【最終選考作品】怪物譚(著:秋畑義定)
初めて踏む上州伊香保の地は硫黄臭くて落ち着かないが、温泉歓楽街らしく道行く者がどこか浮かれた調子で歩いているのが性に合った。源治は派手好き、騒ぎ好きの方だ。その、派手が好きで軽率なところが災いして江戸を追われ、知人がいるわけでもない上州くんだりまで逃げてくることにもなったのだが。源治はことによれば二度と江戸に帰れないかもしれないからといって気に病むほど繊細ではない。住み処を追い出された原因が外倉の友次郎の乾児と喧嘩したのだったか、友次郎の情婦に手を出したのだったか、たかだか半月前のこともろくに覚えていないという始末だ。
仕事には熱心に、呼吸さえ引っ込めて真剣に取り組む職人気質である一方、宵越しの銭も、気に入らぬ相手に下げる頭も持たぬ男である。源治はにんぎょう作りである。源治には、その誇りが、自信がある。
おれの仕事は天下一だ。日の下の明るいところへ出ていける商売ではないが、男が精魂こめて打ち込む仕事に貴賤があろうはずもない──学のない源治にはそういった言葉はひねり出せないが、ともかくも、そのように考えていた。
にんに抑揚をつけて言うにんぎょうとは一種の隠語で、見世物小屋に卸す人魚や鬼、河童といった化け物の剥製の類いを指す斯界の言葉だ。例えば人魚なら猿の上半身と大鯔の魚体を乾し、繋ぎ合わせ、干からびた髪の毛に見えるように山繭蛾の縒糸をざんばらに植え付けて張る。にんぎょうを作ることは〝張る〟というのが定法だ。鬼の首級は仔牛の頭蓋骨を削り、山中で採れる天狗の爪(鮫の歯の化石)を歯槽へ植え、膠でうつぼの皮を貼りつけていかにも奇怪な形相を出していく。源治がこれまでに見たことのある傑作といえば一つ目鬼の頭蓋骨という大物があったが、あれなどは南蛮から運ぶ途中で死んだ仔象の干からびた頭を使っていたという。
金とも名誉とも無縁、他人に威張れもしない商売だが、だからこそ源治はにんぎょう作りを気に入っていた。
源治は浮かぬ顔で、仁量寺の境内にぼんやり座っていた。こういう寺には月に二度ほどは縁日と称して屋台や見世物小屋がならび、賭場が立つ。すっかりさびしくなった懐を温めてやるべく出掛けてきたのだが、その結果が浮かぬ顔であった。
日が落ちる時合い、蚊の攻勢が激しくなって座ってもいられず、源治は縁日の雑踏の中に紛れ込んだ。子供や湯治客を当て込んだ屋台が立ち並び、賑やかだが、懐中には棒飴を買うくらいの銭しかなく、それが今や全財産なのだった。見世物小屋があった。末成りの茄子のような面をした主が、自ら客を引いていた。
「どうだ、兄さん、こいつは江戸や大坂にも名を知られたこの芳沢藤五郎の小屋だ。唐天竺でも見られねえ逸物珍品を拝めるまたとねえ機会だぜ」
芳沢なんて聞いたこともねえよ、と苦笑しつつ、源治は全財産を木戸に投げた。
「あんまり魂消て腰を抜かさねえように気をつけて、見ていきな」
源治は内心でせせら笑った。
馬鹿を言っちゃいけねえ。浅草両国広小路、江戸で、おれの張ったにんぎょうを使わねえ小屋はもぐりってえ源治兄貴よ。このおれを驚かせるにんぎょうが田舎にあったら、雷様だって驚えて空から落っこちてくるぜ。
親の因果が子に祟り、という口上は江戸と同じに演じられたが、当地では祟るのは蛇でなくなぜか蝉であるらしかった。蝉女と称した女が柱にしがみついているというくだらなさには失笑するほかなかった。他の出し物も、耳まで口が裂けたように見せる化粧を施した鯰入道だの、身の丈三尺の小人兄弟の踊りだの、江戸の者には却って笑えてくる代物ばかりだ。
苦笑いしたまま桟敷から裏へ回り、源治はお目当てのほうへ向かった。にんぎょうは暗がりに置いてあるものだ。こちらにも客が大勢いて、汗が蒸らされてむっとする気配が凝っていた。そして、それを見た。三尺ほどの大きさで、『河童』と札が添えられていた。
見つめる己の眼がかっと開かれていることも、背にかいていた汗が引っ込んだことも、そのくせ額には蝋燭を近付けられたように脂汗が玉と浮いてきたことも、源治にはわからなかった。睾丸を握られたようだ。できることと言えば呻くことくらいだ。
おれの、及ぶところではねえ!
