吸血鬼はペンの友 第四回

出席者
車が駐車場に停まり、男が降りて来ると、草間は足早に近付いて行った。
「失礼」
と、声をかけると、相手はギョッとしたように草間を見て、
「何だ、君は」
「〈T新聞〉の草間といいます。〈N飯店〉のマネージャー、佐々木さんですね」
「違うよ。人違いだ」
と行きかけるのを遮るように、
「そうですか? でもこの駐車スペース、〈マネージャー用〉って書いてありますけど」
相手は渋い顔をした。
「だったら、何だっていうんだ?」
「そう怖い顔しないで下さいよ」
と、草間はニッコリ笑ってみせて、
「何も国家の秘密を教えてくれって言ってるわけじゃないんです」
「何の話だ」
「お店にとっても秘密になってるんでしょ? 深夜、閉店している時間に、特別なお客様を入れてること」
草間の言葉に、佐々木は明らかに動揺した。
「そんな――そんな馬鹿げたことを、どこで聞いて来た!」
「いやだなあ。知らないんですか? 新聞だってTV局だって、今やヒソヒソ話でなくなりつつありますよ」
「まさか――」
「いつまでも隠しておけるわけがないじゃありませんか。車だって出入りするし、夜中まで起きてる人も、ガードマンでなくたっていますからね」
「いや、私はそんなことに、係わってない! 知らないことだ」
係わってない、というのは、実際そういうことがあると認めているわけだ。
「ね、詳しいことを聞かせて下さいよ」
と、草間はしつこくついて歩きながら、
「あなたから聞いたってことは絶対に外へ洩れません。そこは〈T新聞〉の名にかけて誓います!」
草間は大げさに胸に手を当ててそう宣言すると、
「総理大臣が内密の話をするとき、〈N飯店〉の個室を、午前二時、三時に使ってるって噂は本当なんですね?」
佐々木は目を見開いて、
「どうしてそんなことを――」
「地獄耳ってやつですよ。ちょっと古いかな。若い人にゃ分からないかもしれませんね」
「しかし……。どんな話をなさってるか、までは知らないよ」
やはり、あれは夢じゃなかったんだ!
草間は嬉しくて飛び上がりそうだった。
しかし、佐々木の前では、残念そうな顔をしてみせて、
「そうですか。悔しいなあ。何か、これっていうスクープ記事が書けるかって期待してたんだけど」
と言うと、
「じゃあ、今度また首相が個室で誰かと会うことがあったら、教えて下さいよ。話の中身をチラッとでも洩らしてくれたら、ちゃんとお礼しますよ」
「もう放っといてくれ!」
佐々木は足早に店の中へと入って行ってしまった。
「――なかなかやるじゃないの」
と、草間の方へやって来たのはエリカだった。
「聞いてました?」
「父ほどじゃないけど、私も耳はいいんですよ」
と、エリカは言った。
「ともかく、この店で首相が外相を殺させる話をしてたのは間違いないですね」
草間は張り切っていた。
「しかし、僕が聞いた、ってだけじゃ記事にならないな。もっとはっきりした証拠がないと……」
「それにはまず、今夜のレセプションにうまく潜り込むことね」
エリカはそう言って、ちょっとウインクして見せた。
一体何か国語が飛び交っているのか、さすがにクロロックにも分からなかった。
「アフリカや中東の言葉まではよく分からん」
「仕方ないよね。でもヨーロッパの言葉なら――」
レセプションは大盛況だった。何百人もが広い宴会場を埋めている。
会議そのものが、広くアピールするために取材を歓迎していることもあり、クロロックとエリカもうまく出席できた。
クロロックはルーマニアの外相が喜んで話しかけてくるので相手をしていた。
「――ああ、草間さん」
エリカは混雑している会場の中で、何とか草間の姿を見付けた。
「取材の許可が?」
「ええ」
と、草間はなぜか浮かない顔。
「どうしたんですか?」
と、エリカが訊くと、
「実は、僕の間違いだったんですよ」
「というと?」
「例の会話を聞いたとき、首相の里井は北海道にいたんです。公式行事で、一泊しています」
「それじゃ――」
「見込み違いでした。がっかりですよ」
クロロックがいつの間にかそばへ来ていた。
「そう気を落とすな。一度や二度、あてが外れたからといって、いちいちやる気を失くしていては、記者など務まらんぞ」
「はあ……」
草間が恐縮して、
「話の中身も間違って聞いていたのかと心配ですよ」
と言った。
すると、司会者の声が会場に響いて、
「総理大臣、里井様のお越しです!」
拍手に迎えられて、里井が手を振りながらマイクの前に立つと、
「本日は――」
と、型通りのスピーチを始めた。
「――あの男は、前の首相だな」
