迷子の迷子の吸血鬼ちゃん 第一回

消える
「人間が一人、消えて失くなるなんてこと、あると思う?」
いきなりそう訊かれて、どう答えればいいのか。
神代エリカはちょっと困ってしまったが、同じバイト先で働いている仲間、それも同じ世代の大学生が相手とあっては、
「そんなこと知らないわよ!」
とか、
「私と何の関係があるの?」
と、冷たくはねつけることもできなかった。
「そうね……。まあ、どういう事情があったのか、とか、家出するのが好きな子だったのかとか……」
と、エリカが言うと、
「そんな人じゃなかったのよ。それに、家出するような理由もないし……」
と、石坂沙代は言った。
エリカは、カフェでランチを食べながら、
「どうして私にそんなこと訊くの?」
と、訊き返した。
「だって、エリカの評判が耳に入って」
「私の?」
「お父さんがマジシャンなんでしょ? 長いマントを着て、ふしぎな力を持ってるって噂よ。大学でも」
「マジシャンじゃないわ。ただ、他の人より少し年令取ってるだけ。だから何かと経験して来たのよ」
年令を取っている、といっても、まさかその「少し」が、実は数百年に及ぶとは、誰も信じないだろう。
神代エリカの父、フォン・クロロックはルーマニアのトランシルヴァニアからやって来た、「正統派」吸血鬼である。母は日本人女性だが亡くなって、今、クロロックには若い後妻の涼子がいる。
そして、二人の間にはまだ幼い虎ノ介がいる。
「何かあったの、沙代?」
と、コーヒーを飲みながらエリカは訊いた。
「突然ごめんね。でも、いつも大学のお休みに実家に帰ると、思い出してしまうの。――人が一人、消えてしまった、あの日のことを」
エリカはスマホをテーブルに置くと、
「待って。メールが入ってる」
と読んだ。
〈今夜は夫婦で夕食をとるから、虎ちゃんを見ててね 涼子〉
やれやれ、お守りか……。
しかし、家庭平和のためには、クロロックも逆らえない独裁者、涼子がいて、その指令は絶対なのである。
「――ごめん。話してみて。聞くわ。分かりやすいように順序立ててね」
「ありがとう!」
石坂沙代は、感激のあまり、少し涙ぐんでさえいた。
「それって、沙代のご実家での話なの?」
「ええ。ともかく大きな屋敷なの」
と、沙代は言った。
「だけど、お金持ちではない。古い家柄だけど。屋敷も正直、持て余してるの」
「そこで人が消えた?」
「そう。――広いから、どこかに隠れてるんだ、とか思うじゃない? でも、そうじゃなかった」
「落ちついて」
と、エリカは言った。
「急がなくていいからね」
「うん……」
石坂沙代は座り直して語り始めた。
その年、石坂沙代は中学一年生、十三才だった。
かなりひなびた田舎の町外れに、石坂家があった。古い屋敷と、ただ広いだけの庭。
子供のころから、沙代は家の敷地を駆け回るだけで充分遊びも運動もできた。
犬の「コロ」が遊び相手で、二人はよく裏手の川のそばに出かけて行った。
その日、いつもの通り、沙代は学校から帰って来ると、
「ただいま! おやつ!」
と、大声で言った。
大きな声を出さないと、母の耳に届かないことがあるからだ。
しかし、このときは母、美沙江が台所にいて、顔を出すと、
「何よ、そんな大声出して」
「あ、そこにいたの。だって二階だったら聞こえないでしょ」
「冷蔵庫にプリンが入ってるわ」
「へえ、珍しい! 誰か来たの?」
何しろ、プリンなどという洒落たお菓子は、駅前まで行かないと売っていない。駅まではいつも小型の車で行く。歩くと一時間ぐらいかかるからだ。
「伯父さんよ」
と、美沙江が言った。
「え? 友哉伯父さん? へえ、しばらくぶりだね」
三枝友哉は美沙江の兄である。――以前はよく遊びに来ていたが、このところ会っていなかった。
沙代が二階へ上がろうとすると、美沙江が、
「静かに!」
と言った。「友哉伯父さんが寝てるから」
「そう……」
「疲れてるの。寝かせておいて」
「分かった」
沙代はあまり足音をたてないように、階段を上がって行った。
