僕の恋、思い出と勝負するのは分が悪すぎる 第二回

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 僕の住むマンションの近くには大きな公園があり、そこを散歩しながら小説の構想をるのが僕の習慣である。
 あれは半月ほど前、まだちまたが夏休みに入る前のことだった。
 晴れた日の午後、公園のベンチでぼんやり物思いにふけっていると、下校途中の男子小学生の集団が通り掛かった。
 何やら喧々諤々けんけんがくがくの様子で、その騒がしさに引かれて耳を澄ますと、朝食がパン派か米飯べいはん派かでめているらしい。そこへさらにシリアル派、栄養ゼリー派、食べない派が参戦しての言い争いだった。
 いや、そんな問題に正解はないだろうあきれていると、白熱した議論はいよいよ乱闘にまで発展しそうになり、あ、まずい、と思った時、どこからかひょっこり現れた女性が小学生の輪の中に飛び込んだ。
 けんを止めに来たのかと思いきや、米飯派に一票を投じて口論の仲間入り。いい大人が本気で喧嘩に加わってきたことで、男子小学生たちはすっかり冷めてしまい、「まあ、人それぞれ好みがあるってことだよな」と当たり前の結論を出して、めいめいにその場を去っていった。
 取り残された女性も、つまらなさげに口を尖らせながら帰っていった。
 僕がその女性を見たのは、この時が初めてではない。時々、この公園で見かける人だ。いつも普段着風の服装なので、きっと近所に住んでいるのだろうと思う。
 年齢は、二十代後半くらいだろうか。女性にしては背が高い方で、お年寄りの荷物を持ってあげたり、高い枝から降りられなくなった猫を救けるために木登りをしている姿を見かけたことがある。こんなにわかりやすく『親切な人』エピソードを披露してくれる人が現実にいるのかと、興味深く見ていたものだ。
 ちなみに僕は、彼女のように積極的な行動は不得手ふえてだ。困っているお年寄りを見かけても、声を掛けたらかえって迷惑がられるかもと思って二の足を踏んでしまうし、そもそも木登りなんてしたこともないのでいきなりのチャレンジは出来ない。気さくさと行動力を兼ね備えた彼女がうらやましい。
 さっきの小学生の喧嘩も、彼女はわざとああやって彼らの頭を冷まさせたのだろうと思う。思うけれど、その後のあのつまらなさそうな表情を見ると、本気で話題に入りたかっただけなのかもしれないという疑惑も残る
 そんなことを考えていると、今度は女子中学生の三人組がやって来た。近くの自動販売機の脇に立ち止まって、おしゃべりを始めた。
 彼女たちの話題は、アイドルのことだった。そちらの方面に明るくない僕にとっては知らない名前が飛び交い、初めのうちはキャッキャと楽しそうに話していたのだが、いつの間にやら話題のテーマが『好きなアイドル』から『嫌いなアイドル』に移行していた。
 ひとりが「あんなの全然カッコ良くないのに、なんで人気があるのかわからない!」と言えば、別のひとりは「私は好きだよ。すごいイケメンじゃん!」と言い返し、しばらく言い合ったあと、お互いに残った友達を味方に付けようとし始めた。そのおとなしそうな子は、どちらの肩を持つべきか、困惑の表情でおろおろしている。
 その様子を眺めながら、ふと思った。
 異性の好みなんて、人それぞれ違う方が幸せになれるだろうに。
 自分の好きなものや嫌いなものに共感が欲しい、という気持ちもわかるけれど、その共感の強要が結果的に引き起こすことを考えたら、あまり楽しくはなれないと思う。
 なぜなら、世の中の人がすべて同じ感性を持っていて、同じものを好み、同じものを嫌うとするなら、椅子いすりゲームの椅子がひとつしかないようなものだ。全人類が、求めるたったひとつの椅子を求めて闘わなければならない。恋でもなんでも報われるのは世界にたったひとりで、それ以外の人間は敗れ去ることになる。そんな世の中、いやではないか?
