【最終選考作品】24seconds(著:大槻華子)
23,98秒
試合時間は残り24秒をきった。
勝てるか勝てないか今のお前等に聞く。
だが俺は、「勝てない」という言葉は受け付けない。
そんな滅茶苦茶なことを言ってきたのは、コーチの鬼頭という男。今の今までコートの中を全力で走り回っていた俺等5人は、肩で息をしながら顔を見合わせた。
心臓がドキドキと、耳のすぐそこまで上がってくる。77対78、差は1点だけ。だけど残された時間も24秒だけ。タオルで乱暴に汗を拭い、俺は熱い唾を飲む。
「勝てます」
鬼頭の背中越し、ゴールの真下に置かれた茶色いボールが目に入る。
「この24秒間で相手からボールを奪い、そして確実にシュートを決めます」
あのボールが次に潜るは、対戦相手ではなく俺等のリングだ。
全国中学校バスケットボール大会。トーナメントの頂上へ立てるかどうかは、この24秒間にかかっている。
緊張しているかと問われれば、がっつり緊張していると答えるだろう。
本当にやれるのかと問われれば、はっきり言って自信はないと答えるだろう。
だけど確かに感じるのはこの鼓動。緊張よりも遥かに大きい躍動感に、俺のハートは胸の内で暴れている。
それは仲間達も同じだと俺が思ったのは、皆の瞳が輝いていたから。
「おう、やってやろーぜ」
そう言って、拳を突きつけてきたのは熊五郎。彼の本名、熊田五郎の「田」だけを取った何のひねりもないあだ名だけど、見た目にはしっくりハマっている。
「勝つしかないべ、なあみんな」
ははっと不敵な笑みを浮かべるのはアッキー。秋生はいつも、追い詰められた時こそ笑う。
「ここまで来たらやるっきゃないっしょ〜!」
真っ逆さまにしたドリンクを、ぷはーっと豪快に飲み干したナベが言う。マネージャーがそれを補充すれば、渡辺はまたごくごくと喉を鳴らした。
「大輔、お前と毎日一緒にやってきたバスケも、こうして味方としてプレイできるのはあと24秒だけだ。最後の最後まで思いきり楽しもう」
矢庭に俺へと握手を求めてきたのは、小学生時代からずっとバスケ仲間の陽平だ。
俺は大きく頷くと、その汗ばんだ手のひらをしっかり握った。
「おう。てっぺんとって、笑顔でバスケ部卒業しようぜ」
「行ってこい! お前等なら勝てる!!」
鬼頭の鼓舞は、タイムアウト終了のブザーと共に。ベンチに座るメンバーの声援も受けて、俺等5人は戦場へと戻っていく。
キュイとバッシュで奏でるフロア。漲る闘志、炎を纏う10個の瞳。
ボールが審判の手から敵へと渡ったその瞬間に、会場がピリリと刹那、痙攣した。
シュパッ!っと放たれた豪速球。それが真っ直ぐと俺のマークマン、背番号4の手へ渡ると、彼は低いドリブルをしながらじりじりとコートの中央へ。
敵はこの24秒間、シュートを放つ必要はない。俺等にボールを奪われさえしなければ勝てるこのゲームで彼等の選択を予想するならば、おそらくパスを回し続けることだろう。
だったらそれを、カットするしかほかにない。
「くっそ……!」
けれど敵は、俺等と同じく全国大会決勝戦出場のチーム。そう容易くいかないのがこのフィールド。俺へ焦点を当てたまま正確にパスを送られちゃあ、予測も推測もできたものではない。
だから4番の指からボールが離れたその瞬間、飛んだ方向だけは叫んでおく。
「ナベ‼」
疾風の如く宙を駆け抜けるボールの目的地はコートの端。ナベのマークマン、背番号6。
俺の発した「ナ」の字だけでもう、自分の名だと理解してくれたナベの長い手がボールを捕らえに向かっていた。
頼む、奪ってくれっ。
そう神に願うのに、何故かボールの行き先ががらりと変わった。
「なに⁉」
それはナベの手がボールへと届くよりも先に、6番がそれにした平手打ち。
