【最終選考作品】イン・マリ・パックス(著:三嶋水琴)


「わたしゃ高い所は嫌いだよ」
 ゴンドラの扉が閉められた途端、祖母はそんなことを言った。
 今まさに孫と観覧車に乗り込んだタイミングで言うことか? と頭の中では思ったが、私は「はあ、そうですか」と返事をするに留めて、祖母の真向かいに腰を下ろす。祖母も祖母で実のある答えが欲しいわけでもないようで、そのまま黙り込み、窓の外を(けわ)しい顔で眺めている。
 みなとみらいの夜は明るい。(よい)に沈むほどに、海辺を彩るレジャー施設の輝きは増し、ホテルやオフィスのビル群は冷たい白や青の光を(まと)う。黒い海には都市の煌々(こうこう)とした灯りの反射が散って、その波間を()(かた)(ぶね)がなめらかに滑っていく。
 私にはどこまでも見慣れた地元の景色だ。ぐっと伸びをして肩の力を抜く。(ちゅう)()(がい)の店で夕食をとったきり、(やま)(した)(こう)(えん)からここまで歩き詰めだった。明るい夜は安心する。
 祖母はどうだろうか。視線を上げてそっと祖母の方を(うかが)うと、険しい横顔が足下の遊園地の赤紫色のネオンに照らされて、深い(しわ)の一本一本までくっきりと見える。その光景のアンバランスさにちょっと笑いそうになったが、なんとか上がりかかった口角を横一文字に維持した。相変わらずゴンドラの中は無言である。
 時刻は夜九時。平日なので()いているかと思ったが、この港町の夜景を見たいという人はいつでも多いのか、みなとみらいのシンボルマークである大観覧車の列は伸びていた。とはいえ、せいぜい待っていたのは三十分ぐらいだろうか。その間も祖母とはさほど会話はなかった。
 だいたい、祖母は本心からやりたくないことは死んでもやらない気質の人だ。日も暮れて行き場に困り、苦し(まぎ)れに観覧車を指さして「あれにでも乗ってみますか」と問いかけた時に首を横に振らなかった時点で、祖母は私の提案を受け入れている。高い所は嫌いだ云々はただの独り言に過ぎない。孫娘として、それぐらいは承知している。
 なので、八十代の祖母と二十歳大学生の孫、差し向かいで粛々(しゅくしゅく)とゴンドラに()られているこの空間は、互いに容認したものなのだ。あの気難しい人と一緒にいて、よく気詰まりしないねえ、とは母の談である。
 私は祖母に(なつ)いている、と母から思われている。
 別に私は(こと)(さら)に祖母を(した)っているつもりはない。どちらかというと、母が祖母に反発しすぎているのだ。全てのことに確固たる持論があり、無口な代わりに言葉を発せばぴしゃりと厳格に打ち()えてくる祖母と、いい加減な性格でとにかく手も口も回っておしゃべりな母は、それはもう相性が悪かった。
 祖母のいる長野の(まつ)(もと)の実家に帰るたび、母は祖母と(けん)()して大暴れに暴れた。そこそこいい大人の母が、祖母の前では完全にただの(かん)(しゃく)持ちの娘に戻った。幼い私はちゃぶ台でお(ぎょう)()よく座りながら、よくやるなあ、と思って二人の言い争いを聞いていた。それでも母は毎年帰省を欠かさないのだから、親子の縁というのは分からない。母が心の底で何を思っているのか知らないが、私は別にそれを詳しく聞きたいとも思わないので、謎のままにしている。
 そんな母の祖母に対する態度に比べれば、私は何倍も穏やかだっただろう。なんせ物静かな子どもだった。祖母もまた、やたらに(しゃべ)ると疲れがちな人間だったので、子どものくせにやかましくない私と居ることで落ち着いていたのかもしれない。祖母は母と台所なんかでやりあった後、ため息を吐きながら居間にやって来て、ちゃぶ台で絵を描いたり学校の宿題をしたりしている私のそばに座った。そして黙ったまま、テレビをつけたり本を読んだりしていた。
