【佳作】くろいの(著:ととり)
最初は、なんじゃぁ黒い小さい奴が、柴をかついで山道ふらふらあるいとった。
あんまり小さいもんじゃから、荷物で身体が見えん。
ワシは最初、山道を柴の山が勝手に動いとると驚いたが、よう見たら色の黒いやせっぽちの子どもじゃった。チビの子どもが大きな柴かついで歩いてるんじゃ。
家に帰って、お父ォとお母ァに、くろい子どものことを聞いてみたら、隣の家の親戚が流行り病で死んで、そこの子どもを引き取ったんじゃと。
ただでさえ隣の家は子どもが多くて難儀してるのに、そこへもう一人転がり込んで来たもんじゃから随分困っとると。
そんなんで、その小さい黒い子どもは朝から晩まで働かされておった。ほんまじゃったら大人がする仕事もやっとった。
着るものも粗末でろくに水浴びもせんのかえろう汚い。黒い顔の奥で目だけがギョロギョロひかっとった。
村の子どもは、皆そいつを気味悪がって、見つければいじめた。山道で大きな柴をかついでヒョコヒョコ歩いてる所に、石ィ投げたり脚ィ引っかけたり。
くろいのが、倒れて起き上がれんのを見て皆で笑ろた。じたばたもがいてる様は、まるでひっくり返った亀みたいじゃった。ワシもいじめてる子どもの一人で、仲間と一緒によう笑った。
ワシが八歳のころじゃ。お父ォとお母ァが続けて病で死んでもうた。ワシゃもう仲間のこどもらと遊ばれん、毎日毎日、働かんと喰うもんも困るようになった。
ワシには、家があるものの、畑は小さい。山に入って柴を集めながら、キノコや薬草や町で売れそうなもんは、なんでも見つけて集めた。
だから、自然とくろいのと顔を合わす機会が多くなった。
くろいのは、同じような境遇の奴が増えたんが嬉しいんか、ワシに懐いてきた。
黙ってりゃええのに、わざわざキノコの生えとる場所や、柴の多い所をずいぶん教えてくれた。ワシが前はくろいのをいじめていたことを、すっかり忘れてしもうとるんじゃろうか?
それともそんなに淋しいんじゃろうか?
親が死んで心細い思いじゃったワシは、くろいのの人懐っこさにほだされてすっかり仲良くなってしもうた。
くろいのは近づいてよう見たら、男じゃのうて女じゃった。チビでガリガリに痩せておったが女の子どもじゃった。
くろいのはいつ見ても働いとった。同じ家の子どもらが暇して遊んでても、くろいのだけは働かされておった。
くろいのが寝る場所は、家の隅にある馬小屋の中で、むしろに包まって寝とるらしい。ワシはずいぶん酷い扱いじゃと思うたが口には出さんかった。
ワシも人の事に構っとる場合じゃない、自分の食い扶持を稼ぐのに、頭がいっぱいじゃった。朝は早く起きて、畑の手入れやなんかする。
それから山に入って、柴を刈り町に売りに行った。そんな生活が何年か続いた。くろいのは何やかんや気が付いたらワシに話しかけてきた。
ワシに村の人間で喋りかけてくれるのは、いつのまにかくろいのだけになっとった。
そんなある日じゃ。いつもより深く山に入って柴を刈っていたワシは足を滑らせて谷に落ちてしもうた。
ここから叫んでも人のおるところまでは届かん。よじ登りたいが足を挫いて思うように動かせなんだ。
二日が過ぎた。谷川の水を飲んで飢えをしのいだ。足は腫れ上がって触るだけで激痛が走った。
このまま死ぬのかも知れんなぁとワシは考えた。
ただでさえ人づきあいが少ないのに、村はずれの一軒家に住むワシが、二日や三日おらんようになっても、誰かが気が付くとは到底思えなんだ。
たとえ気付いたところで、忙しい毎日、わざわざ探しに来るとは思えなんだ。
それでもワシは大声で助けを呼んだ。風が木々や草を揺らすたびに人の足音ではないかと耳をそばだて叫んだ。
とにかく腹が減って寒かった。三日目になると挫いた足だけでなく全身が痛みはじめた。
……その日は真っ暗な夜じゃった。月が雲で陰り、何も見えない闇夜、風もぴたりと止んだ。
疲れと痛みで夢と現の間を彷徨っていたワシの耳に、人の声のようなものが聞こえた。
目を覚ましたワシは耳をそばだてた。たしかに人の声がする……。
それもワシの名を呼んでいる。
ワシは、その時、安堵ではなく恐怖を感じた。妖怪か物の怪か知らんが山でなにものかがワシの名を呼んでる。
ワシは息をひそめてじーっとしていた。
声は近寄ってくる……真夜中。
「……さん」「……さん、そこにおるんか?」声は、俺の名前をはっきりと呼んだ。ワシは、もう物の怪でも何でもいいと思った。
ここにおる!助けてくれ!できる限りの大声を出した。後で聞いたら蚊の鳴くような声だったということじゃったが、その時のワシには精一杯の声じゃった。
谷の上の方でガサガサという音がした。谷に下りてきた物の怪は、くろいのじゃった。
