲れてしまった。
わかったことは一つ。視聴者は炎上してもきのこのチャンネルへの興味を失っていないし、むしろ以前よりさらに注目しているらしいということだった。
依頼人の家から帰る車の中、なんなんだろうこれは、とあざみはぼんやりと考えた。
なんなんだろう。
みんないったい、これ以上何を見たがってるんだろう。
考えてみたところで、答えは出なかった。
窓を開けると、冷えた夜気が頬を撫でた。カーラジオから流れる騒がしいトークが、こもった空気と一緒に外へと流れていく。
それでもくすぶった気分は夜の街へ溶け出してはくれず、あざみの胸の内に残ったままになった。
「そもそも、なんで都市伝説解体センターチャンネルよりきのこさんのチャンネルの方が登録者数が多いんですか? おかしくないですか!」
あざみは憤然とドリアを口に運んだ。辛さで舌が痺れるのを、甘いジュースでごまかす。
「同じオカルト系ではありますけど、センター長さんの動画の方が絶対クオリティ高いのに……」
「うんまあ、そうかもね」
ジャスミンはレモンスカッシュをすすり、きのこを胃の底へと流し込もうと試みていた。
「でもさ、TKCチャンネルだってかなり人気ある方でしょ。十万登録越えてんだから、銀の盾も持ってんじゃない? あーでも、センター長がさも大事そうにあれ自宅に飾ってたら嫌かも」
「自宅に銀の盾……。そういえばセンター長さんって、どんな部屋に住んでるんでしょうか」
「知らん。実はあのビルの地下四階に住み着いてんじゃないの、妖怪みたいに」
まさかと笑いながら、本当にそうかもしれないという気もした。
センター長がどんな場所に住んでいるのか、あざみにはまったく想像できない。以前にテレビで見かけた呪物コレクターのように、古今東西いわくつきの物品が所狭しと並ぶ中に無理やり体をねじ込んで眠っていても不思議はないし、がらんどうの独房じみた部屋にベッド一つだけのミニマリスト的生活を送っていても納得する。それか「実は元財閥の御曹司でして、天蓋付きベッドでペルシャ猫を二匹抱えて毎晩眠りについています」と告白されたとしても、あんまり驚かないかもしれない。
要するに、つかみどころがない変人──それがセンター長・廻屋渉なのである。
だけど今は、センター長の居住環境について話し合いたいわけじゃない。
「それより登録者数の話ですよ、登録者数」
うーん、とジャスミンはストローを口にくわえ、行儀悪くプラプラ揺らした。
「気持ちはわかるけどさあ。でもマジレスすると、人気って必ずしもクオリティのみに直結ってわけじゃないじゃん」
「というと?」
あざみはずいとテーブルの上に乗り出した。
「きのこの場合はさ、『心霊スポットの空き家でキャンプ』とか『ピアニストの自殺現場で思い出の曲演奏してみた』とか、企画そのものが倫理的にアレだったりそもそも怖すぎるとかで、フツーの人がやらないようなことばっかじゃん。でも興味はあって、本心では覗き見したいとこを叶えてくれる的な……そんな感じの人気なんじゃないの。
TKCチャンネルはそういうんじゃないでしょ。考察系っていうの? こういう真面目っぽいのってコアなファン向けで数字は伸びにくいわけだし、センター長はかなりうまくやってる方だと思うけど」
「それは……そうかもしれないですけど」
「SNS調査でもよく見るじゃん? なんでこのポストがこんなに伸びてんの、なんでこんな奴にこの数のフォロワーいんのって現象。あれと同じだって」
ジャスミンのマジレス論理は強固だった。
あざみは「その通りです……」とうつむくことしかできなかった。
けれど納得できたかといえば、話は別だ。
思い出すのは、きのこの依頼を受けて調査を進める中で、事故物件を生み出す原因の事件に関わった女性──四谷みわ子の父親に会いに行った時のことだ。父親は本当に気落ちしていて、いくつも質問を浴びせるのが苦しくなるくらいだった。幽霊でもいいから娘に会いたいとまで言っていた。
そんな風に生々しい傷を抱えた人がいるのに、幽霊が映った映らないと面白おかしく配信する、それが正しいことのようにはどうしても思えなかった。
あざみだって、センターで働かなければこんなことは考えなかったかもしれない。けれど一度知ってしまったからには、もう知らなかった頃には戻れない。
「でもやっぱり、悔しいです……」
「ま、たしかにそれはそうだわな。きのこみたいな奴、いつまでものさばらせとくのはむかつくし」
ジャスミンはそう言って、食べ終えたパスタの皿を隅に押しやった。
「あざみー、言い出したからには何か案があるんでしょ? とりあえず聞こうか」
あざみは口角が引き上がるのを感じた。ジャスミンの背後に広がる鏡の中のあざみも、嬉しそうに笑っている。
「はい! 実は思い付いたアイディアを手帳に書き溜めてまして」
鞄からいそいそと調査手帳を取り出すと、その最後の方のページを開いた。
ジャスミンは手帳に記された箇条書きを音読し始める。
「『1、センター長さんが顔出しする』。うーん、これはどうなのかね。あの気持ち悪いお面がそれっぽくていいんじゃないの?」
「そんなことないですよ‼」
「うわびっくりした、急に大声出さないでよ」とジャスミンは立てかけてあったメニューを盾に防御姿勢を取った。
「す、すみません」
あざみは声のボリュームを落とし、右手を口元に添えてささやいた。
「でもここだけの話、センター長さんってかっこいいと思うんですよ! ちょっと癖強めではありますけど!」
