【入選】美味しいの世界素晴らしい世界(著:中村沙奈)
検査結果を聞いてスズキは肩を落とした。まだこの星に来て三年もたたないのにあの病気に感染してしまったのだ。それは一種の風土病で、感染するのは人類だけ。さまざまな調査が行われてきたがいまだに原因はわかっていない。
症状はまず突然の発熱から始まる。やがて咳が止まらなくなり、治ったと思えば、味覚障害が始まる。そうして体が痩せ衰えていき社会生活もままならなくなれば入院だ。その通りの経過を経て、今日からスズキは療養施設に入ることになった。
「どうしてこんな病気に。感染しても発症しない人だっていっぱいいるのに」
恨みがましく言うスズキに医師はそっけなく「体質とかありますからねー。発症するかどうかはロシアンルーレットみたいなものです」と返した。
スズキが入所した療養施設は町から車で一時間あまりの場所にあった。F6というプレートが門の横の白い壁で光っている。広大な敷地には木々が植えられ、優しい木陰を作っていた。遠くで誰かが農作業をしているようで、畑を掘り返す耕運機のエンジン音がかすかに聞こえた。
案内された部屋は内装を終えたばかりの匂いがして、スズキは軽く咳き込んだ。
手荷物をしまっているとタブレットを持った看護師が入ってきた。
「まずは生年ガッピとおナマエ、お願いしマス」
スズキは答えながら看護師をまじまじと見つめた。背はズズキの半分くらいで全体的に丸っこい。頭まで覆うピッタリとしたボディスーツを着たその姿は、ちょうど太めの水滴に手足がついたような格好だ。顔の部分だけが丸く空いていて、そこにツヤツヤとした蜜柑色の顔らしきものが見える。ぽっかり空いた穴のような口が不自然に震えてそこから水の中でしゃべっているような声がしていた。事前に病院で説明を受けていたため、心構えはできていたものの薄気味悪さは拭えない。そんなスズキの反応に、慣れているのか看護師はテキパキと質問し、スズキの答えを入力していく。
「スズキさんハ、QP星人ヲ見るノハジメマシテでスカ?」
「いいえチガイマス」
つられて変な口調になったスズキに、看護師はポコポコと音をたてた。どうやら笑っているらしい。
「デスよネ。ワタシたち、人類といっぱい働くマスよ」
正確にはほとんど無報酬でいっぱいこき使われてマスデスよ、とスズキは思った。
QP星人というのはこの星では数少ない知性を持った生き物だった。本来ゼリー状の不定形の体をしているが、人類と生活するために特別なボディースーツに身を包んでいるのだ。たいした報酬もないのにキツイ労働も厭わない姿に、彼らにも人類と同じ権利をと政府に陳情する団体もあるが、当の本人たちが気にしていない様子なので今ひとつ盛り上がらず、この二百年彼らの地位は変わらないままだった。そんなわけで、この療養施設で働いているのはほとんどがQPたちだった。
看護師はスズキの手首にバンドを巻いた。どういう仕組みかそれはピッタリと肌に張りついた。まるで体の一部のように違和感がない。
「これデ、スズキさんの体ヲ、もにたぁしマス。外さナイデね」
看護師は部屋を出ようとして足を止めた。飛び上がって天井にぶつかると、跳ね返って、スズキの後ろに着地した。
「忘レてまシタ!ワタシ、担トーの、カトーデス。よろしくデス」
カトーは振り返ったスズキにそう言うと、ピュルンと音をたてた。
その日も晴れていた。スズキはマスフスの苗の入ったケースを抱えると畑に向かった。先に苗を植えていたミシマが気づいて笑顔で片手を上げる。畑での作業ももう三ヶ月になり、スズキは手慣れた様子で自分の担当部分に苗を植え始めた。隙あらば絡みつこうとするマフスフの蔓をあしらいながら植えていくうちに、額に巻いたタオルにじんわりと汗がしみる。ふと見ると、畑の脇ではずらりと看護師が並び、作業の様子をチェックしていた。治療の一環のための農作業と言われているが、なにか試験のようにも思われて、最初のうちスズキは落ち着かなかったが、今では並んでピュルンピュルンしているQPたちを可愛らしいとさえ思うようになっていた。