べチンと大きな音を立て、ボールはフロアでワンバウンド。ゴール下を守っていた熊五郎が咄嗟に摑みにかかるけど、計算し尽くされたように背番号5の胸元でキャッチされ、熊五郎は歯を食いしばっていた。
「ちっ!」
メラッと熊五郎の瞳が燃ゆる。
ボールを抱えた5番は次にパスを出す相手を探していた──かと思ったら。
18,11秒
「シュートだ‼ 抑えろ!」
そう叫んだのは、ベンチの鬼頭。彼の怒声にも似たその声に焦慮したのはきっと俺だけではない。止めなければまた、点差が開く。まさか相手がまだ点を取りにくるなんて、思ってもみなかった。
1分1秒を争うどころか、ミリ秒だってマイクロ秒だって惜しいこの時間帯。ここでの更なる失点は絶対に避けたい。
「「「「熊五郎‼」」」」
俺を含め、コートにいる4人の声が揃った。リングを狙う5番の前、熊五郎が威嚇する熊のように両手を掲げて立ちはだかるが、この時間帯で避けたいのはファウルも然り。シュート体勢に入った相手に対しての無茶な守備は、フリースローを与えかねない。
焦る俺等を嘲笑うかのようにふわりと優しく投げられたボールが、熊五郎の手の上を悠々と越えていく。
入るな、外せ、入るな、外せ。
羽の生えていない人間の俺等が今この状況下でできることは、己のマークマンよりもリングに近いポジションを陣取り、いずれ地上へ落ちてくるボールを自分のものにする為の準備だけだ。
入るな、外せ、入るな、外せ。
念を送り、全神経集中。
描くはカンマ数秒後の未来。このボールをゲットしたら、どう動き出そうかって。
17,86秒
気味が悪かった。ゾッとした。
「嘘だろ、おい……」
スパンと軽快な音でネットを潜り抜けたボールは何度かコートで跳ねると、まるで意思でも持ったかのように、そのコートを静かに出ていった。
77対80。
スコアが変わり、沸き立つは敵のベンチと応援席。対して俺等の応援側の人々は事故でも目撃したように青ざめていて、ベンチに座る仲間に至ってはもう、身内の葬式へ参列しているような顔だった。
ドキドキからドクドクへと。
躍動感が消えた鼓動は、聞いていても反吐が出るだけ。
なんだよまじかよ。こんなんじゃもう……
「馬鹿野郎! 切り替えろ!」
ぼけっと絶望していれば、鬼頭の唾が飛ぶ。
「さっきまでの意気込みはどこへ行ったんだ! こんなことで諦めんな、ふざけんな! てっぺんとるんだろう⁉」
その瞬間、アッキーが微笑した。
「はっ。おもしれえっ」
ボールを拾ったアッキーは、それをバスンと1度、胸元で叩く。
「行くべみんな、トーナメントの1番高いとこ。そっから見下ろす景色以外、俺見る気ねえから」
ビュンッとコート内の俺へと放られるボール。それと同時に動き出すタイマー。
〝てっぺんとって、笑顔でバスケ部卒業しようぜ〟
そう言ったのはどの口だ。
〝この24秒間で相手からボールを奪い、そして確実にシュートを決めます〟
そう言ったのはこの口だ。
奪うまでもなく得たボール。寧ろラッキーだと思おうじゃないか。
17,08秒
相手のディフェンスは、コート真ん中にのびのびと引かれた線を越えてから。あの白線をひとたび跨げばそこから始まるサバイバル。
敵のいない空っぽなハーフコートで俺はゆっくりドリブルをつき、頭をフル回転させた。
チーム内において最も高身長で、高い得点率を常に保持している熊五郎。確実に点を取りにいくのならば、やはり彼を使った方がいいだろうか。
俺はふと、リング傍で待ち受ける熊五郎を見た。彼の瞳で揺蕩う炎は健在だ。
リングを挟んだ熊五郎の反対側。そこではナベが構えている。彼もゴール下に強いシューター。
彼が瞬時に判断してとる行動はいつも正しくて、ディフェンスを欺くのもお得意なよう。
ナベを見ればぶつかる視線。いつでも来いと、彼の瞳が言っていた。
アッキーと陽平と俺。この3人でボールを回し、熊五郎かナベでシュートがベストか?
