【最終選考作品】怪物譚(著:秋畑義定)


 初めて踏む(じょう)(しゅう)伊香保(いかほ)の地は硫黄(いおう)(くさ)くて落ち着かないが、温泉歓楽街らしく道行く者がどこか浮かれた調子で歩いているのが(しょう)に合った。(げん)()は派手好き、騒ぎ好きの方だ。その、派手が好きで軽率(けいそつ)なところが(わざわ)いして江戸(えど)を追われ、知人がいるわけでもない上州くんだりまで逃げてくることにもなったのだが。源治はことによれば二度と江戸に帰れないかもしれないからといって気に病むほど繊細(せんさい)ではない。()()を追い出された原因が()(くら)(とも)()(ろう)乾児(こぶん)(けん)()したのだったか、友次郎の情婦に手を出したのだったか、たかだか半月前のこともろくに覚えていないという始末だ。
 仕事には熱心に、呼吸さえ引っ込めて真剣に取り組む職人気質である一方、(よい)()しの銭も、気に入らぬ相手に下げる頭も持たぬ男である。源治はにんぎょう(、、、、、)作りである。源治には、その誇りが、自信がある。
 おれの仕事は天下一だ。日の下の明るいところへ出ていける商売ではないが、男が精魂こめて打ち込む仕事に()(せん)があろうはずもない──学のない源治にはそういった言葉はひねり出せないが、ともかくも、そのように考えていた。
 にん(、、)抑揚(よくよう)をつけて言うにんぎょうとは一種の(いん)()で、()()(もの)小屋に(おろ)す人魚や鬼、河童(かっぱ)といった化け物の剥製(はくせい)(たぐ)いを指す()(かい)の言葉だ。例えば人魚なら猿の上半身と大鯔(とど)の魚体を()し、(つな)ぎ合わせ、()からびた髪の毛に見えるように(やま)(まゆ)()(より)(いと)をざんばらに植え付けて張る。にんぎょうを作ることは〝張る〟というのが定法だ。鬼の首級は仔牛の()(がい)(こつ)(けず)り、山中で採れる(てん)()の爪((さめ)の歯の化石)を()(そう)へ植え、(にかわ)でうつぼの皮を貼りつけていかにも奇怪な(ぎょう)(そう)を出していく。源治がこれまでに見たことのある(けっ)(さく)といえば一つ()(おに)の頭蓋骨という大物があったが、あれなどは南蛮(なんばん)から運ぶ途中で死んだ仔象の干からびた頭を使っていたという。
 金とも名誉とも無縁、他人に威張れもしない商売だが、だからこそ源治はにんぎょう作りを気に入っていた。

 源治は浮かぬ顔で、仁量寺の境内(けいだい)にぼんやり座っていた。こういう寺には月に二度ほどは縁日と称して屋台や見世物小屋がならび、賭場(とば)が立つ。すっかりさびしくなった(ふところ)を温めてやるべく出掛けてきたのだが、その結果が浮かぬ顔であった。
 日が落ちる時合い、蚊の攻勢が激しくなって座ってもいられず、源治は縁日の雑踏の中に(まぎ)れ込んだ。子供や(とう)()(きゃく)を当て込んだ屋台が立ち並び、(にぎ)やかだが、懐中には棒飴を買うくらいの銭しかなく、それが今や全財産なのだった。見世物小屋があった。(うら)()りの茄子(なす)のような面をした主が、自ら客を引いていた。
「どうだ、兄さん、こいつは江戸や大坂(おおさか)にも名を知られたこの(よし)(ざわ)(とう)()(ろう)の小屋だ。(から)(てん)(じく)でも見られねえ逸物珍品を拝めるまたとねえ機会だぜ」
 芳沢なんて聞いたこともねえよ、と苦笑しつつ、源治は全財産を木戸に投げた。
「あんまり(たま)()て腰を抜かさねえように気をつけて、見ていきな」
 源治は内心でせせら笑った。