くろいのは縄をワシに巻きつけた。ワシは縄を伝って谷を登った。くろいのは先に上がってワシを引き上げてくれた。
ワシは水と握り飯をくろいのからもらって喰った。久しぶりの食い物をガツガツ喰ったらあっという間に無くなった。
ワシはくろいのの肩につかまって山を下りた。相変わらずくろいのはガリガリで骨と皮でできてるようだった。
家に戻ってしばらくは挫いた足のせいで動けんかった。くろいのは時間を作っては様子を見に来た、余りものだと言って握り飯をくれた。
大所帯のくろいのの家で飯が余るはずないのに、ワシはそんなことも気が付かずにムシャムシャ喰った。
腹が落ち着くとワシはくろいのを見た、礼を言おうと思ったのだ、ガリガリのやせっぽちだと思っていたくろいのは少し雰囲気が変わっていた。
くろいのの何がどう変わったのか良くわからなくて、思わずワシはじーっと見つめてしまっておった。
くろいのの眼はもうギョロギョロしていない。
痩せた腕の先についてる手は切り傷が多かったが、小さくて柔らかそうだった。指の先には桃色の貝殻のような爪が綺麗に並んでいる。
最初くろいのはワシの目を不思議そうに見つめ返していたが、ふいに顔が赤くなったかと思うと踵を返してワシの家を飛び出した。
ワシはくろいのの遠ざかっていく背中を見つめながら、どきどきする心臓を感じた。戸を閉じて布団に潜り込んでも胸のどきどきは収まらなかった。
くろいのの顔を思い出し、動作を思い出すたびにワシの心臓はどきどきした。
ワシは足が治ると、また市場に出向いて物を売るようになった。今年は天候が悪くどこも凶作らしい。
どの村でも口減らしのために子どもが売られるらしい。それを買いに人買いが多く集まっていた。
ワシの村も今年は作物の出来が良くない。この夏の祭りは、皆気持ちを入れて天の神に祈るそうじゃ。
祭りの日はいつになく村が華やいだ。ワシは特にすることもなくいつものように山に行き、いつものように戻って来た。
祭りはすでに始まっていて、村の中央の神社でとんどが大きな炎を上げている。山の上からもそれが見えた。
くろいのの家の横を通った時、中から物音がした。不思議に思ってのぞいてみるとくろいのが家に残っていた。
祭りに行かんのか?と声をかけると、くろいのが驚いて顔をあげた。まだ仕事が少し残っててこれを片づけたら祭りに行くつもりじゃとくろいのは言った。
家の者には、先に行ってもらっとるんじゃと。
……もし、お前さんも祭りに行くんじゃったら、行くときに声をかけてくれんか?一人で夜道を行くのも心細い……。
そんなことをくろいのは言った。
わかったとワシはうなずくと一度家に戻った。荷物をおろし、汗を軽く拭いてから、くろいのを迎えに行った。
くろいのはその頃にはすっかり支度が出来ていた。普段は埃で黒ずんでいる肌をきれいに洗って、すっきりと髪を整えて見違えるようだった。
着物は叔母から貸してもらったという小綺麗な物を着ていた。他の子どもらには丈が合わず、幸運にも着せてもらえたという。白地に桔梗の柄でずいぶん似合っていた。
くろいのは、おかしくないか?と言ってワシの目の前でくるりと回った。整えた髪に赤い簪が映えていた。ワシに女の着物のことはわからんが、とても綺麗だと思った。
二人で夜道を歩いた。月が雲から出たり入ったり、たしかにこの道を一人では心細かろう。くろいのはしきりに着物はおかしくないか?と聞いてきた。
普段着なれている野良着と違うからか、ずいぶん戸惑っているらしい。ワシは照れ臭いのと面倒くさいので、くろいのに着物は良く似合ってる、赤い簪が特に綺麗だと言ってやった。
くろいのはピタリと黙った。
しばらく二人で黙々と歩いているとふいにくろいのが、この赤い簪は、母親の形見だと言った。
月に、また雲がかかりはじめる。周囲が薄暗くなっていく。
神社の最初の鳥居が見えてきた。境内に入るまでには長い参道がある。木が茂って昼間でも暗いがこの日は本当に真っ暗だった。
ワシが鳥居をくぐろうとすると、くろいのがついてこない。どうしたんじゃ?と、振り返ると、くろいのは、「暗い道は怖い」と、心底怯えた目でワシを見た。
ワシは思わず笑ってしまった。
ワシを助けた時は、あんな夜中に山奥まで来れたくせに「このくらいの道が怖いのか」と。
だけど、くろいのの真剣な目を見ると、心に何か風が吹くようだった。ワシは急に恥ずかしくなって逃げ出したくなった。
先に参道を上がろうとすると、くろいのが「待って」と言って後を追いかけてきた。そしてワシの着物の端っこを摑んでくっついて来た。
ワシはゆっくりと石の階段を上った。
