第2話 アオハル・マジカル(前編)


 ──物心ついた頃から『偏屈な子』と呼ばれ。
 そのたぐいまれなる屈折した性格のせいで、普通は行かない道に迷い込み、踏まない地雷もたくさん踏んできたと自負している。

ゆきさん。こっちは終わりましたよ」

 食洗機にかけていた食器やカトラリー類を全てたなに戻し、布巾をバケツで漂白して乾かしたら、ミニキッチンでやるべきことは全て終了だ。つむぎは軽く肩を回した。
『クローズド』の札を出した店のミシンスペースで、ふじなみ小雪が布を裁断している。
 おおむね横方向へビッグサイズな彼女のシルエットは、後ろから見るとよりいっそう雪だるまかジャイアントパンダに似ている──と紬は思う。初手でお子様に好かれるビジュアルだ。
 しかし手作り品にあふれたこの小さな店は、彼女の大事な城であり、ハンクラの聖地日暮里にっぽりに店を出すべく、子供二人を育てながら長年働いてきたのを紬は知っている。
 小雪が振り返って、白い歯をこぼした。
「ありがとー、すずかけちゃん。ミシンの方についてると、どうしてもキッチンの中がとどこおっちゃうのよね」
「少しメニュー減らしたらどうですか。カフェのみ利用のお客さんはお断りするとか」
「んー、それも悩むよねえ。せっかく飲食でも許可を取ったわけだし」
 紬が小雪と知り合ったのは、紬がまだ学生の頃だ。
 同じせんがいにある手芸用品店で、紬は客で小雪は店員だった。一言で言えば陰キャのコミュ障、友達がいないかわりにハンクラにのめり込んでいたような紬を手作り市などのイベントに誘ったのが小雪で、それから何度か共同で出店するようになった。
 そんな歳の離れたハンクラ仲間が、念願のミシンカフェをオープンしたわけで、紬も仕事がない週末などは店を手伝っているのである。
 紬はカウンターキッチンを出ると、小雪の手元をのぞき込んだ。
「それ、明日のワークショップで使うやつですよね」
「そう! ダブルガーゼで、ポケット付きのストールをってもらおうかなって。初心者さん向けでしょ」
 小雪の手元には、参加者の数に合わせて裁断した布が積んである。
『ミシンとボビン』の定休日は、平日木曜と日曜・祝日だ。これは日曜休みが多い繊維街の傾向に合わせてのことらしいが、かわりに貸し切りでワークショップを開催したり、時間貸しで他の団体にスペースを提供したりと、なんだかんだとどうはしている。紬も小雪に頼まれ、ワークショップのアシスタントや講師まがいの真似まねをしたこともある。
 今回小雪が提案したストールは、柔らかく吸水性のある素材でできていて、この先暑くなるであろう季節のおりものとして欠かせないものだ。背面に保冷剤を入れるポケットも付いているから、熱中症対策にもなる。
 基本はミシンでまっすぐ縫うだけなので、技術的に難しいところは何もないが、短時間で使えるアイテムが作れるとなれば参加した生徒さんも嬉しいだろう。そういう目標設定が、ワークショップの場合は大事なのだと思う。
「この形だったら端にレースをつけたり、ワンポイントでしゅう入れたりしても可愛かわいいですよね」
「見た目によらず乙女おとめだよね、鈴掛ちゃんのセンス」
いけませんか」
「ううん、全然。だからそれは鈴掛ちゃんが先生して、生徒さんに教えてあげてよ」
「私ですか? あれは一回きりって」
「意外とわかりやすかったって、受けよかったよ?」
自慢じゃありませんけど私、母親のお腹に愛想と可愛げを置いて鉄仮面をかぶって生まれてきたって言われたことあるんですよ」
「それは言う方もなかなかだね
 実際ろくでもない野郎だったのだが、それは今語るべきではない。紬は脳内から、失礼な男の存在を追い出した。小雪の方も、本気で言っているわけはないだろう。
 だが小雪は、急に表情を曇らせてに腰を下ろした。
 生来の人好きする顔が、台無しである。
小雪さん?」
「なんかねー、先々のスケジュールを考えても不透明すぎて。参ったわ」
「どうしたんですか」
 最初は、店の赤字の話なのかと思った。だが彼女は、むっちりしたほおを押さえたまま言った。
だんの転勤。決まっちゃったの」
「えそれは
 小雪は悲しそうに紬の顔を見上げてくる。