 馬鹿を言っちゃいけねえ。(あさ)(くさ)(りょう)(ごく)(ひろ)(こう)()、江戸で、おれの張ったにんぎょう(、、、、、)を使わねえ小屋はもぐりってえ源治兄貴よ。このおれを驚かせるにんぎょうが田舎(いなか)にあったら、雷様だって(おどれ)えて空から落っこちてくるぜ。
 親の(いん)()が子に(たた)り、という(こう)(じょう)は江戸と同じに演じられたが、当地では祟るのは蛇でなくなぜか(せみ)であるらしかった。蝉女と称した女が柱にしがみついているというくだらなさには失笑するほかなかった。他の出し物も、耳まで口が裂けたように見せる()(しょう)(ほどこ)した(なまず)(にゅう)(どう)だの、身の(たけ)三尺の小人兄弟の踊りだの、江戸の者には(かえ)って笑えてくる代物(しろもの)ばかりだ。
 苦笑いしたまま()(じき)から裏へ回り、源治はお目当てのほうへ向かった。にんぎょうは暗がりに置いてあるものだ。こちらにも客が大勢いて、汗が蒸らされてむっとする気配が凝っていた。そして、それを見た。三尺ほどの大きさで、『河童』と札が添えられていた。
 見つめる己の眼がかっと開かれていることも、背にかいていた汗が引っ込んだことも、そのくせ額には蝋燭(ろうそく)を近付けられたように(あぶら)(あせ)が玉と浮いてきたことも、源治にはわからなかった。睾丸(きんたま)を握られたようだ。できることと言えば(うめ)くことくらいだ。
 おれの、及ぶところではねえ!
 腰の骨を打ち(くだ)かれたような衝撃。それを作る同業の者、専門家としての眼でいくら(あら)を探しても見つからぬ。()い目も、縫い目をごまかす植毛も、埋め込んだ(うろこ)の接着跡も、人工物とわかる部分がひとつもない。
 この妖しい気配は、まるで、まさに、本物(、、)だ。妖怪の()(がい)としか思えない。人の目に触れることなどなく山か谷か、人里遠くの奥深くに潜んでいた怪物。それが死して初めて、人間の灯した火の下に引き出された。その無念の(うら)みを発している(おじ)()さえも感じる。気を抜けば、素人(よかた)衆の眼になってしまう。おお、恐ろしや、と息を()み、目をそらし、親指を帯の後ろに隠す素人に。
 源治は、異様な様子でそれを見詰めていた。どうやって宿に帰ったかも覚えていない。溜めていた宿賃が払えないと知れて、放り出されても一切抵抗しなかった。どんな大男に思い切り(なぐ)られるよりもずっと堪えた衝撃の後では、何をされても(あらが)う気力などなかった。

 翌朝、源治は仁量寺ではなく、御鐘町の方へ出向いた。地元の人間なら、この辺りに住んでいるはずだった。人目などかまわなかった。探しているのは芳沢の顔だけだった。
 末成りの茄子顔を見つけた途端、源治は走り寄っていた。その鬼気迫る形相に芳沢はぎょっとしたが、源治がその前に手をつき頭を下げ──要するに土下座(どげざ)を始めると、わけがわからんという顔になった。
「あんた、あれをどこから見つけてきたんだ。誰から買ったんだ。そいつを教えてくれっ、お願いだっ」
 芳沢は呆然(ぼうぜん)としていたがやがて、人目が気になる程度には気を取り直した。(すさ)まじい形相で走り寄られて驚きもしたが、世慣れた男ではある。一応威儀(いぎ)(つくろ)い、声をかけた。
「ま、ここでは何だ。ついてこい」
 (いや)(おう)もない。ついていった源治を芳沢が連れ込んだのは川沿いのだらし屋台だった。だらし屋台とは、夜から引くものである屋台を昼から繰り出して商売する者を(さげす)んで言う語である。酒を飲ませる場所としては最下等のだらし屋台なら源治でも払えるだろうと見たからだ。むろん、(おご)らせるつもりである。
