吸血鬼と逃げた悪魔 第五回
支配者
見本市の会場は、大勢の人でにぎわっていた。
各企業のブースには、人数の多少はあったが、関心を寄せる人たちの輪ができている。
「――お父さんは呑気だね」
と、見物して歩いていたエリカは、クロロックに言った。
「何を言うか。〈クロロック商会〉は製造業ではないから、こういう所に出展はしないが、どこと取引すればいいか、見極めるのが仕事だ」
この見本市は、これからの老人介護に役立つ機器やシステムがテーマで、マスコミの取材も目立っていた。
「老人は増えこそすれ、減ることはないからな」
と、クロロックは言った。
二人が広い会場内を歩いて行くと――。
「何だか、人だかりが……」
と、エリカが言った。
「うむ。ボディガードらしき男たちがいるな。誰かVIPが視察に来ているのだろう」
由緒ある〈吸血族〉の生まれで、数百年を生きてきたクロロックが「VIP」などと言っているのを聞くと、エリカはちょっと笑ってしまった。
「――なるほど」
と、クロロックは取材陣や一般の客に取り囲まれたビジネスマンらしい男を見て言った。
「知り合い?」
「いや、そうではない。あれは〈M電機〉の半田会長だ」
「へえ。――さすが大物」
ダブルのスーツを着た小柄な男は、自社のブースを見に来たということらしく、求められるままにカメラに向かってポーズを取っていた。
社員らしい男が、半田に展示している機器の数々を説明しているが、当の半田は、可愛いミニスカートのコンパニオンの女の子たちとおしゃべりしていた。
「優雅なものだな」
と、クロロックが感心したように言った。
そのとき――エリカは目を疑った。
ごく普通のサラリーマンという印象の男が、そのブースを見ていたのだが、突然拳銃を手にして、半田を撃ったのである。
アッという間に三発の銃弾が半田の胸に。
クロロックも、あまりに突然のことで、どうすることもできなかった。
半田が倒れる。周囲の人々はただ立ち尽くすばかり。
そして、さらに驚くことが。――撃った男は、全く逃げようとはせず、銃口を自分のこめかみに当てて、引き金を引いたのである……。
会場はパニックに陥る――かと思われた。
しかし、クロロックが辺りに響き渡る声で、
「落ちつけ!」
と、力強く言った。
「あわてて動けば、けがをするぞ! 誰も今の位置から動くな!」
何が起こったのかもよく分かっていない人々は、クロロックの言葉に従って、その場に立っていた。
クロロックは半田のそばへ寄ると、手首の脈を取って、
「――もう亡くなっておる。一一〇番しなさい。それと、この会場の警備責任者に連絡を」
と、ブースにいた社員へ言った。
「分かりました」
そのブースの責任者らしい男性が、しっかりと肯いた。
「二人の亡骸を、何か布のようなもので覆いなさい。あまりにむごい光景だ」
「はい。――おい! そこのテントの布を」
と、部下へ命令する。
「――何ごとかしら」
と、エリカはやっと息をついた。
「クロロックさんでいらっしゃいますね」
と、その女性は言った。
「警視庁の松永紀子です」
現場はブルーシートで囲われていた。
きちんとしたスーツ姿の女性刑事である。
「状況は聞きました。あなたのおかげで、パニックにならずにすんだと」
「少々人より声が大きいのでな」
と、クロロックは言った。
「いえ、クロロックさんのことは、他の刑事仲間からも聞いています。これまでも何かとお力添えいただいて」
と、松永紀子は言った。
「突然のことだった。監視カメラが?」
「はい、見ました」
「殺された半田さんという人は、ややいかがわしいところがあったと、同業者から聞いたことがある」
「ええ。マフィアとのつながりを噂されていました」
と、紀子は肯いて、
「ご本人も用心して、プロのボディガードを付けていたようですが……」
「ああして、いきなり公の場で撃たれては、逃げようがあるまいな。しかし、私がむしろ気になっているのは、犯人が自殺したことだ」
「私もです。監視カメラの映像を見ても、全く逃げようとしていませんね」
「そこだ。逃げようとして追われて自殺したのなら分かるが。――あれは普通ではない」
「同感です。私も見ていて背筋が寒くなりました」
「あれはどう見てもまともな状態ではない。おそらく、薬物でも与えられて、狙撃した後は自分を撃つように暗示をかけられていたのではないかな」
「そうですね! ありがとうございます。検死のとき、その点をよく調べるように伝えます」
きびきびとした、気持ちのいい女性である。
「――何か心配なことがある様子だな」
と、クロロックが言うと、
「恐れ入ります。実は……」
と、紀子は周囲をちょっと気にして、
「他にも同じような事件が」
「ほう」
「それは暴力団同士の争いですが、若い幹部に、刃物を持って体当たりした男がいて、刺した後、充分逃げられる状況だったのに、その場で自分の胸を刺して死んだのです」
「異常な事態だな」
「全くです。――噂ですが、謎のフランス人が、関わっているという話が……」
「フランス人だと?」
クロロックが鋭く訊き返した。
「何かお心当たりが?」
「ないこともない」
と、クロロックは肯いて、
「しかし、何とも突拍子もない話なのでな。信じてもらえるかどうか分からんが」
「クロロックさんのおっしゃることなら、私、信じます」
「それはありがたい。――もし、私の想像が当たっていたら、この先も犠牲者が出ることになるだろう」
「お父さん……」
と、エリカが言った。
「他の二人のフランス人の話を聞いてもらったら? その方が早いんじゃない?」
「いいことを言った。松永さんといったな。男女の入院患者と会ってみてほしい」
「分かりました。どこの病院に?」
と、紀子は言った。
「テレーズ」
と、クーシェは「愛人」を呼んで、
「みんなを集めろ。次の銀行襲撃の計画について説明する」
と言った。
「分かりました。でも夕食の後になさっては?」
「用事は早めに片付けるに限る」
「はい。それでは一時間後に」
「うん。一分でも遅れるなと念を押しておけ」
「承知しています」
今や大邸宅に住んでいる、組織のトップとなったクーシェは、ゆったりと寛いでいた。
その広間の隅で、面白くなさそうにTVを見ているのは、八重子だった。
クーシェが、誰も逆らえないふしぎなカリスマ性で、子分たちを従えるようになって、少しの間は八重子がクーシェの身の回りの世話をしていた。
しかし、何といっても、八重子はフランス語が分からない。その不便さもあって、子分たちが捜してきたのが、クラブで働いていたテレーズで、父親がフランス人、母親は日本人だが、十代の半ばまでパリで暮らしていたので、フランス語は自在に使える。
加えて、八重子よりずっと若く、美人でもあった。
今や、テレーズは一日中クーシェのそばについて、すべてを取り仕切っている。
八重子は、追い出されないまでも、することもなくなり、毎日ブラブラしているだけだった。
「フン、何がフランス語よ。誰だって、フランスに住んでりゃ、フランス語ぐらい話せるわ。それが何だっていうのよ」
と、八重子は一日中そんなグチを言い続けていた。
――広間に子分たちが集まって、クーシェの話を聞く。
クーシェがフランス語で指示を出すと、テレーズが通訳する。
すると、まるでテレーズが偉くなったかのようで、子分たちがテレーズにペコペコするのである。
八重子は、その様子を苦々しげに眺めていた……。
【つづく】