髪のほとんど失くなった太った男は、グラスを手に立っていた。里井の前の首相、滝口である。
「ああ、滝口さんですね」
と、草間は言った。
「僕はあの人のときは〈首相番〉じゃなかったので、あまりよく知りませんが」
クロロックは里井の退屈なスピーチを聞いていたが、
「草間君。君が〈N飯店〉で聞いた〈総理〉の声を憶えているかね?」
「はあ……。酔ってましたが……」
「今話している声だったか?」
草間は里井の「声」に注意した。
「――何だか、ちょっと違うような……」
「ついて来なさい」
クロロックは先に立って人の間をすり抜けると、少し傍へよけて立っていた滝口前首相のそばへ行き、
「これは滝口総理!」
と、親しげに話しかけた。
滝口はキョトンとしていたが、
「その節は大変お世話になりました」
と、クロロックは滝口の反応を無視して、
「みんなとても喜んでおりましてな。さすがは滝口総理だ。貫禄が違う、と言っとりました」
ほめられれば悪い気はしないだろう。
「いや、こちらも大変楽しかった。お役に立てれば幸いだよ」
と、ニヤついている。
「ひと言お礼を申し上げたくて。失礼しました」
「いやいや、わざわざ恐縮ですな。どちらの国の方かな?」
「ルーマニアはトランシルヴァニア地方。かの〈吸血鬼ドラキュラ〉の祖国です。このマントがトレードマークでして」
「それは結構! 私もマントでも身につけてみようか」
と、滝口は笑って言うと、ステージの方へ目をやり、
「里井も悪い奴ではないが、話が長い!」
「それにこういう会議ですから、スピーチは英語でなさるべきでしょう」
「あいつの英語はひどいもんでな」
と、滝口は苦笑して、
「いつだったか、外国人の集まりで里井が英語で挨拶したら、後で、『日本語は英語とよく似てるんですね』と外国の人から言われたよ」
「それは愉快な話ですな。いや、失礼」
クロロックは滝口から離れて、草間に、
「どうだね?」
と訊いた。
「今の声です!」
と、草間は興奮気味で、
「〈N飯店〉で聞いたのは、今の声だと思います」
「そうか」
「でも、相手は『総理』と呼んでいましたが……」
「一度社長をやると、辞めてからも『社長』と呼ばせる人間がいるだろう? 同じことだ。たった一年でも『総理』だった者は、いつまでも『総理』と呼んでほしいのだよ」
「では滝口が長田外相を?」
「ふしぎではないな。滝口の時代に進めていた軍備拡張に、長田は反対しているからな。それに長田は人気があるので、辞めさせられない」
と、クロロックは言って、
「こんな場所では何もあるまいが、長田に用心するよう忠告した方がいいかもしれんな」
「そうですね! ああ、ちょうどそこに外相が――」
――長田は、各国の外相と話し疲れて、空のワイングラスを手に会場を歩き回っていた。
「ワインをもう一杯、お持ちしますか?」
昔の映画に見るような小間使いのスタイルの女の子が訊いた。
「ああ。それでは白を――」
と、長田は言いかけて、
「――君!」
本田ユリアだったのである。
「こういう日は人手が足りないから、間際になってアルバイトの募集がかかるのよ」
と、ユリアは言って、
「はい、白ワイン」
と、グラスを長田へ渡した。
「用意してたのか」
「あなたの好みは知ってるもの」
そのとき、空になったグラスを集めていたボーイが、長田の脇をスッと通り過ぎようとした。
ユリアの反射神経がものを言った。
空のグラスをのせた盆の下で、白く光るものを見たのである。ちょうど会場の照明を受けて光ったそれはナイフの刃だった。
え? 何なの?
ユリアは考えるより早く行動した。長田とボーイの間に割り込んだのだ。
「いかん!」
クロロックがそれに気付いた。
ナイフの刃が、ユリアの脇腹に切りつけていた。ボーイが愕然として、盆を取り落とした。
グラスが床で割れる。
「おい、どうした?」
長田は、ユリアがよろけてもたれかかって来るのを受け止めた。
「危ない……」
と、ユリアが呻くように言った。
ボーイが客を突き飛ばすようにして駆け出した。同時に、ポケットから短い筒を取り出して投げた。
筒から白煙が噴き出した。
「エリカ! あいつを追え!」
クロロックはそう言うと、床に転がる発煙筒の上へ、素早く手をかざした。
発煙筒がアッという間に燃え上がり、白煙は止まっていた。
「ユリア!」
長田が叫んだ。
「血が出ている! 早く手当てを!」
「まさか、こんな場所で……」
クロロックは厳しい表情になって、
「任せなさい」
と言うと、ユリアの体を抱え上げ、会場から出て行った。
すべては何秒間かの出来事だった。
【つづく】