 二、三杯、昼からのただ酒で口を湿らせてから芳沢は、例の河童は、江戸にいた頃に侍から(もら)い受けたのだと(しゃべ)った。
「そのお侍ってのが、(ちゅう)(げん)をしてた俺の主人だったんだが。一年勤めりゃ蔵が建つって長崎(ながさき)()(ぎょう)をしてたくせに、世渡りが()()(くそ)でよ。使用人に暇を出す時にゃあ、給金の不足に、がらくたを附けて寄越す有り様よ。それで、俺が貰ったのがあの河童さ」
「その侍は、今はどうしてるんだ」
「俺が郷里の上州に引き上げてくる頃にゃ、流行(はや)風邪(かぜ)で死んじまってたよ」
 そうか、と言って源治は(うな)()れた。香具師(やし)ではなく侍が持っていたのだとすると、通常の流通経路で手に入れたのではないだろう。どこからやって来たのか探り当てるのは困難だ。見るからに力を落とした源治を気の毒に思ったのか、芳沢は少し頭をひねって、他に何か思い出せないか少し考えた。
「ああ、そうだ。長崎にいた時に手に入れたって言ってたぜ。あっちの方じゃあ、たまに、河童だとか(ねこ)(また)だとか捕れるんだそうだ」
 長崎か。源治の目が光った。(から)(くに)(中国)との交流がある九州では、異国で(つちか)われたにんぎょう作りの技法が伝わっている、と聞いたことがあった。江戸の技が一番と信じていて、他所(よそ)のことを考えたことはなかったが、長崎には、(すご)い技があるのかもしれない。
「ありがとうよ」
 源治は立ち上がった。芳沢は驚いて源治を見た。白目がぎらぎらと光るようなその面に気圧(けお)され、支払いを持てと言うだけのことが、芳沢にはできなかった。去っていくその後ろ姿を見送り、芳沢は、あいつこそ何かの化け物だったのではないか、と思った。
 その場から、源治は()った。江戸よりも(はる)か遠く、長崎へ向かったのだった。西から、()(しゃく)に引き寄せられるように感じた。ぶっ倒れるまで歩き、野宿をした。頑健な男とはいえ普通なら野垂(のた)()んでいるところだが、源治に幸運であったのは、行き倒れになりかけたところを()(まい)りの一団に救われたことだった。
 江戸の者でなくとも(しょう)(がい)一度は伊勢(いせ)のお宮へ詣りたいとは誰もが願うことだが、その思いが高じて家や勤め先の許しも得ぬまま伊勢へ旅立つことを抜け詣りと呼ぶ。ほとんど着の身着のまま歩き出す彼らは一種神聖な道行きをしているとみなされ、宿泊や食い物の()(しゃ)を受けることができるのが常識であった。
 源治は、伊勢の大神に申し訳ないとは思いつつも、自分も伊勢へ向かうところだと称することにした。道中で握り飯一つ、一夜の宿を恵まれる(たび)に、人様の信心を裏切ることに内心で(はん)(もん)した。だが、長崎へたどり着き、唐国渡りの技に触れたいと思う心はやむことがないのだった。
 伊勢を過ぎてから西へは、(ほう)(しゃ)宿(やど)に泊まることもできなくなったが、その頃には源治も旅慣れてきていた。(まき)()りでも(こえ)()みでも、日雇い仕事は骨身を惜しまぬ方が(かえ)って(しの)ぎやすいことも知った。山村よりは漁村の方が()()(もの)に寛容であることから移動は海寄りを伝うようにした。そして九州に入った。源治は、手形も金も持たずに発った男としては稀有(けう)なことに、ついには長崎へ到着した。
 日本唯一の国際港を(よう)する長崎の街角には江戸では見たことのない(ぶん)(ぶつ)が並び、()(じま)には異人さえいるという話だった。が、いかに異色の街であれ、人間の(いとな)みに変わりはない。祭りがあれば見世物小屋も出る。口開け前の昼過ぎくらいを狙って(かた)(はし)から顔を出し、にんぎょう作りの腕を売り込んだ。