 時折、テレビに出ている芸能人を指さして「あんた、この人みたいになっちゃいけないよ」「あの人は若いのに立派だよ」とか言ってくるので、私はへえとかはあとか五回に一回くらい生返事をした。祖母がせんべいや茶菓子を食べる時は一緒に食べさせてもらえるので、私は祖母と居間で過ごすのがまあまあ好きだった。一度、祖母は「子どもはこういうのが好きだろう」と、祖母自身はあまり飲まないコーラを用意してくれたが、炭酸が苦手だった私はそういう時だけはっきり「いらないです」と答えた。受け答えはおずおずするな、とは当の祖母からの教えだったのだ。そうかい、と祖母は(うなず)き、自分でそのコーラを飲んでみて、「ふん、意外といけるね」などと一人で(つぶや)いた。その間、私はここぞとばかりに出されたせんべいをもりもり食べていた。
 もう十年は昔の話である。だが、母にはあの頃の光景が強く残っているらしい。
「おばあちゃんが(よこ)(はま)に来るって。案内してあげてよ」
 夏休み中の暇な大学生という身分を(まん)(きつ)していた私に、母から急な指令が下った。祖母が松本から出てくるのはめったにないことだった。ここ横浜には、母と父の結婚式の際に訪れた一度きりで、以後は来たことがないという。
「墓参りに来るんだってさ。ご存命だった最後の女学校時代の友達が、こないだ亡くなったらしいの」
 祖母は横浜(やま)()の女学校の出だった。海と港町をひろびろと望める丘の上に校舎がある、古風なキリスト教系の学校だ。その話は母から何度か聞かされていた。母は、山に囲まれた松本で育った反動か、海の見える土地に憧れる少女になり、祖母に対して「なんで私もその学校に入れてくれなかったんだ」と怒ったらしい。そして実家を出てからは迷わず横浜に居を構えた。おかげで娘の私は横浜生まれ横浜育ちの生粋(きっすい)のハマっ子だが、取り立てて海は好きでもない。
 反対に、祖母は女学校を出たのちは長野の大学に行き、そこで中学校の教員となってからは、結婚し子育てをし、定年まで働いて、横浜には戻らなかった。年老いて(あし)を悪くするまでは山登りが趣味だったというから、(しん)(しゅう)の地が気性に合ったのだろうか。私の父母の結婚式に訪れたのも二十年以上前で、しかも一瞬だけだ。祖母の中には六十年も昔の横浜の姿しかない。
「ちょっとした浦島太郎みたいなもんよ。あの人、(さくら)()(ちょう)の辺りなんか見たらどうなっちゃうのかしらね。みなとみらいがある場所なんて、ほとんど丸ごと埋立地なんだから、あの人の記憶では海よ、海」
 そんな母の言葉を受けたせいだろう。祖母を案内する足がなんとなく海辺に向かい、この観覧車まで連れてきてしまった。
 ゴンドラは昇る。祖母は相変わらず、背筋をぴんと張って(きら)びやかな港町を(へい)(げい)している。険しい顔は素の表情なのか、この夜景が気に食わないからなのか、ハタから見ているだけでは分からない。私は一応声をかけた。
「どうですか。綺麗じゃないですか」
 つい敬語になってしまうのに深い意味はない。祖母は私が生まれる前に教員を退職していたが、どこか子どもを従わせる不思議な力をまだその身に宿している気がして、だらしない性根の私も自然とかしこまってしまうだけだ。祖母は視線をこちらには向けず、夜景を見つめたまま答えた。
「綺麗は綺麗なんだろうね。ひとつも懐かしい景色はないがね」
 ぶつぶつと「工場もなきゃ造船所もない。昔から変わらないのは赤レンガ倉庫と海だけだよ」と評する祖母の横の窓からは、そびえ立つランドマークタワーが見える。そりゃあんな七十階建ての建物が、祖母の青春時代にあったはずはないだろう。
