迷子の迷子の吸血鬼ちゃん 第二回

空中の出来事


「にぎやかでよろしい」
 と、フォン・クロロックは言った。
「ワア」
 と、虎(とら)ちゃん、こと虎(とら)ノ(の)介(すけ)が両手を振り回している。
 遊園地の中には、あちこちのスピーカーから、雑音とも音楽ともつかない音が流れていた。
「――平日に来て良かったわ」
 と言って、虎ちゃんにプリンをスプーンで食べさせているのは、母親の涼(りょう)子(こ)。
「休日は、食事する所も行列ができるのよ」
「うむ。のんびりできるのはありがたい」
 一緒にお昼を食べているのは、娘のエリカである。
「エリカさんもいるから、虎ちゃんも退屈しなくてすむわ。ね、虎ちゃん?」
「ワア」
 エリカはため息をついた。
 平(﹅)日(﹅)にやって来たのは、涼子の希望で、そのためにエリカは大学の授業をサボっているのだ。
 クロロックにしても、社長をつとめる〈クロロック商会〉を「特別休日」にしてしまったのである。
 確かに、空(す)いている遊園地は、のんびり散歩できるし、ジェットコースターやメリーゴーラウンドなども待たずに乗れる。
 しかし、赤ちゃんの虎ノ介がいるので、コースターには乗れないし……。
「私、あの〈宙返りコースター〉に乗りたいわ!」
 と、涼子は言い出した。
「だめだよ。虎ちゃんなんか赤ちゃんなんだから」
「もちろん、エリカさんが見ててくれるのよ」
「それは……。ま、いいけど。お父さん、乗るの?」
「私はどうも――」
 と、クロロックは言いかけたが、涼子はその腕をしっかりつかんで、
「一緒に乗るわよ。ねえ?」
「うん……。もちろんだ」
 クロロックは、やや引きつったような笑顔になった……。

「大丈夫、お父さん?」
 エリカは、少しフラついているクロロックに訊いた。
「うむ……。かつてのトランシルヴァニアには、あんなスピードの乗り物はなかったからな」
 それはそうだろう。しかし、涼子の方は、
「ああ面白かった!」
 と、伸びをして、
「あのスピード感がたまらないわね!」
 そしてエリカの方へ、
「エリカさんも乗って来たら? 虎ちゃんは見ててあ(﹅)げ(﹅)る(﹅)から」
「私、あんまりああいうの好きじゃないの」
 と、エリカは言った。
 ベビーカーを押しているのはエリカである。
「じゃ、今度は大観覧車ね!」
 と、涼子が言った。
「あれならゆっくりだから大丈夫でしょ?」
 大観覧車も、並んで待つ人はなかった。
 ちょうど高校生ぐらいの女の子がチケットを買っている。
「あら……」
 と、涼子が目をみはって、
「あれ、中(なか)野(の)さんだわ」
「誰?」
「ほら、今、あの女の子と一緒に観覧車に乗ろうとしてる人。――同じマンションの中野さんよ。確か――十三階じゃなかったかしら」
 少し離れているので、向こうは全(まった)く気付いていないが、中野はどう見ても四十才前後。一見して、ごく普通のサラリーマン。
 その中年男が、女子高校生らしい女の子としっかり腕を組んで、観覧車に乗り込んで行くのだ。
「ちょっと問(﹅)題(﹅)ね」
 と、涼子は目を輝かせて、
「今日来たかいがあったわ!」
「お母さん、他人のことは放っときなよ」
 と、エリカは言った。
「私、ちょっとトイレに行ってくるわ」
 と、涼子は言って、さっさと一人で行ってしまった。
 もしかして――今の「発見」を誰かに知らせに行ったのかもしれない、とエリカは思った。
 涼子はじきに戻って来て、エリカたちも、観覧車に乗ることになった。
 もちろん、ゴンドラ一つで充分座れる。虎ちゃんは涼子の膝の上でおとなしく座っていた。
 先に乗って行った中野たちは、ちょうど一番高い辺りだろう。
 ゆうべ遅かったエリカはちょっと眠くなって欠伸(あくび)をした。
「――え?」
 窓の外が真っ白になった。これって……雲?
「まさか!」
「エリカ! 気を付けろ」
 と、クロロックが言って、隣の涼子をしっかりと抱き寄せた。
「お父さん、これ、何?」
 今、ゴンドラは真っ白な霧とも何ともつかないものにスッポリと包まれている。
「これは普通ではない。エリカ、エネルギーを出して、このゴンドラを守れ」
「うん」
 エリカは窓に手を当てると、精一杯「力」を送った。
 外(﹅)に(﹅)何かがいる。空中だが、それははっきりと感じられた。
 一分か二分か……。
 エリカは汗が背中を伝い落ちるのを感じた。
 すると――それはスッと消え去った。
「もう大丈夫だ」
 と、クロロックが大きく息をついた。
「汗かいたよ」
 エリカはハンカチを取り出して、顔を拭いた。ハンカチが汗で濡れる。
「どうかしたの?」
 と、涼子はポカンとしている。
「いや、何でもないぞ」
 クロロックは涼子の額にキスした。
 ゴンドラは一番高い辺りに来ていた。地上の風景が遥(はる)か遠くまで見える。
「――何だったの?」
  と、エリカは少ししてから言った。
「分からん。ともかく無事で良かった」
「うん……」
 ゴンドラが下降して行く。
「さあ、そろそろ降りるぞ」
「のんびりしてて、いいわね」
 と、涼子は呑(のん)気(き)である。
 係の男性が、ゴンドラのロックを外して、扉を開けた。
「お疲れさまでした」
 遊園地の制服を着た係の男性はそう言って、
「あれ?」
 と、目を見開いた。
「どうかしたかね?」
 と、クロロックが訊く。
「あの……こちらの前に、二人連れのお客様が……」
 と、係の男性は言った。
「ああ、見ていた。中年男性と女子高校生だったな」
「そうですよね? こちらより四つ五つ先のゴンドラに乗られたんですが……」
「どうした?」
「降りて来ていません」
 エリカとクロロックは顔を見合わせた。
「見落としたんじゃないですか?」
 と、エリカは言ったが、
「いえ、そんなことはありません。私はずっとここに立っていたんですから」
 他にも、エリカたちの後で乗った客がいて、降りて来た。
「それって、中野さんたちのこと?」
 と、涼子が言った。
「そのようね」
 エリカは自分が乗って来たゴンドラが、他の客を乗せて上って行くのを見ていた。
「そんなこと、あるわけないわ」
 と、涼子が肩をすくめて、
「さ、行きましょ。ね、虎ちゃん」
 気がかりではあったが、エリカたちはそのまま遊園地の中を歩いて行った。
「――お父さん、あの霧……」
「うむ。しかし、あれが何だったのか、私にも見当がつかん」
 エリカとクロロックは人間離れした聴力を持っているので、涼子に聞こえないように小さな声で話していた。
「あの係の人が見落としたか……」
「そう考えるのが普通だろう。しかし、あの状態で見落とすとは考えにくい」
「うん。――でも、二人が空中に消えた? 途中でゴンドラから出て行くのは無理でしょ」
「ともかく、今はどうにもできん。――この後がどうなるか、だな」
 クロロックはそう言って、虎ちゃんをしっかり抱っこした……。

【つづく】