 強引なやり方だったがそれだけに、()え果てる前に仕事を得られるようになった。源治は江戸にいた頃と同じに、誠心誠意を込めてにんぎょうを張った。
 おせっかい焼きはどこにでもいて、出戻りの(とし)()を紹介されて女房まで貰うことになったが、源治は別に苦にもしなかった。初めて妻に迎えたお()()は気立ても優しかったし、いつかは江戸へ帰ろうだのそんなことはすっかり忘れていた。博奕(ばくち)も酒もいらなかった。長崎への道中ではにんぎょう作りの仕事などなかった。長いことにんぎょうを張れなかった(つら)さに比べれば、今はまるで極楽(ごくらく)にいるようだ、と源治は本気で思っていた。
 それに、見世物小屋が出ていると聞けば必ず顔を出し、凄腕(すごうで)のにんぎょう作りを探すことは張り合いがあった。長崎のにんぎょうといえども、伊香保で見た河童ほどの名品は少なかった。だが中には、これは、と瞠目(どうもく)させられる逸品があった。そういうものに巡り会えれば、源治は必ず根掘り葉掘り聞いた。
 その変わり者の暮らしが次第に実を結んでいった。世間から顔を隠すように生きている(あきな)いの者たちが持つ何とはなしの連帯感からさえはずれた、(でん)(ぞう)というにんぎょう作りがいるらしかった。見事なにんぎょうを持って売りに来ることがあるが、その回数はひどく少ないのだという。
 源治は再び発った。伝蔵が住むと聞いた天草(あまくさ)に近い小さな山村を訪ねたが、伝蔵はいなかった。さらに奥へ分け入った山中に一人で小屋を掛けて暮らしているのだという。
「あの(じい)さんなぁ、ふらッと出かけて、半年くれえも見ねえこともあるんよ」
「爺さんというと、伝蔵さんは年寄りなのかい」
「んん? いや、なぁんか、年喰ッてそうだなあ、と思ッてたけんど、言われてみれば、年、判んねえなぁ。意外と、おらより(わけ)ぇかも知んねぇなぁ」
 人のよさそうな炭焼きに礼を言って、源治は山道に入った。やがて、粗末な小屋が見えた。源治はその小屋の前へ行き、中にある人の気配に対して、いきなり地に両手をついた。
「どうか、お願いだ。おれに、おめえの作ったにんぎょうを見せてくれねえか」
 扉代わりの(むしろ)を除けて、男が出てきた。肌にも髪にも老いの(きざ)しはまだなかったが、炭焼きの言っていた通り、一見すると老人のような(ふん)()()だった。それは目や立ち居に、どこか力や覇気(はき)がないからのようだった。
「おれは、江戸から来た、源治ってもんだ。あんたに会いに来たんだ」
 源治はすべてを語った。たどり着くまでには長い時間がかかったが、話してみれば、ずいぶん短い話だった。あの名品を作った技を身につけたくて、矢も盾もなくやって来たのだ、とただそれだけだった。
 伝蔵は表情をなくした面で聞き終えると、小屋に入っていき、にんぎょうを一つ抱いて出てきた。かぶと虫と人間の中間とでもいうべき(しゅう)(かい)な化け物だった。あの河童と同じ妖気が、まるで強烈な(にお)いのように感じられた。
 その顔を見て、伝蔵は、源治が見たのは己の仕事だと確信したようだった。
「おまえさん、技については心当たりが、ついてるんだろう」
 謎掛けのようにそう問われて、源治もまた、伝蔵が何を言っているかわかった。
「ああ。あんたのは、()(ほう)だろう」
 長崎への旅の間、源治がひそかに恐れていたのは、そのことだった。外法とは立川流などの教法にいう、人骨、中でも髑髏に秘法を施して作る髑髏本尊やその呪術のことだが、にんぎょう作りにおいては、人体を素材にして作ることを指した。それも、子供の死体を用いることが多いとされていた。