 私は(もと)(まち)中華街の方角に顔を向ける。山手の(ふもと)(まち)であるあの辺りは、まだ六十年前から変わらない()(ぜい)を残している。祖母と昼過ぎに待ち合わせたのも元町商店街だ。てっきり祖母は午前中に墓参りをして来たのだと思っていた私は、そちらを指さして(たず)ねた。
「亡くなったっていうお友達のお墓は? あっちの方にありますかね」
 すると祖母は、初めて視線を動かして、私の指さす方向を見ると、ゆっくり首を振った。
「え? じゃあどこに」
「ここだよ」
 ぽかんとして目を丸くする私に、祖母は黙って海の方を指さした。波間に無数の都会の輝きを反射する、夜の黒い海。
「海洋散骨だそうだよ」
 そう言ったきり、祖母はまた沈黙して夜景を(にら)むのに戻ってしまった。横浜の海の上に浮かぶ、人工的な光に満ちたみなとみらいの街の夜景を。
 どう反応していいか分からず、私も口を閉ざした。ゴンドラは観覧車の頂点に達しようとしていて、インターコンチネンタルホテルの帆の形をした建物が近付いてきた。祖母はそれらの景色を、見ているんだか見ていないんだか判然としない、皺だらけの目元から眺めている。
 私は(とう)(とつ)に、この人はどういう人生を送ってきたのだろうか、と思った。
 あんたとおばあちゃんは似ている、というのも母の談だ。
 そうだろうか。私は祖母と自分が似ているとは思えない。祖母は真面目(まじめ)な人で、強い人でもある。私は真面目ではないし、すぐ疲れてしまう(なま)け者だ。
「あの人は、見た目通り我が強い。あんたも、ぼんやりしているくせに、根っこのところは我が強いんだから」
 母の説明はこのようなものだった。そう言われれば、そんな気もする。特に子どもの頃は、お節介焼きで何かと干渉してきがちな母が(うっ)(とう)しくて、(ゆず)れないことには厳格だが他のことは放っておいてくれる祖母の方が波長は合った。だがそれだけだ。あの居間でちゃぶ台を囲んでいたひとときに、私と祖母の間でまともな会話はなかった。私はこの人の生きてきた()(せき)をろくに知らない。
 ただ一つ、妙に鮮明に覚えている祖母との会話がある。
 中学三年生の夏だった。私が祖母の家でやることは変わらず、ちゃぶ台でワークシートを広げて模試のための勉強をしていた。世界史の復習だった。正直、まともに受験勉強などする気になれず、好きな範囲ばかりを適当にやっていたように思う。
 そこへ、午前中の家事を終えた祖母が居間にやって来た。私はワークシートの(くう)(らん)を前に、もう完全に集中を切らしてペンを回していた。元教員とはいえ、祖母は私の宿題や勉強に口を出してくることはなかった。なので、祖母が私の背後を通り過ぎた時にも、何か言われるとはまったく思っていなかったのだ。
 しかし、(となり)に座った祖母はいきなりこんな言葉を発した。
「ぱっくす・ろまーな」
 え、と顔を上げれば、祖母は私の手元を(のぞ)き込んでいる。ペン先でつついていたワークシートの空欄の答えは、答案集で確かめると確かに「パックス・ロマーナ」と赤字で書いてあるのだった。古代史など中一以来でろくに覚えていなかった。
「ろまーな、がローマなのは分かるんですけど。ぱっくす、は何ですか」
 わざわざ祖母から勉強について何か言われるのは初めてだったので、私はちょっとだけ好奇心が()()えた。
 祖母は手を伸ばして、私からペンを受け取ると、ワークシートの余白に非常な達筆で「平和」と書いた。へいわ、と私が復唱すると、祖母は満足そうに頷いて、その下に「pax」と筆記体で付け加えた。
 別に何ということもない、ただそれだけの記憶なのだが。
 ガコン、と座席が()れて、私の意識は夏の昼の居間から、みなとみらいの夜空のゴンドラ内に戻された。観覧車はちょうど頂上に辿(たど)り着いたところだった。周りに何の(しゃ)(へい)(ぶつ)もない、宙に浮いて見るような完全な夜景が広がる。