「大変ですね。たんしんにんってことですか」
「行き先、海外だよ。しかも今のところ、期限もまったく決まってないの」
「つまり?」
「つまりへたしたら旦那と定年まで離ればなれだし、それはチビたちにとっても絶対よくないことだし、となると面倒でも帯同しなきゃいけないのかとか、色々考えちゃって」
「ま、待ってください小雪さん。小雪さんも帯同って
 頭が混乱してくる。
「じゃあ、じゃあですよ。この『ミシンとボビン』はどうなるんですか」
「だから色々考えてるのよ。一番いい方法を」
 まさか店をたたむつもりなのかと、がくぜんとした。
小雪さん、お店開くの夢だって言ってたじゃないですか。やっと軌道に乗ってきたところだったのに」
「わかってる。わかってるよ」
 店の改装費を節約するため、大きな体で壁を塗ったりじゅうを手作りしたりするのも楽しそうだった。カフェのメニューやワークショップのプランをぎんして、紬も沢山意見を求められた。自分たちのようなハンクラ好きの人が、製作のために立ち寄ってほっとできる場所にしたいと熱く語っていた。夢はまだまだ始まったばかりだが、着実に前へ進んでいるところだったのに。
 なのに小雪は、厳しい顔で唇をみしめている。悲しい決断をしようとしている。
「それでも私は家族をバラバラにする選択はできないよ
「なら、私がやります」
 とっさに口が動いていた。
 一般にコミュ障というのはもくな人間全般を指すように思われるが、実際はそうではないと紬は思っている。会話において必要なことを言わない奴はもちろんのこと、いらんことを言ってしまう奴も同じぐらいごうが深いと思うのだ。
 うつむいていた小雪が、「えっ?」と顔を上げる。紬は自分が言ったことに後れて気づき、頭をかかえたくなった。
 でも悲しいことに、現時点ではこれが一番ましな道としか思えないのだ。
「そうです。私がかわりにやります」
鈴掛ちゃんが?」
「小雪さんのお店、潰したりなんかしませんから」
 昔から偏屈なわりに口が滑りやすい傾向があり、数々の『やっちまったな』発言の中でも、これは別格だと思うのだ。


 そして今も、月に何度かは布団から飛び起きることになる。
 上掛けをばす勢いで目を覚ました紬は、そこがアパートの六じょうであることに気づいて心底ほっとした。
夢か)
 布団の上で脱力する。
 落ち着け。大丈夫まだ店は潰れていないから。
 あれから小雪は悩んだ末に、家族みんなで日本を出る道を選んだ。彼女の『ミシンとボビン』は紬が引き継ぐことになり、入職二年目だった大学事務の仕事も、日暮里駅の鉄橋あたりから豪快にぶん投げた形だった。
まあぶん投げたっていっても、正職員じゃなくて契約職員だったんだけどさ
 それでも朝、布団の中で目が覚めると、自分の大それた選択に自分で恐れおののくことがある。
 来月になれば、店を引き継いでちょうど一年になる。小雪に悪い報告をしないですんでいるのは奇跡だし、本当に幸いなことだった。
「さー、今日も仕事だ
 紬はまず、布団を畳んで押し入れにしまった。
 出身は、茨城県の上の方。兼業農家の家に生まれた。今も実家の畑でれた野菜が、頼んでもいないのに定期的に送られてくるタイプだ。ありあわせの簡単な朝食をすませると、出勤用のシャツとパンツに着替える。仕事で着る服は基本的にワークショップの宣伝もかねて、全部自分で縫ったものにしていた。長い時間を過ごす場所へ行くのにきゅうくつせんの服を着なくてすむことだけは、よかったかなと少し思っている。
 髪をまとめてたくを終えると、もう出勤の時間だった。紬はニュースを流していたテレビを消し、私物を入れたリュックとクーラーバッグを持って、部屋を出た。
 アパートは、こうとう区のなかにある。印象を一言で言うなら、歩いているだけで線香のにおいが漂ってきそうな、古い寺町だ。一浪して大学に入学した時から、繊維街にも近いのでずっと住み続けていた。
 電動アシスト自転車をぎ、狭い路地の中を低速で進んでいく。
 ところかまわずしょうだんが落ちた大戦時でも、このあたりだけは一部焼け残ったそうで、今も大きな墓地や商店街を中心に、びっくりするほど昭和な風景が生き残っている。そのレトロ感がいいと新興のカフェやアトリエも参入し、周辺のせんと合わせて観光地化していると知ったのは実際に住んでからである。