腰の骨を打ち砕かれたような衝撃。それを作る同業の者、専門家としての眼でいくら粗を探しても見つからぬ。縫い目も、縫い目をごまかす植毛も、埋め込んだ鱗の接着跡も、人工物とわかる部分がひとつもない。
この妖しい気配は、まるで、まさに、本物だ。妖怪の死骸としか思えない。人の目に触れることなどなく山か谷か、人里遠くの奥深くに潜んでいた怪物。それが死して初めて、人間の灯した火の下に引き出された。その無念の怨みを発している怖気さえも感じる。気を抜けば、素人衆の眼になってしまう。おお、恐ろしや、と息を呑み、目をそらし、親指を帯の後ろに隠す素人に。
源治は、異様な様子でそれを見詰めていた。どうやって宿に帰ったかも覚えていない。溜めていた宿賃が払えないと知れて、放り出されても一切抵抗しなかった。どんな大男に思い切り撲られるよりもずっと堪えた衝撃の後では、何をされても抗う気力などなかった。
翌朝、源治は仁量寺ではなく、御鐘町の方へ出向いた。地元の人間なら、この辺りに住んでいるはずだった。人目などかまわなかった。探しているのは芳沢の顔だけだった。
末成りの茄子顔を見つけた途端、源治は走り寄っていた。その鬼気迫る形相に芳沢はぎょっとしたが、源治がその前に手をつき頭を下げ──要するに土下座を始めると、わけがわからんという顔になった。
「あんた、あれをどこから見つけてきたんだ。誰から買ったんだ。そいつを教えてくれっ、お願いだっ」
芳沢は呆然としていたがやがて、人目が気になる程度には気を取り直した。凄まじい形相で走り寄られて驚きもしたが、世慣れた男ではある。一応威儀を繕い、声をかけた。
「ま、ここでは何だ。ついてこい」
否も応もない。ついていった源治を芳沢が連れ込んだのは川沿いのだらし屋台だった。だらし屋台とは、夜から引くものである屋台を昼から繰り出して商売する者を蔑んで言う語である。酒を飲ませる場所としては最下等のだらし屋台なら源治でも払えるだろうと見たからだ。むろん、奢らせるつもりである。
二、三杯、昼からのただ酒で口を湿らせてから芳沢は、例の河童は、江戸にいた頃に侍から貰い受けたのだと喋った。
「そのお侍ってのが、中間をしてた俺の主人だったんだが。一年勤めりゃ蔵が建つって長崎奉行をしてたくせに、世渡りが下手糞でよ。使用人に暇を出す時にゃあ、給金の不足に、がらくたを附けて寄越す有り様よ。それで、俺が貰ったのがあの河童さ」
「その侍は、今はどうしてるんだ」
「俺が郷里の上州に引き上げてくる頃にゃ、流行り風邪で死んじまってたよ」
そうか、と言って源治は項垂れた。香具師ではなく侍が持っていたのだとすると、通常の流通経路で手に入れたのではないだろう。どこからやって来たのか探り当てるのは困難だ。見るからに力を落とした源治を気の毒に思ったのか、芳沢は少し頭をひねって、他に何か思い出せないか少し考えた。
「ああ、そうだ。長崎にいた時に手に入れたって言ってたぜ。あっちの方じゃあ、たまに、河童だとか猫又だとか捕れるんだそうだ」
長崎か。源治の目が光った。唐国(中国)との交流がある九州では、異国で培われたにんぎょう作りの技法が伝わっている、と聞いたことがあった。江戸の技が一番と信じていて、他所のことを考えたことはなかったが、長崎には、凄い技があるのかもしれない。
「ありがとうよ」
源治は立ち上がった。芳沢は驚いて源治を見た。白目がぎらぎらと光るようなその面に気圧され、支払いを持てと言うだけのことが、芳沢にはできなかった。去っていくその後ろ姿を見送り、芳沢は、あいつこそ何かの化け物だったのではないか、と思った。