やってみれば農作業というのは奥が深い。肥料ひとつとっても多ければいいというものではないのだ。配合も撒く量もタイミングも作物に合わせてやらなければならない。来たばかりのころ水を撒きすぎていっしょに叱られたミシマとは、その縁で親しくなっていた。変わり映えのしない日々のなかで、こうしていっしょに作業する合間に雑談をするのが最近のスズキの楽しみだった。
作業を終えて施設に帰ると食堂から良い匂いが漂ってきた。今日の昼はペッパーマーリャイハイドビッツらしい。ミシマがうふふと笑って「ボク、ペッパーマーリャイハイドビッツのせいで四キロも太ったんですよ」と言った。確かにずいぶんと腹回りに貫禄が出てきている。
マーリャイは極楽鳥花によく似た見た目をしているこの星固有の植物だ。黄色の花弁を刻み胡桃に似たビッツの実と混ぜて炒めると文字通り箸が止まらない美味しさで、スズキもペッパーマーリャイハイドビッツの日はついつい食べ過ぎてしまう。マーリャイは茎も旨い。生で齧るとほのかな酸味とシャリシャリとした食感で、暑い日などはいくらでもいけてしまう。生えるシャーベットと言われる所以である。
「スズキさん、順調デスね」
ちょうど食べ終わったスズキに、通りかかったカトーが声をかけた。
思えば入所したてのころは、ずいぶんとカトーに心配をかけた。味覚障害もあってスズキはほとんど食事に手をつけなかったからだ。農作業で空腹のはずなのに、いざ食べようとすると口が拒否してしまう。そんなスズキに、カトーはこの星の野菜を食べるよう勧めたのだ。
人類がこの星に入植してか二百年、地球から持ち込んだ苗は土壌が合わないのか少ない例外を除いて定着することはなく、工場で水耕栽培するか、地球からの輸入に頼っていた。高価な野菜を嫌って土着の野菜を食べようとする者もいたがそれは少数派だった。不味いからだ。
スズキも一度だけ食べたことがあった。会社の歓迎会で誰かがマスフスの葉を鍋に入れたのだ。
舌が痺れ、吐き気はおさまらず、頭が割れるように痛く、死にそうになった、とスズキはカトーに力説した。
「そうデスね。フツー人類には向いていないカモデス。マフマスをただ煮込んだラ、そうナリマス。マフマスは蒸さないと灰汁出マス」
「灰汁?」
「デスデス。美味しく食べる、調理法大事。合うヤリ方しなきゃデス。人類が教えテくれたんじゃないデスか」
カトーはそう言って、スズキのために蒸したマフマスとラルラルのチュベリーソースがけを作ってくれた。
絶品だった。
ガツガツと食べるズズキの様子にカトーはピュルンピュルンと満足げな音を立て「スズキさん、モリさんみたいにならナクてヨカッタよ」と頷いた。
その日からスズキの生活は一変した。エスプロテス、イソピア、マクネクラピル、トシタ…さまざまな食材が、蒸す、焼く、炒める、煮る、揚げる、干す、漬ける、生、といった調理法で提供された。どれも美味かった。特に発酵させたイソピアの味は格別だった。地球にはない菌がいるのだろう。五年間熟成したイソピアを食べたとき、本当に旨いものを食べると人は言葉を失うのだとスズキは思った。
こうなると畑仕事も楽しくなってくる。体を動かすたびに、さまざまな栄養素が体内を駆け巡っている気がする。夢中で作業をし過ぎて塩を吹くほど汗をかいて、カトーに怒られたことも一度や二度ではなかった。
「ナニごともほどほどデスよ」
スズキの背中を濡れタオルで拭きながらカトーが言った。
心地よい疲れと背に受ける柔らかな刺激。ああ幸せだ、とスズキは軽く目を閉じた。部屋中が甘い香りで満ちている。カトーが拭くリズムに合わせてなにやらピュルンピュルンと音を立てている。
どのくらいそうしていただろう。ズズキが目を開けると、カトーの顔が目の前にあった。最初はただののっぺらぼうのように見えていたその顔も、見慣れた今では好ましく思える。いまでは顔に浮かぶさざなみでその感情が読み取れるようになった。喜び、慈しみ、愛しさ。不意に鼓動が早くなった。顔が赤くなっていくのを感じてスズキはそれを誤魔化そうと慌てて口を開いた。