 日暮里繊維街の自分の店に向かう前に、まず紬は谷中ぎん近くのとあるてんに立ち寄った。
 その店は、表通りから絶妙にわかりにくい路地のつきあたりにある。
 純和風の木造住宅の一階が商店になっており、開店前の時間帯につき、まだれんは出ていないが、一見してそば屋か寿司屋のような店構えだ。しかし入り口にかかる木製の看板には、どっしりとしたすみでこう書いてある。

『びんづめカフェちくぜん

 意味がわからないと思っただろう。大丈夫。紬も最初に目にした時は、さっぱりわからなかった。
 のきさきに自転車をめ、『準備中』の札が下がったせんぼんごうのガラス戸を開ける。
おはようございます
 店の中はあまり広くなく、しらのカウンター席と小上がりの座敷があるだけだ。
 カウンター上の冷蔵ケースを見れば、ますますきのいい寿司ネタが並んでいるのを期待したくなるが、実際にケースの中で冷えているのはジャムやシロップ漬けなどが入った保存びんだ。寿司おけや日本酒などが収まっていたであろうたなにも、やはり果実を様々な方法で漬け込んだ保存瓶が並んでいる。
『びんづめカフェ』とはその名の通り、世界各地の瓶詰め保存食を扱ったカフェなのだ。
(なんだっけ。もともとの寿司屋の屋号が、『竹善』だったんだっけ
 カウンターの向こうにあるちゅうぼうスペースで、料理の仕込みをしていた店主が、火を止め微笑ほほえんだ。
「おはようございます、紬さん」
 朝から大聖堂の壁画に描かれた天使を拝んだような気分になれる人だ。ではなく鼻筋の通った彫りの深い顔に、やわらかいはちみつ色の髪と天然物のブルーアイズがそうさせてくれるのである。
 かつて日本留学中に日本人の奥さんと結婚し、奥さん亡き後もこの『竹善』を守り続けている英国人。名前をひしセドリックという。
「先日は、お野菜のおすそけをありがとうございました」
「いいんです、一人じゃ食べきれないんですから。お世話になってるのはこっちですし」
 紬はぶっきらぼうに返す。
 彼も今年で三十三か四になるだろうが、見る者の毒素を消してくれるというか、けいけんな気持ちにさせるおもしはあまり変わらないと思う。谷中に来て色々な人に出会ったが、やはり一番大きな影響を受けたのはこの人だと思うのだ。
 クーラーバッグから、からの保存容器を取り出した。
「おかげさまで、全部はけました」
「カレーはいつの世もテッペンですね」
「テッペンじゃなくてテッパン」
「OKテッパンです」
 天使様は日本語ネイティブでないため、時々言葉を間違える。紬もついつい突っ込んでしまう。
「カレー本体も人気でしたけど、付け合わせの薬味がすごい評判よかったです」
「大根のピクルスですか? それは嬉しいですね」
 セドリックはわかりやすくがんし、近くの冷蔵ケースからくだんのピクルスが入ったガラス瓶を取り出した。
 角切りにした大根が、半透明のはくだくした液に漬け込んである。
「そうこれです。これだけ単品で売ってくれないかって言われたぐらいですよ」
「作り方は簡単なんですよ。大根をダイス状にカットして塩もみして、水気をしぼったらカルピスに漬け込みます」
「カルピスってあのジュースの?」
「ええ。日本のこうじけをヒントに、カルピスのにゅうさんきんうまみを促進してくれます」
 独特な甘さと酸味があると思っていたが、言われてみれば乳酸菌飲料のカルピスだ。カレーに合うのも納得である。
さすがは『竹善』さん、だな)
 小雪から店を引き継ぐ時、ミシン部門はともかく、カフェ部門に関してはせんだつであるセドリックにかなり相談した。コーヒーのれ方から指導してもらって、当時でも手に余っていたフードメニューは数を大幅に減らし、自力で作るのもやめた。
 たとえば『竹善』など信頼できるお店から仕入れたものを、数量限定で提供することにしたわけである。
「それで、本日分のランチを分けていただきたいのですが
「はい。今日はニラのキムチと味付けそぼろを使った、どんぶりものにしようかと」
「キムチですか? においとか大丈夫ですかね」
「ニンニクは使っていないので、そこまできつくはないと思いますよ。これです」
