吸血鬼と逃げた悪魔 最終回
爆破
「クロロックさん……」
病院の入口で、ジャンヌが待っていた。
「やあ。体調はどうかな?」
「はい。おかげさまで、ずいぶん元気になりました」
「それは良かった。――こちらは警察の松永刑事だ」
「松永紀子です。〈紀子〉で結構です」
紀子もフランスに留学したことがあり、大体のところは理解できた。
「フランス革命の時代からやって来られたなんて! 歴史の証人ですね」
「いえ……。本来のお役目を果たせなかったのですから……」
ジャンヌは退院したものの、入院しているアンリの所に毎日通っているので、この近くのビジネスホテルに泊まっていた。
クロロックが、何とか涼子の了解を得て、ポケットマネーでホテル代を出しているのである。
「アンリは今検査に。じき戻ると思います」
と、ジャンヌは言った。
すると、看護師が、
「失礼ですが、アンリさんの身寄りの方ですか? お電話が」
と、声をかけてきた。
「私が出よう」
と、クロロックが言った。
「ジョゼフ・クーシェのことは、私も知っています」
と、松永紀子が言った。
「僕らの話を信じてくれるんですか?」
と、アンリはベッドで少し起き上がって、
「珍しい人だな」
「アンリ、失礼よ」
と、ジャンヌがたしなめた。
「もちろん、そのフランス人がクーシェだとは限りませんが、調査してはっきりさせます」
「この世界でも悪事を働こうとするなんて……」
と、エリカが言った。
「人の心を支配するすべを手にしたのだろうな」
と、クロロックが言った。
「恐ろしいことです。クロロックさん、私たちにも何かできることがあるでしょうか」
と、ジャンヌが訊く。
「君たちはクーシェの顔を知っている。まず当人だと確認してもらうことだな。松永さんが、問題のフランス人の写真を手に入れてくれる」
「なかなか外へ出ない男なのです。でも、全く出ないことはないでしょう。粘り強く見張ります」
「よろしく頼む」
クロロックのケータイが鳴って、
「――うむ。分かった」
「どうしたの?」
「この二人の見舞いに来た男がいる」
「それって……」
「用心が必要だな」
と、クロロックが言ったとき――。
爆発が起こって、病院が揺らいだ。
「TVのニュースが……」
テレーズが促すと、クーシェはTVへと目をやった。ガラスが粉々に吹き飛んだ窓。
「――やったな」
と、クーシェが満足げに肯いた。
可哀そうだが、「時間を超えて」やって来たのは、自分一人でいい。クーシェの「過去」を知っている二人には生きていてもらっては何かと都合が悪いのだ。
「犯人は爆発で死亡したとみられます」
と、ニュースで言っていた。
「異例の自爆テロの背景について、捜索しています……」
クーシェは、今儲けの大半を占めている麻薬について、自分なりの使い道を考え出した。催眠術と麻薬を組み合わせることで、邪魔な人間を殺させ、その場で自分も死ぬという暗示が効果を発揮すると知ったのだ。
対抗する組織や、金の流れに食い込んできている連中を次々に消す。――クーシェはこの新しい時代が、
「俺にぴったりだ」
と思った……。
「クーシェ」
という声に、振り向くと、
「馬鹿な!」
と、クーシェは口走った。
車椅子のアンリと、その傍に立っているジャンヌ。
「どうして――」
「生きているのか、ふしぎかね」
と、クロロックが言った。
「知らせてくれた人がいるのだ。だから二人の病室を上のフロアに移した。殺しに行った男は、入院患者がいるかどうか、確認するだけの意識はなかったのだな」
「誰がそんな――」
「私よ」
と、八重子が顔を出した。
「八重子……」
「あなたのことは好きだったけど、殺人の共犯になるのはごめんだわ」
八重子の言葉を、クロロックは通訳して、
「刑事があんたを逮捕しに来ている。子分たちはもう連行された」
と言った。
テレーズが青ざめて、
「あの……私、何も知りませんよ! ただこの人の世話をしていただけで……」
「テレーズ」
クーシェは彼女の裏切りを察したのだろう。立ち上がると、テレーズの喉にナイフを突きつけて、
「この女を殺すぞ!」
「やめてっ、助けて!」
テレーズが叫んだ。
次の瞬間、ナイフがテレーズの喉を切り裂いた。そしてクーシェは壁に向かって走ると、隠し扉に姿を消した。
「逃げるわ!」
と、ジャンヌが言った。
「大丈夫だ。出口はあの刑事が固めている」
と、クロロックが言った。
だが、そのとき――爆発音が外で響いた。
「これはいかん!」
クロロックとエリカは部屋を飛び出した。
「大丈夫か!」
クロロックたちが駆けつけると、黒煙が立ちこめていた。
