振って降られて吸血鬼 第五回

土砂崩れ
「こうはしていられません」
と、久保刑事が言った。
「一刻も早く検死をしなくては!」
「でも、仕方ありませんよ」
と、川辺のぞみが首を振って、
「車が通れないんです。まさか歩いて行かれるわけではないでしょう?」
「いや、その気になれば……。このホテルの車を貸してほしい」
「どうするんですか?」
「通行止めといっても、どの程度なのか、行ってみなくては分からない」
「でも……」
――久保と川辺のぞみは、支配人室で話していた。
「無理をしないで下さい」
と、のぞみは久保の手を握りしめて、
「森田さんが殺されたんですよ。恐ろしいわ。あなただって刑事なんですから」
「だからこそです」
と、久保は強い口調で言った。
「犯人は、まだこのホテルにいる。逃げるに逃げられないのだから、おそらく。――その間に、何としても手掛りを見付けなくては」
「でも、道が通れるようになってからでもいいじゃありませんか。泊まっておられる方は、後でも話が聞けるわ」
二人は、少しの間黙っていたが――。
やがて、久保とのぞみはどちらからともなく抱き合っていた……。
「どうしたのかね?」
と、クロロックはロビーに来て、のぞみに訊いた。
「あ、クロロック様……」
「車の音がしたようだったが」
「ええ……。それが……」
車が走って行くのが見えて、
「あれは、久保刑事かな?」
「そうなんです。止めたのですけど……」
と、のぞみは声を詰まらせた。
「そういうことか」
と、クロロックは肯いて、
「あなたは久保刑事を知っていたのだな」
「はあ……。申し訳ありません」
「謝ることはない。あなたと久保刑事のことを、森田刑事は知っていたのかね?」
「それは……」
と、のぞみが目を伏せる。
そこへ、徳永がやって来ると、
「TVの方は、今日は休みということで話がついた。支配人として、ここを出られなかったという証言をしてほしい」
「はあ……。それはもちろん……」
「プロデューサーに連絡する。一緒に来てくれ」
大したことでもなさそうだが、徳永はのぞみの手をつかんで引っ張って行こうとした。
そのとき――。
「待て!」
と、クロロックが言った。
「今、大きな音がしたぞ」
「音? 何も聞こえませんよ」
と、徳永が顔をしかめて、
「ともかく、プロデューサーが待っているのだ」
そこへ走って来たのは、エリカだった。
「お父さん! 今の、土砂崩れじゃない?」
「お前も聞いたか。久保刑事が車で出て行ったのだ。何でもなければいいが」
「行ってみる!」
「うむ。そう遠くない」
二人はホテルから駆け出して行った。
「変わった親子だな」
と、徳永は首を振って、
「さあ、一緒に――」
「いいえ!」
のぞみは、徳永の手を振り切ると、
「私も見に行きます!」
と、叫ぶように言って、クロロックたちを追って駆け出して行った。
「おい、TV……」
徳永が呆然として見送っていた。
「いかん!」
クロロックたちが足を止める。
たった今斜面がえぐれたばかりのように崩れていた。道を一杯にふさいでいる。
「お父さん、車が見える」
「うむ。あれは久保の乗っていた車だな」
分厚い土砂の下にあって、わずかに車の一部が覗いていた。
「どうする?」
「そうだな」
クロロックは崩れた斜面の上の方へと目をやった。
「もっと崩れて来るかもしれん」
「救い出せる?」
「見えているのは、窓の一部だな。あそこから引っ張り出すしかないが……」
「でも、危ないよ。その途中で、もっと土砂が――」
「分かっとる」
いくらクロロックでも、大量の土砂が一気に崩れて来たら、逃げられない。
「私が行く。お父さん、上の様子を見ていて」
「いや、エリカ、お前にもしものことがあったら」
「お父さんには虎ちゃんがいるんだよ! 任せて!」
と言うなり、エリカは土砂をかき分けて行った。
「まあ!」
のぞみが駆けて来ると、
「あの車に?」
「そうだ」
「助けられるでしょうか?」
「分からんが……」
クロロックは少し考えていた。エリカは土砂をかき分けて行くが、深い泥に埋まりそうになって、なかなか進めない。