 しかし、源治が恐ろしいと思ったのは外法そのものではなかった。たとえそれが外法であるとしてもかまわない、その技が欲しい、と思っている己が恐ろしかったのだった。
 伝蔵は無言で、源治を小屋の中へ招いた。つい最近までにんぎょうを作っていたらしく、色出しに使う劇薬、そして血液の臭いが鼻を突いた。にんぎょう作りの工具以外にはほとんど何もない。爪がついたままの子供の指が幾本か、制作台であろう木箱の上に落ちていた。が、源治は努めて顔色を変えなかった。
「おまえさん、恐ろしい男だの」
 伝蔵は、それだけ言った。

 まるきりの初対面でありながら、伝蔵は弟子入りを許した。源治の思ったとおり、伝蔵の技は、元を辿(たど)れば唐国から来たものだという。皮や肉の()ぎ方、防腐処置、骨の処理、長年に亘り()(でん)されてきた技は系統立てられていた。素地のできている源治は、教えられればすぐに()み込んでいけた。
 一通りの技を教えおおせた頃には、無口な伝蔵も、身の上を少しは語るようになっていた。伝蔵は、何年も前に殺された父からにんぎょう作りを習ったのだそうだった。
「兄弟は何人かいたがよ。親父(おやじ)から、技を継がされたのは俺だけだ。人間のやることじゃあないからな親父も、気が(とが)めて、教えるのは一人だけにしたんじゃねえかな」
 お(かみ)に訴え出られればたちまちお縄になる身の伝蔵が、初対面の源治ににんぎょう作りの現場を見せ、技まで教えたのは、父に伝授された技を持て余したからだったのかもしれなかった。
「俺は、教えられたから、仕方なくやってきたがよ。おまえさんは、この技が欲しくて、自分からやって来たんだろ。恐ろしい男だの」
「おれも、恐ろしいと思うよ」
 源治は素直な気持ちを口にした。伝蔵は話を変えて、明日は、材料を取りに行くと言った。

 外法使いの伝蔵にとって材料とは、生きた子供だった。伝蔵はにんぎょう作りであると同時に、人さらいでもあった。かつて生きていた妖怪そのものと思わせる妖気を生む(から)(わた)りの技は、素材が生きているうちに(、、、、、、、、)(した)(ごしら)えをすることを必要とするのだった。夕闇に(まぎ)れ子供をさらい、一月以上に亘り、(うるし)(かき)(しぶ)を調合した秘薬を飲ませ、体を変質させ、それからにんぎょう作りが始まるのだ。
 源治は、子供を(おい)に入れて背負って運んでいる。首を()めて気を失わせたが、何と恐ろしい叫び声だったことか。源治は、幼い頃に聞かされた(かく)()(とう)の話を思い出していた。夕暮れ時、逆光となったように顔の見えぬ座頭が子供をさらいに来る光景を想像してすくみ上がっていた自分が、今やその隠れ座頭になったのだった。
 秘薬の処方、そして死体のさばき方も教わった。源治は、伝蔵から教わるすべてを吸収していった。技を学ぶためには(じっ)(せん)が必要だ。源治が技を身につけるまでには、幾人かの子供が、行方(ゆくえ)知れずになった。
 一体張ってみるかと水を向けられたとき、源治は即座にうなずいた。長崎の街に居た頃、(あり)(あけ)から運ばれてくるわらすぼ(、、、、)なる奇怪な(はぜ)()(もの)を食ったことがある。目鼻がなく、(らん)(ぐい)の歯ばかりがむき出しになった不気味さは印象的だった。あれを盛り込もう。唇を切り取り、仔猫から採った牙を植える。皮を()いで、(やま)木通(あけび)の樹液を塗り込んでごつごつとした表皮を作る。源治は寝食を忘れて没頭した。
 やがて完成したわらすぼは、魚でもなく人でもなく、魚と人が混ざっただけでもない、まさに醜悪な怪物の剥製(はくせい)だった。

