振って降られて吸血鬼 第四回

正体


「私はM大の教授でね。とくながえいいちろうというんだ。知ってるだろ?」
 という言葉にも、その刑事はまったく反応を示さなかった。
「順番に事情聴取をしますので、待っていて下さい」
 とだけ言った。
「だがね。分かっとるのかね。私は大学で講義をしなくてはならんし、TVにも出演しなくては。私が行かないと困る人々がいるんだよ」
「そうですか」
 と、無表情な刑事は、
「私は〈K署〉のという者です。殺人事件は珍しい」
 と、ダイニングルームに集まった泊まり客を見渡して、
「あの豪雨の中です。外部から犯人が侵入したとは考えられない。従って、この中に殺人犯がいるものと思われます」
 徳永は不満げに、
「それは君の勝手な推測だろう」
 と言った。
「まあ、ここは警察に協力した方がよかろう」
 と言ったのはクロロックだった。
「久保さんといったかな。殺されたもりさんのことだが、もとははっきりしているのかな?」
 と訊く。
「そんなことは、我々が知っていればいいことです」
 と、久保刑事はにべもなく言った。
「そうか? しかし、身許が分かれば、被害者のことを思い出すということもあるだろう」
「そういう判断はこちらでします」
「その気持ちは分かるが、今は客たちの不安を取り除くのが、刑事の仕事ではないか?」
「そういう口出しは
「言いたくないかもしれんが、被害者が刑事だということを知っているのと知らないのでは、みんなの考え方も変わってこよう」
 久保が目を見開いて、
「どうしてそれを
「様子で分かるとも。それに、ホテル側の対応も、普通の客とは違っていたからな」
 久保は面白くなさそうだったが、
確かに、森田は同じK署の刑事でした」
「すると、何か目的があって、このホテルへやって来ていたのかね?」
 と、徳永が言った。
「それは捜査上の秘密です」
 と、久保ははねつけて、
「では、まず徳永さんから」
「何だ? 私が怪しいとでも言うつもりなのか!」
「あなた。そうカッカしないで。ちょっと話をすれば終わるわよ」
 と、妻のがたしなめる。
「フン、TVで警察の横暴について語ってやる」
 と、文句を言いつつ、久保についてダイニングルームを出て行った。
殺されたのが刑事さんだったなんて」
 と、きしが言った。
「それは天気予報じゃ分からないのね」
 と、須美子が皮肉った。
「奥様
「どう話す気? このホテルに、たまたま来てた、なんて通用しないと思うわよ」
「正直にお話しします。徳永先生との関係も」
「でも、捨てられたんでしょ? 主人を恨んでいるわね」
 と、須美子が、ちょっと小馬鹿にしたような口をきく。
「違います!」
 と、真子は言い返した。
「私が捨てられたんじゃありません! 私がんです」
 須美子は苦笑して、
「好きに言うといいわ。刑事さんがどう思うか分からないけど」
 少しして、徳永が戻って来た。
あなた、どうだったの?」
「なに、それなりに楽しい会話であることは確かだった」
 と、徳永は言った

「フォン・クロロックさんですな」
 と、久保が言った。
「あなたの場合、外国人であることで、他の人間より詳しく話をうかがう必要が
「まあ、肩の力を抜きなさい」
 クロロックは微笑ほほえみながら言った。
「いや、私は刑事として、気を抜くことが許されないのです」
 と、久保は厳しい表情で言った。
「気持ちはよく分かる。こんな所では、めったに殺人事件など起こらないだろうし、ましてや被害者が同じ刑事とあってはな。亡くなった森田刑事さんは、同僚だったのかね?」
「質問するのはこちらです!」
「落ちつきなさい。じっと目を見るといい。そうすると精神が集中して、冷静になれる」
 クロロックの目を見つめた久保が一瞬、フラッと揺れた。さいみんじゅつにかかったのだ。しかし、クロロックもそう深くはかけなかった。
「はあ。どうも初めまして
 と、久保は新入社員のような口調で言った。
「森田さんとは仲が良かったのか?」
 と、クロロックは訊いた。
「いや。森田さんはしゅっがしらで、私などはまともに相手にしていなかった
「ほう。すると、このホテルへやって来たのは何の仕事だったのかね?」
「聞いていません。ただ、私のような『平凡な刑事には係わりのないことだ』と言われていました」
「それはふしぎだな。たった一人でやって来て、しかも目立つことを気にしている様子もなかった」
「はあ
「あの豪雨の中、どうやって来たのかな?」
「たぶん車で。調べていません。申し訳ありません」
「謝らなくてもいいが、車で来たのか、タクシーか。それとも誰かの運転する車だったのか
「早速確認いたします!」
 久保は手帳に書きとめた。
「ところで、言いにくいこともあろうが、森田刑事に、何かよくないうわさはなかったかね?」
 クロロックの問いに、久保は明らかにうろたえた。
「いや、そんなことは。私としては、尊敬すべき森田さんに関して、何かその問題があるような発言は
 と、口ごもっている。
「なるほど。君の気持ちはよく分かる。どうだろう。ここで私にだけ打ち明ける。しかし私はその話の中身は決して口外しない。君は話した後、話したこと自体を忘れてしまう。そうすれば、悩む必要はないわけだ」
「おっしゃる通りです」
「つまり、このホテルへ森田刑事がやって来たのには、仕事以外の理由があったのだね?」
「そういう噂を、耳にしておりました
「それはたとえばが絡むことではないかね?」
「はあ。私も詳しいことはよく分かりませんが
「森田刑事は、ここで、ある女性と待ち合わせていた。そうだね?」
「そういう話をしているということを、誰かから聞いたという人が
「遠回しに言うのは、かえって怪しげだよ。相手の女性は誰なのか、分かっているのかね?」
「そこまでは分かりません。もともと森田さんは女性にもてましたし、また手が早いのでも有名でした」
「なるほど」
 と、クロロックはうなずいて、
「いや、ありがとう。催眠術を解くと、君は何も憶えていない。いいね?」
 久保はフッと我に返った様子で、
何の話をしていましたか?」
「何でもない。ただの世間話だよ。いや、大変楽しかった」
「こちらこそ」
 と、久保は一礼した

「何だかやけにていねいな口調になってたわよ」
 と、久保と話してダイニングルームへ戻って来た須美子は言ってから、
「やっぱり美人には甘いのかしら」
 と、真顔で言った
そういうことか」
 と、エリカは、クロロックの話を聞いて、
「じゃ、その相手の女性との間がこじれて、殺されたのかもしれないね」
「その可能性はある」
 と、クロロックは肯いて、
「問題はその女性が誰なのか、だな」
「それに、徳永さんの奥さんが刺されたように見せかけたのも、いたずらにしちゃおかしいよね」
 エリカとクロロックは、隅のテーブルで話していた。二人きりで話すときは、人間の耳にやっと聞こえるぐらいの声で充分だ。
 そこへ、支配人のかわのぞみがやって来ると、
「お知らせがあります」
 と告げた。
「雨は上がりましたが、いくつかの場所で土砂崩れがあったそうで、今、車でお帰りになることはできません」
 誰もが顔を見合わせた。
「それは困る!」
 と、徳永が真っ先に言った。
「私はTV出演の予定が
「そんなの諦めなさいよ」
 と、須美子が言った。
「しかし、私がいないと
「『徳永さんは都合で欠席です』って言われて終わりよ。別にドラマの主人公じゃないんだから」
 そう言われると、徳永も言い返せず、居合わせた客たちは、みんな笑い出しそうなのを、何とかこらえていた

【つづく】