「モリさんって、誰ですか?」
「モリ、さん」
カトーが膨れ上がった。ボディスーツが裂けそうになり、ズズキは目を見張った。
「モリさん、ずっと食べなカッタ。人類おかシイよ。ニンゲンが美味しいのコト教えてくれたのに。太りたくナイってナニ?ヘンゼルとぐれーてるってナニ?」
怒りで支離滅裂気味なカトーの話によると、モリというのは入所中に妄想に囚われて食べなくなってしまった患者だった。次々と出てくる美食は彼を太らせ、いずれはQP星人に食べさせるためだと思い込んだのだ。カトーの看護の甲斐もなく痩せ衰えて亡くなり、それを思い出すと今でも怒りがこみ上げてくるらしい。
「人類って共喰イするんデスか?モリさんが言っテました。ヘンゼル太らサレて食べられた。ワタシたち共喰いしまセンよ。共喰いハ毒デス」
それは童話だフィクションだとなだめるスズキは、まだ怒りが収まらないのか迷惑迷惑と言いながら部屋を飛び回るカトーを見ているうちに、なんだか可笑しくなって笑い出した。食べるものと食べられるもの。本当にそれがモリの妄想だったのか、スズキはあとで思い知ることになる。
風が気持ちのいい午後だった。外出許可をもらったスズキが施設の周辺を散歩していると、少し離れた小高い丘にオレンジ色の塊がみえた。なんだろうと近づいてみると、QPたちが本来の姿に戻ってくつろいでいるところだった。それはさながら蜜柑色の波で、ここに飛び込んでちゅるちゅると吸い込んだらさぞ旨いだろうとスズキは思った。
「スズキさん」
波に乗って押し出されるように一体のQPがやってきた。カトーだ。
「オ散歩デスか」
スズキは頷いてカトーのそばに腰を下ろした。仲良くしていたミシマがいなくなり少し意気消沈していたスズキはため息をついた。自分だってずいぶん丈夫になったと思っていたが、先日の検査の結果、まだ数値が良くないと言われてしまったのだ。
「ミシマさん居なくて、さみしいデスか?またすぐに会えるマスよ」
平べったく伸びた体の裾を揺らしながら、カトーが慰めるように言った。本来の姿に戻りいつもよりくつろいでいるようだ。
「やっぱり、スーツを着てないほうがラクかい?」
「それはソデス。でもこのカタチ働きにくいデスので」
カトーが蜜柑色の体を波うたせ、なにかが光った。目を凝らすと小さな鱗のようなものが見えた。いつもはスーツに隠れていたのだろうか。不思議と蠱惑的な光だ。まてよ、これって裸ってこと?不意にスズキはミシマのことを思い出した。
『異種族同士で惹かれるってあると思います?』
そのときミシマは恥ずかしげに顔を赤らめていた。
『ボク担当のサトーさんを見ると、なんかこう、ドキドキするというか。もう、可愛すぎてムニュムニュしてペロペロしたくなるんです。どうやって押さえたらいいですか?』
あのとき自分はどう答えただろうか。担当看護師に惹かれるというのは良くある話で、人類だろうがQPだろうがそれはたいてい錯覚で、退院したら覚めるものだとかなんとか言ったような気がする。
どのQPたちも献身的に世話をしてくれるので、入所者は、ほどなくみなミシマのようになっていく。こんな辺境の星で働く者たちだ。手厚くケアされるのが生まれて初めてという者も多い。
ズズキは首を振った。自分は違う。ペロペロとか、そんな衝動はない。たぶん。きっと。
「カトーさんは、嫌じゃないんですか?」
「なにがデスか?」
「そういうスーツを着たり、働かされたりするの。人類さえ来なければ、こうしてヒラヒラ遊んでいられたんじゃないんですか?」
不意に蜜柑色が丸く膨れ上がった。剥がれた鱗が散ってスズキの頬を掠めた。
「とンでもないデス!ニンゲンが来なかっタラ、ワタシたちずっと草食ってマシた!わかりマスか?ワタシたち美味しい知らナかった。ずっと知らナイのデシたよ。栽培、料理、ミンナミンナ人類が持っテ来てくれマシた。美味しいの世界素晴らしい世界よ」