「……あざみーって意外とイケメンに弱いよね」
「そそそそそんなことないですよ! それにこれは私がイケメン好きかどうかは関係なくてですね、一般論としてですね」
あざみは首元のリボンタイを無意味にひっぱった。
「せっかく生身で配信してるなら、ビジュアルは生かした方がいいんじゃないかと思いまして! 他意はないです!」
「たしかにイケメンが配信したら、顔ファンは付くかもしれないけどさあ。でもなー」
ジャスミンは腕を組んで首をひねった。
「もともとチャンネルについてるオカルト愛好家の視聴者と、顔に釣られてセンター長個人につく新規ファンって、かなり水と油な気がしない? 荒れそうな予感しかしないんだけど」
「それは……たしかに……」
「しかもあたしら、この間きのこにはめられて顔出ししちゃったじゃん? センター長がイケメンだってわかったらこっちも叩かれるよ、絶対」
「え? なんでですか」
「イケメンの周りを若い女がうろちょろしてたらイラつかれるもんなの。男アイドルのマネージャーが二十代の女ってだけで、嫌がるファンもいるとか聞くし」
「そ、そんなこともあるんですか……」
そこまで考えてませんでした、とあざみは肩を落とした。
「うーん、それにしてももったいない……イケメンの持ち腐れ……」
「あざみーやっぱ相当イケメン好きだよね?」
「いえ、そんなことはありません! 気を取り直して、次行きましょう次! ジャスミンさんも何か案があればどんどん発言してくださいね!」
「えー、あたし? あたしはBooTubeはたまに猫動画見るくらいだからなあ」
「さっきはすごい詳しそうだったのに!」
「あれは仕事絡みで人から聞いたりしただけで……あーでも、BooTuberはネタに困ったら激辛か猫が鉄板ってどっかで見たかも。センター長が激辛料理食べたり、猫飼ったりしたら意外性はあるんじゃない? 面白くなるかはわかんないけど」
「なるほど。激辛に猫、いいかもしれません! 猫さん型のオムライスを作って、ケチャップ代わりにデスソースかけたやつを食べてもらったりしたらいいですかね?」
「そういうことじゃないんだけどなあ」とジャスミンがつぶやいたような気がしたけれど、あざみは新たに「激辛・猫」と手帳に書き込んだ。
「『2、新しいマスコットキャラを作る』。あ、これは普通にいいんじゃない? それこそ猫のキャラとかさ」
ジャスミンは自身のスマホのステッカーを指さした。
「ありがとうございます! ですが、この案には一つ課題がありまして」
「課題?」
「都市伝説解体センターには、すでにマスコットキャラが存在するんです」
あざみは手帳のすみっこにイラストを描き始めた。
「あー、そういえばいたなこいつ」
ペン先から生まれていったのは、陽気そうなのにどこか目が怖いような、トナカイっぽいのになぜかトナカイと言ってはいけないような、そんな雰囲気を醸し出すキャラクターだった。
「これあれでしょ。たしかポスターにも描いてあったトナカ……」
トナカイ、とジャスミンが言い終わる前にあざみは訂正した。
「トシカイくんです! 私より先にセンターにいたので、先輩ですね。なので先輩に敬意を払って、新キャラを作るにしてもテイストは合わせていかないといけません。たとえばトシカイくんの弟キャラにするとか、親友ポジとか!」
「でもさあざみー、それだとトシカイくんに似たキャラが増えるだけじゃん。登録者数アップにつながるかね。このキャラが嫌とかではないけど、歯とかなんか人間ぽくて怖……て感じだし」
「え? トシカイくんかわいくないですか⁉」
「感性は人それぞれとはいえ、メジャー寄りの意見ではない気がするわ」
「そんなあ~」
かわいいと思うんですけど、とあざみはもう一体、トシカイくんに似たキャラクターをサラサラと描いた。角にリボンを結び、着ている服にもフリルをつけた、トシカイくんフェミニンver.である。
「てかあざみーって絵うまいんだね。なんか意外」
フェミニンver.そのものへのコメントではないことは気になったが、ほめられたので素直に喜んでおくことにする。
「私、絵うまいですか? 初めて言われました、えへへ……」
調子に乗ってもう一体描こうとしたところで、「お待たせいたしました~」とお盆を手にした男性店員がテーブルの横に立った。
「ミックスグリルとグラスワインでございます」
鉄板の上では、ハンバーグがじゅうじゅうと音を立てている。人気メニューのオーロラシュリンプやピリ辛チキンも添えられた、ボリューム満点の一皿だ。
店員は「どちらの方の前に置きましょうか」というように、あざみとジャスミンを交互に見た。
「ジャスミンさん、頼みました?」
「いや、パスタ食べたばっかだよ? そこまで胃でかくないって。運転しなきゃだからアルコールもNGだし。あざみーは?」
「私も頼んでないです」
あざみは辛さに苦しみ、まだドリアを食べきれていない。
「え、あれ?」
店員は焦った表情を浮かべ、「申し訳ありません、それではオーダーミスだと思います!」と厨房に引っ込んでしまった。
「このお店、注文は自分で紙に書いて渡すようになってますけど、オーダーミスってあるんですかね……?」
「テーブル番号間違えたりは普通にありそうだけど、今ってほとんど客いないよね。取り違えるほど注文入ってない気がするんだけど」
ジャスミンが店内をぐるりと見渡す。
つられてあざみも振り返って周囲を見回したが、やはりそこには誰の姿もない。