「放ってはおけん」
クロロックはマントを脱ぎ捨てると、思い切り地面をけって飛び上がった。
エリカのそばへ下りたが、そこも深い泥だ。
「お父さん――」
「お前一人を放っておけるか!」
クロロックは泥に埋まりながら、ありったけのエネルギーを目の前の泥へと送った。泥が白煙を上げて、乾いていく。
「お前が行け。窓を壊せるか?」
「任せて!」
エリカは乾いた泥を左右へ振り払いながら、埋まっている車へと近付いた。
後ろ側の窓ガラスを叩き割ると、中で久保が動いた。ショックで気を失っていたようだ。
「久保さん! しっかりして!」
エリカは車の中へ手を伸ばして、久保の服のえり首をつかんで引っ張った。ズルズルと久保の体が割れた窓から引っ張り出されて来た。
「後は任せろ」
クロロックが久保の体を肩へかつぐ。エリカが、ハッとして斜面の上の方へ目をやった。
「また崩れて来るよ!」
「ヤッ!」
クロロックはかついでいた久保を、放り投げた。久保は見守っていたのぞみにぶつかって、二人は一緒に転がった。
「急げ!」
クロロックとエリカは、土砂をかき分けて進んだ。
そのとき、土砂の流れが……。
「本当にもう……」
と文句を言っているのは涼子である。
「しかしな……」
と、クロロックはバスローブ姿で、
「エリカは大切な娘だ。見捨ててはおけん」
と言った。
泥だらけの服はクリーニングに出し、クロロックはシャワーで体を洗ったところである。
「何言ってるの?」
と、涼子はけげんな表情で、
「エリカさんが大切なことなんて、当たり前じゃないの。私は、あなたの服がちゃんときれいにならなかったらどうしよう、って思ったのよ」
「そうか」
「そうよ。あなたがエリカさんを助けなかったら、私、あなたを家から追い出してるわ」
自分が出て行くとは言わないのが涼子である。クロロックはホッとして、
「どっちも助かって良かった」
「そうよ。エリカさんがいないと、虎ちゃんを預けてあなたと出かけられないじゃない。エリカさんは貴重な留守番役よ」
――エリカは、後でクロロックから涼子の話を聞いて、
「少なくとも必要な存在だと思われてるって分かって嬉しいよ」
と言った。
エリカも泥を落として、服は洗濯に出していた。今はパジャマ姿である。
「お父さん、やっぱりマントがないと、何だかおかしいね」
「そうか! マントを脱ぎ捨てて来てしまったな!」
「また買えばいいよ」
エリカとクロロックは、エリカたちの部屋で話していた。
みどりと千代子はロビーで、ホテルがサービスに出してくれたプリン・アラモードを食べに行っている。
ドアをノックして、
「失礼します」
と、のぞみの声がした。
エリカがドアを開けると、のぞみが、
「これをお届けに……」
と、クロロックのマントを差し出したのである。
「いや、これはありがたい」
クロロックはバスローブをはおっていたが、やはりマントがないと落ちつかないようだ。
「それで、どうかな。久保さんの方は?」
と、クロロックが訊くと、
「はい! 本当にありがとうございました!」
と、のぞみは深々と頭を下げて、
「お医者様からは、少し眠った方がいいと言われました」
「そうか。病院は――」
「このホテルの向かいに、個人病院ですが、しっかりした所で。入院して休んでいます」
「それは良かった」
「あの……」
と、のぞみは少しためらって、
「クロロックさんも娘さんも、どういう方なのですか? あんなこと、人間業じゃないと……」
「そう思うのも無理はない。なに、少々人と違うところはあるが、私もエリカも人助けができればそれでいいのだ」
「分かりました。――では、このことは誰にも話さずにおきます」
「うん、それが一番の礼だと思ってくれ」
のぞみは、もう一度、深々と頭を下げて、部屋を出て行った。
「――お父さん」
「何だ?」
「お父さんはプリン・アラモード、食べに行かないの?」
「この格好でか? しまったな。今、ここへ届けてくれと頼むのだった!」
クロロックが悔しそうに言った……。
【つづく】