力説するカトーに気圧されながら、スズキはホッと息をついた。そうして自分がずっとQPたちに罪悪感を抱いていたことに気がついた。人類はQPたちの優しさにつけ込んでいるのではないかと、心の底でずっと思ってきたのだ。だが彼らが感謝してくれているのならやましく思うこともない。
「…だカラ、スズキさんもしっかり食べテ、もっともっと元気になっテくだサイ。ワタシたちももっともっと美味しくしマスので」
ぱふんぱふんと飛び上がるカトーを、スズキは思わずかき抱いた。誘うような甘い匂いに包まれて自分のなかにあったあの衝動は食欲だったと気がついた。
その日から、スズキは心置きなく美食に溺れ、みるみるうちに太り始めた。カトーもご機嫌で、スズキに対してよりいっそう優しくなる。ときどきタブレットで数値をチェックしているが、明らかに以前よりも嬉しそうだ。このままいけばもうすぐ出られるかも、とスズキは思った。
そうなると、カトーともお別れだ。寂しいがその方がいい。会わなくなればあの変な衝動もいずれ収まってくれるだろう。そう思いながらも、あの蜜柑色のヒラヒラはいったいどんな味なのかつい考えてしまう。だめだいけない。
自分にダメ出ししながらベッドに寝転がると、腰のあたりに違和感があった。手を差し込んで取り出すと、それはあの鱗だった。ベッドメイクのときに落としたらしい。指でつまんで光にかざすとまるでなにかの結晶のように見えた。透明な中に気泡が浮かび、スズキは思わず舌で触れた。その瞬間、痺れるような快感でベッドから転がり落ちた。
なんだこれ、と思ったときには手が勝手に鱗を口に放り込んでいた。
ーーーーー?!
とてつもなく美味かった。脳内が圧倒的な幸福感で満たされた。渇望していたものがピッタリとハマった感じにスズキは半ば気を失いかけていた。
異変を察知したのだろう、カトーが部屋に飛び込んできた。その音でスズキは我に返り、慌てて取り繕おうとしたが無駄だった。
いつもよりずっと鋭敏になった感覚はカトーの匂いを捉えて離さず、スズキはカトーの腹に齧り付いた。が、ボディースーツの弾力に弾かれて、噛み付くことができなかった。
押し戻されたスズキは口の中になにかが押し込まれるのを感じた。鱗だ。ウロコウロコ美味い甘い死ぬ。
「落ち着いテくだサイ。いっぱいありマスのデスから」
なだめるカトーの声を聞きながら、スズキは鱗を貪り食って、やがて気を失った。
目が覚めるとベッドの上にいた。
天井のスピーカーからカトーの声がした。しばらく安静にした方がいい、食事は部屋に運ぶと言われて、あんな美味い物を食べたあとでなにを食べればいいのだろうとスズキはぼんやり思った。
うつらうつらしているうちに食事が運ばれてきたようだった。カトーの姿は無い。きっとひどく怖がらせてしまったのだろう。トレイの上の蓋を取るとペッパーマーリャイハイドビッツが乗っていた。美味しいが、やはり物足りない。
鱗なんて食べなければ良かったと思った。
翌朝、朝食を運んで来たのはカトーだった。トレイを置くと部屋の隅に立つ。スズキはカトーのほうを見ないようにしてカラマクネをこねて作ったパンを味気なく食べた。食べ終わったとき、カトーが近づいて来て鱗を三枚手に乗せ握らせた。
「齧っちゃダメデスよ。ゆっくり舐めてくだサイ。そしたら大丈夫デス」
スズキは驚いて顔をあげた。カトーがゆっくりと頷いた。
「いいのかい?その…僕ら君たちのこと…」
こき使った上に食べてしまうなんて。スズキは言葉を飲み込んだ。カトーの顔がふるふると小刻みに揺れていた。微笑んでいるようだった。
「いいんデス。美味しいの食べたくなるの必然だからデスから」
カトーはそう言うとトレイを持って立ち上がった。戸口で振り返って軽く頭を振るとピュルンと音を立てた。スズキは鱗を一枚口に含みながらその後ろ姿に手を合わせた。
数値が基準に達したと聞いたとき、スズキは心の中でガッツポーズをした。ずいぶん太ってしまい、腕を上げるのも億劫だったが、これでまた社会に戻れると思った。
カトーに付き添われて車に乗り込む。あれから何度か鱗を食べたが、しだいにあの渇望は影を潜め、今ではカトーが側にいてもなにも感じなくなっていた。どんな美食も飽きるということだろうか、とスズキは思った。