真後ろの壁に描かれた天使と、鏡越しにではなく直接目が合っただけだった。
なんとなく、すぐに正面へと向き直る。
「なんか、変じゃない?」
「き、きっと理由があるんですよ。お店のシステムにトラブルがあったとか!」
「紙に書いて渡すシステムでトラブルねえ」
ジャスミンは首をひねっていたが、深く考えても仕方ないと思い直したのか、再び手帳に目を落とした。
「話戻るけどさ。こんだけ絵描けるってことは、元美術部だったりする?」
「いえ、美術部ではなかった……です。あ、でも漫画描いたことはありますよ!」
言ってしまってから、あざみはぎくりとした。
鏡に映る自分の顔にも、「しまった」と書いてある。
「へー、すごいじゃん。何の漫画?」
「漫画を描いていた」なんて言い出したら、そういう話の流れになるに決まっている。
けれど自分のうかつさに慌てても今さら遅い。
「えーーっと、なんていうんでしょう、少女漫画風、みたいな……?」
尻すぼみになりながらも正直に答えてしまった。
まずい、と思った瞬間には次の質問が飛んでくる。
「恋愛ものってこと? 現代? ファンタジー?」
ぼやかして適当に会話を終わらせたい時に限って、ジャスミンは食いついてくる。まるで深掘りされたくない話題を嗅ぎつける鼻を備えた麻薬探知犬みたいだ。調査員としては優秀だけれど、日常会話では発揮してほしくない能力である。
「げ、現代要素がなくもないですけど……分類はファンタジーになるのでは……ないかと……」
この話はここまでにしましょう、と願いを込めてあざみはジャスミンを見たが、祈りは通じなかった。
「現代要素あり、でも基本はファンタジー。『現代要素がなくもない』って言い方だから、現代がメインの舞台ではないわけだよね。そうするとタイムトリップ系か……? でも最近の少女漫画でSFっぽいやつってそんなに見ないし、つまり消去法でいくと」
ジャスミンは右手の人差し指を立てた。
「あざみーが描いてたのは、『現代人の主人公』が『違う世界に生まれ変わって活躍』する『近頃流行りの異世界転生もの』ってやつだったのかも。どう、合ってる?」
「…………」
今メガネをかけていたら、ジャスミンの背後に、質問に答えていくと思い描いたキャラクターを当ててくれるインターネット上の魔人的な影が見えたはず。
一瞬、そんなことを考えて黙り込んでしまったのがいけなかった。
すぐに否定すればよかったのに、これでは図星を指されたと白状したも同然だ。
「お、当たり? 自分の才能が怖いわー」
ジャスミンは勝ち誇ったようにグラスを持ち上げ、あざみのそれにぶつけて乾杯した。
「そしてあざみーのイケメン好きと異世界転生ってジャンルからして、導き出されるストーリーは」
「ス、ストーリーは……?」
「平凡な女子大生がトラックにはねられ異世界転生、美少女侯爵令嬢に生まれ変わって何人ものイケメンに溺愛されつつ魔法学園生活を送っていたものの王子から婚約破棄された挙句妹に虐げられて真なる最強聖女の力に目覚め、勘違いで王都を追放されたけど辺境領主に見初められてスローライフを謳歌しつつ現代知識で領地経営無双するやつだ」
「ぜんっぜん違います! そこまで設定よくばり全部盛りにはしてないです! 女子高生が異世界転生して、チート異能持ちの最強イケメンにレア異能を見出され様々な敵との戦いの末に世界を救うだけの話です!」
息も荒く言い終えて、はたとジャスミンを見た。
ジャスミンが勝ち誇ったようににっと笑うと、口元から白い歯がのぞいた。
「え、あ! もしかして私、全部言っちゃいましたか⁉」
ジャスミンが頷くより早く、「ひゃー」とも「きゃー」ともつかない情けない悲鳴があざみの喉から漏れる。たまらなくなって、テーブルにつっぷした。
「今日まで誰にも内緒にしてたのに……私の黒歴史……ちゃんとノートも処分したのに……ジャスミンさんのあくどい誘導尋問に引っかかって……」
「ごめんて。そこまで恥ずかしがると思ってなかったからさ」
ジャスミンの手がわしゃわしゃとあざみの髪をかき回すように撫でる。
「お詫びにピリ辛チキンおごったげよか?」
あざみは顔をテーブルにつけたまま視線だけ上げた。
「ほんとうですか……じゃあ、二個……テイクアウトで……センター長さんにもおみやげに……」
「元気ないわりにちゃっかりしてるなあ」
ジャスミンはあざみの頬をむにと引っ張った。
「ていうか漫画、せっかく描いたのに処分しちゃったんだ? もったいな。読みたかったのに」
「若気の至りの産物なので、このまま忘れさせてください……。いえ、異世界転生が悪いんじゃないんです……あまりにも当時の私の願望にまみれすぎていて、耐えられないだけで……」
「若気の至りって、今も十分若いだろうに」
それにしても、とジャスミンはあざみを犬みたいに撫でたりこねたりする手を止めた。
「なんかそのストーリー、センター長とあざみーみたいじゃない?」
あざみはもそもそと起き上がり、髪の毛が乱れたまま目をぱちくりと瞬かせた。
鏡に映る自分も、「きょとん」を絵に描いたような表情をしている。
「え? どういうことですか?」
「だってほら、センター長の千里眼って、いったらチート能力じゃん。で、あざみーはそんなセンター長に特殊能力的なものがあるって言われて調査員になったと。構図的にはおんなじじゃない? 美形のチート異能持ちに能力を見出された少女的な。怪異絡みの調査に行くのも、異世界転生とまではいかなくても、異界に足突っ込んでるようなもんだし」
「おんなじ……」
