振って降られて吸血鬼 最終回

振られた思い
「けしからん!」
と、文句を言っているのは徳永栄一郎だった。
「何を怒ってるの?」
と、須美子がプリン・アラモードを食べながら訊く。
「TV局のプロデューサーを放っておいて、あんな刑事を追いかけて行くとは……」
「川辺さんのこと? 仕方ないでしょ、久保って刑事さんのことが好きなのよ」
「全く……。女というやつは……」
その先は言わなかった。
「女から言わせりゃ、『男ってやつは』だわ」
と、須美子がからかった。
「俺はTVに出てるんだ。有名人だぞ」
「もうやめて。笑われるだけよ」
すると、プリン・アラモードを食べ終えて部屋へ戻ろうとした岸野真子が、二人のそばを通りかかって、
「あ、先生。TV局から伝言がありましたよ」
「何だと? どうして君の所へ――」
「先生に連絡がつかなくて困ったとき、私にかけて来てたんです」
「そうか。――それで伝言は? 明日には必ず帰るぞ」
「お急ぎになる必要はないそうです」
「どういうことだ?」
「コメンテーターを入れ替えるそうで、長いことご苦労様でした、と伝えてくれとのことです」
真子が行ってしまうと、徳永はしばし呆然としていた。
「あなた。プリン・アラモードのアイスクリームが溶けてるわよ」
と、須美子が言った。
久保が、少し身動きして、目を開けた。
「どうですか?」
ベッドのそばの椅子にかけていたのぞみが覗き込むようにして言った。
「ああ……。体のあちこちが痛いけど……。どうして助かったんだろう? 土砂に車ごと埋まったと思ったけど……」
「憶えてないの? いい人はちゃんと神様が助けて下さるのよ」
「そうかな……。ともかく生きてて良かったよ」
「何か飲み物でも?」
「それじゃ……冷たいものなら、何でもいいよ」
と、久保は言った。
のぞみが立ち上がると――久保の方へ身をかがめて、軽くキスした。
「待っててね」
のぞみが病室を出て行くと、久保は、
「これって、夢じゃないんだよな……」
と呟いて、目を閉じた。
痛み止めを飲んでいるので、眠気がさして来る。――久保はウトウトしていた。
病室のドアが静かに開いた。
その人物は、手にナイフを握りしめていた。
そっとベッドに近付くと、眠っている久保の顔を眺めていたが――。
「やめておきなさい」
と、声がした。
ハッと振り向いたのは、須美子だった。
「クロロックさん……」
「振られた恨みは分かるが、もともと、あんたの方の一方的な片思いだったのだろう?」
「でも、私は……」
ナイフを取り落として、須美子はよろけるように椅子に腰をおろした。
「あんたは、森田とあのホテルで密会していたのだな。ところが、森田が川辺のぞみに惚れてしまった」
「失礼な話ですよ。私の方が若いのに!」
「殺すことはなかったろう。まあ、夫が有名人だということが、あんたのプライドになっていた。しかし、夫は岸野真子と浮気している」
「森田は笑ったんですよ! 私に向かって、『あの女に乗りかえるのは当たり前だ』と言って」
と、須美子は声を震わせた。
「許せなかった! でも、あの女がやったと思わせたかったの。だから自分のベッドにあんな細工をして、私にやきもちをやいた女がいやがらせをしたと見せかけて……」
「でも――久保さんまで」
と言ったのは、病室に戻って来ていた川辺のぞみだった。
「それは私の言うことよ! 久保に会ったとき、私は森田を殺したのを後悔したわ。あんな男、放っておけば良かったと……」
と、須美子は言った。
「ところが、その久保も、川辺のぞみと好き合うようになってしまったのだな」
と、クロロックは首を振って、
「惚れるというのは理屈ではない。何百年たっても永遠の謎だな」
病室に警官が入って来た。
――須美子が連行されて行くと、久保が浅い眠りからさめた。そして、クロロックに、
「――どうかしたんですか?」
と訊いた。
「なに、もう少しで、君が死ぬところだった、というだけだ」
「度々救って下さって……」
と、のぞみがクロロックに深々と頭を下げた。
「それはともかく、道はいつ開通するのかな?」
と、クロロックが言った。
「社長があんまりサボっていては……」
幸い、土砂崩れのあった道も、二日後には車が通れるようになって、ホテルの客たちは出発することになった。
「――東京に着いたら大変だ」
と、ロビーで、徳永栄一郎はため息をついた。
何しろ、妻の須美子が刑事を殺したのだ。
「奥さんの犯行も、元はと言えば、あなたの浮気のせいでしょ」
と、エリカが言った。
「分かっとる。女房のために、できるだけのことはするよ」
徳永も後悔しているようだった。
「――先生」
と、岸野真子が声をかけた。
「君か。――私には、これからとんでもない嵐が待っとるよ」
「大丈夫です」
真子はスマホを手にして、
「この二、三日、東京は穏やかに晴れる、と出ています!」
【おわり】