吸血鬼と炎の雨 第二回

事故
「子供はいい。くたびれたら眠ってしまえばいいのだからな」
クロロックが珍しく弱音を吐いている。
それも無理はないので、公園の散歩から、すでに四時間余り。涼子のデパート攻略(?)はほぼ半日に及んだ。
虎ちゃんはベビーカーで眠っているが、みどりと千代子は帰宅し、エリカとクロロックは涼子にずっと付き合わされたのである。
それというのも、デパートがたまたま〈開店二十周年記念セール〉だったからで、方々の売り場を回らずにおかない客が少なくなかった。
「――よく買い物したわ!」
と、涼子が息をついて、
「ちょっと疲れたわね。一休みする?」
「それも悪くないな」
と、クロロックもホッとした様子。
幸い、デパートの一階、表の広い通りに面したカフェに入れた。
夕方になって、すでに辺りは暗い。
「私、チョコレートパフェ」
特別甘党ではないエリカだが、今はさすがに疲労回復に甘いものが欲しかった。
虎ちゃんはベビーカーでスヤスヤ寝ている。
「いい子ね」
と、涼子は微笑みかけて、
「女の買い物に付き合うのは、男の使命なのよ。よく憶えといてね」
赤ん坊のときに言われても……。
「一年ももう暮れだな」
と、クロロックがコーヒーを飲みながら言った。
「本当ね」
と、涼子が肯いて、
「私ももうトシだわ……」
エリカは、パフェを食べながら、
「あれ?」
スマホに着信があった。
「え? 木村先生だ。まだ成田なのかな。――もしもし?」
「神代さん!」
声は途切れがちに聞こえた。
「飛行機が――墜落する!」
「え? 先生――」
「攻撃されたの! もうとても――」
「先生! もしもし!」
「あの子に――アリスに伝えて。愛してる、と」
通話は切れた。
「攻撃されたと言ったな」
クロロックには聞こえている。
「そんなこと……。飛行機が落ちるって……」
エリカも、どうしていいか分からなかった。
そのとき――。
表の通りに何か燃えている物が凄い勢いで落ちて来た。
「伏せろ!」
クロロックがバッとマントを広げると、涼子と、そのそばのベビーカーをかぶせるように覆った。
表の通りに、それは激突した。衝撃波でカフェの全面のガラスが一瞬で砕けた。
クロロックが手を広げてガラスが飛んで来るのを防いだ。――わずか0・何秒かのことだった。
幸い、ガラスは細かく粉々になって、破片でけがをすることはなかった。
「――大丈夫か!」
クロロックがマントの上に散ったガラス片を払い落とした。
「どうしたの?」
涼子が呆然としている。
「エリカ、外の様子を」
「うん」
ねじれた金属の塊が、道路の舗装を突き破っている。直接当たった車は大きくひしゃげており、前後の車も停まっている。
歩道を歩いていた人たちが何人も倒れて、呻いていた。
「――旅客機の一部だ」
と、エリカが言った。
「木村先生の乗ってた飛行機だわ」
「あちこちに散らばって落ちているだろう。――みんなここにいろ。けがのひどい者はいるか?」
「見て来る。お父さんはここにいて」
まず涼子と虎ちゃんを守らなくては。他にも何か落ちてくる可能性がある。
エリカは倒れた人たちを抱き起こした。
幸い、そうひどいけがをした人はほとんどいなかったが、ひしゃげた車の中には人がいる。
消防車と救急車が、サイレンを鳴らしてやって来た。
――後は救急の人たちに任せよう、と思った。
「けがはないか」
クロロックはカフェの客たちに声をかけていた。
「千代子たちが帰ってて良かった」
と、エリカはテーブルに戻って言った。
テーブルの上にも細かいガラス片が一杯広がっている。
「それにしても……。えらい事故だ」
「木村先生……。死んじゃっただろうな」
と、エリカは涙ぐんだ。
「娘がいたな」
「アリスちゃん……。伝えなきゃ、お母さんの最後の『愛してる』って言葉を……」
「ひどいことになった。――『攻撃された』と言ったか?」
「うん、そう言ったよ」
「民間の旅客機を……。とんでもないことだな」
クロロックはため息をついた。
「ね、お父さん」
「何だ?」
「もしかして……これが『炎の雨』だったのかな」
クロロックは一瞬考えていたが、
「なるほど。してみると、あの菊池という男はこれを予感していたのかもしれんな」
クロロックは、
「ともかく、今日は帰ろう。――まだ混乱は続くだろうからな」
と言うと、ベビーカーの虎ちゃんを覗き込んで、
「あんなことがあってもスヤスヤ寝とる。大した度胸だ」
しかし、エリカは木村先生のことを思って、胸のふさがれる気持ちだった……。
「エリカさん……だよね」
小柄だが、しっかりした印象の少女。
まるで木村先生を、そのまま小さくしたみたいだ、とエリカは思った。
「こんなときに、ごめんね」
と、エリカはマンションの木村妙子の部屋へ来ていた。
「誰か来てる?」
「いいえ。大学の学生さんたちが、詳しいことが分かったら連絡してくれるって……」
エリカは部屋へ上がると、
「これ……。先生がアリスちゃんに渡すのを忘れてたって」
木村妙子の研究室から持って来た本を渡した。
「ありがとう! ――お母さんがこれに触ったんだね」
アリスは涙をこらえているようだった。
「アリスちゃん、実は……」
エリカは木村妙子がかけて来た通話を、アリスにどう伝えるか、迷っていた。
妙子はエリカでなく、アリスに直接かけることもできたはずだ。
「アリスちゃん、昨日はどこかに出かけてた?」
「うん……。事故があったころは、ちょうどピアノの先生の所にいたと思う」
そうか。木村先生は、ちゃんとそれを分かっていて、エリカへかけて来たのかもしれない。
「あのね。飛行機から、お母さん、私のスマホにかけて来て……。あなたに言ってくれって。『愛してる』って」
アリスは、小さく肯いて、
「聞いて良かった。 ――ありがとう」
と言うと、涙が一粒、スッと頬を伝い落ちて行った……。
【つづく】