その場から、源治は発った。江戸よりも遥か遠く、長崎へ向かったのだった。西から、磁石に引き寄せられるように感じた。ぶっ倒れるまで歩き、野宿をした。頑健な男とはいえ普通なら野垂れ死んでいるところだが、源治に幸運であったのは、行き倒れになりかけたところを抜け詣りの一団に救われたことだった。
江戸の者でなくとも生涯一度は伊勢のお宮へ詣りたいとは誰もが願うことだが、その思いが高じて家や勤め先の許しも得ぬまま伊勢へ旅立つことを抜け詣りと呼ぶ。ほとんど着の身着のまま歩き出す彼らは一種神聖な道行きをしているとみなされ、宿泊や食い物の喜捨を受けることができるのが常識であった。
源治は、伊勢の大神に申し訳ないとは思いつつも、自分も伊勢へ向かうところだと称することにした。道中で握り飯一つ、一夜の宿を恵まれる度に、人様の信心を裏切ることに内心で煩悶した。だが、長崎へたどり着き、唐国渡りの技に触れたいと思う心はやむことがないのだった。
伊勢を過ぎてから西へは、報謝宿に泊まることもできなくなったが、その頃には源治も旅慣れてきていた。薪割りでも肥汲みでも、日雇い仕事は骨身を惜しまぬ方が却って凌ぎやすいことも知った。山村よりは漁村の方が余所者に寛容であることから移動は海寄りを伝うようにした。そして九州に入った。源治は、手形も金も持たずに発った男としては稀有なことに、ついには長崎へ到着した。
日本唯一の国際港を擁する長崎の街角には江戸では見たことのない文物が並び、出島には異人さえいるという話だった。が、いかに異色の街であれ、人間の営みに変わりはない。祭りがあれば見世物小屋も出る。口開け前の昼過ぎくらいを狙って片端から顔を出し、にんぎょう作りの腕を売り込んだ。
強引なやり方だったがそれだけに、飢え果てる前に仕事を得られるようになった。源治は江戸にいた頃と同じに、誠心誠意を込めてにんぎょうを張った。
おせっかい焼きはどこにでもいて、出戻りの年増を紹介されて女房まで貰うことになったが、源治は別に苦にもしなかった。初めて妻に迎えたお多恵は気立ても優しかったし、いつかは江戸へ帰ろうだのそんなことはすっかり忘れていた。博奕も酒もいらなかった。長崎への道中ではにんぎょう作りの仕事などなかった。長いことにんぎょうを張れなかった辛さに比べれば、今はまるで極楽にいるようだ、と源治は本気で思っていた。
それに、見世物小屋が出ていると聞けば必ず顔を出し、凄腕のにんぎょう作りを探すことは張り合いがあった。長崎のにんぎょうといえども、伊香保で見た河童ほどの名品は少なかった。だが中には、これは、と瞠目させられる逸品があった。そういうものに巡り会えれば、源治は必ず根掘り葉掘り聞いた。
その変わり者の暮らしが次第に実を結んでいった。世間から顔を隠すように生きている商いの者たちが持つ何とはなしの連帯感からさえはずれた、伝蔵というにんぎょう作りがいるらしかった。見事なにんぎょうを持って売りに来ることがあるが、その回数はひどく少ないのだという。
源治は再び発った。伝蔵が住むと聞いた天草に近い小さな山村を訪ねたが、伝蔵はいなかった。さらに奥へ分け入った山中に一人で小屋を掛けて暮らしているのだという。
「あの爺さんなぁ、ふらッと出かけて、半年くれえも見ねえこともあるんよ」
「爺さん……というと、伝蔵さんは年寄りなのかい」
「んん? いや、なぁんか、年喰ッてそうだなあ、と思ッてたけんど、言われてみれば、年、判んねえなぁ。意外と、おらより若ぇかも知んねぇなぁ」
人のよさそうな炭焼きに礼を言って、源治は山道に入った。やがて、粗末な小屋が見えた。源治はその小屋の前へ行き、中にある人の気配に対して、いきなり地に両手をついた。
「どうか、お願いだ。おれに、おめえの作ったにんぎょうを見せてくれねえか」