 (ずい)(ぶん)ぼんやりしていた気がする。私はちらりと腕時計で時刻を確認した。それは、乗り込んでからどれくらい時間が()っただろうかと思っただけの、何気ない動作だった。
「あんた」
 声をかけられて顔を上げた。
 なぜかその時、祖母は窓の外ではなく、私の左手首を見ていた。急に話しかけられて私が()(まど)っていると、手首に巻かれた腕時計に対して一言だけ、告げた。
「その時計、いいね。どこの時計かね」
 いいねも何も。私は言葉を失った。
 頂点にいたのはごく一瞬で、ゴンドラは下へと沈んでいく。祖母は既に時計には興味をなくしたのか、「急に揺れると驚くじゃないかい」とぶつくさ言いながら座席に座り直している。
 私は服の(そで)をのばして腕時計を隠した。なんとなく、言うに言えなかった。
 このシチズンの白い文字盤の腕時計は、当の祖母から母へ(おく)った成人祝いの品であるはずだからである。
 実用的で質素なデザインだが、丈夫で長持ちする品である分、娘の私がお下がりとして使っていても不自由がない。祖母も(そろ)いで買ったため、同じ時計を長く愛用していた。何年か前に寿命を迎えて壊れるまで、帰省するたびに祖母の手首には細い金属のベルトが光っていた。結局はあまり使わず保存されていた母の時計とは違い、使い古されたその腕時計から、教員として時間に厳しく働いていた頃の祖母の名残(なごり)を感じたものだ。
 それを祖母は忘れている。
 観覧車は頂上から降りるまでの時間は速く感じる。ゴンドラはすぐ降り口についた。よっこらせ、と祖母が立ち上がる際に曲げられた腰と背筋は、いかにも老人らしかった。私はふと、祖母が真面目で強い人であれるのもそう長くはないのかもしれない、と思った。
 母が祖母の案内を私に任せた理由も分かる気がした。確かにここ数年、祖母は少しずつ物忘れが増えていた。祖父が亡くなったのと、例の腕時計が壊れたのは、ほぼ同じ時期だ。あれから母は帰省しても祖母と(けん)()する回数が減っていった。おそらく母は、何も言わないが、弱った祖母と向き合うことを恐れている。これがもし祖母と向かい合っていたのが母で、先ほどの発言を聞いていたなら、母はどんな気持ちになっただろうか。
 乗降用の建物を出て、外から観覧車を見上げる。側面についているデジタル時計には「21:32」と表示されていた。
 ご老体を(いたわ)るつもりもあって「そろそろ帰りますか」と(たず)ねた。しかし祖母は首を横に振った。
「海が見たいね。赤レンガからの海がさ」
 祖母がそう言うならついて行くしかない。ここから赤レンガ倉庫までは歩きで十分程度、私たちは淡い間接照明の灯ったショッピングモールのウッドデッキを通り抜けていく。目に映る人々はたいていが若者か勤め人で、カップルか一人の姿が多い。時折家族連れがいても老人の姿は見当たらない。
 悪くした(あし)を守ってか、少しゆっくり歩いていた祖母は、自販機の前で立ち止まった。「(のど)が渇いたんだ。あんたにも何か買ってやる」と言う祖母に、私は(あわ)てて「これぐらいは自分で出しますよ」とICカードを取り出す。ほお、と(ばく)(ぜん)とした声を発する祖母は、おそらく電子マネーの支払い方をよく分かっていないが、私が先に爽健美茶を買ってしまえばひとまず納得はしたらしい。
 祖母は迷わずコーラのボタンを押す。てっきり私のために買おうとしているのかと思い、自分の分はもう買ったと茶のペットボトルを示すと、祖母は鬱陶しそうに手を振った。
「分かってる、自分のだよ。あんたこれ好きじゃないだろ」
 はあ、と私は気の抜けた返事をする。こういうことは覚えているのだ。プシュッと景気のいい音を立てて赤いキャップをひねった祖母を見ながら、案外、私ではなく母がここにいたら、腕時計のことも忘れていなかったんじゃないかと思ったりした。