ダム ダム ダム
「でも、なあ……」
じゃあそうしようって俺がアクションを起こせないのは、すぐにやって来る「その後」を不安視しているから。
77対80。その差は3点。
最低でもスリーポイントラインからゴールを決めなければ、延長戦にも持ち込めない。
15,51秒
それか試合終了までのその間に、2点を取れるその作業を2度繰り返す。熊五郎で2点ナベで2点。そうすれば計4点が加算されて俺等の勝ちだ。
ちらり、横目で残り時間をチェックして、ふんっと色のない溜め息を吐く。
だめだ。さすがに現実味がなさすぎる。何故ならこのボールが1度でも俺等のネットを潜ってしまえば、忽ち変わってしまう攻と防。
点を追いかける立場を維持したまま2点だけの得点と引き換えに、敵へボールを渡してしまうのは本望ではない。
ダム ダム ダム
やばい、もうすぐコートの半面へと辿り着いてしまう。そろそろ決断しなければ。
誰でいく、スリーは誰がうつ。そしてその為にはどうしたらいい。
真正面、4を背負った敵の男がギロリと俺に睨みをきかせてきたから、俺も精一杯の眼力を意識した。
バチバチと、彼と俺にしか見えない火花が舞い散る。
考えなんてまとまりやしない。だからもう、俺は俺等を信じることにした。
小学1年生の頃、陽平に誘われて始めたバスケというスポーツ。あれから8年、崖っぷちに立たされることなんて何度もあったじゃないか。その度に今まで培ってきた努力やスキルで食らいついた。
よしっ、やってやる。
「陽平!」
サイドにいた陽平へとパスを送り、俺は熊五郎のディフェンスに全身ぴったりへばり付く。
その動作を見届け俺の意を汲んだ熊五郎は、敵の壁となった俺の傍から抜けてフリーとなる。
「熊五郎!」
パーソナルスペース十分に確保した熊五郎へ陽平がボールを放ると、それを受け取った彼はシュートモーションへすぐさま移行。
場所は熊五郎の得意な角度、得意な距離。これが入れば2点を手にし、代わりにボールは敵へ奪われる。
でもいいよ、熊五郎。迷わずお前はシュートしろ。すぐにその大事なボールは俺等仲間が必ず奪い返すから。
背筋を伸ばした熊五郎の綺麗なフォーム。しかしキュキュイッと戸惑いの音が彼の足元から聞こえたのは、その直後だった。
「ナ、ナベ!」
10,33秒
シュート体勢から苦し紛れに出した熊五郎のパスは、ナベ方面。
熊五郎をマークする敵の5番は、そのがたいからは見当つかぬほどの俊敏さで熊五郎のパーソナルスペースへずかずかと無遠慮に入ってきたかと思えば、こん棒にも見紛う2本の太い腕でシュートを制した。
「んぐ……‼」
剥き出しにされた歯ぐきと共に、必死にボールを追うはナベ。
敵へ奪取されることを回避しただけの、アウトオブコントロールの熊五郎のパスが正確にナベの手元に収まるはずもなく、ボールはナベから数メートル離れた場所へと向かって風を切る。
ナベの手は、長い。
でもボールの方が、速い。
このままラインの外へとボールが出てしまえば、それはそれで強制的に俺等の攻撃タイムは終わってしまう。
差も縮められずに残り時間だけが縮まって。
残り10秒で、奪い返して追いつけるか?
さよならと言わんばかりにコート外へ進みゆくボールに心乱されれば、暑さのせいではない汗が滲み出した俺の額。
期待したり絶望したり、希望が見えたり隠れたり。
ゲームが展開するごとに上下する精神状態に、もはや自分でもついていけぬ。
「こっの……!」
俺の位置からでは無駄だとわかっていても、がむしゃらにボールを追いかけた。
「うあぁ‼」
無意味だとわかっていても、腹の底から声が出た。
負けたくない、絶対に。
そう強く思ったその時。俺の瞳へ飛び込んできたのは、勢いよく水中へとダイブする競泳選手のような奴だった。
「よ、陽平!」
プールでもないパイプ椅子だらけのそこへ勇んでダイブしたそいつは、まさしくバスケの道へと俺を導いてくれた幼馴染み。
目一杯面積を広げた手のひらでボールの行方を阻んだ陽平は、宙に浮いた不安定な体勢のまま、コートの中へとアタックを決める。
ダンッ!とバレーボールのようにフロアで大きく跳ねたボールが忠犬にだって思えたのは、今現在このコート内には9人もの人間がいるというのにもかかわらず、迷うことなく俺の胸元へとそいつがやって来たから。
「よ、陽平先輩‼ 大丈夫ですか‼」
陽平が物凄い音を立てて肩から落ちた先は俺等のチームベンチ。椅子も人間をも巻き込み大事なボールを死守した彼は、刹那、挙動を忘れて今の一部始終を傍観していた俺に叫ぶ。
「なにやってんだよ大輔! とっとと攻めろ!」
その言葉で俺は我に返った。
07,69秒
ダム、ダムダム! キュッキュイ!