 冷蔵庫から出してもらったステンレスの保存容器には、何やら赤いタレでえた刻みニラが大量に入っていた。
 その場で一さじ試食させてもらったが、ニラの食感はしゃきしゃきと柔らかく、生姜しょうがとうがら由来のからさの中に、しっかりとした甘みも感じられる、非常に食欲をそそる味付けだった。
これはいいから白飯をすいはんごと持ってこいな味ですね」
「ちょうど今、ニラが旬ですからね。刻んだニラに生姜とりんをすりおろして入れて、韓国唐辛子と醤油とナンプラーで味付けしました。白菜キムチのように発酵はさせていません。いわゆる即席漬けですね。いかがです?」
「問題ないと思います」
 毎度とぼしい自分が情けない。
「この後はどうするんでしょう」
「では説明しますね。まずは丼やサラダボウルのようなうつわにご飯をよそい、そこに韓国海苔のりをちぎってからニラキムチを載せ、ちょうど今いためた醤油味の豚そぼろと温泉玉子をトッピングして、ワンプレートのビビンバ丼として提供します」
ご飯、韓国海苔、キムチにそぼろ、温玉の順ですね。了解です覚えました」
 指を折りながら、復唱する。
本家はこれにスープとばちがつくそうだが、予算の面でこちらは省略だ。セドリックは『ミシンとボビン』分のニラキムチと豚そぼろを取り分けると、その場で保存容器に詰め直してくれた。
「他に必要なものはありますか?」
「確か、トースト用のジャムがそろそろなくなりそうです」
「わかりました。今月はサクランボのジャムを作りましたので、それを入れておきましょうね」
「あとで請求書ください」
 こちらとしては時短&合理化した上に、提供するフードのレベルまで上がってありがたい限りだが、もともとの『竹善』ファンには申し訳ないなと思うこともある。立地の悪さでかんどりが鳴いていた数年前ならともかく、今は週末ともなれば行列もできる人気店になっているのだ。
「今日もきっと忙しくなるんでしょうね。なんか色々すみません」
「紬さんの頼みは別腹ですから。気にしないでください」
「でもこの間もSNSでバズってませんでした?」
「チョットダケデスネ」
 そこはもう少しけんそんしてくれ、大天使様。
「──そういえば、たけ君は? 手伝ってくれないんですか?」
 ぼくな疑問に、セドリックは初めてうれいを帯びた表情になった。
「紬さん。彼がいくつだと思っているんです。もう十五、高校生なんですよ。家のお手伝いなんかよりも優先すべきことが、きっとたくさんあるんでしょう」
本気でつらそうですね」
「子離れツライ
 武流というのはセドリックの義理の息子で、亡き妻えみの連れ子にあたる。紬は彼が小学生だった一時期、家庭教師のバイトをしたことがある。
 血のつながらない息子のことを、セドリックがことのほか可愛かわいがっているのを紬は知っていた。
でもそうか。サボりやがるのか。今度会ったら説教してやる」
「お手柔らかに頼みます」
 苦笑するセドリックから、本日のランチの具材一式と、追加のジャムを受け取り、持参したクーラーバッグに移した。
それじゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい。どうぞ気をつけて」
 学生時代から、この家の人たちには世話になってばかりで、どうにか恩返しする方法はないかと思いながら、今日まで来てしまった。
 紬はアシスト自転車の荷台にクーラーバッグをくくりつけると、スタンドを倒して走り出す。
 谷中銀座の細道から、しちめんざかの急坂をアシストの力を借りて登りきり、今度は殿てんざかの下り坂を滑るように進む。新幹線の高架橋をくぐって、日暮里駅の反対側へ。広がるバスロータリーを右へ進めば、『にっぽりせんいがい』の看板が見えてくる。
 さあ、長い一日の始まりだ。


「それでね、これが形見分けにもらった着物ってわけ」
「あらー、いいお品じゃない」
「よくないわよ、裏を見たら変色してるし虫も食ってるのよ。外面だけいいなんて、ほんと最期まであの人らしいったらないわよ」
 平日午前中にミシンを使いにやってくる常連さんは、ご年配の女性が多い。今は持ち込んだしゅうとめの着物を、いかにリメイクするかで盛り上がっている。