 あるとき、伝蔵は死んだ。人さらいに失敗し、村人に追いつかれたのだった。父親と同じ死に方だった。恩師ともいえる男が鎌や(くわ)で袋叩きに()い、ぐずぐずの死体に変わっていくのをひそかに遠望し、源治は逃げ出した。伝蔵が一人ではなかったことは知れていた。追っ手がかかるに違いなかった。
 まだ売る機会もなく、つい惜しくて取って置いたわらすぼだけを抱え、源治は逃げた。つい土地勘のある長崎の街へ足が向いた。考えることは、これからどうやって人形を張ってゆこうかということだった。子供をさらうのは二人がかりでさえ難しい。それを、これからは一人でやらねばならないのだ。
 思案しながら歩いていると、後ろから肩を(つか)まれた。ぎょっとして振り向くと、知らない女が肩を握り締めてきていた。
「まああんた生きててくれたの!」
 抱きついてきた女がそう言って泣き出してから、ようやく、その女がお多恵であったことに源治は気がついた。

 見覚えのある長屋へ戻ると、驚いたことに、小さな男の子がいた。
(しん)()(ろう)、これが、おまえのお父さんだよ」
 さらに驚いたことに、それは、源治の初めての我が子だった。新太郎は、相手が誰かわからぬという年齢でもなかったが、源治の手をあどけない手で摑んで、にっこりと笑っただけだった。
 狐につままれたようだ、と思いながら源治はまた長崎で暮らし始めた。差し当たりはふさ(よう)()作りの内職をすることにした。お多恵は、死んだと思っていた夫が生きて戻ってきたことに感激しきりで、突然姿を消して何年もどうしていたか、ほとんど聞き出そうともしなかった。聞かれればしどろもどろになるに違いなかった源治には、それだけでもありがたかった。おまけに、息子までいるのだ。寺子屋に通わせる銭もなくてろくな教育をしていないというせいか、幼いのにあまり口もきかない新太郎だが、形ばかりは一家揃った暮らしだ。
 時折、葛籠(つづら)に隠したわらすぼを取り出して眺め、山中で伝蔵と暮らしていたときに見た数々のおぞましい光景を思った。血や、臓物、悲鳴。あれらが、今の暮らしと結びつかないようにも思え、いずれあの血しぶきの中に戻っていくのが定まっているようにも思えた。

「ねえ、あんた、戸締りは大事にしてね」
 夕日が沈みきる前の明るいうちに、と楊枝を(けず)っていると、湯屋へ行く()(たく)をしていたお多恵が声をかけてきた。
「戸締りだって? うちにゃ、盗まれるものなんてないぜ」
「それがね、昼間、()(あか)しに呼び止められて、最近住み着くようになった独り者はいないか、なんて聞かれたの。何のことか、って聞いたら、天草のほうから、人さらいの男が逃げてきてるんじゃないかって調べてるんだって。新太郎なんか、まだ小さいし、あたし、恐くって」
 源治は、わかったよ、と返事をした。お多恵が出ていくと、削っていた楊枝を卓袱(ちゃぶ)(だい)に置き、わらすぼを隠している葛籠を出してきて、背負った。それから、裏で遊んでいた新太郎を呼ぶと、手を(つな)いで、源治は家を出た。
 それきり、戻ることはなかった。

 長崎へ渡ってきたとき、通り過ぎた覚えのある博多(はかた)へ源治は逃げていった。九州では一番の大きな街で外国船の入れる大きな商都としか知らなかったが、他に知る土地もなかった。新太郎は母を恋しがり、帰りたいとは言ったが、それだけだった。源治が、すまねえな、と言うと、それ以上は騒ぐこともなかった。しかし、着の身着のままの行程で、しかも子供連れでは無理があった。
 博多までどのくらいの距離があるかも知れぬ村で、雨に降られた。()(でら)の門前に雨宿りにと座り込むと、新太郎がふらふらと倒れた。しっかりしろ、と大声を出そうとした途端、いきなり地面が立ち上がってきたように感じ、源治も息子に折り重なるように倒れた。