不規則なドリブルに、不規則なスピード。
「アッキー!」
「おう!」
フェイントを使い、ボールを回して敵を翻弄。
相手チームが右往左往している隙を狙って、スリーポイントを決めてやろうと心に決めた。
同点に追いつけば、延長戦。そこで勝つ。
「ナベ!」
「熊五郎!」
「大輔!」
「陽平!」
あれだけの騒ぎを起こしながら、瞬時に戦場へ戻ってきた陽平には脱帽した。
「大輔!」
陽平から貰ったパス。カットを狙う敵を躱してスリーポイントラインまで下がって。
「……ちっ!」
だめだ、うてない。
03,51秒
相手の隙をうかがっている最中も、無情にも時は過ぎていく。
スリーをうちたい、うたれたくない。
対極に立つ5人と5人の戦いは、どちらも一歩も譲らない。
01,99秒
ならばもう、賭けるしかない。
キュッと一度、右足シューズで摑んだフロア。斜め後ろに反らした上体で、浮かせた左足を勢いよく前へ踏み出した。
「な‼」
俺をマークする4番の目が丸くなったのは、おそらく彼の頭にはドリブルシュートなんて考えがなかったから。
リングの近くからシュートを決めたところで得点は2点、そしてボールを手放すだけ。
自ら敗北に向かって突き進むようなこんなシュートを、残り1秒しかないこのタイミングでやるのは大馬鹿者だ。
だから4番は俺を追わなかった。べつにこれを決められたところで痛くも痒くもないから。
でもね、4番。お前の仲間にもいただろう? キープしていれば良かっただけのボールを、残り時間も計算せずにゴールへと放った奴が。
俺は敢えてそいつの元へと向かった。熊五郎は「え、なんでわざわざこっち来んの」みたいな顔をしていたが、これは俺の作戦だ。
01,44秒
ピ――!と審判が笛を鳴らしたのは、試合が終了したからではない。相手の5番が俺に対してした、ファウルの知らせだ。
俺の思惑通り、彼は最後の最後まで全力で臨んできてくれる男だった。
「こらあ坂本! なにしてんだ!!!」
相手側のベンチからは、コーチの怒号が飛んでいた。何故なら俺はシュートを決めたし、そして5番のお陰でフリースローの権利も得たのだから。
79対80。与えられたフリースローは1回。
「お前がここでファウルする必要なんかないんだよ! なにしてくれてんだ‼」
無論、相手のコーチが言うことは正しいと思う。けれど5番はスポーツマンの中のスポーツマンかもしれないとも思った。
試合に勝って勝負にも勝つ、みたいなさ。
「ワンショット!」
フリースローラインに立った俺へ、審判から寄越されるボール。
ダンダン、と2度小さくついてから姿勢を構える。これが俺のいつものやり方。
緊張するな、落ち着け自分。いつも通り、いつも通り。
これが成功すればプラス1点、そして同点。
俺等にまだ未来はある。
リングを真っ直ぐ見据えていると、ふと今までの思い出が蘇る。
中学で出逢えた最高で最強な仲間達。
時には涙し、時にはぶつかり合い胸ぐらだって摑みあったけど、一緒にいれば笑っていることのほうが断然多かった。
誰のバッシュが1番臭いかと競いあったり、俺等による俺等の為だけの応援歌を勝手に作って歌ったり。朝練習に遅刻した奴は1発ギャグを披露するのが詫びの代わり。
部活帰り、皆で頬張ったコンビニのチキン。
試合に勝つごとに、鬼頭へねだった焼肉屋や回転寿司。本当は回らない寿司屋がいいけれど、それは「お前等にはまだ早い」とずっとお預けを食らっている。「まだ」が解禁されるのは一体いつだ?
