迷子の迷子の吸血鬼ちゃん 第三回

トラブル


 その後は当然、なるべくしてなったのである。
 夜十二時に、クロロック家のチャイムが鳴り、
「十三階のなかです! 中野の家内です!」
 いささか上ずった声がインタホンから聞こえて、エリカは、
「知らないよ、っと」
 とつぶやいた。
他の奥さんから聞きました。あなたが遊園地で主人を見かけたと」
 中野みどりは、りょうを見つめながら言った。
「それは
「本当なんですか? 主人が女子高校生と一緒だったと?」
 真剣に詰め寄られては、涼子もいい加減なことは言えず、
「ええ、そうなんですよ」
 と、仕方なくうなずいて、
「大観覧車にお二人で
「間違いないんですね? あの人ったら! 今日は遠くまで出かけると言って
 と、中野みどりは唇をかんでいる。
「あのそれでご主人は? もう帰られました?」
 と、涼子が訊く。
「いいえ。どこへ行ったのか、ケータイにかけても出ないし。連絡もないんです」
「あなた
 クロロックは涼子に見つめられると、
「何があったのか
 と、言葉をにごしながら、
「その二人はどこかへ消えてしまったようでしてな」
「消えた、ってどういうことですか?」
「いや、それは文字通り
「分かったわ! 主人に頼まれたんですね? 二人でどこへ行ったか、黙っててくれと」
「とんでもない! 私たちも家族で遊びに行っていたので、ご主人たちがどうしたか、見ていたわけじゃないんです」
 涼子の言葉を、中野みどりは一応信じたようだった。
「ともかく、私という妻と、はじめという息子がありながら、女子高校生とデートなんて、許せないことです!」
「お気持ちは分かりますが
 と、涼子は言った。
「もし、また主人を見かけるようなことがあったら、必ず知らせて下さい!」
 ドアをバタンと勢いよく閉めて、中野みどりが出て行くと、
「そうそう浮気の現場に出くわすわけないわよね」
 と、涼子は肩をすくめた。
「それより、二人が戻って来るかどうかが心配だな」
 と、クロロックは呟くように言った。
「でも、お父さん」
 と、エリカが言った。
「あの女子高校生のことも心配だよ。制服に見覚えがある。当たってみる?」
「うむ。これが、もしどこか闇の別世界へ迷い込んだのだとすると、早く対処せんとな」
「あの霧のせい?」
「かもしれん。いずれにしても、無事に戻って来てほしいものだな」
 クロロックは不安そうだった。

「あのエリカさんですか?」
 その高校生の女の子は、エリカの方へやって来て言った。
「あちゃん?」
 と、エリカはその子を見て、
「〈H女子〉に入ったの?」
 まだ中学生だったたか久美のことは、よく憶えていた。大学の文化祭のとき、西洋史の展示を担当したエリカに、熱心に質問して来た中学生の女の子が久美だった。
 エリカは久美と話しているのが楽しくて、大学の近くのきってんでしばらく話していた。
 その後、久美からは〈高校受験で大変〉というメールが来ていたが
「ええ。何とか合格して」
 と、高田久美は微笑ほほえんで言った。
「あのとき、エリカさんから教えてもらった〈ヤルタ会談〉のことが、受験問題に出て。すごく助かりました」
「良かったわね」
 エリカは、足を止めて、
「もう帰り?」
「はい。今日は部活もないので」
 その制服は、あの遊園地で見たのと同じだった。
「ちょっと近くでお茶でもしない?」
 と、エリカは誘った。
 久美はクリームソーダを頼んで、
「学校で、ですか?」
「うん。今日何か問題になってなかった?」
 と、エリカは訊いた。
「それってもしかして、家出したって話ですか? 二年生の明石あかしさゆりさんが、学校に来なくて。担任の先生が心配してお宅に電話したら、大騒ぎになってたそうです。昨日から家へ帰っていなかったらしくて」
「そうなのね」
 では、あの女の子が、きっと
「エリカさん、以前にも、何か犯罪を解決したこと、あるんですよね。明石さんのことでも何か?」
「そういうわけじゃないの。ただね。その明石って子の写真、見られる?」
「ちょっと待って下さいね」
 と、久美はスマホの写真を見て行ったが、
あ、これだ。この間の文化祭で撮ったんです。さゆりさん、演劇部に入ってて、結構目立つ存在でした」
 スマホを渡されて写真を見る。確かにあのときの子だ。
「エリカさん、何か知ってるんですね? でなきゃ、わざわざ〈H女子〉まで来ませんよね」
「まあ、ちょっとね。でも、公表したものかどうか
 そこまで話してやめるわけにはいかない。
「これはまだ秘密だよ」
 と、小声になって、
「明石さゆりさんは、昨日中年の男性と遊園地にいたのよ」
「へえ! よく憶えてましたね!」
「だって、取り合わせがね」
「でも、それって危ないですよね」
「それが心配でね。その男性は私と同じマンションの住人なの」
「それじゃ、まさか駆け落ちですか?」
「そうじゃないと思うわ。確かに二人、仲良さそうに見えていたけど、深い仲という風じゃなかった」
「あのそのことを学校には」
「迷ってるの。もちろん隠すつもりはないけど、どういう事情だったのか
 明石さゆりの家では心配しているだろう。
 だが、たとえ中野と一緒だったと教えたところで、その二人が大観覧車から姿を消した謎はとけない。
 ただの「家出」ではないことを、どう説明すればいいのか
 エリカは悩んだ。
 そして、ともかく今はまだ明石さゆりのことを他の人に話さないでくれ、と久美に約束させたのだったが

