【最終選考作品】快楽の境地(著:瀬川想)


「ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピーッ」
 浮ついた身体(からだ)でバランスを崩さないように、足を上げる。真下は水面。地味に遠い。スタート台に向き合う。視界の端で他の選手を捉える。静かに目をつむる。肺を大きくするイメージで、ゆっくりと空気を吸い込む。頭を真っ白にするイメージで、吸い込んだ空気を吐き出す。開眼。後は、何も考えず、ただ機械的に身体をスタートの形にする。
「テイクユアマーク、ピッ」
 温めたはずの身体が一気に冷える。この瞬間いつ息を吸ったのか、いつも分からなくなる。全てを身体の感覚に(ゆだ)ねる。
 一旦水の中に入ると世界は無音になる。声援や水しぶき、隣の選手の息遣いといった音が耳に入ってくるはずなのに、聴覚が(しゃ)(だん)されたように何も聞こえない。唯一、自分の鼓動だけがやけに大きく響く。
 息が上がる。でも苦しくない。腕と足に疲労が溜まる。でも身体が軽い。何もしなくても、流れる水が身体を運んでくれる。脳内を満たす鼓動のリズムに合わせて、勝手に体が動かされる。自分の意志では止められない。自分の意志を持つことさえもできない。
 ああ、この境地。この感覚。この場所を求めて泳ぐ。至上の快楽。鼓動が喜びを隠しきれていない。幸せだと鳴っている。
 覚めたくない夢から覚めるように、壁に触れる。ゴーグルを外してクリアになった視界で、数秒前まで自分が存在していた場所を振り返る。皆が電光掲示板を見上げる。同じように目線を上げる。でも、何も見ていない。今の今まで没入していた、つかの間の幸せを()み締める。
 陸に上がると、泳いでいたのだという実感が湧く。無音の世界に、一気に雑音が流れ込む。あの至上の快楽は一瞬で(あい)(まい)になる。


 一か月半前、じーちゃんが死んだ。数年前から肺を悪くして病院通いをしていたが、老衰もあって、二か月前から完全に寝たきりになっていたらしい。とうとうお迎えが来たかと親族の誰もが思った。死の予感というか心の準備とか覚悟とかは、皆一応あったはずだ。
 それでも、やはり死は悲しいものらしい。葬式は、本人の意向通り家族葬。それもあって、ばーちゃんや、娘にあたるお母さんやおばさんは、人目を気にせず思う存分泣いていた。それを見て、妹や僕と同級生のいとこも泣き出した。お父さんも涙ぐんでいた。
 僕は泣けなかった。身近な人が死んだら、普通は(そう)(しつ)(かん)というものが勝手に湧いてきて、悲しさや寂しさなんかも自動的に感じる仕組みになっているのだろうか。僕の感受性は、壊れているのだろうか。
 お通夜(つや)の日、(かん)(おけ)の中で冷たくなったじーちゃんを見下ろした。普通はこういうとき、故人への思いで胸をいっぱいにして、別れと向き合うのだろう。皆が口々にじーちゃんとの幸せな思い出を語る中、僕の頭に浮かんだのは、あまりいい思い出ではなかった。
じーちゃんに対していい印象はない。じーちゃんの死を、それほど悲しいと思わない自分がいる。死んで清々すると感じるほど、人として腐っているわけではないけれど、じーちゃんの死は単なる負の出来事の一つにすぎず、そこに特別な感情を抱くことができない。
 じーちゃんが死んだ翌日も、僕は学校を休むなんて考えもしなかったし、普段通り部活も参加した。妹は学校を休み、徒歩圏内のばーちゃん家にいたそうだ。遺体もまだあったらしい。僕だって、じーちゃんのことを考えなかったわけではないけれど、じーちゃんの死と僕の日常は切り離されたものだった。
 自分だけが妙に客観的で、(ぼう)(かん)(しゃ)
 ()(がい)(かん)と罪悪感にまみれる。