あざみはすでに乱れている髪の毛をさらにぐしゃぐしゃにかき回した。
「ぜんぜん違います‼」
「うわびっくりした。だから急に腹から声出さないでってば」
「だってジャスミンさん、違いすぎますよお! 異世界のイケメンだったら、ベッドの下の男が出るかもしれない部屋に真夜中に一人でなんて行かせないです! 絶対一緒に来て守ってくれるはずです!」
「そういうもん? あたし異世界系は守備範囲外だからよくわかんないわ」
「それにしては異世界転生あるあるの設定詳しすぎませんでしたか⁉」
「無料で読んでたら続き気になっちゃってさあ。でも人気作をつまんだ程度よ」
「やっぱり読んでるんじゃないですか! それはいいとして、絶対違いますから! 異世界のイケメンなら、借金を盾に私を働かせたりしません!」
「は? 借金? あざみー、センター長に借金してんの?」
あざみは自分がセンターで働くことになった経緯をかいつまんで説明した。呪いの椅子が登場したあたりでジャスミンの眉間にはすでにシワが浮かんでいたけれど、それを破壊して一千万、と金額を口にすると、シワはますます深くなってついには溝になった。
「……あざみー、それ絶対だまされてるって。修繕費一千万円ってどんな秘宝よ」
「え! 私センター長さんにだまされてるんですか⁉」
「いや、オカルト界隈じゃ超お宝扱いなのかもしんないけどさあ。だから断言はできないけど……」
言いよどんだところで、テーブルの上に伏せられたジャスミンのスマホが震えた。
画面を見て、ジャスミンは一つため息を吐き出す。
「ごめん、これ出ないと後がめんどいやつだ。ちょい待ってて」
「あ、はい! 私のことはお気になさらず!」
すぐ戻るわ、とジャスミンは店の外へと歩いていった。
あざみは冷めて辛味の弱まったドリアを完食すると、グラスを引き寄せ、残り少ないぶどうジュースを吸った。
ずず、と行儀の悪い音が鳴る。
その音がやけに大きく聞こえて、一人になったなあ、と気付いてしまう。
ジュースで冷えたのか、ぶるりと体が震えた。
しばらくグラスに残った氷をストローでがしゃがしゃとかき回していたけれど、ジャスミンが戻ってくる気配はなかった。
ふと、鏡の中の自分と目が合う。
席にじっと座っていられなくなって、ドリンクバーコーナーへ向かった。
そこには二十歳くらいの女の人(ふわふわした茶髪のショートカットがトイプードルみたいでかわいい)の姿があり、少しほっとする。女の人はコーラを注ぎながら、耳元に挟んだスマホ相手にまくし立てていた。
「あいつほんっと意味わかんないんだけど。遅刻してきたと思ったらあり得ん酒臭くて、しかも途中で『気分悪くなったから帰る』ってなに? あたしのことなんだと思ってんの? もうさすがに別れるわ。違うし、今度は本気だから。知らねーよあんなアル中」
女の人は怒りで声が大きくなっており、聞き耳を立てなくても会話は丸聞こえだった。見た目に反して、語気はかなり激しい。いつもならおびえてしまうところだけど、今は大声でしゃべってくれる人の存在がありがたかった。
「今からこっち来れない? 一人で家帰んの鬱すぎる。は、なに? いま彼氏の家? ふざけんなし、あたしがみじめに一人でファミレスいるってのにさあ」
女の人はそのまま通話を続け、グラスが満たされてもドリンクバーコーナーから立ち去ろうとしなかった。
雰囲気に気圧されて声をかけられずに黙って待っていると、彼女は反り返って笑った拍子にあざみの存在に気が付いた。
「え、うそ、もしかしてずっと順番待ってた?」
女の人は慌ててスマホを耳から離した。
「あたしめっちゃ邪魔じゃんね。ごめんね、オレンジジュースでもメロンソーダでもゆっくり選んで」
「いえそんな、むしろまだそこにいてくださった方が……」
しかしあざみが言い終わる前に彼女は通話に戻り、自分の席へと向かっていってしまった。
あざみは少し迷って、さっきまで飲んでいたのと同じぶどうジュースのボタンを押した。
「口調が怖いだけの優しい人でよかったなあ」と「また一人になっちゃったな」の二つの感想が混じり合いながら、サーバーが吐き出すジュースと一緒にグラスの中へ注がれていく。だんだんと後者の「また一人に」の方が色濃くなっていく気がしたが、紫色のジュースに混ざってしまえば、どちらも見えなくなった。
席に戻ると、ジャスミンが帰ってきていた。思わず顔がほころんでしまう。
「おかえり。あたしもドリンクバーおかわり行ってこようかな」
「ジャスミンさんが行くなら、私ももう一回行きます!」
しかし席を立つより先に、一人の女性店員があざみたちのテーブルに歩み寄ってきた。
「失礼します、お客様。大変申し訳ないのですが、当店お一人様一品のご注文をお願いしておりまして。もう一品メインのメニューをご注文いただきたいのですが……」
名札の上部に『研修中』のバッジを付けた店員は、眉を下げてそう言った。
「え? でも……」
あざみはシチリア風ドリア、ジャスミンはきのこのパスタを頼み、さらにドリンクバーまで付けている。一人につき二品注文している計算になるはずだ。
伝票を見せてその旨を伝える。
しかし店員は「ですが」とさらに言い募った。
「ドリンクバーはセットでご注文いただいておりますので、一品に数えられないんです。お三方で来店された場合、もうお一つ何か頼んでいただかないといけなくて。もうじきラストオーダーのお時間ですし……」
あざみとジャスミンは顔を見合わせた。
お三方。つまり三人。
三人?