 目を開けると、どうやら寺の庫裏(くり)に寝かされているらしかった。隣を見ると、新太郎も布団を与えられ、眠っていた。老いた僧がやってきて、源治が目覚めたと知ると薬湯(やくとう)を持ってきた。
 老人は(ちん)(うん)といった。陳雲はまず、源治に()びた。()(もと)を知るものでもないかと荷を開けた、許されい、と頭を下げた。
 すると、わらすぼを見たはずだが、と源治は(いぶか)しく思った。あんなものを持っている男を()(じょう)といわず寺に上げるとは、僧侶(そうりょ)に似つかわしくないことだ。陳雲は続けた。
「そこでおぬしのあれを見た。恥ずかしながら(せっ)(そう)は、ああいったものにたまらぬ興味を()かれるたちでな。あれは、おぬしが作ったのであろう? 都にも、あれほどのものを作る技はない。驚き入ったぞ」
 仏僧として恥ずかしいという素直な(しゅう)()と、名品に触れた(こう)()()の興奮とが陳雲の瞳に共に表れているのを源治は見た。源治はその目から視線をはずした。不意に言った。
「もし、お坊様がよろしければもっと、すごいのを、お見せいたしやす」
 陳雲は唾を飲み込んだ。

 源治父子は寺に置いてもらうことになった。漆、渋柿、麻の葉、それに(ろう)(ぎゅう)の後ろ(あし)、もろもろ。源治が頼む奇妙な品物の注文も、陳雲がしてくれた。
 その生活の間に、陳雲のこともわかってきた。都の大寺院で正規に修行をしたが、僧のつとめは市井(しせい)の人々を救うことと信じ、この破れ寺へやってきたという。ろくな喜捨も得られないが、時には自ら畑を耕し、(どう)(しん)(けん)()に暮らしている。さばけた人柄だが親切で仏法の知識も豊富、村人の信頼もあつい。(いん)()な趣味を一つ隠しているものの、まことに立派な僧侶らしかった。
 だが源治には、陳雲が、仕事の邪魔をすることはないとわかっていた。源治が何をするか、薄々察しがついたとしても、源治の約束した作品(、、)を見たいという欲望に、かの僧は(あらが)えぬだろう。何の妨げも受けず、源治は寺の庭に建ててもらった小屋で黙々と支度をした。
 新太郎には、既にこの十日、柿の種子から採る粘液、麻や種々の(こけ)、果実を()り合わせたものしか食わせていない。顔色はいよいよ奇怪に、爪も固く、関節は体の外から見えるほどに節くれ立っていった。
 そしてある晩、新太郎は息絶えた(、、、、)。源治は他の材料を並べ、作業に取り掛かった。考え抜き、試し、(みが)いてきた技法の精髄(せいずい)を今こそ()かす、その高揚(こうよう)だけが感じられた。
 石のようになった爪に(にかわ)を塗る。熱と化学作用で爪をさらに()(ぎょう)にしていくためのものだ。目玉を潰して吸い出し、空いた(がん)()に少量の水銀で(べっ)(こう)欠片(かけら)を植えていく。江戸では(くじら)(ひげ)皮膚(ひふ)に埋め込み、(じん)(じょう)の生き物とは見えぬ奇怪な(うね)を作る技術が確立されていたが、源治は牛の(けん)を水だけでなめして用いることで、より奇怪な形状を出す技を新たに編んでいた。その作業が、見るもおぞましいかたち(、、、)を作っていく。その出来栄えに、源治は()(えつ)した。自ら編み出した技法が、みごとに機能していく喜びはたとえようもない。
 おれの、この技は、誰にも受け継がれねえのだな
 源治が少し淋しく思うのはそのことであった。息子が今夜命を失ったことをいくらか気の毒には思ったが、悲しいと思うことはもうできなかった。最高の仕事を成し()げていく充実と喜悦が源治を浸した。少しは残っていたはずの罪悪感も哀しみも、溶けてしまった。