 昨夜、急にそんなことを思い返してしまったのは、今まさに、疎外感と罪悪感にまみれているからだろう。
 高校三年生の六月。同級生の大半は引退試合を終え、受験に向けて士気を高める中、野球部と水泳部はまだ(げん)(えき)。僕は水泳部だから、塾に行く奴らを尻目に、プールへ向かう。
 六月末に県大会がある。それで引退だ。順位やタイムで結果を残せばインターハイへの切符を獲得でき、部活に捧げられる青春期間が少しだけ伸びる。インターハイを狙っている奴もいるが、ほとんどはそこで引退する。
 大会は、制限記録を突破しないと出られない。一種目に出られる人数は、各高校三人ずつ。だから、半フリ(50mの自由形)や1フリ(100mの自由形)なんかの人気種目は、どうしても争奪戦になってしまう。誰がどの種目に出場するか、人数の少ない女子は割とスムーズに決まるようだが、三学年合わせて二十人いる男子はそうもいかない。最後の大会ともなればなおさらだ。実力主義か、三年生優先か。後輩達は(えん)(りょ)してくれるが、三年生のプライドが後者の考え方に素直になれない。自然と部活内の(ふん)()()は重くなる。
 僕はその争奪戦には加わらない。
「お前、今回も15(センゴ)フリでいいの?」
 部長に聞かれたとき、すぐに笑顔で首を縦に振った。15フリ。1500mの自由形。一番の長距離種目だ。幼少期から水泳漬けの日々を過ごしてきた奴ならともかく、自ら出たがる奴は少ない。この高校でも、それを専門とするのは僕しかいない。部長は、争いの種を一つ削減できて安心しているようだった。
「助かる」
部長の立場も大変だなと思う。

 僕は泳ぐのが好きだ。水の中だと誰の目も(はばか)ることなく、僕は僕だけの世界に没入できる。水に身体を溶け込ませると、水は僕を(こば)まず、包み込むように受け入れ、どこまでも連れていってくれる。息苦しさも、腕や足の重みも、むしろ心地良く感じる。身体は、水の流れるままに勝手に動き出し、永久機関のように僕のエネルギーを少しも消費せず、止まることを知らずに動き続ける。僕はそれに身を委ねるだけでいい。水の中に全身を沈めると、妙に感覚が()ぎ澄まされる。なのに、気付けば世界は無音になる。無音になった世界で、僕は自分の鼓動だけを感じる。
 至上の快楽。
 僕は、記録に興味がない。この境地に至りたいがために泳いでいる。長距離を選ぶのもそのためだ。泳ぐ時間が長いほど、この境地に留まれる時間は長くなる。
 別に遅いわけではない。出場選手が少ないこともあるが、大会で入賞することもある。短距離だって、リレーのメンバーに入ってほしいと言われたくらいだ。僕は僕のために泳ぐことしかできないので全力で断った。
 練習でも本番でも、皆タイムを気にする。数字の上下に(いっ)()(いち)(ゆう)する。僕にとってはどうでもいい。何分かかってもいいから、気持ちよく泳げる方が大事だ。
 そんな僕をじーちゃんは(けな)した。僕の泳ぎを見て、競争心がないと不満を(あら)わにした。全力を尽くせと説教が始まる。「男たるもの勝ちにこだわれ」会えば必ずそう言われた。
 入部したばかりの頃、現部長は僕に、
「もっとスピード出せるだろ」
 と腹立たしげに言ってきた。嫌だ、というか無理なんだ。スピードに乗る気持ち良さは知っている。体力温存のため、抑え目に泳いでも気持ち良くないことも知っている。でも、スピードを出せばいいというものでもない。適当なスピードがあるのだ。僕の身体は記録のためではなく、気持ちいいかどうかでスピードを調整してしまう。(はた)から見ていると、僕の泳ぎは「もったいない」らしい。
 競争心がない。じーちゃん以外にもよく言われる。()め言葉なのか、嫌味なのか。多分後者だろうけれど、完全な悪口ともみなしがたいので、捉え方に困る。
 勝負事は嫌いだ。自分が相手でも嫌だ。僕は平和主義者だ。弱虫。気弱。逃げ腰。競争相手に悪い。本気で速くなりたい人に対して失礼。自分でもそう思う。だから、僕は自分がタイム以外を目的に大会に出場していることが悟られないよう取り(つくろ)う。皆と同じように、速くなれば喜び、遅くなれば(くや)しがる。
 タイムなんてどうでもいいから気持ちよく泳ぎたい。陸では、この思いに(ふた)をする。