扉代わりの筵を除けて、男が出てきた。肌にも髪にも老いの兆しはまだなかったが、炭焼きの言っていた通り、一見すると老人のような雰囲気だった。それは目や立ち居に、どこか力や覇気がないからのようだった。
「おれは、江戸から来た、源治ってもんだ。あんたに会いに来たんだ」
源治はすべてを語った。たどり着くまでには長い時間がかかったが、話してみれば、ずいぶん短い話だった。あの名品を作った技を身につけたくて、矢も盾もなくやって来たのだ、とただそれだけだった。
伝蔵は表情をなくした面で聞き終えると、小屋に入っていき、にんぎょうを一つ抱いて出てきた。かぶと虫と人間の中間とでもいうべき醜怪な化け物だった。あの河童と同じ妖気が、まるで強烈な臭いのように感じられた。
その顔を見て、伝蔵は、源治が見たのは己の仕事だと確信したようだった。
「おまえさん、技については心当たりが、ついてるんだろう」
謎掛けのようにそう問われて、源治もまた、伝蔵が何を言っているかわかった。
「ああ。あんたのは、外法だろう」
長崎への旅の間、源治がひそかに恐れていたのは、そのことだった。外法とは立川流などの教法にいう、人骨、中でも髑髏に秘法を施して作る髑髏本尊やその呪術のことだが、にんぎょう作りにおいては、人体を素材にして作ることを指した。それも、子供の死体を用いることが多いとされていた。
しかし、源治が恐ろしいと思ったのは外法そのものではなかった。たとえそれが外法であるとしてもかまわない、その技が欲しい、と思っている己が恐ろしかったのだった。
伝蔵は無言で、源治を小屋の中へ招いた。つい最近までにんぎょうを作っていたらしく、色出しに使う劇薬、そして血液の臭いが鼻を突いた。にんぎょう作りの工具以外にはほとんど何もない。爪がついたままの子供の指が幾本か、制作台であろう木箱の上に落ちていた。が、源治は努めて顔色を変えなかった。
「おまえさん、恐ろしい男だの」
伝蔵は、それだけ言った。
まるきりの初対面でありながら、伝蔵は弟子入りを許した。源治の思ったとおり、伝蔵の技は、元を辿れば唐国から来たものだという。皮や肉の剥ぎ方、防腐処置、骨の処理、長年に亘り口伝されてきた技は系統立てられていた。素地のできている源治は、教えられればすぐに呑み込んでいけた。
一通りの技を教えおおせた頃には、無口な伝蔵も、身の上を少しは語るようになっていた。伝蔵は、何年も前に殺された父からにんぎょう作りを習ったのだそうだった。
「兄弟は何人かいたがよ。親父から、技を継がされたのは俺だけだ。人間のやることじゃあないからな……親父も、気が咎めて、教えるのは一人だけにしたんじゃねえかな」
お上に訴え出られればたちまちお縄になる身の伝蔵が、初対面の源治ににんぎょう作りの現場を見せ、技まで教えたのは、父に伝授された技を持て余したからだったのかもしれなかった。
「俺は、教えられたから、仕方なくやってきたがよ。おまえさんは、この技が欲しくて、自分からやって来たんだろ。恐ろしい男だの」
「おれも、恐ろしいと思うよ」
源治は素直な気持ちを口にした。伝蔵は話を変えて、明日は、材料を取りに行くと言った。
外法使いの伝蔵にとって材料とは、生きた子供だった。伝蔵はにんぎょう作りであると同時に、人さらいでもあった。かつて生きていた妖怪そのものと思わせる妖気を生む唐渡りの技は、素材が生きているうちに下拵えをすることを必要とするのだった。夕闇に紛れ子供をさらい、一月以上に亘り、漆や柿渋を調合した秘薬を飲ませ、体を変質させ、それからにんぎょう作りが始まるのだ。
源治は、子供を笈に入れて背負って運んでいる。首を絞めて気を失わせたが、何と恐ろしい叫び声だったことか。源治は、幼い頃に聞かされた隠れ座頭の話を思い出していた。夕暮れ時、逆光となったように顔の見えぬ座頭が子供をさらいに来る光景を想像してすくみ上がっていた自分が、今やその隠れ座頭になったのだった。