「ちょい待って。なんか誤解してません? あたしら二人で来たんですけど」
「え? ですが先ほどは」
店員はテーブルの上に置かれたままの、お冷のグラスに視線を向けた。
グラスは三つそこにある。
「男性のお客様が、こちらにいらしたと思ったのですが……あれ?」
店員は混乱したように周囲を見渡した。しかしそれらしき人影を見つけることはできなかったらしく、弾かれたように頭を下げた。
「も、申し訳ございません! 私、勘違いをしていたようで……大変失礼いたしました!」
店員が行ってしまうと、あざみとジャスミンはしばらく無言で見つめ合った。
そして、やがて──テーブルの隅に置かれた三つ目のお冷に、そろって顔を向けた。
「あの……ジャスミンさん。私お冷が三つあるのって、ジャスミンさんがトイレに立った時ついでに一つ持ってきたからだと思ってたんですけど」
「みなまで言うなあざみー。あたしはドリアの辛さに備えて、あざみーが余分に持ってきたんだと思ってたよ」
「違います! 私、辛いやつだと気付かないで頼んじゃったんです! あの、考えてみたら、やっぱりさっきのミックスグリルのオーダーミスも変ですよね? あれって……」
「福来調査員、それ以上はいけない。口に出したらまずい気がする」
しかし口に出さずとも目を見れば、二人とも考えていることは同じだとわかった。
あざみもジャスミンも持ってきていないなら、店員が三つお冷を置いていったことになる。
と、いうことは。
このファミレスに来る道中、カーラジオで聞き流していたあれと同じだ。
飲食店に入ると、なぜかお冷が人数分より一つ多く出てくる。
店員にそのことを告げると、「もうお一方いらっしゃるように見えたので」と言われる。
ではそのもう一人とは、いったい誰か?
決まっている。
もう一人は──この世のものではない。
「ままままさかですよね。だって今日の依頼はハクビシンのしわざで……!」
「落ち着けあざみー! 今日のは幽霊関係ないってちゃんと確認したじゃん! ハクビシンの写真も撮ったし!」
「で、でも、そういえば依頼人さんが見た夢の男って、結局誰だったんでしょう?」
ジャスミンの顔がどんどん青ざめていく。
「そ、そうだ! きっとセンター長さんですよ! 男の人って言ってましたし! 私の脳内からセンター長さんの気配がしみ出してきたのが店員さんの目には見えちゃって……」
「それはそれでだいぶ怖い気がするんだけど!」
とにかく出よう、とジャスミンが立ち上がる。
あざみも慌てて後に続いた。
お冷のグラスを横目に見ながら、このまま話し続ける気にはどうしたってなれなかった。
車に乗り込んでからも、二人は無言だった。
おみやげのピリ辛チキンを買ってもらい損ねたことに気が付いたけれど、今さら戻ろうとは思えなかった。
車が走り出すと、あざみはバックミラーやカーブミラーにちらちらと目をやった。そこに「何か」が映り込んでいやしないか、気が気じゃなかった。「何か」なんて見たくないけれど、何もいないという確証がほしくて、目を向けずにはいられない。
そんな状態だったから、街灯が軽く点滅しただけでも、お尻を座席から数センチ浮かせて跳ね上がった。その度にジャスミンに「びびらせないでよ! あたしがハンドル操作ミスったらあざみーも一緒に死ぬんだからね!」と怒られる羽目になった。
幸いにも決定的な何かが起こることはないまま、車はセンターが入るビルの前に着いた。
「こんな時間だけど、ほんとに家まで送ってかなくていいの?」
「はい。一度センター長さんに報告してから帰ります……」
「……そっか。それじゃ、また」
いつもと同じ挨拶を、いつもより歯切れ悪くジャスミンは口にした。
あざみもいつもよりこわばった笑顔で手を振る。
車が行ってしまうと、急いでビルの中に入り、エレベーターに駆け込んだ。
今は一分一秒でも一人でいたくなかった。
旧式のエレベーターが軋む音にいちいちおびえながら、地下四階に着くと同時にケージから飛び出す。
「センター長さあん!」
音を立てて扉を開くと、部屋の奥で「おや」と誰かが顔を上げた。
そこには、暗闇に浮かび上がる白いものがあった。
それが顔だとかろうじてわかったのは、輪郭が人間の顔をかたどったものだったからだ。
しかし輪郭の内部には、本来ならば顔に付いていて然るべきものが何もなかった。
目鼻も口もなく、ただ白い虚無だけが、顔の形をして浮かんでいる。
あざみは今度こそ喉から悲鳴を上げた。
しかし腰を抜かしてその場にくずおれると、白い顔がもぞもぞと動き出した。
「期待以上に驚いてくださってありがとうございます。この面も本望だと思いますよ」
「顔」はそう言ったかと思うとごとりと外れ、見慣れた顔がぬっと現れた。
「ちょうど新しい面を手に入れたところでして。あざみさんの感想をうかがおうと思って待っていたのですが」
「タイミングが悪すぎますよお!」
目尻に涙が浮かぶ。立ち上がろうとしたが、膝が笑ってうまくいかない。
立てないでいるあざみを哀れに思ったのか、センター長は車椅子を軋ませながら部屋の奥からやって来て、手を差し伸べた。
「どうしました。依頼の方は無事に解決したと言っていたはずですが」
遠慮なくその手を使わせてもらい、ようやく立ち上がる。
「きいてください! 出たんですよ、センター長さん!」
センター長の車椅子を押してデスク前に戻りながら、あざみはファミレスでの出来事を話した。
センター長は「なるほど、なるほど」と微笑を浮かべ、幾度もうなずいた。