 最後の大会まで一か月を切っている。なのに最近、あの境地にたどり着くことができない。むしろ遠ざかっている気がする。
 長距離選手は僕だけなので、練習は必然的に短距離のメニューが多くなる。部長には謝られるが、あの境地と距離はあまり関係ない。確かに、長い距離を泳いだ方がたどり着きやすい。短距離では、そこに至らぬまま終わりが来てしまう。でも、前は一瞬であの境地にたどり着けていたのだ。水に全身を沈めることが合図となるかのように、思い切り壁をければ、無音の世界が広がった。
 早弁して、昼休みにもプールに飛び込む。そこから三十分弱ぶっ通しで泳ぎ続ける。途中、チームメイトも集まってくるが、気が付かないふりをして身体を動かし続ける。()(れい)で水から出る。何かが違う。以前のように、あの快楽を感じたという気がしない。
 身体の調子はいいはずだ。ひどく息切れしているわけでもないし、泳いでいて体が重いわけでもない。精神的なものなのか。その可能性を必死に打ち消す。僕はもっと自分勝手だったはずだ。でも、原因が分からない。なぜ、あそこへたどり着けないのか。
「お前の泳ぎ方、前はもうちょっと気持ち良さそうやったのに」
 僕の15フリ出場を確認した後、部長がそんなことを口にした。
「そりゃどうも」
 適当に返事したが、(たぐ)(まれ)なる観察眼の代わりにデリカシーを()(せい)にした部長の言葉は、真実を捉えているが故に、現実を突きつけられた気分になる。
「俺は多分、全員の出場種目決まったら、タイム伸び始めるから」
「あっそ」
 部長にデリカシーがないというのは、僕の目が悪かっただけかもしれない。インターハイにいける確率が五分五分だという部長は、意外と小心者だ。僕も人のことなど言えないのかもしれない。

 皆が、自分の本気をぶつけられる種目を狙いつつ、自分より優れた記録を持つ相手に遠慮し、どの種目に出るのが最適解か(かっ)(とう)する中で、僕は誰も選ばない種目を選び、争奪戦から離脱する。皆が、自己ベストを出して、最後を飾りたいという一心で練習に(はげ)み、タイムに敏感になる中で、僕だけは快楽を追求する。僕と皆では、水泳に向き合うベクトルが違うという疎外感。皆が、本気で熱くなって、士気を高め合う中で、自分だけ高みを目指していないという罪悪感。
 空気の重さを居心地悪く感じているのは僕だけで、実は、皆これも青春だと明るくとらえているのかもしれない。だとしたら、うまく泳げていない自分が馬鹿みたいだ。

 本人の宣言通り、部長のタイムはエントリーシートを提出した翌日から好転し始めた。この調子なら、インターハイも夢じゃない。
 一方、僕の調子は戻らない。焦りが生まれる。このまま、一生あの快楽を感じることができなかったらどうしようと不安になる。
 ついには、関係ないことなど自分が一番分かっているのに、タイムを気にするようになってしまった。もう少し速く泳いだ方がいいのかもしれない。でも、タイムを気にし始めると、今度はスピードの出し方が分からなくなってきた。
 今の僕は、水に嫌われている。
 そういう時期は前にもあったが、時間が解決してくれた。今回、時間には頼れない。これが最後なのだ。大学で水泳を続けても、大会に出るつもりはない。時間がない。そう焦るほど、水は僕の身体を拒絶する。