秘薬の処方、そして死体のさばき方も教わった。源治は、伝蔵から教わるすべてを吸収していった。技を学ぶためには実践が必要だ。源治が技を身につけるまでには、幾人かの子供が、行方知れずになった。
一体張ってみるかと水を向けられたとき、源治は即座にうなずいた。長崎の街に居た頃、有明から運ばれてくるわらすぼなる奇怪な鯊の干物を食ったことがある。目鼻がなく、乱杭の歯ばかりがむき出しになった不気味さは印象的だった。あれを盛り込もう。唇を切り取り、仔猫から採った牙を植える。皮を削いで、山木通の樹液を塗り込んでごつごつとした表皮を作る。源治は寝食を忘れて没頭した。
やがて完成したわらすぼは、魚でもなく人でもなく、魚と人が混ざっただけでもない、まさに醜悪な怪物の剥製だった。
あるとき、伝蔵は死んだ。人さらいに失敗し、村人に追いつかれたのだった。父親と同じ死に方だった。恩師ともいえる男が鎌や鍬で袋叩きに遭い、ぐずぐずの死体に変わっていくのをひそかに遠望し、源治は逃げ出した。伝蔵が一人ではなかったことは知れていた。追っ手がかかるに違いなかった。
まだ売る機会もなく、つい惜しくて取って置いたわらすぼだけを抱え、源治は逃げた。つい土地勘のある長崎の街へ足が向いた。考えることは、これからどうやって人形を張ってゆこうかということだった。子供をさらうのは二人がかりでさえ難しい。それを、これからは一人でやらねばならないのだ。
思案しながら歩いていると、後ろから肩を摑まれた。ぎょっとして振り向くと、知らない女が肩を握り締めてきていた。
「まあ……あんた……生きててくれたの……!」
抱きついてきた女がそう言って泣き出してから、ようやく、その女がお多恵であったことに源治は気がついた。
見覚えのある長屋へ戻ると、驚いたことに、小さな男の子がいた。
「新太郎、これが、おまえのお父さんだよ」
さらに驚いたことに、それは、源治の初めての我が子だった。新太郎は、相手が誰かわからぬという年齢でもなかったが、源治の手をあどけない手で摑んで、にっこりと笑っただけだった。
狐につままれたようだ、と思いながら源治はまた長崎で暮らし始めた。差し当たりはふさ楊枝作りの内職をすることにした。お多恵は、死んだと思っていた夫が生きて戻ってきたことに感激しきりで、突然姿を消して何年もどうしていたか、ほとんど聞き出そうともしなかった。聞かれればしどろもどろになるに違いなかった源治には、それだけでもありがたかった。おまけに、息子までいるのだ。寺子屋に通わせる銭もなくてろくな教育をしていないというせいか、幼いのにあまり口もきかない新太郎だが、形ばかりは一家揃った暮らしだ。
時折、葛籠に隠したわらすぼを取り出して眺め、山中で伝蔵と暮らしていたときに見た数々のおぞましい光景を思った。血や、臓物、悲鳴。あれらが、今の暮らしと結びつかないようにも思え、いずれあの血しぶきの中に戻っていくのが定まっているようにも思えた。
「ねえ、あんた、戸締りは大事にしてね」
夕日が沈みきる前の明るいうちに、と楊枝を削っていると、湯屋へ行く支度をしていたお多恵が声をかけてきた。
「戸締りだって? うちにゃ、盗まれるものなんてないぜ」
「それがね、昼間、目明しに呼び止められて、最近住み着くようになった独り者はいないか、なんて聞かれたの。何のことか、って聞いたら、天草のほうから、人さらいの男が逃げてきてるんじゃないかって調べてるんだって。新太郎なんか、まだ小さいし、あたし、恐くって」