「ねえ、紬先生ならどうします?」
 そしてワークショップ経由の客は、紬を店主ではなく講師と見る傾向があった。
 紬はランチの準備の手を止め、女性が差し出す着物を手に取って見てみた。
 確かに上品ないろの訪問着だ。鶴の模様もれいに入っている。しかししょうけんなのがあだになり、じゅばんもあわせて染みや虫食いもひどかった。
「ワンピースやアンサンブルにでもしようかと思ったけど、こうあちこち傷んでるんじゃ着られる服は無理かしら。小物ぐらいにしかならない?」
「私だったらシャツとかいますね。かいきんでアロハシャツ」
「あ、あろは? やだ先生ったら」
 女性は裏返った声で笑った。
 しかし、そうおかしい話でもないと思うのだ。
「アロハシャツの起源って、ハワイに移住した日本人が、自分の着物を仕立て直して作ったものですよ。ほら、これなんか戦前のアロハですけど、もろ着物生地」
 紬が参考にヴィンテージアロハの画像を見せたら、マダムたちの受けはかなりよかった。
「あらー、素敵」
「ほんとね」
「訪問着の傷んでない部分だけだと、一着ぶん取れないですから、襦袢の綺麗な部分もそでや後ろごろに使ってやればどうでしょう」
「いいかもしれないわ!」
「なんていっても絹ですしね。総シルクなんて高価だし着心地よさそうだし、うらやましいです」
 最後はほとんど感想になってしまった。
 けっきょくそのアロハシャツを、だんさん用に仕立てることにしたらしい。
「お姑さんに感謝ね」
「まさか息子の普段着にされてるなんて、思いもしないでしょうよ。ド派手にしてやるわ。ふふふふ」
 妙なふくしゅう方法もあったものである。楽しそうなので止めることはしなかった。
 その後は近隣のランチ難民な方々──なぜかサラリーマンが多いのだ──に『竹善』特製のビビンバ丼を売りまくったり、服屋や雑貨屋と間違えて入ってきたわいそうな人に『違うんだってば』というしゅの言葉を紬なりにオブラードに包んで伝えたりしながら過ごした。
 限定ランチがめでたく完売し、それからしばらくはミシン利用者がたまに来る程度で、紬も一息つくことができた。
 キッチンの片付けをしながら、時計を見る。閉店まであと二時間。ここからが意外に長いのだ。
 そんな折、ふっと予告もなしにやってきた、学ラン姿の少年がいた。
「ど、どうしたの武流君」
「別に」
 菱田武流は有無を言わさぬ調子で言って、いていたカフェスペースのに、勝手に腰を下ろした。
 凜々りりしい眉に、意志の強そうな切れ長の瞳と薄い唇。ちょっと古風な少年剣士のおもむきがある。癖のない短髪は黒ぐろとして、とにかく硬そうだ。当たり前だが、義理親のセドリックとはまったく似ていない。
 彼が紬の店の方に訪ねてきたのは、なにげに初めてのことではないだろうか。
 熟慮の末、紬は聞いた。
「そこに座るってことは、お客さん扱いしてほしいってことだよね。ご注文は?」
「コーヒーくれポンコツ」
「いい加減その言い方なんとかしろって言ったでしょミニ田ミニ助」
 己の『いらんことを言う』口は、こういうところでもかんなく発揮されるのだ。
 武流も前よりは多少マイルドになったが、年長者や婦女子への態度はご覧の通りのとんがりぶりだ。紬も昔はそこそこ手こずらされた。
 今年の春に、近所の公立高校に進学したと聞いているが、ようやく紬の背丈に追いついた感じで、ぐんと伸びるのはもう少し先のようだ。痛いところをつかれたらしい少年は、くやしげに黙り込んだ。
「コーヒーね。承知しましたっていってもさ、豆とかみんな『竹善』のものだよ。お家で菱田さんにれてもらえばいいのに」
「そういうのやめてくんない?」
「なに。まだ反抗期してんの?」
「うるせぇよ。客になんくせつけるってレビュー書くぞ」
「はいはいわかりました」
 紬はキッチンへ引っ込み、あらためて武流のためにドリップでコーヒーを淹れてやった。
 向こうはそれを一口飲んで言った。
「オレが淹れた方がまし」
 くそ。セドリックどころか武流以下か。反論できない。
 武流はコーヒーカップ片手に、現在ミシンコーナーで作業をしている客を、見るともなく眺めている。
「あんまりじろじろ見るんじゃないよ。そんなに珍しい?」