出しぬけにくろいのは言った「秋になったら村を出ることになる」ワシは振り返った。「口減らしさ、お女郎になるんだ……」
くろいのはうつむいていた。うつむいていても泣いてるのがハッキリと解る。
「なぁ…。お女郎ってどんな仕事なんだ?」ワシは答えに詰まった。
「叔父さんも叔母さんも、綺麗な着物を着て毎日美味しいものを食べれて、唄や踊りを覚えるいい仕事だって……」「そんな仕事が本当にあるんか?」
ワシは気が付くとくろいのの手を握っていた。小さくて柔らかくて暖かい手。胸がどきどきした、ワシでも町に行けば色んな噂が聞ける。口減しで売られた子どもがどうなるか、貧乏な家の若い女がどんな仕事をするか。
だけど村の中で一日中働きづめのくろいのは、たぶん何も聞いてないのだろう。ワシはなんといっていいか解らなかった。
もちろん、女郎がどんな仕事かワシは知っている。楽でも楽しい仕事でもない。男に愛想と身体を売る仕事だ。だが、そのことを伝えるのが良いことなのか解らなかった。
「村を出るのは嫌だ……」「オラここに居たい……」くろいのはワシの手を強く握った。上から涙がポタポタ落ちてくる。
肩に手を回した、細い華奢な肩、着物ごしにくろいのの息遣いや暖かさが伝わってくる。
腕に力を込めるとくろいのは身を寄せてきた。
髪を撫でてやるとワシの肩に顔を寄せて涙が着物を濡らす。
少しずつくろいのの身体を抱きしめる。
胸のあたりに柔らかいふくらみを感じると、ワシの心臓は高鳴って、喉から飛び出すんじゃないかと思うほどだった。
泣いているくろいのの身体を抱きしめて、ワシはどうしようもなく興奮していた。
「女郎の仕事がどんなものか知りたいんか?」
くろいのは俺を見上げた。
化粧をしているわけでないのに、もの凄く綺麗じゃった。
ワシは、くろいのが、うなずいたかどうかも確認せず、彼女の腕をひっぱって参道わきの藪の中に分け入った。
林の奥を目指して、声が届かないくらいまで道から離れると、手頃な場所にくろいのを寝かせた。そしてその上に覆いかぶさった。くろいのは怯えていた。
だが、声も出さなかったし、抵抗もしなかった、ただ怯えていた。ワシは着物の上からくろいのの胸を触った。柔らかい感触……。
心が躍る。
ワシは大人の男女が何をするか、ひょんな拍子に見ることもあって、だいたい頭に入っている。でも実際に自分がするのは初めてだった。
おもむろに、くろいのの唇を吸った。不思議な感触、どうすればいいのか解らなくて舐めたり吸ったりしていると、
何かを喋ろうとしたのかくろいのの口が開いた。ふいに舌が触れ合う、ワシはくろいのの口に舌を差し込んで中を舐めた。
くろいのは首をふってワシの口から逃れた。さらにもがいてワシの身体の下から逃げ出そうとしたが、それは上手くいかなかった。
ワシはくろいのの手と身体をしっかり押さえていた。
「嫌じゃ…」
「お前さんが相手でもこんなのは嫌じゃ……」
ワシは、それ以上、何もできなかった。
くろいのの身体を抱き起こすと着物に付いた土を払ってやり、髪を撫でて整えた。
簪が落ちていたので髪に挿してやろうとすると、
「それはお前さんが持っていてくれんか?」くろいのは、そういってワシを見た。
それは、それは優しい目じゃった。
くろいのは、怖い目にあわせたワシを優しく見つめていた。
「母さんが死ぬ前に言ってたんじゃ。これはお守りじゃって」
「これを持ってたらどこへ行っても事故にあわん、怪我もせんと」
「だから、お前さんにこれを持ってて欲しい」
くろいのの手を引いて、神社の参道に戻ると、月が雲間から顔を出していた。うっすらと月明かりに照らされた石の階段を、くろいのと手をつないで登った。
遠くから祭りのお囃子が近づいてくる。明るい光が見えてきた。もうすぐ別れがやってくる。
その後、ワシは何も言わずにくろいのと別れた。その日限り、くろいのの家には近寄らなかった。
くろいのは家の中の仕事をしているのか、もう外で出会うことはもうなかった。
ワシが若者の寄り合いに顔を出すと、若い男らは、祭りのときのくろいのの事で話が持ちきりだった。皆口々に、くろいのは別嬪だ別嬪だと言っていた。
しばらくして、町に行ったとき、小間物屋に小さな手鏡があるのを見つけた。
ちょっと無理をすれば買えない値段ではない。
手に取って見ると赤い梅の絵が気が利いてるように思えた。女郎になればこういう物も必要になるのだろうかとワシは考えた。
しばらく見つめてワシはそれをもとの位置に戻した。
くろいのの簪は今もワシの懐に入っている。それを持っていると不思議に怪我も病気もしなかった。
いつか、くろいのが村に戻ってきたらワシはこれを返そうと思う。
そして、くろいのと夫婦になろうと思っている。
【おわり】