源治は、わかったよ、と返事をした。お多恵が出ていくと、削っていた楊枝を卓袱台に置き、わらすぼを隠している葛籠を出してきて、背負った。それから、裏で遊んでいた新太郎を呼ぶと、手を繋いで、源治は家を出た。
それきり、戻ることはなかった。
長崎へ渡ってきたとき、通り過ぎた覚えのある博多へ源治は逃げていった。九州では一番の大きな街で外国船の入れる大きな商都としか知らなかったが、他に知る土地もなかった。新太郎は母を恋しがり、帰りたいとは言ったが、それだけだった。源治が、すまねえな、と言うと、それ以上は騒ぐこともなかった。しかし、着の身着のままの行程で、しかも子供連れでは無理があった。
博多までどのくらいの距離があるかも知れぬ村で、雨に降られた。破れ寺の門前に雨宿りにと座り込むと、新太郎がふらふらと倒れた。しっかりしろ、と大声を出そうとした途端、いきなり地面が立ち上がってきたように感じ、源治も息子に折り重なるように倒れた。
目を開けると、どうやら寺の庫裏に寝かされているらしかった。隣を見ると、新太郎も布団を与えられ、眠っていた。老いた僧がやってきて、源治が目覚めたと知ると薬湯を持ってきた。
老人は陳雲といった。陳雲はまず、源治に詫びた。身許を知るものでもないかと荷を開けた、許されい、と頭を下げた。
すると、わらすぼを見たはずだが、と源治は訝しく思った。あんなものを持っている男を不浄といわず寺に上げるとは、僧侶に似つかわしくないことだ。陳雲は続けた。
「そこで……おぬしの……あれを見た。恥ずかしながら拙僧は、ああいったものにたまらぬ興味を惹かれるたちでな。あれは、おぬしが作ったのであろう? 都にも、あれほどのものを作る技はない。驚き入ったぞ」
仏僧として恥ずかしいという素直な羞恥と、名品に触れた好事家の興奮とが陳雲の瞳に共に表れているのを源治は見た。源治はその目から視線をはずした。不意に言った。
「もし、お坊様がよろしければ……もっと、すごいのを、お見せいたしやす」
陳雲は唾を飲み込んだ。
源治父子は寺に置いてもらうことになった。漆、渋柿、麻の葉、それに老牛の後ろ肢、もろもろ。源治が頼む奇妙な品物の注文も、陳雲がしてくれた。
その生活の間に、陳雲のこともわかってきた。都の大寺院で正規に修行をしたが、僧のつとめは市井の人々を救うことと信じ、この破れ寺へやってきたという。ろくな喜捨も得られないが、時には自ら畑を耕し、道心堅固に暮らしている。さばけた人柄だが親切で仏法の知識も豊富、村人の信頼もあつい。隠微な趣味を一つ隠しているものの、まことに立派な僧侶らしかった。
だが源治には、陳雲が、仕事の邪魔をすることはないとわかっていた。源治が何をするか、薄々察しがついたとしても、源治の約束した作品を見たいという欲望に、かの僧は抗えぬだろう。何の妨げも受けず、源治は寺の庭に建ててもらった小屋で黙々と支度をした。
新太郎には、既にこの十日、柿の種子から採る粘液、麻や種々の苔、果実を練り合わせたものしか食わせていない。顔色はいよいよ奇怪に、爪も固く、関節は体の外から見えるほどに節くれ立っていった。
そしてある晩、新太郎は息絶えた。源治は他の材料を並べ、作業に取り掛かった。考え抜き、試し、磨いてきた技法の精髄を今こそ活かす、その高揚だけが感じられた。
石のようになった爪に膠を塗る。熱と化学作用で爪をさらに異形にしていくためのものだ。目玉を潰して吸い出し、空いた眼窩に少量の水銀で鼈甲の欠片を植えていく。江戸では鯨の鬚を皮膚に埋め込み、尋常の生き物とは見えぬ奇怪な畝を作る技術が確立されていたが、源治は牛の腱を水だけでなめして用いることで、より奇怪な形状を出す技を新たに編んでいた。その作業が、見るもおぞましいかたちを作っていく。その出来栄えに、源治は喜悦した。自ら編み出した技法が、みごとに機能していく喜びはたとえようもない。