 そんな最悪の状況下で、じーちゃんの()(じゅう)()(にち)の話が持ち出された。大会の二週間前の日曜日。練習を一時間早く抜けてそのまま向かえばいい。休む必要はないが、気分は乗らない。この状況でがむしゃらに泳いでも仕方がない気はするが、それでも泳いでいたい。でも、お母さんの目を見ると、部活を優先したいなんて言えない。四十九日。僕にとっては、もうそんなに経つのかという感覚だけど、母さんからしたら、やっと四十九日経ったという感覚なのかもしれない。
 大会が脳内を()めているという状況。調子が出ないという状況。どうしても、お通夜で記憶から掘り起こされたあの日を思い出す。

 多分中二の時だった。
 水泳は小四から続けていたが、大会に出始めたのは中学生になってからだ。初の大会で、あの快楽の境地をちゃんと認識し、それ以来、僕はその境地を探して泳ぐようになった。
 小学生の頃に通っていたスイミングスクールはじーちゃんの散歩コースにあったので、大体いつも観覧席にじーちゃんの姿があった。練習中に帰ってしまう日もあったが、タイムを計測した日は、必ず僕が更衣室から出てくるのを待っていた。そして、結果を聞く。僕は、タイムの(がい)(ねん)を理解していなかった。聞かれるままに答え、じーちゃんが「残念だったな」と言うから、今日は残念な結果だったのかと思い、じーちゃんが嬉しそうだったから、なんだかいいことをした気になっていた。
 中学生になると、タイムを計る機会が増えた。そして、タイムが第一となる。体力をつけるのも、フォームを整えるのも、全部気持ち良く泳ぐためではなく、タイムを良くするためになる。僕はそれについていけなかった。皆が泳ぐ目的と、僕が泳ぐ目的は、明確に違っていた。はじめは僕もタイムを気にして練習に(のぞ)んでいた。でも、最初の大会で、大きなプールで泳いで、そこで一気にタイムなんかどうでもよくなってしまった。
 じーちゃんは毎回大会を見に来た。親は()(しゅん)()の僕に遠慮して来ないのに、じーちゃんは来た。そして、必ず直接、僕にタイムについて何か言ってきた。じーちゃんは数字だけを見る。褒められることはない。最後に「競争心がない」という文句を忘れない。どうでもいいので、「はい」だけ言ってスルーする。平穏第一の僕にできる唯一の抵抗だ。
 じーちゃんが話しかけるのは、決まって僕が一人のときだった。一応気を使ってくれてはいたのだろう。でも、あの日は違った。僕が友達といるときに姿を見せた。そして一言、
「今日の泳ぎは全然やった」
 それだけ言って、怒ったように立ち去った。僕は恥ずかしさと(いら)()ちで、後ろ姿のじーちゃんに飛び()りをくらわしたくなった。タイムに関してなら別にいい。でも、泳ぎに関しては、スルー出来なかった。僕にもプライドはある。真剣に泳ぐことに向き合ったことがない奴に言われたくない。
「誰? っていうか、今日のタイムそんなに悪かったっけ?」
「じーちゃん。タイムは、前回と一緒かな」
 その夏は調子が悪かった。不安定で、あの快楽を感じられたという確信が持てない。その頃の専門は1フリだった。大会で思うように泳げず、タイムも三大会連続で公式最低記録に近づいていたところ、今回は何とか耐えたのだ。なのに、じーちゃんはいつもより不機嫌だった。
 一番悔しいのは僕だ。今回の泳ぎが最悪だったことは、実際に泳いだ僕が一番分かっている。前回とタイムは全く一緒だとしても、その感覚は違った。気持ち良くなかった。水が(まと)わりついてうっとうしく、肺が焼けるように痛む。耳の中の雑音も消えない。早くこの時間から抜け出したいとばかり思って泳いでいた。やり切れなさで落ち込んでいたときに、じーちゃんのあの言葉。しかも、友達の前で、はっきりと。僕は一生忘れない。
 腹立たしさは、一週間経っても消えなかった。その()(ちゅう)、シーズン最後の大会の出場種目を選ばなければならなかった。僕は、何を血迷ったのか、勢いで15フリを選んでしまった。()(もん)の先生に何度も確認された。
「間違いじゃないよね。なんかあった?」
「違うのもやってみたくなったんすよ」
 チームメイトも(じゃっ)(かん)引いた目で僕を見ていた。あのときの友達は、
「おじいさんになんか言われた?」
 と聞いてきたが、これは僕の決断だった。もうどうにでもなれという感覚に近い。泳ぎ切れるかどうかという不安は一切なかった。むしろ大会が近づくにつれ、根拠のない自信が湧いていた。何に対する自信かは分からない。
 大会当日。15フリを選ぶのは物好きだ。よほど本格的に泳いできた奴でないとそう簡単に手を出せない。出場者は、僕を含め三人。僕以外の二人は、他の大会でも15フリの(らん)に名前を見かける。それに対して僕は初めて。差は大きく開いた。二人がゴールする頃、僕はようやく最後のターンをした。
 気持ち良かった。感想はそれに尽きる。タイムの良悪は分からない。でも、久しぶりにあの境地にたどり着けた。嘘だと言われそうだが、苦しさは全く感じなかった。前回の1フリほど、息切れもしていなかったはずだ。泳ぎ切った後も体が軽かった。その日から、僕は専門を15フリに変えた。
 じーちゃんは何も言ってこなかった。逆にムカついた。見に来ているのは知っていた。部活内での出場選手は僕一人だったから、一人の時間も長かった。それなのに、じーちゃんは僕の前に姿を現さなかった。好都合なはずなのに、腹立たしい。結局、帰りにじーちゃんらしき人の後ろ姿を見ただけだった。
 きっと、じーちゃんは僕が壁から逃げたと思ったのだ。根っからの(おとこ)気質(かたぎ)のじーちゃんが、それを許すはずがない。見放されたのだ。でも、別にいい。前回の大会でじーちゃんが僕にかけた言葉は、今でも一言一句思い出せる。その怒りを忘れたわけではない。勝敗にこだわるじーちゃんと、それがどうでもいい僕とでは、最初から相いれない仲だったのだと割り切った。