「有名な怪談ですね。ファミリーレストランに限らず、焼肉店や居酒屋、喫茶店に蕎麦屋などあらゆる飲食店のバリエーションを持つ逸話です。飲食店だけでなく、花見やバーベキューに舞台が移る場合もあるようですね。実際に体験されたとは、うらやましい限り」
「うらやましいことなんか一つもないですよ! 怖いだけです!」
「そう怖がることはありませんよ。余分なお冷が一つテーブルに載っていた、店員がもう一人男性客が席にいたと言った。要はそれだけの話でしょう?」
「それだけって……」
「あざみさん。店内でメガネはかけてみましたか?」
メガネはセンター長にもらったものだ。かけると「過去の痕跡」がはっきりと見えるようになる便利アイテム──なのだけれど、「痕跡」は幽霊のような禍々しい姿をしているので、積極的に使いたいものではない。
「い、いえ。怖くなって、すぐに出てきてしまったので」
「そうでしたか。ですがかけていれば、おそらく真相が見えたと思いますよ」
車椅子をデスクに向けて方向転換させると、ぎ、と車軸が音を立てた。
「よく考えてみてください。今からでも推測は可能なはずです」
センター長はデスクに両肘をつき、組み合わせた手の甲の上に顎をのせる。
「今回の場合、すでに怪異の特定はなされています。特定のタイトルを持たない怪談ですが……仮に『一つ多いグラス』とでもしましょうか。古来、怪異は名前さえわかれば対処可能とされてきました。つまり私たちのやり方でいえば、『解体』が可能な状態となるのです。こうして名付けて特定がなされたのなら、あとは一本道ですよ」
「え、でも、何の調査もしてませんし……」
「あざみさん、思い出してみてください」
センター長が身じろぐと、首から提げた逆三角形型のオブジェが揺れた。
「店内で何か変わったことはありませんでしたか?」
「変わったこと……」
あざみは口元に手をやり、店内の情景を思い浮かべた。
「頼んでないメニューが一度運ばれてきました。私たちのほかにお客さんはほとんどいなかったので、間違えるにしても変だなとは思ったんです」
「お客はほかにどんな方がいましたか?」
「ええと、ちょっと待ってください」
あざみは鞄から手帳を取り出してデスクに広げた。箇条書きでメモを取りながら思い出してみることにする。
「私が見た範囲だと、若い女の子一人しか……あ、でも、彼氏が泥酔して遅刻してきた上に先に帰ってしまったというような電話をしていたので、もしかしたら最初は二人でいたのかもしれません」
「なるほど。ほかに気が付いたことはありますか」
「うーん、気付いたことというか……ジャスミンさんは、入店してすぐお手洗いに行きました。だから注文は私が代わりにやって、その後一人でドリンクバーに向かったんです。三つのお冷は、席に戻った時にはもうありました。店員さんに注文した時、『すぐにお冷もお持ちします』と言っていたので、席を外している間に置いてくれたんだと思います。三つあるのは、ジャスミンさんがお手洗い帰りに一つ持ってきたのかなと、その時はそれほど不思議には思いませんでした。反対に、ジャスミンさんは私が余分に持ってきたんだと思ってたみたいです。頼んだのが辛いドリアだったので」
「結構です、よくわかりました。席を外している間にお冷が置かれていたのなら、店内にいた人なら誰でもセットできる状況にあったということですね」
「え? 店内にいた人なら誰でもっていうか、店員さんが三つとも置いたんじゃないんですか?」
「いいえ。店員が持ってきたのは、あくまで二つだったはずです」
「それって、つまり」
あざみは手帳から顔を上げた。
「つまり今回の件は、怪談じゃないってことですか?」
Excellent! と美しい発音でセンター長は言った。
いつも怖い話ばかり吹き込んでくるセンター長が、今は光り輝いて見える。
「残念ながらその可能性が高いでしょう。先入観とは恐ろしいものです。耳にしたことがある怪談と似たような状況に身を置いた時、人は無意識に逸話と自分の体験を関連付けてしまうものです。たとえば口裂け女の話を聞いた直後に、真っ赤なトレンチコートにマスク姿の女性とすれ違えば、誰しも身構えるものでしょう?」
「それは……たしかにそうかもしれません。でも、そもそもどうして店員さんは私たちが三人連れだって勘違いしたんでしょうか?」
「単純な話です。おそらく店員の彼女は、あなたたちのテーブルに男性がいるところを本当に見たんですよ」
「でも私たち、ずっと二人で……」
「あざみさん。あなたとジャスミンがいたのは、国道沿いのイタリア料理専門ファミリーレストランでは?」
「え? 正解ですけど、私どこの店にいたかまで言いましたっけ? なんで知って……あ、千里眼ですか?」
センター長は首を横に振った。
「この近辺で深夜までやっている飲食店は、居酒屋を除けばあそこだけです。二人とも成人済みですので居酒屋の可能性がないわけではないですが、ジャスミンは車を運転しないといけませんからね。選ぶ確率は低いといえるでしょう」
「た、たしかに」
「となれば内装も予想がつきます。店内を広く見せるために奥の壁には鏡が貼られ、壁のところどころに天使の絵が描かれている。間違いありませんね?」
「はい。そんな感じだったと思います」
「そしてあざみさんたちが通された席は、奥の壁際──つまり鏡の目の前で、かつ背後には天使の絵があったのでは?」
「なんでそんなことわかるんですか⁉ 今度こそ千里眼使いましたか」