おれの、この技は、誰にも受け継がれねえのだな……
源治が少し淋しく思うのはそのことであった。息子が今夜命を失ったことをいくらか気の毒には思ったが、悲しいと思うことはもうできなかった。最高の仕事を成し遂げていく充実と喜悦が源治を浸した。少しは残っていたはずの罪悪感も哀しみも、溶けてしまった。
完成したことを、源治は陳雲にだけ知らせた。夜分に入り、寺にただ一人の下男が帰宅していった頃合いを見計らって源治はそれを抱えて寺へ上がり、陳雲の前に置いた。
陳雲の表情だけを源治は見ていた。恐怖と喜悦が入り混じった顔つきだった。こういうものが大好きでありながら、それを目の当たりにしては嫌悪感を抱かずにはおれない。目を離すこともまた、し難い。引き裂かれるような名状し難い感情が陳雲の中に生じている。
源治は、己の仕事が、それを見る者にどんな顔をさせるか、それを見届けて満足した。そうして深くうなずき、立ち上がったが、陳雲の目は源治のほうを見もしなかった。源治はゆっくりと陳雲の後ろに回り、懐から鑿を取り出した。刃先が肋骨の間を通るように刃を横に寝かせた。それから、陳雲の心臓を一突きにした。何の警戒もしていなかった老僧は、驚きこそすれ、苦痛を感じたり暴れることもなく死んだ。
――すまねえ。お前さまでは、だめなんだ。お前さまでは、おれが、何を使ってこれを作ったか、わかってしまう。お前さまには、これがおれの作ったものだとわかってしまう。それでは、いけねえ! こいつは、おれが、いや、誰かが作ったものであってはいけねえ。誰も知らぬところからこぼれ落ちてきた、暗がりに溜まった謎が煮凝りになったようなものでなけりゃあ、いけねえんだ。
源治だった怪物は、恩人の死骸をもう見返りもしなかった。無人と化した寺の中を、しばらくそれは動き回った。油をまいていたのだ。火を放つと寺はすぐに、ごうごうと燃え上がった。怪物は、自分のいとし子だったもの、あるいは今こそいとしくなったそれを抱え、燃え盛る焔の光も届かぬ闇の中へ去っていった。
源治の消息はそれきり、人の口にも上らず、無論、史籍に現れることもない。すっかり消えてしまった。
やがて、源治が生まれた江戸から遠く離れた国――ロマノフ朝ロシア帝国に雄大な帝王が現れた。ピョートル1世として戴冠した彼は、母国を強大国に育て文化面でも世界一等国とすべく、数々の文化施設を創始した。
その中に、驚異の部屋がある。動植物の標本、古代の甲冑から隕石、古代人の木乃伊までありとあらゆる珍奇なものを世界から集める博物館とも美術館ともつかぬ施設だ。単に珍奇趣味というのではなく勃興しつつあった博物学の知見を高め、人類の知識が世界を解き明かす一助となるとされて西ヨーロッパで流行したのを取り入れたものだ。ピョートルのクンストカメラは自身が建設させた新首都ペテルブルクに造られた。
おそらく六十万点を超え、正確な所蔵数は不明という膨大なコレクションに、「きわめて珍しい奇形の獣、または現在知られていない別種の人類の標本」とラベリングされた標本がある。かつては展示されていたが、見学に訪れた女性がそれを見て卒倒し一時人事不省になるという騒ぎがあってから、非公開の収納庫へ移され、それきり日の目を見ていない。
後に大帝と呼ばれるようになったピョートルが没し、それから百九十年ほどして彼を生んだ王朝が滅び、その後にロシアを支配した国家さえも滅んでも、ピョートル大帝の建造したバロック様式の壮麗な建造物は健在だ。その収納庫に、くだんの標本は今も眠っている。20世紀の後半に、モスクワ大学の研究チームがその正体を突き止めようと調査したが、獣なのか人造物なのか、それさえついにわからなかったという。
【おわり】