 練習のキリがいいタイミングで抜けてきたので、予定より早くばーちゃん家に着いた。儀礼として遺影に手を合わせる。じーちゃんの遺影と向かい合うと「今日の泳ぎは全然だった」と言うあの声が、耳の奥で(よみがえ)る。
「やっと来た」
 僕が目を開けると同時に話しかけてきたのはいとこだ。僕と同級生の女。陸上をしている。速いわけではないようだが、負けん気は人一倍ある。じーちゃんのお気に入りだった。
「練習いってから来たから」
「そっか、引退まだか。っていうか、普通こっちを優先するもんじゃない?」
 僕が黙ると、
「まあ、なんか相性悪そうだったもんね」
 と言った。誰と、は言わなくても分かる。
 水泳以外でも、僕はじーちゃんの言動にムカつくことが多かった。じーちゃんは何でも一言多い。(てい)(しゅ)(かん)(ぱく)でばーちゃんを(あご)で使う。身の回りのことを全部やってもらっているくせに文句が多い。ばーちゃんは笑っていたけれど、正直目に余る。一方で、子供や孫への愛情はすさまじい。ただし、女限定。娘二人で息子はいない。孫は僕と妹といとこの三人。じーちゃんの(ほこ)(さき)は必然的に僕に向く。
 じーちゃんは僕には厳しかった。「男なら」を何回繰り返されたことか。男なら泣くな。男なら強くなれ。男なら勝ちにこだわれ。僕の泳ぎを見て男らしくないと言い、僕がばーちゃんを手伝うのを見て女々(めめ)しいと言う。
 僕の記憶は、不機嫌なじーちゃんばかりだ。ばーちゃんに()(ごと)を言い、テレビに向かって文句を言い、道端ですれ違う若者に舌打ちし、病院の先生にキレる。僕には、いつも不満そうな顔を向ける。母さんや妹、いとこみたいに、じーちゃんの笑顔を真正面から受け止めた記憶はない。
「ほっとけよ」
「じーちゃん、唯一の男の子に期待してたもんね」
 僕を無視して、あいつは話を続ける。
「最後の大会いつ?」
「再来週の日曜日」
「また長い距離?」
「そう」
「1500mやっけ。あれ、何往復?」
(ちょう)(すい)、えっと50mプールなら15往復」
「うわっ、()きそう」
 いとこは短距離が専門だ。一度、800m走、トラック二周を走ったらしいが、途中で飽きちゃったからもう走らないと言っていた。
「そういえば、じーちゃんも長距離の選手だったって。フルマラソンとか走ってたんかな」
「ふうん」
「興味ないの?」
「走るのと泳ぐのじゃ違うし」
「長距離、一緒だけどね」
「一緒にするなよ」
「じーちゃん、競争心むき出しで走ってそう」
 あいつは懐かしさと寂しさの入り混じる顔で笑った。あいつにとってじーちゃんの死は、ちゃんと悲しい出来事なのだ。
「だろうな」
 だから僕とじーちゃんは分かりあえないんだよ、とは続けなかった。
 ()(きょう)と法話が終わり、お坊さんは帰っていった。思っていたより早かった。この後、集まった皆で外食する予定だったが、夕飯にはまだ時間が早い。しばらく、ばーちゃん家でゆっくりしていくことになった。
 皆がフォーマルっぽい普段着を着ている中、僕だけ部活帰りなので制服だった。ばーちゃんに()いている部屋を借りて、部活のジャージに着替える。(はん)(そで)ハーフパンツになり、リビングに戻ると、皆でテレビを見ている。
「見てこれ、昔の(はこ)()の映像やって。じーちゃん走ってる」
 いとこが無邪気に指さす。耳を疑った。箱根? 陸上のことは詳しくないけれど、箱根に出られるって結構すごいことじゃないのか。
「じーちゃん昔は速かったのよ。ほら、先頭集団で映ってる」
 ばーちゃんが、懐かしそうに目を細める。
「良く残ってたね。こんな白黒映像」
「何言ってんの。特集かなんかで、あんたが録画してたんよ」
「全然覚えてないわ」
 お母さんはばーちゃんの前では子供に戻る。
 僕は立ったままテレビを見つめる。若い頃のじーちゃんの写真を見たことがあるから、どれがじーちゃんかは分かる。でも、別人みたいだ。なんていうか、前に出ようとしていない。周りを気にしている感じがしない。少しでも順位を上げようという気迫がほとんどない。じーちゃんの言葉で言うと、競争心がない。
「なんか思ってたんと違う。どっかいっちゃってるみたいな走り方してる。誰かさんの泳ぎ方と似てるね」
 いとこを軽くにらみつつ、僕はじーちゃんを凝視する。「どっかいっちゃってる」。僕には分かる。じーちゃんも快楽の境地に浸っている。多分、世界は無音だ。目は見えていても、それを形ある何かだと認識していない。息は上がっていても、苦しくはない。脚は疲れていても、放っておけば一生動き続けてくれる状態になっている。聞こえるはずのないじーちゃんの鼓動が、幸せだと響いてくる。
 じーちゃんの走る姿を見ていると、僕までその境地へ吸い込まれそうになった。そのまま吸い込まれてしまいたいけれど、吸い込まれたら大事なものを奪われてしまいそうな気がして、何とかして現実に踏みとどまろうとする。
 あの快楽の境地へ、僕は泳いで、じーちゃんは走ってたどり着いていた。ということで、当たっているはずだ。誰にも共有できなかったあの快楽の境地を、僕はじーちゃんとなら共有できたのだ。なら、どうして。その快楽を知っていながら、どうしてじーちゃんは僕に競争心を植え付けようとしたのだろう。