 完成したことを、源治は陳雲にだけ知らせた。夜分に入り、寺にただ一人の()(なん)が帰宅していった頃合いを見計らって源治はそれを抱えて寺へ上がり、陳雲の前に置いた。
 陳雲の表情だけを源治は見ていた。恐怖と喜悦が入り混じった顔つきだった。こういうものが大好きでありながら、それを()の当たりにしては嫌悪感を抱かずにはおれない。目を離すこともまた、し難い。引き裂かれるような名状し難い感情が陳雲の中に生じている。
 源治は、己の仕事が、それを見る者にどんな顔をさせるか、それを見届けて満足した。そうして深くうなずき、立ち上がったが、陳雲の目は源治のほうを見もしなかった。源治はゆっくりと陳雲の後ろに回り、(ふところ)から(のみ)を取り出した。刃先が肋骨(ろっこつ)の間を通るように刃を横に寝かせた。それから、陳雲の心臓を一突きにした。何の警戒もしていなかった老僧は、驚きこそすれ、苦痛を感じたり暴れることもなく死んだ。
 すまねえ。お前さまでは、だめなんだ。お前さまでは、おれが、何を使って(、、、、、)これを作ったか、わかってしまう。お前さまには、これがおれの作ったものだとわかってしまう。それでは、いけねえ! こいつは、おれが、いや、誰かが作ったものであってはいけねえ。誰も知らぬところからこぼれ落ちてきた、暗がりに溜まった謎が()(こご)りになったようなものでなけりゃあ、いけねえんだ。
 源治だった怪物は、恩人の()(がい)をもう見返りもしなかった。無人と化した寺の中を、しばらくそれは動き回った。油をまいていたのだ。火を放つと寺はすぐに、ごうごうと燃え上がった。怪物は、自分のいとし子だったもの、あるいは今こそいとしくなったそれを抱え、燃え盛る焔の光も届かぬ闇の中へ去っていった。
 源治の消息はそれきり、人の口にも上らず、無論、史籍に現れることもない。すっかり消えてしまった。

 やがて、源治が生まれた江戸から遠く離れた国ロマノフ朝ロシア帝国に雄大な帝王が現れた。ピョートル1世として戴冠(たいかん)した彼は、母国を強大国に育て文化面でも世界一等国とすべく、数々の文化施設を創始した。
 その中に、驚異の部屋(クンストカメラ)がある。動植物の標本、古代の(かっ)(ちゅう)から隕石(いんせき)、古代人の木乃伊(ミイラ)までありとあらゆる珍奇なものを世界から集める博物館とも美術館ともつかぬ施設だ。単に珍奇趣味というのではなく(ぼっ)(こう)しつつあった博物学の知見を高め、人類の知識が世界を解き明かす一助となるとされて西ヨーロッパで流行したのを取り入れたものだ。ピョートルのクンストカメラは自身が建設させた新首都ペテルブルクに造られた。
 おそらく六十万点を超え、正確な所蔵数は不明という膨大(ぼうだい)なコレクションに、「きわめて珍しい奇形の獣、または現在知られていない別種の人類の標本」とラベリングされた標本がある。かつては展示されていたが、見学に訪れた女性がそれを見て卒倒し一時(じん)()()(せい)になるという騒ぎがあってから、非公開の収納庫へ移され、それきり日の目を見ていない。
 後に大帝と呼ばれるようになったピョートルが没し、それから百九十年ほどして彼を生んだ王朝が滅び、その後にロシアを支配した国家さえも滅んでも、ピョートル大帝の建造したバロック様式の壮麗(そうれい)な建造物は健在だ。その収納庫に、くだんの標本(、、)は今も眠っている。20世紀の後半に、モスクワ大学の研究チームがその正体を突き止めようと調査したが、獣なのか人造物なのか、それさえついにわからなかったという。

【おわり】