 (しば)()の広場の道をのろのろ歩く。赤レンガの建物が海の方にそびえている。中のショップは既に営業を終えているのだろう。倉庫に挟まれた広い道で、数人の若者が段差に座り()()っているぐらいしか目につく人はいない。この道の先に海が見えた。
 そばのターミナルから(ごう)()(けん)(らん)なクルーズ船が光の粒を振りまきながら夜の海に出航していく。腰の高さの手すり越しに横浜の海を臨むこの場所で、祖母はしばらくじっと立っていた。海沿いの遊歩道はこの時刻でも(さび)しい景色にはならず、背後に街の明かりを背負って、夜のランニングをする人や散歩を楽しむ人々がほどよく行き交っていた。
 この海すべてが祖母の友人の墓。それを見つめる老女の心を推しはかるなど、たかだか二十歳(はたち)の大学生にはどだい無理な話だ。私は祖母から五歩くらい離れたところに突っ立って、ぼうっと祖母を見守っていた。
 女学生時代の祖母は、その友人とこの場所から海を眺めたことがあるのだろうか。元町商店街を散歩して、中華街を通り抜けて、山下公園で夕焼けに照らされたことがあるのだろうか。祖母はどんな少女だったのだろう。
 祖母の真っ直ぐな背中を見ていると、あの時の会話を思い出す。ローマの平和。帝国の秩序のもとの(あん)(ねい)。自らを律する祖母の生き方に、あのラテン語の文字が重なる。
 pax。私にとっては、祖母の家のちゃぶ台を連想させる言葉。
「イン・テラ・パックス、というラテン語もあるんだよ」
 私の意識は再び中学三年生の夏に飛んだ。午後の陽が差す松本の家の居間で、祖母はさらさらと紙に古代の言葉を書き記す。
「in terra pax。聖書の言葉でね。意味は、『地には平和』」
 祖母がそんな知識に詳しいのは、世界史が専門の社会科教員だったからだと考えていた。だがひょっとしたら、歴史の長いカトリック校だったという祖母の母校の記憶も関係しているのだろうか。
 もちろん、そんなことは中学生の私には知る由もない。中学生の私が気になったのはまったく別のことだ。そこで私が祖母に尋ねたのは、今思えば、どうして(とっ)()にそれを思いついたのだと首を(かし)げたくなるような、(とっ)(ぴょう)()もない質問だった。
 あえて言うなら、なんだかんだ言っても私は、海とともに育った港町の子なのだということか。
「『海には平和』、はないんですか?」
 祖母はしばし思案した。そして、もしそのように言うならば、とゆっくりペンを動かした。
 その流れるような筆記体は何と書いていたのだったか。思い出せない。今の私の頭にその文章が出てこないまま、過去の会話は進行していく。
あの、おばあちゃん。ひょっとして」
「どうした?」
「私の名前って、おばあちゃんがつけたでしょう。それって、もしかしてこの単語から取ってる? これ、『海』の意味でしょう?」
「うん? ああそうか。terraが『地』だから、代わりに入ったこれが『海』だと分かったんだね。その考え方はよろしい。だが、あんたの名前はここから取った訳じゃないよ」
 この夏の終わり、祖父は亡くなった。そして祖母の腕時計は壊れた。母と祖母の喧嘩は減り、高校生になった私は私で、部活や友人付き合いを優先してまともに松本を訪ねなくなり、居間での時間は無くなっていった。
 真面目で強い、祖母らしい祖母とまともに会話したのは、これが最後の記憶だった。
「ラテン語には活用があるんだ。『海』のラテン語の名詞はmare(マレ)。これがこの文章だと、前置詞inの後に入るから(だっ)(かく)ってのになってだね」
「あ、もう無理です。入ってこないです。説明いらないです」
「なんだい根性の無い子だねえ」
 波の音が聴こえる。私にとって、海といえばコンクリートだらけの人工的なみなとみらいの海だ。明るい街。明るい夜の海。