 その夜、十一時過ぎに、エリカのスマホに高田久美からかかって来た。
「すみません!」
 と、久美は言った。
「エリカさんと話してたのを、あのお店にいた子が聞いていたらしくて、明石さゆりさんの親ごさんに知らせてしまったんです。親ごさんがエリカさんのマンションに
「そんな
 恐れていたことが起こってしまった。明石さゆりの親としては当然
「おい、エリカ」
 と、クロロックが言った。
「下のロビーで騒ぎが起きている」
「お父さん、聞こえてる?」
「駆けつけた方が良さそうだな」
「うん!」
 エリカとクロロックは急いでマンション一階のロビーへと下りて行った。
「どうするつもりよ!」
「そっちこそ! 主人を誘惑して、どこへ連れて行ったの?」
「何ですって! いいトシをした大人が、十七才の女の子をゆうかいしたのよ!」
 中野の妻、みどりと明石さゆりの母親と思われる女性が、つかみ合いにならんばかりの勢い。
「あの待って下さい」
 と、エリカが間に入ろうとしたが、
「邪魔しないで!」
「子供は引っ込んでなさい!」
 二人とも、エリカを突き飛ばしそうだった。
 こうなると、クロロックが進み出るしかない。
「まあ、落ちつきなさい」
 と、穏やかに、
「これは単純な話ではないのだ。確かに、それぞれ、二人の付き合いには言いたいことがあろう。しかし、問題は別のところにある。つまり
 と言ったところで、
「余計な口出ししないで!」
 と、明石さゆりの母親が、平手でクロロックの顔を引っぱたいたのである。
 クロロックは、痛くはなかったろうが、突然のにびっくりしてしまった。
「お父さん、大丈夫?」
「うむ。ともかく二人を冷静にさせんとな」
「でも、どうやって?」
 クロロックが天井に向かって手を振るとスプリンクラーが作動して、ロビーに細かい水しぶきが降り注いだ。

「やれやれだな」
 と、クロロックがため息をついた。
 スプリンクラーの水を浴びて、びしょ濡れになった中野みどりと、明石さゆりの母、明石かずは、さすがにになって、とりあえず、それぞれ行方ゆくえ不明者届を出すことになった。
 一方、降らせたクロロックとエリカも、一緒に水を浴びたわけで
 あの二人が消えてしまったことは言えなかったのである。話したところで信じられないだろうし。
 クロロックとエリカは、もう一度お風呂に入ってから着替えた。
お父さん」
 と、エリカがパジャマ姿で言った。
「何だ?」
「今、ふっと思ったんだけど。人が消えるって話。私、いしざかさんから聞いてたんだよね」
「そうか。しかし、大分前のことだろう?」
「うん。もう七年前だった。さえぐさともって人が消えたというんだけど。もしかして、今、私たちの目の前で人が消えたってこと、偶然じゃないかもしれない」
「うむ。どうか分からんが、七年前の出来事と、あの二人と、どこかでつながっていたのか、当たってみるのもよかろう」
「そうだね」
 こうなったら、どんな小さな手掛かりでも、たぐり寄せれば何か新しい事実が分かるかもしれない。
「じゃ、沙代に電話して
 と言いかけて、エリカは派手にクシャミをした。

【つづく】