吸血鬼はペンの友 最終回

償い
「どういうこと?」
と、エリカが声を上げた。
TVのニュースが流れている。
「今夜開かれた世界外相会議のレセプションで、白煙が上がる騒ぎがありましたが、けが人などはありませんでした……」
「こんな馬鹿なことって」
エリカが言うと、
「おそらく、政府主催の会合で、暗殺未遂があったとは認めたくないのだろうな」
クロロックはそう言って、
「マントの血を洗っておかんとな」
「その女の子は大丈夫だったの?」
と、涼子が言った。
「お父さんが出血を止めた」
「そう。良かったわね。――何だか、とても可愛い子だったって話よ」
涼子はジロリとクロロックをにらんだ。
「けが人を助けるのに、可愛いかどうかは関係なかろう」
と、クロロックは言った。
「ええ、もちろんよ。私はあなたを信じてるわ」
涼子は、しかし完全には納得していない様子だった。
「あのボーイを捕まえられりゃ良かったけどね」
エリカはボーイを追いかけたのだが、ちょうど他の会場からドッと人が出て来て、見失ってしまったのだ。
玄関のチャイムが鳴った。クロロックが出ると――。
「申し訳ありません」
やって来たのは草間だった。
「どうしたんだ?」
「ニュースを見たでしょう? 新聞も、〈暗殺未遂〉とは書かせてくれなかったんです。必死で抗議したんですが……」
「上からの指示か」
「社長に、里井首相から直接電話があったそうです。『国家のプライドに係わる』というので、負傷した女性は事故だったということになってしまいました」
「長田外相はどう言っとるのかね?」
「それが――あの女の子は本田ユリアといって、長田さんの彼女なのだそうで。明るみに出るとスキャンダルになるかもしれないというので……」
「しかし、長田さんの代わりに切りつけられたわけだ。それでも、長田がまた狙われるだろう」
「どうしたらいいですかね」
と、草間はため息をついた。
クロロックは少しの間、草間を見ていたが、
「君は君の使命を果たせばいい」
と言った。
「使命……ですか」
「真実を書くことだ。それで仕事を失うのなら仕方ない」
「でも――僕にはさゆりが……」
「訊いてみることだな、奥さんに。もちろん君に失業してほしくはないだろうが、それぐらいは何とも思わないかもしれん」
「なるほど。そうですね! クビになっても、他に仕事はあるだろうし……」
帰って相談してみます、と草間は急いで帰って行った。
涼子が、ちょっと心配そうに、
「あんなこと言っていいの? もしクビになったら、うちで面倒をみるなんてことにならない?」
「大丈夫だ。あいつはちゃんと記者魂を持っとるよ」
と、クロロックは言って、
「おい、エリカ」
「なに?」
クロロックはエリカを近くに呼ぶと、普通の人間には聞き取れないかすかな声で何かを囁いた。
「――なるほどね。分かった」
エリカは自分の部屋へと入って行った……。
「いらっしゃいませ」
と、裏口の戸を開けて、〈N飯店〉のマネージャー、佐々木が言った。
「もうお越しでございます」
「そうか。まだそう遅れてないよな」
男は個室に入って行った。
「――どうも、〈総理〉」
「どうも、じゃないぞ」
滝口は渋い顔で、
「しくじって、平気な顔をしてるのか」
「あれは予想外の出来事が重なったんです」
「言いわけにならん。――まあ、いい。すんでしまったことだ」
佐々木が二人にお茶を出して、
「では、私はこれで」
と、一礼して出て行く。
午前二時を回っていた。
「何とかニュースは抑えた。里井だから言うことを聞いたが、長田は黙っとらんだろう」
「しかし、あの女の子が――」
「長田にもあんな女がいたのか」
と、滝口は笑って、
「長田の弱みも一つは握ったな」
「しかし、長田さんはこれで諦めるような人では……」
「分かっとる。今の内に、片付けろ。今度は確実に仕留めろよ」
「ご心配なく」
と、男は言った。
むろん、レセプションで長田に切りつけようとした男である。
男は出されたジャスミン茶を飲んで、
「旨い。本格的な中国茶はやはりおいしいですな」
と、男は言って、
「ところで、料金の件ですが……」
「金の話か」
滝口は冷ややかに笑って、