「おーい、そろそろ行くよ」
 いとこに背中をつつかれて我に返った。いつの間にか、テレビの画面は真っ黒になり、皆せかせかと忘れ物がないか確認している。
 車に揺られているときも、食事中も、なんだかずっと夢見心地だった。じーちゃんの走りが、僕をそんな状態にさせているのだ。頭の中にあのシルエットが留まり、耳の奥であの鼓動のリズムが永遠にループする。自分が現実に存在しているか(あい)(まい)で、不安定で、おっかないのに、なぜか気持ちいい。この状態をずっと感じていたいような気になる。
 僕の泳ぎもそうだったのだろうか。
 僕の泳ぎとじーちゃんの走りが重なっていたのは、少なくとも、その当事者には否定できないはずだ。僕がそうだったように、じーちゃんも僕の泳ぎを見て、あの不思議な感覚にさせられていたのだろうか。あの快楽が忘れられなくて、僕を通せばそれを感じることができるから、足しげく僕の大会を見に来たのだろうか。そして、本心とは違うことを言うことで、自分を夢から目覚めさせていたのだろうか。
 今となっては分からないし、確かめようもない。じーちゃんとの共通点なんて嬉しくないから、別に知りたくもない。じーちゃんに対する嫌悪感は変わらない。でも、少しだけ、じーちゃんに対して親近感が湧いた。
 あの日、僕にあんなことを言ったのは、僕があの境地にたどり着けなかったことを見抜いたからなのかもしれない。だから、いつもみたいに、「なんだ、あのタイムは?」と説明を求めず、「今日の泳ぎは全然だった」と吐き捨てるように言い残した。そして、その次の大会で僕に何も言ってこなかったのは、僕に絶望したからではなく、あの境地を、不意打ちで長時間感じることになってしまったからだろう。僕の帰宅と一緒に帰っていったということは、大会が幕を閉じるまで夢から覚められなかったということかもしれない。
 そう、思うことにした。怒りが薄まる。じーちゃんを許してあげてもいい気がした。