「いいえ。そうでないと、三人目の男は出現しようがないからです。あざみさん、ちょっとそこの本棚の隙間から姿見を出してきてくれませんか」
隙間を覗き込むと、たしかにそこには古びた姿見があった。ほこりっぽさに閉口しながら引っぱり出し、センター長の指示通りデスクの背後に置く。
大きな姿見は先日のきのこの配信を思わせて、あざみは小さくため息を吐いた。
「それからその棚のビスクドールを、私の前に」
今度は棚から縦ロールのお嬢様然とした人形を下ろし、センター長の前に座らせた。
姿見には、人形と向き合うセンター長の背面が映し出される。
「最後に、どれでもいいので壁から肖像画を一つ外してきてください」
あざみは一番手近にあった、顎がやや特徴的な男性の肖像画を壁から外した。彼の白い顔は、暗がりの中では浮き上がって見える。
「では姿見を正面に見たまま、肖像画をお腹の前で掲げて……もう少し下がってください。もう少し……はい、そこで止まって」
「……あ!」
立ち止まった途端、あざみは思わず声を上げた。
「どうですか。店内に現れていたのと同じ光景が、あざみさんにも見えたと思いますが」
姿見の中には、センター長とビスクドール、そして肖像画の男の三人が映っていた。
肖像画の男の胸から下はデスクに隠れ、ちょうどセンター長の隣に座っているように見える。その卓ではあたかも、センター長とビスクドールと肖像画の男、三人がおしゃべりに興じているかのようだった。
「店内でのあざみさんのように席に着いていれば、絵の中の天使はただ鏡の中に浮かんでいるだけでしょう。けれど立ち位置によっては、ちょうどソファに座っているように見えたはずです」
「じゃあ店員さんは、鏡に映った絵の天使をもう一人の誰かだと見間違えたってことですか?」
しかしセンター長は「いくら疲れの溜まる深夜のこととはいえ、素面の人間が鏡に映った絵を本物の人間と取り違えるでしょうか」と首を傾げた。
「素面の……」
「しかし、泥酔している人間ならばどうでしょう」
「それって、もしかして」
「ええ。店内にいた女性は、恋人の酒癖の悪さに怒っていた。想像してみてください。酒に酔った男が来店し、恋人の姿を探してまっすぐに店の奥へと歩いていく。そこで鏡に映った天使が、テーブルについているのを見る」
もうおわかりでしょう、とセンター長は目を伏せた。
ええと、とあざみはセンター長の言葉の続きを引き取った。
「私はドリンクバー、ジャスミンさんはお手洗いに行っていて、席には誰もいなかった。そこに店員さんが二つお冷を運んできて置いた。
その後で泥酔した男の人が来店して、セルフコーナーでお冷を注ぎ、グラスを持って彼女の姿を探す。そして鏡に映った天使を彼女と勘違いして席に座った。お冷が最初から二つあったのは、彼女が自分の分も先に用意してくれたからだと考えた。
これで、テーブルの上のお冷は三つになる。
男の人は、店員さんを呼んでミックスグリルを注文した。しばらくして間違いに気付くか彼女に発見されるかして席を移ったけど、その時にお冷のグラスを置いていった。
店員さんは私たちのテーブルで男の人から注文を受けていたから、三人連れだと誤解した……ってことですか?」
センター長がぱちぱちと拍手をする。
拍手に混じって、頭の片隅で鍵の開くような音を聞いた気がした。
「おめでとうございます。これで無事に解体は完了しました」
Fabulous! とセンター長が口笛まじりにつぶやく。
はーっと深く息を吐くと、あざみの体から力が抜けていった。
「お、お騒がせしました……! 本物の幽霊じゃなくてよかったです! そうだ、ジャスミンさんにも真相を報告しておきますね!」
あざみはメッセージアプリを立ち上げ、ジャスミンに事の顛末を短くまとめて送信した。
姿見を本棚の間に戻し、肖像画を片付けようと手に取る。
「それにしても、天使を恋人に見間違えるとは。そこだけ切り取ればなんともロマンチックな話だというのに、今頃は別れを切り出されているんでしょうかね」
お気の毒に、とセンター長は平坦な声でつぶやいた。
「そうそう、あざみさん。言い忘れましたが、これはあくまで『真相のように見える推論』に過ぎません。あざみさんかジャスミンが本当に幽霊に取り憑かれていて、店員がそれを目撃したという可能性が消えたわけではないですよ。むしろ私としては、それこそが真実であってほしいところです」
あざみは壁にかけ直そうとしていた肖像画を取り落としそうになった。
「センター長さん! せっかく安心したのに、また怖がらせようとしないでください!」
「怖がらせるつもりはなかったのですが」とセンター長はうそぶき、デスクに置かれたままのあざみの手帳に目を留めた。
「おや。トシカイくんが増殖していますね」
センター長は手帳にスマホを向けると、あざみの描いたイラストを写真に収めた。
「あ、そうだ! 幽霊騒ぎですっかり忘れてました! TKCチャンネルの視聴者をもっと増やしたいなって思って、さっきまでジャスミンさんと作戦会議をしてたんですよ! そこでマスコットキャラをもっと活用した方がいいのではという話が出まして」
「ほう。ほかにはどんな作戦が?」
「ええと、ジャスミンさんの案だと、センター長さんが激辛料理に挑戦したりですとか! センター長さんっていつも涼しい顔ですし、汗をかく姿を見せるのもギャップがあっていいんじゃないでしょうか!」
「なるほど、お断りします。そもそも動画では面をかぶっているので、ギャップも何もないでしょう」