車は街のほうへは行かずさらに西に向かっていた。社会復帰前の訓練があると聞かされていたスズキは、もの珍しそうに窓の外を見ていた。
うっそうとした木々の間を抜けると二階建ての白い建物が見えた。小さな門らしきものはあるが塀はなかった。
車が止まった。
カトーに促されて、スズキはヨタヨタと車を降りた。そのまま門を抜けるとカトーは建物の方へは向かわず脇の小道を進んでいった。太り気味のスズキはふうふうと息をきらせながらそのあとを追った。どこに行くのか聞きたかったがついていくので精一杯だった。汗が流れて目にしみる。まだ着かないのかと思っていると、山肌にぽっかりと空いた洞窟に行き着いた。
「入ってくだサイ」
ぼんやりしているスズキをカトーが洞窟の中に引っ張り込んだ。まばたきをくり返すうちに目が慣れてきた。奥の方がぼんやりと明るい。苔がほのかに光っていた。そこまで歩いてスズキは腰を抜かした。
目の前に首があった。いくつも首が地面から生えている。いや、人が埋められているのだ。
「ほら、スズキさんの穴はアッチデスよ」
どこにそんな力があるのか、カトーはスズキを引っ張り、ずるずると奥に連れて行く。ふと足元を見るとどこかで見た顔が。ミシマだ。惚けたような目でスズキを見上げている。生きているのだ。
急に我に返ると、スズキは周りを見渡した。あれも、これも、施設で見た顔だった。
「どうしマシた?」
「これはいったい…」
スズキはハッとした。いままでのあれは、手厚い看護……ではなく、自分たちは栽培されていたのだと気がついた。
「まさか、僕を食べるのか」
「そデスよ。あの病気したニンゲン、ワタシたちの野菜食べれるヨになりマス。だからイパイ食べさせて大事に育てテ、ここに埋めテ熟成させると、とってもとっても美味しくなるマス」
カトーは穴にスズキを放り込み、土をかけ始めた。曰く、ここの土はニンゲンの熟成に最適な成分でいっぱいだとか、あんなにひょろひょろだったスズキがここまで肥え太って感激だとか、三年後が楽しみだとか、カトーはそう言いながらも手は休みなくズズキを埋めていく。
えっと、これは、夢か?いや現実だ現実。スズキはザクザクと土を落としていくカトーに向かって叫んだ。
「やめろ、やめてくれ!」
「熟成しないと美味しくないデスよ?せっかくここマデ育てマシタのに。美味しいモノ作る、調理法が大事テ言ったじゃないデスか」
「だから」
考えろ、考えるんだとスズキは自分を励ました。なにかこの手を止めさせる方法が。
とそのとき、うつむいたカトーの顔から鱗が一枚ひらりと舞い落ちた。これだ、とスズキは思った。
「だめだよ、僕を食べると共喰いになってしまう」
「共喰い?」
「だって僕は君の鱗を食べちゃったから。僕の体には君の鱗の成分が入っている。ってことは共喰いになるんじゃないか?」
カトーが手を止めて考えこんだ。いける。スズキはこの隙に穴から這い上ろうとした。が、腹が邪魔をした。
「鱗って、これデスか?」
カトーが顎から一枚はぎ取るとスズキに見せた。
「そうそう。僕いっぱい食べたよね」
カトーは首を振ってまた土をかけ始めた。
「わっ、え、なんで?共喰いしないって言ったよね?」
「共喰いじゃありまセン。あれはただの…ロウハイブツデス」
「ろう…老廃物?」
「ニンゲンで言えバ、汗の結晶みたいなモノデスね」
えっ?
「アレ、ちょうどいいスパイスになりマスね。アレ食べるニンゲンずっとずっと美味しくなるのデス。スズキさん食べてくれて嬉しいカッタデス。ワタシの育てたニンゲンで、スズキさんキットいちばん美味しい」
あっという間に胸まで埋まり、スズキはだんだんと考える力を無くしていった。ただ土をかける規則正しい音と、カトーがたてる音だけが聞こえていた。
ザクザク、ピュルンピュルン。ザクザク、ピュルンピュルン。
ピュルンピュルン。それが人間で言えば「美味しくなーれ」に相当する言葉だとスズキは知る由もなかった。
【おわり】