ああいうところにいる人ってさ、何作ってんの?」
「色々だよ」
「色々って? たとえば?」
「んーワンピースとかスカートとか、自分で着たい服を縫ったり、旦那さんやお子さんのものを手作りしたり」
「コスプレ衣装なんかも?」
「もちろんそれもいるよ。ネズミの国のイベント用に服作りたいとか」
 ちなみに紬は相談を受けるだけで、実際にその手の仮装イベントに行ったことはない。しょっぱくてすまない。
 大抵は気合いの入った大掛かりなデザインで、専門店や大型手芸用品店をようする繊維街にとってもお得意様だ。そして紬のアドバイスを受けながら完成まで何度も通ってくれるので、実は普段遣いの服や子供の通園グッズ製作と肩を並べる、一大ジャンルと言えた。
「あとはがっつりアニメのコスしたい子も、けっこう来るかな」
「こういうのも作れる?」
 武流がスマホを差し出してきた。
 見たところ、アニメの公式サイトのようだ。タイトルは『スパイラル・ダンス~魔法少女連盟~』といい、カラフルな衣装を着た少女たちが、派手なエフェクトにのってポーズを決めている。いわゆる『魔法少女もの』のアニメだ。ファンの間では、『スパ魔女』の略称で親しまれているらしい。
 その中で武流が指定しているのはサブヒロイン『ナナカ』のキャラクター紹介ページで、担当カラーは黒。ミニたけのメイドドレスをアレンジしたコスチュームが目をいた。
「あーこれは
「やっぱむずい?」
ちょっと確認したいんだけど着るのは誰?」
「オレに決まってるだろ」
 おう。そうきたか。


 こういう時、感情がすぐに表に出る特性持ちでなくてよかったと思う。
 紬が知るかぎり、武流にいわゆるオタク趣味の素養はなかったように思う。理系か文系かで言うなら、がっつりと理系男子。特に算数は教えていた小四から小五の段階で、ハイレベルのテキストを使っていた。紬は解説を見ながらマルを点けるだけのマシーンになればよかったので、ある意味楽だった。
 一方で字や作図は壮絶に汚く、特に国語が国語は鬼門中の鬼門。どうもフィクションの世界自体に興味がなかったようで、勉強を教えていた『竹善』の二階には、コミックスすらなかったはずだ。
 唯一ゲームは好きだったようだが、あれもストーリー性のあるものよりはテクニックを競うもの重視で、キャラにはまってコスプレする方向に行くとはとても思えない。しかも魔法少女。
 ちょっと交流が途絶えているうちに、どういう方向転換をとげたのだ武流少年よ。
おい、紬。おまえ聞いてんのか?」
「あ、ごめんちょっと考え事してた」
 武流は盛大にため息をついた。
「ともかく作れるのか? 作れないのか?」
「いやまあ、やろうと思えばやれると思うよ私に作ってほしいの?」
「どれぐらいかかる?」
「時間? お金? 時間なら、今他のお客さんのものも作ってるから、だいたい二ヶ月は見てほしいかな。お金は実費とほうせい代でこんなもん?」
 紬が電卓をはじいてみせると、武流が「たかっ」と叫んだ。
「高すぎ。ぼってねえ?」
しっけいな小僧だね。適正価格だよ」
「それでも高いもんは高い」
じゃー、武流君が自分で縫うんだね。難しいところは私が手伝ってあげるから」
「わかった。ならその方向で頼む」
 渋々といった調子で武流は言った。
 とりあえず目の前の武流が作って着るという前提で、型紙と布を用意するまでは紬の方でやってやることにした。あとはワークショップみたいなものだと思って、店が休みの日にでもミシンを使わせてやれば、他のお客の邪魔にもならないだろう。
「指導料や場所代なんかはまけてあげるけど、それでも実費は取るよ。大丈夫?」
そのへんはまあ、部費も出るからたぶん平気」
「部費?」
「いいだろ別に。これ以上ごちゃごちゃ言うなら他当たるわ」
「わかったわかったもう聞かない」
 みつく勢いの武流に、紬は両手を上げた。
 どうせあてなどないくせに、勢いでケンカを売るなと思う。
「あと紬。わかってると思うけど、このことを親父おやじには絶対言うなよ。言ったらぶち殺すからな」
 だからそんな、『バレたら首くくります』みたいな顔をしないでくれ。そこまで後ろ暗いのか。
(やりたくてやってるの? それともやりたくないの?)