さあ、残りはあと1.44秒。ここにはどんなメモリーが刻まれるのだろう。
俺は輝く未来を信じ、ボールで大きく弧を描く。
シュッ
その直後。俺の双眸に映し出されたのは、信じられない光景だった。
「え……」
ガゴン!とリングに弾かれたボールがお門違いの宙へ飛んでいくさまは、俺から束の間呼吸を奪う。
泥のようなものが喉そこまで上がってきて、窒息だってしそうになる。
「リバウンド‼」
仲間の雄叫び。
「取れぇえええ!!!」
鬼頭の叫喚。
そして、悲鳴にも聞こえた応援席の声。
全ては虚しく響き、鼓膜に残る。
「そ、そんな……」
やってしまった外してしまった。
絶対に決めなくてはならない、その1本を。
01,43秒
再び動き出したタイマーを、閲する余裕も俺にはない。
鬼頭が叫ぶ。
「渡辺離すな! 熊田も行け!」
ナベと5番が争うボール。そこへ自身のマークマンを振り切った熊五郎が参戦すると。
「ぅおりゃああ‼」
ラグビーにも似た迫力でなんとか熊五郎の手にボールが渡ったが、崩れたそのフォームを整えシュートまで持っていく術はないと判断した彼が選ぶは、目に見えた味方にパスを出すこと。
「だ、大輔!」
再び俺へと戻ってきたボール。フリースローラインよりもリングから近い場所。
次こそは。
俺はフロアを急いで蹴った。
00,50秒
もう勘弁してくれよと思ったのは、宙へ浮いてからすぐのこと。
4番8番と、俺のシュートモーションにすかさず反応した2人に目の前でされる万歳で、シュートのコースを失くされる。
俺とほぼ同時にフロアを蹴り上がっていた2人は鉄壁と言っても過言ではない。
彼等が作る巨大なバリケードは、俺を途端に怯ませた。
額の前、構えたボール。あとはうつだけなのに。
「ちっきしょっ……!」
次の一手はどこにもない。時間が時間なだけにパスなんて選択肢も選べない。
ここまでか、と諦めかけたその時だった。
視界を遮る4本の腕の下。指先をくいくいと動かしボールを要求する手が見えたのは。
00,37秒
俺と同時にフロアを蹴り飛んでいたのは、敵だけではなく仲間の陽平も然りだった。
鉄壁の裏側、彼は俺よりももっとリングに近い場所、まさにゴールの隣にいる。
敵の脇腹を沿い、静かに陽平へボールを通すと、汗で濡れた中指同士が一瞬触れ合った。
「おま‼」
言葉にもならない敵の驚愕を耳にしながら陽平が決めたのは、悔しいほどカッコいいタップシュート。
ガゴン!っとボールをネットに潜らせた彼が再び地に降り立ったのは、ダンクをしたその後だった。
誰の着地の音も聞こえない。何故ならそれ等は全て、会場中に響き渡った試合終了の合図に搔き消されたから。
00,00秒
ビビ―――――!!!
81対80。
得点板へ最後に記されたのは、俺等の勝利を告げるスコア。
未だにネットは揺れている。
未だにボールは転がっている。
獅子奮迅した俺等へもたらされた勝ちだから奇跡という言葉は使いたくないけれど、でも、だけどやっぱりところどころにミラクルはあったと思う。
たった1点、されど1点。
この1点で白星か黒星かが分かれるなんて、本当、勝負の世界は酷なものだ。
センターラインを挟み「ありがとうございました!」と頭を下げたら、俺は面前にいる4を背負った泣きべそをかく男と抱き合った。
お前の名前も顔も俺は一生忘れない。俺はお前とやれてよかった。いつかまたどこかで会えた時は、お互いもっと強くなってよーぜ。
なんて、そんな言葉を彼に贈った。
「アッキーの涙、初めて見た」
ベンチへ戻れば、全員が泣きっ面。
「あほかっ。全国1位とって泣かねえ奴なんかいるかよっ」
「そんなに泣いてちゃ、てっぺんからの景色滲むぞ?」
「うるせえっ」
こつんと肘で小突き、笑い合って。熊五郎もナベも陽平も、涙を垂れ流したままに笑っていた。
そして眉間に手をあてる鬼頭をふと見やれば。
「え、コーチ……」
彼も思う存分涙していた。
「よくやった…本当に、よくやった……」
息を詰まらせながらも讃えてくれた彼に、俺等3年生は最後にこんな願いを告げてみた。
「回らない寿司屋に行きたいです!」
すると豪快に笑った鬼頭はこう言ったんだ。
「お前等にはまだ早い」ってね。
【おわり】