「クーシェが、手榴弾を」
と、松永紀子が咳き込みながら言った。
「そこまで用意していたのか」
「パトカーを奪って逃げました」
と、紀子は言った。
「すぐ追跡します! 逃がしません」
「いや――おそらく行き先は分かっている」
と、クロロックは言った。
クロロックたちが乗ったヘリコプターがクーシェの乗ったパトカーに追いついたのは、あのコテージがすぐ先に見える辺りだった。
「どこへ行くんでしょう?」
と、紀子が言った。
「この世紀に現れた池だ」
と、クロロックは言った。
「じゃ、過去に戻るつもり?」
と、エリカは言った。
「そううまくいくかな。あの池に飛び込んだとしても、ただ溺れるだけかもしれない」
「でも、クーシェはあの後も生き延びてるでしょ」
「そうなのだ。やはりあの池が……」
パトカーはスピードを落とすことなく、林の中を乱暴に突っ切っていく。
「池に突っ込むつもりだわ」
と、ジャンヌが言った。
ジャンヌとアンリは、生まれて初めてのヘリコプターに青ざめていたが、それでも決死の思いで、ヘリの下を覗き込んだ。
「ああ! パトカーが!」
と、ジャンヌが叫んだ。
クーシェの運転する車は、やはりあの池に向かって突進した。
「止められないの?」
と、エリカが訊く。
「とても無理だな」
さらにスピードが上がったようだった。
パトカーはスピードを落としそうになかった。
「池だ……」
と、エリカが言ったときには、パトカーは水しぶきを上げて池へ突っ込んでいた。
「ああ……」
と、ジャンヌは言った。
「戻れるのでしょうか、元の時代に」
「それはどうかな。たとえあそこに時のトンネルが口を開けていたとしても、他の時代に行ってしまう可能性もある」
「でも……もし戻れるものなら」
と、ジャンヌは下を覗き込んで、
「王妃様の身替わりに処刑されるはずだったのです」
「過去は過去よ」
と、エリカが言った。
「せっかく新しい命を得たんですもの。それに歴史は変えられない」
「ええ……。そうですね……」
ジャンヌはそう呟いたが――。突然、
「ごめんなさい!」
と叫ぶと、ヘリの扉を開けて、真下の池へと身を躍らせた。
「ジャンヌ! 待って!」
アンリが、不自由な足で立ち上がると、ジャンヌの後を追って飛び下りた。
「まあ……」
と、紀子が唖然として、
「そんなにあの時代に戻りたいのかしら」
「責任を果たさなかった、という思いが強かったのだろうな」
と、クロロックが言った。
「でも戻っても死ぬのに……」
「そうだ。――しかし、それがあの娘の決心なら……」
池の水は泡立って、パトカーをまるごと呑み込んでいた。そこへ、ジャンヌとアンリが……。
しばらくして、池の表面が静かになる。
「やっぱり行っちゃったのかな」
と、エリカが言うと――。
水面にポカッとジャンヌの頭が出て来た。
「あ……」
そしてアンリも。――二人はアップアップして溺れそうだった。
「戻れなかったのね」
と、エリカは微笑んで、
「今の命を大切にすればいいのだわ」
「そうだな。しかし、あの二人、助けないと」
「そうだね」
「待って下さい!」
紀子がヘリコプターからロープを垂らした。ジャンヌとアンリはそれにつかまり、池から引き上げられると、林の中に下ろされた。
「何度も助けていただいて……」
と、病院のベッドで、ジャンヌは言った。
「なに、あんたたちの人生はこれからだ。自由に生きればよい」
と、クロロックは言った。
「自由……。すてきな響きの言葉ですね」
と、ジャンヌは言って、
「私……看護師さんになりたいと思います。もちろん勉強しなくてはなりませんが」
「あなたなら、きっと大丈夫」
と、エリカが言って、
「アンリさんの方は?」
「骨折が治ったら、行ってみたい所があるそうです」
「どこへ?」
「TVで見たんです。〈バブル〉とかいう時代の〈ディスコ〉という所を。みんなが踊ってる姿に、憧れてるらしいです」
「ジャンヌさんの方が建設的ね」
と、エリカが笑って言った。
「まあ、時代の空気を体に入れることも重要だ。エリカ、二人をディスコに連れて行ってやれ」「いいよ。費用はお父さん持ちね」
――クーシェは池に消えた。パトカーは引き上げられたが、誰も乗っていなかったのだ。
やはり、クーシェだけが「歴史」の中へと戻って行ったのだろうか……。
「クロロックさん、ありがとうございました」
と、松永紀子が礼を言った。
「いや、あんたも貴重な体験をしたな」
「そうなんですが……」
と、紀子は少し困ったように、
「報告書をどう書けばいいのか。――何かいい知恵はありませんか?」
【おわり】