 武流は最後まで多くを語りたがらず、週末の日曜に作業することを確認すると、警戒心丸出しのまま店を出ていった。
 よっぽどの事情があるからなのか、はたまた紬が信用されていないからなのか。
若人わこうどの考えることはわからんわ」
 つぶやいてから、内心苦笑してしまう。こういう時、自分を『大人』の側にためらいもなく置けるようになる日が来るとは、自分でも思わなかったのだ。 


 翌日の朝、紬は『竹善』に寄るついでに聞いてみた。
「武流君って、高校の部活は何やってるんですっけ」
 カウンター内のセドリックは、小さく首をかしげた。
「いえ特に何かに入ったとは聞いていませんね」
「え。でも部費が出るって」
「What?」
「なんでもありません」
 紬は生来のポーカーフェイスでやりすごした。 
 しかし、保護者のセドリックでもあくしていないことなのか。
 店であったことを報告した方がいいかと一瞬思ったが、こちらにも信用というものがある。親に内緒で魔法少女に変身することは、別に犯罪でもなんでもない。
「昔から自立した子ですからね。今は特にやりたいことがあるから、それ以外のことには余力をきたくないと言っていましたよ」
「何がしたいんです?」
「ドクターになりたいそうです」
 驚くと同時に、に落ちるものでもあり。
 医者になる──それは紬も初めて聞く夢だったが、不思議と納得がいくものだった。
やっぱり笑子さんの影響なんですかね」
「たぶんそうなんでしょうね。口にはしませんが」
 笑子はセドリックの結婚相手だ。そして武流の実の母親でもある。武流が小学校低学年で、病死したとも聞いている。
 母親の病気を自分の手で治したいと思っているならいじらしいし、ぐっとくるではないか。
 ただ紬はあまのじゃくのひねくれ者なので、それを素直に述べることはしない。
「あんまりいい子だと本気で言ってるのかって、心配になりますよね」
「勉強は自分でするから、高校はレベルを下げても近所の公立でいいとまで言われてしまうと、確かに親としてはジクジたるものがありますよ」
「もっと頼ってくれって?」
「困ったサムライですよ。あの子にはもっと、今しかできないことを楽しんでもらいたいのですが」
 厨房のセドリックはたんそくしてみせた。
「ただ出席して単位を取得することだけが、ハイスクールの役割ではないでしょう。もっとお友達とボートをいだり、テニスやラグビーで汗を流したり、ガールフレンドをパーティーでエスコートしたり」
「そんな西洋かぶれの高校生嫌です」
「そうですか?」
 この人は故郷のイギリスでは、けっこうなお坊ちゃん暮らしをしていたらしい。天使は地上でも浮き世離れしていたわけだ。それが品のよさにつながっているのでスルーしているが、根本的に育ちが違うのだと思うことがある。
私は特に医大志望でもないし、レベル下げたわけじゃなかったけど、友達いませんでしたけどね」
「い、いえ。特に紬さんに向けて言ったわけではないのですが」
「学校をエンジョイするとかしないとか、いつ誰とつきあうかなんて正直余計なお世話だと思いますけど菱田さんが言いたいことはわかります」
 とりあえず武流については、秘密を守りつつ様子を見ることにした。
 紬はカウンター越しに、本日のランチの食材を受け取った。
「今日はなんですか?」
「ピクルスの保存液でマリネした唐揚げに、サルサソース。カボチャのサラダです」
 何においても味がいいのは間違いない。

【つづく】