「もうその話は必要ない」
「というと?」
「お前には、もう金を使う時間は残されていない」
「〈総理〉! お茶に――」
と言うと、男はバタッとテーブルに突っ伏した。
個室のドアが開いて、
「すみましたか」
と、佐々木が顔を出した。
「よく効いたようだ。後の始末は部下が来てやる。ご苦労だった」
「恐れ入ります」
「ちゃんと礼はする。安心しろ」
「よろしくお願いいたします」
佐々木が出て行き、滝口はケータイを取り出すと、
「片付いた。死体を始末しに来い」
と命じて切った。
そして、滝口は立ち上がって、個室を出ようとしたが……。
そのとき――低い笑い声が聞こえて、滝口はびっくりした。
「――お前」
振り向くと、お茶を飲んで死んだはずの男が起き上がっていた。
「ここのマネージャーもな、殺人の共犯はごめんだとさ」
「何だと! 俺を誰だと思ってるんだ!」
「昔の〈総理〉だろ。もうあんたのことを憶えてる人間もいなくなってるよ」
「俺に逆らうのか! 今部下が来る。逃げられやしないぞ」
と、滝口は強がってみせた。
「ところが、そうはいかんのだ」
と、個室へ入って来たのは、マントを翻したクロロックだった。
「あんたは……」
「外にいた連中はもう警察に逮捕されておる。その年齢で刑務所は辛いかもしれんが、仕方ないな」
「〈総理〉の俺を逮捕などできるものか」
「もう諦めて下さい」
と、入って来たのは草間だった。
「〈T新聞〉の草間です。この部屋で、あなたが長田外相を殺せと指示していたのを聞いていました」
「何の証拠があって――」
「うちの新聞はTV局と縁が深くてですね。今のお話、そこの小型TVカメラで中継させていただきました」
「馬鹿な!」
滝口は真っ赤になった。
刑事が二人入って来ると、
「恐れ入りますが、ご同行願います」
と言った。
「無礼だぞ! たかが刑事のくせに」
すると、クロロックが言った。
「〈総理〉と呼びなさい。そうすればおとなしく同行するかもしれん」
刑事たちは顔を見合わせたが、
「では〈総理〉、ご一緒いただければ幸いでございます」
と、一人がていねいに頭を下げる。
「うむ。――止むを得んな。警察にはいつも協力してきた」
打って変わって、滝口は胸を張って連行されて行った。
そして毒殺されることになっていた男も。
「そういえば、お前は何という名前だ?」
と、クロロックが訊くと、
「そんなことはどうでもよかろう」
と、男は言った。
「留置場で、ゆっくりひと眠りしてから答えるよ」
〈元総理、長田外相の暗殺を指示!〉
一面トップの大きな見出し。――それは草間が苦労してタイトルにさせたのである。
「クロロックさんの励ましがあってのことです。ありがとうございました」
と、草間は言った。
「いやいや、国民を守ってくれるのは、兵器や軍隊ではない。ペンこそが我々の最大の武器だ。君はその守り手の一人だよ」
「肝に銘じます」
草間はホッとした様子。
〈クロロック商会〉の社長であるクロロック、会社の近くの喫茶店である。
「そういえば」
と、エリカが言った。
「あのけがをした女の人のことはどうなったの?」
「確かに、外相の『彼女』だったようですが、プライバシーを暴くのは、うちの新聞に合わないということで、記事にしないことになりました」
「結構、それでこそ記者だ」
と、クロロックは言った。
「お父さん、あのユリアさんのお見舞いに行かない?」
「それはいいな。しかし……」
「一緒の写真を紙面にのせますよ!」
と、草間は言ったが――。
「やめておこう」
クロロックはエリカの方へ、
「お前が代表して行って来い」
涼子にどう見られるかが心配なのだ。
「そう? でもユリアさんとしては、出血を止めてくれた、ふしぎなおじさんにお礼を言いたいんじゃない?」
「うむ……」
クロロックはハムレット並みに悩んでいたが、
「――医者に変装して行ったらどうかな」
「却って怪しいでしょ」
「それもそうだな」
しかし、クロロックはそのアイデアが諦め切れないようで、
「たまには黒いマントでなく、白衣も悪くなかろう」
「じゃ、いっそ看護師さんに変装したら?」
と、エリカは真顔で言ったのだった……。
【おわり】