「ダメですか……。それじゃあ第二候補はどうでしょう! センターで猫さんを飼育、その模様を生配信!」
「却下です。あざみさんにはこの常時薄暗くほこりっぽい環境が、動物を飼育するのに適しているように見えますか?」
「見えない……ですね」
言われてみればその通りだ。下手をすれば「猫が可哀想」と炎上しかねない。ネット民は常に猫の味方なのだ。
「うう……ではこれは奥の手ですが……センター長さんが顔出しするのはどうでしょう!」
はて、とセンター長は髪の毛を耳にかけた。
「私が顔出しをして、それがどう登録者数増加につながるのでしょうか」
「絶対増えますよ! だってセンター長さん、かっ……」
「か?」
「いえ、なんでもないです! 忘れてください!」
あざみは思わずうつむいた。なんだか顔が熱い。
いつもなら「センター長さんは顔がかっこいいですから!」くらい普通に言えた気がするのに、今日は無理だ。ジャスミンがあざみが描いた漫画の設定を「センター長とあざみーみたい」なんて言ったせいにちがいない。
「まあいいじゃないですか。うちのチャンネルを気に入って見て下さる方も、かなりの数らっしゃいます。あざみさんがチャンネルを気にかけてくれるのは嬉しいですが、よそはよそ、うちはうちですよ」
センター長はスマホを操作し、「見てください」とあざみに差し出した。
液晶の白い光が、薄暗さに慣れた目にまぶしい。
「数字に拘泥していると、だんだんと本来の目的を忘れて『数字さえ取れれば何をしてもいい』に変容していってしまうものです。人間は脆くて弱い、愛らしい生き物ですからね」
映し出されていたのは、SNSで「谷原きのこ」を検索した結果の画面だった。
『謝罪動画まだか』
『やらせで俺らの時間奪った罪は重い』
『スーツで土下座じゃ鉄板すぎてつまんないよな』
『樹海で一週間耐久謝罪配信とかどうよ』
『きのこが自〇して、体張った「事故物件作ってみた」やってほしい』
最後のポストには、数千のいいねが付いていた。あざみが見ている間にも、その数は増えていく。
「ひどい……」
全身の血が冷えるような心地がした。
きのこはたしかに善人ではなかった。だけどここまで言われるようなことをしただろうか。それも、これまで動画を楽しんで見ていただろう視聴者から。
「ご覧の通りです。きのこさんのチャンネルは例の件からさらに登録者数を増やしていますが、大半は彼らのように『謝罪』という名の罰ゲームを待っている輩ですね」
センター長はあざみの手からスマホを取り上げた。これ以上見る必要はないとでもいうように。
「きのこさんは視聴者数を増やすことにやっきになっていました。この状況が彼だけの責任だとは言いませんが、やはり真っ当でない方法に頼るべきではなかったということでしょう」
ですから、とセンター長は口元をかすかに引き上げた。
「せめて彼を反面教師にして、我々はのんびりと正攻法で視聴者を増やしていくとしましょう。焦らなくとも大丈夫ですよ、あざみさん」
センター長の視線には、有無を言わせないものがあった。
すべてを見透かすようなこの目を前にすると、何も言えなくなってしまう。
あざみは「はい……わかりました」と返事をするしかなかった。
数日後、あざみはまたしても都市伝説解体センターにいた。
新しい依頼が入ったと、センター長に呼び出されたのだ。
ビスクドールも肖像画も定位置に戻り、いつも通りの光景がそこにある──ように見えたのだが、センター長のデスクの隅に、見慣れない物体が並べられているのに気が付いた。
トナカイのような、そうでもないようなキャラクターのフィギュアが二体。
それはノーマルトシカイくんと、あざみが描いたリボン付きのトシカイくんフェミニンVer.だった。
二人は仲良く並び、そろって親指を立てている。
「登録者数アップはともかく、マスコットキャラを活用した方がいいというのはその通りだと思いましてね。知り合いに頼んで、3Dプリンターで出力してもらいました」
かわいいでしょう? とセンター長はリボン付きトシカイくんをつついた。
「はい! とってもかわいいです!」
ジャスミンは微妙な反応だったが、センター長がかわいいと言ってくれるなら、二対一の多数決でトシカイくんはやっぱりかわいいのだ。
その時、あざみのスマホが短く鳴った。
「あ、ジャスミンさんが上に着いたみたいです。それじゃあ、いってきます!」
元気よく挨拶してセンター長に背を向けると、かすかに笑いを含んだ声が追いかけてきた。
「今日も『異世界』の調査をよろしくお願いしますね」
異世界、という言葉に引っかかるものがあり、「え?」とあざみは振り返った。
センター長は薄く笑っていた。
「世界を救うんでしょう? がんばってくださいね」
全身の毛穴から汗が噴き出す。もう季節は秋だし、センターはいつでもひんやりと涼しいというのに。
「な、なんで漫画のこと……!」
その時、チン、と音を立ててエレベーターが地下四階に着いた。
センター長がひらひらと手を振る。
「いってらっしゃい。あざみさんの『異能』を必要としている人が、今日も待っていますよ」
この前の夜とは違う理由で、頬が焼かれたように熱くなった。
「センター長さん! 千里眼を変なことに使わないでくださいぃ!」
恥ずかしさで半泣きになりながらエレベーターに駆け込むと、センター長の返事が聞こえてくる前に扉が閉まった。
ケージはゆっくりと上昇を始める。
福来あざみを、今日も異世界へと連れていく。
【おわり】