第2回
炊飯器の音がピーッと、私を呼ぶ。キッチンに入ると、丁寧に出汁(だし)を取った豚汁の湯気に、オレンジ色の朝の光が反射している。卵焼き用フライパンに、じゅわーっと溶かされたバターの香り(我が家の卵焼きはバターで作るのだ)が私を出迎えてくれる。
実家で暮らしていた頃の一番好きな瞬間である。
『若旦那さんの「をかし」な甘味手帖』は、そんな食に関する幸せを、改めて感じさせてくれる温かさに満ちている。
舞台は北鎌倉、美しく雅な花に彩られたお屋敷。
家事代行サービスで働く秋月都(あきづきみやこ)は、和菓子職人の一成(いっせい)とその和菓子の営業担当の恭史郎(きょうしろう)が住むお屋敷に、料理を作るために通うようになる。
凜とした真面目さと子供のような食の好みのギャップが愛おしい一成と、柔和で人懐っこいうえに紳士的でスマートな恭史郎のもとで、料理を作る都の日々。日本の四季や食材を尊ぶ心を感じる描写の数々は、読者を北鎌倉のしっとりとした世界へと柔らかく誘う。
吸い寄せられるようにゆっくりと小説の中に入っていくと、美しい食べ物が待ち構えている。
土鍋で炊いたご飯(おこげつき、やった!)、ふっくらと揚げられたアジフライ、家庭の味を極めたカレーライス、六枚切りの食パンで作るたまごサンド……。あげていったらキリがないほどの料理が、都の愛情とこだわりによって輝いている(さらりと登場するメニューにまで、ひと手間加えられているのだ!)。
一成による、芸術ともいえる和菓子も忘れてはいけない。都のトラウマをみるみるとかした桜餅を筆頭に、さまざまな和菓子が登場する。あんこの甘みや、黒蜜のコク、抹茶の渋みが視覚を通じて我々の味覚をくすぐっていく。
小説の、紙に記された文字なのに、美味しい。
人は食べなければ生きていけない。食事から得られる栄養で体が作られ、体を動かしていく。
しかし、この小説を読むと、体が栄養を得るだけではない、食事の持つ力を感じる。食事には、心に栄養を届ける力もあるのだ。体にも心にも栄養が届いたさきで、明日への活力を得られる。
この物語は、食事に似ている。温かな彼らの暮らしに触れ、栄養を得て、日々の活力にしていく。
本を閉じ、視線をあげた私は「ごちそうさまでした」とホクホクしていた。