 その晩、まどろみの中で、じーちゃんが昔、僕に言ったことを思いだした。
「鼓動を感じろ」。心臓の音に耳を澄まし、それが血管を伝って全身に鳴り響くのを感じろ。指先、足先、頭の先、全身が波打つのを感じろ。それ以外は考えるな。
 僕が水泳を始めたばかりの頃だった。僕はそれを(じっ)(せん)しようとして、全くできずに落ち込んだ。どんな泳法もすぐできるようになったのに、じーちゃんがさらりと言った「鼓動を感じる」ことはできなかった。
「よくわかんなかった」
 更衣室の前で待っていたじーちゃんにそう言うと、
「じゃあ、まず呼吸から変えてみな」
 と言われた。それからだ。僕が、さあ泳ぐぞというときに、呼吸を整えるというルーティーンを作ったのは。気が付けば、自然と僕は鼓動を感じるようになっていた。じーちゃんの理想のスポーツマンになっていた。
 半日、じーちゃんのことで頭を満たし、明日から、再び脳内は水泳で埋め尽くされるだろう。明日からもきつい練習は続く。
 でも、明日の僕は、久しぶりにあの境地にたどり着ける気がしている。


 四限目の授業が終わり、僕はダッシュでプールに向かう。いつもなら、プールに対するお辞儀(じぎ)もそこそこに、教室からプールまで走ってきたのを準備体操に変えて、一刻も早くプールに飛び込む。でも今日は、他のチームメイトが来るまで、スタート台に腰かけて、呼吸を整える。静かに目をつむる。肺を大きくするイメージで、ゆっくりと空気を吸い込む。頭を真っ白にするイメージで、吸い込んだ空気を吐き出す。
 騒がしい声が遠くの方で聞こえている。他の誰かが来る前に、僕は、1レーンのスタート台を思い切り()り飛ばした。
 世界は無音。僕の鼓動だけが耳の奥でリズムを刻む。
 ああ、この場所だ。帰ってこられた。僕の至上の快楽。
「おい、そろそろ上がらなヤバイって」
 部長が、プールサイドから手を伸ばして、僕の身体(からだ)を止めてくれた。気が付けば、もう()(れい)が鳴り終わっていた。
「かなりスピード出てたよ。最後いい結果出そうじゃん」
 僕は無言で部長に笑い返し、水を(したた)らせながら、プールにお辞儀する。
 次が、おそらく人生最後の大会だ。タイムは求めない。何なら、最低記録を更新したってかまわない。それよりも、あの境地を、できるだけ長く味わい尽くしたい。
 僕だけの快楽。いや、僕とじーちゃんの快楽だ。

【おわり】