三枝友哉は小さな会社を経営していたが、どうもうまくいかないらしい。
沙代も、両親がときどき友哉のことを話しているのを耳にしていた。
「あいつは、何をやっても長続きせん」
と、父、石坂立之介が渋い顔で言っていた。
「でも、兄は兄なりに頑張ってるのよ」
と、美沙江は取りなすように言ったが、
「頑張っても結果が出せなければ同じことだ」
と、立之介が決まって言い返すのだった。
沙代は子供のころ、よく友哉に遊んでもらったりして、好きだった。しかし、一方でどことなく友哉には危なっかしいところがある、と子供心に感じていた。
父が気を悪くしているのは、おそらく友哉がお金を借りに来ているからだろう。話の様子で、沙代も察していた。
沙代は自分の部屋のドアを開けた。
「――沙代ちゃん」
呼ばれてびっくりした。
「伯父さん、寝てたんじゃないの?」
と、沙代は言った。
分かっていることを、わざわざ口にしたのは、伯父、三枝友哉が、しばらく見ない内に、別人のようになっていたからだ。やつれて、やせたその姿に、どう言っていいか分からなかったのだ。
「ここはお客用の部屋だろ? 突然やって来て、お母さん、文句言ってなかったかい?」
「お母さんが? ちっとも。疲れてるから寝かせてあげて、って……」
「そうか。やさしいな、美沙江は」
と、友哉は呟くように言うと、
「沙代ちゃん、もしも……」
と言いかけて黙ってしまう。
「何なの?」
「うん……。もし、僕の身に何か起こっても、びっくりしないでくれ」
「え……。どういうこと?」
「いや、何でもない!」
と、明るい口調に戻ると、
「妙なこと言って、ごめんよ。じゃ、もう少し寝るよ」
そう言って、友哉は部屋に入って襖を閉めた。
沙代は首をかしげたが、十三才では、大人の深刻な事情を察することはできなかった……。
――夜になり、母から、
「夕飯だよ、って伯父さんを起こして来て」
と言われ、沙代は元気よく階段を二段ずつ駆け上がって行った。
「伯父さん!」
と、襖をガラッと開け、
「ご飯だよ! 起きて!」
明かりを点けると――布団は空だった。
「伯父さん? どこ?」
沙代は二階のトイレや他の空き部屋を覗いて回ったが、どこにも友哉の姿はなかった。
「――伯父さん、いないよ」
と、母に報告したが、
「そんなわけないでしょ。お母さん、ずっと台所にいたけど、階段下りて来なかったわよ」
「でも、いないもん」
「おかしいわね……」
沙代は、母と二人で屋敷の中を捜し回ったが、どこにも友哉はいなかった。
玄関には、友哉の大分くたびれた革靴が残っていた。
「外に出てはいないのね。でも、どこへ行くったって……」
そうする内に、父、石坂立之介が帰って来た。
三枝友哉のことを聞いただけで、父は不機嫌になり、
「放っとけ! どこへ行こうと勝手にすりゃいいんだ」
と、さっさと上がって来て、
「おい、腹がへった! 晩飯は?」
「できてるわよ」
と、美沙江は夫へ、
「ちゃんと着替えて、顔を洗ってからよ」
と、声をかけた。
「――なに、夜逃げでもしたのさ」
と、父は冷淡である。
それでも、夕飯を終えると、一家はまた家の中を捜し回ったが、友哉は見付からなかった。
「靴をはかないで出かけるなんて……」
美沙江は心配している。
「どうせ金の話だったんだ。そうだろう?」
「はっきりは言わなかったけど、たぶん……」
「あんまり貸すのは当人のためにもならないんだ。一度突き放した方がいい」
と、父は言った。
「でも……もしものことがあったら……」
沙代にも、母の心配していることが分かった。伯父が自殺でもしないかと思っているのだ。
そのとき、沙代はさっき伯父から言われた妙な言葉を思い出した。でも、そんなことを言えば、お母さんから、
「どうしてもっと早く言わなかったの!」
と叱られそうな気がして、言えなかった。
父はブツブツ言いながら、警察へ連絡した。――次の日には〈捜索願〉も出した。
しかし、伯父、三枝友哉はついに見付からなかったのである。
【つづく】