「あんたの名前はばあちゃんのお友達からとったのさ、()()、いい名前だろ。でもそうだね、あんたの母さんは海が好きだから、ちょっとこじつけて海ってことにもしておくといい」
 その文字列は(とう)(とつ)に頭に降ってきた。
 in mari pax。『海には平和』。
「イン・マリ・パックス」
 意識せず、私は声に出していた。
 だがその声は、突然鳴り響いた音楽にかき消された。驚いて振り返れば、赤レンガ倉庫の(はし)にたむろしていた若者たちが、地面に置いたスピーカーからヒップホップを流している。私はなんだか夢から()めたような心地になって、頭を振ると、再び前を向いた。
 祖母は変わらずそこにいる。表情は見えないが、()きることなく海を眺めている。
 その時、異変が起こった。
 祖母の真っ直ぐな背中がぐらりと揺れた。
 もしや倒れるかと思って、祖母のもとへ駆け寄りかけた。が、揺れた背中が動きを止め、また反対に傾いたのを見て、私はぴたりとその場に止まった。
 右へ、左へ。
 両手を上げる。下げる。
 右足を前に。左足を後ろに。
 大胆なターンで一回転。地面を()る音。
 間違いない。
 祖母は踊っているのだ。
 私はそれを()(ぜん)として眺めている。ソウルミュージックとヒップホップの融合したカニエ・ウェストの曲に合わせて、老婆が跳ねる。その向こうで、ライトアップしたクルーズ船が黒い水面を七色に光らせ、みなとみらいの海を滑っていく。
 おばあちゃんダンス上手いな。衝撃が落ち着いてまず、そう思った。離れたところから「え、なに」「ヤバ」と聞こえるので、先ほどの若者たちが気付いたらしい。ちらほらとそばを通り過ぎていく人々も、そっと祖母を遠巻きにしている。私は、変な動画をスマホで撮られないかだけ心配して、軽く()(しゃく)しながら周囲を(けん)(せい)した。
 みなとみらいの夜に出没した老婆は、片手にコーラのボトルを握ったまま、(ごう)(かい)にボックスステップを踏む。悪くなっていたはずの足腰もなんのそのである。と、突然ぐるんっと顔だけこちらに向けた祖母は、大声で私に、マリ、と呼んだ。
「神父の部屋からビスケットくすねて来ないかあ
 すぐに私は、祖母は私の名前を呼んでいるのではないと察した。
 (てい)(ぼう)に打ちつける波の音がする。祖母は目に見えぬ誰かに声をかけられたかのように、すぐにそちらを向いてしまって、がははと口を開けて笑っている。
 祖母は既に半分あちらの世界に身を置いているのだ。あちらの世界とはすなわち、壊れた腕時計や、松本の祖父や、私と同じ名前の人物や、六十年前の横浜がある世界である。私や母は、まだこちらの世界にいて、祖母と同じものは見えない。
 祖母の人生は、(かん)(ぺき)に祖母だけのものだった。娘にも孫にも理解などされる必要がないのだった。私にはそれがなんとなく嬉しい。祖母のことは何一つ分からないが、私と祖母が似ていると言うのであれば、私も祖母のようになれたらと思う。
 この人は別に、私たちが考えるような真面目な人でも強い人でもなかったのかもしれないな。そう私は考えながら、腕時計を確認した。時刻は二十二時。
 右ポケットのスマホが着信に震える。母からだった。帰りの遅い私たちが気になったのだろう。上下左右に揺れる祖母の背中を見つめながら、私は電話に出た。
 背筋はやはり伸びている。
「お母さん? あのね、おばあちゃん大変なことになっててね。とうとうボケちゃったかも。うん、ちょっと私の手に負えないから迎えに来て欲しいんだけど
 クラブでオレはきっと成り上がってやるぜという旨をがなり立てる若い男のラップとビートに乗って、コーラを一気飲みする老婆を夜景の光を反射した水面がきらきらと照らす、みなとみらいの海には平和。

【おわり】