 友達と異性の好みが違うことは、恋敵にならないで済むという意味で、とても幸せなことだと思うのだけれど。椅子取りゲームの椅子はたくさんあった方が、自分が狙った椅子に座れる確率が上がるのだから。
 恋愛に限らず、好きなものや嫌いなものはみんな違うからいいのだ。たとえば世の中の人が好む物語の形がたったひとつだとしたら、そのるい作品しか売れないことになる。書店に並ぶのはすべて、タイトルと登場人物の名前が違うだけの同じ物語。そんな世界は厭だ。
 そもそも僕は、人の好みの多様性に救けられて作家を続けている。たったひとつの売れ筋ジャンルしか買ってもらえない世界なら、僕のようなマイナーファンタジー作家はやっていけない。名前を言えばみんなが知っているというような人気作家ではないものの、それなりに食べていける程度は仕事にありつけているのは、僕の作品を好んでくれる読者がいるからだ。
 みずしま弥生やよいという作家を知らない人、僕の本を見かけても興をかれず通り過ぎる人は世の中に山ほどいるだろうが、見つけてくれて、興味を持って手に取ってくれる人もいくらかは存在する。それを思うたび、僕は人の趣味の多様性に感謝を捧げずにいられない。
うん。それで?」
「お兄ちゃんは自分語りが長いの! 『親切な彼女』の話はどうなったわけ? そこが核心でしょ?」
 ぜんとしたさかきさんと皐月さつきの声で、僕は我に返った。
「その中学生、そこまで深いこと考えてないから。その場で友達の共感が欲しいだけ、嫌いなものの一致が人の連帯感を一番強めるってだけのことなんだから、はたから聞いてるだけのお兄ちゃんがそこまで考え込んでどうするの」
 どうするのと言われても、これが僕の性分なのだ。それに、
「別に、話がれてるわけじゃないんだよ。まだこのあと、彼女が出てくるんだ」
「じゃあ、早くそこを話してよ。自分語り抜きで」
とにかく、女子中学生たちの話を聞きながら物思いにふけっているうちに、いつの間にか頭が原稿の方へ向いて、すごく美味しい展開が浮かんできたんだ。その時、ちょうど七巻の原稿を書き始めたばかりだったんだけど、当初予定してた展開がもっと劇的になりそうで、これはいい場面になるぞ、ってぼろぼろ泣きながらメモを取ってたら」
 そこまで言ったところで、また皐月に嚙みつかれた。
「だから、いいとししてすぐ大泣きするのはやめろって言ってるでしょ、しかも公園で! もう、恥ずかしい!」
 かと思えば、榊さんにはキラキラした目を向けられた。
「ブラボー! その、公園で人目もはばからず泣けちゃうよーな美味しい展開を、書きなさいよ今すぐ! 私に読ませなさいよー!」
 僕の胸ぐらをつかみかねない勢いで詰め寄ってくる榊さんに、皐月があり得べからざるものを見たような顔をする。
「え、こんなぐずぐず泣く男に引かないんですか?」
「弥生くんは泣いてナンボなのよ! 泣いてからが本番なの!」
 榊さんは皐月に向かって力説した。
「そう、あれは忘れもしない、伝説の《第四回・夢オチ選手権》
「夢オチ?」
「散々あれこれ話を盛り上げた末に、これは夢でしたーで終わる形式の物語よ」
「それは知ってますけど、選手権??」
「大学の時の文芸サークルで、時々開催される企画でね。物語のラストを夢で落として、如何いかに読者をムカつかせるかを競う大会なの」
「わざと読者を怒らせるように書くんですか?」
「そういうこと。ネタよ、ネタイベント。私は読む専門だから参加しなかったけど、書く人は結構みんなおふざけで参加するわね。で、この第四回の開催が決まった時、大学の構内で弥生くんが泣きながら原稿書いてるのを見かけてね
「やっぱり所構わず
「まあ私も、その時は正直、『何この人、やば!』って思ったけど、出来上がった作品を読んだらねぇ
「面白かったんですか?」
「完全ネタ企画なのに、そこに弥生くんは真っ向から切り込んで、『これが夢なら、夢だっていいじゃない!』と全読者を感動と号泣のうずに叩き込んで優勝したのよ。あの回はほんと、伝説になったわね」
「読者をムカつかせたら優勝なんじゃなかったんですか? 兄がしゅを理解してなかっただけなんじゃ?」
「ムカつきを超えたところに号泣があったってことよ」
「意味わかりませんが」
「う~ん実際の作品を見せずに説明するのは難しいわね。何しろ弥生くん、小説の発想だけは宇宙人だから」
「宇宙人?」
「まるで別の星から来た人みたいに、常識がおかしいというか、発想がぶっ飛んでるの。素の性格はものすごくおとなしいのにね。弥生くんの原稿読んでると、この人、宇宙人から脳に何か埋め込まれたんじゃないかって本気で疑うことあるわ」
 榊さんには昔からそんな風に言われて、宇宙人扱いされている。僕としては、それほどおかしいものを書いているつもりはないのだが。
「ちなみに、夢オチ選手権の優勝賞品はそこにあるぬいぐるみよ。まだ持ってたのね。しかもなんか使用感が
 僕が座っているソファの隅には、白黒のバクのぬいぐるみが転がっている。皐月のツッコミ通り、そもそも読者を如何にムカつかせるかというネタ企画なので、「そんなくだらない夢は獏にでも喰わせてしまえ!」という意味のネタ賞品である。
 なお、夢を食べる獏というのは、中国の想像上の生きもののことで、実際のところこういう白黒のマレーバクは夢は喰わないと思うのだが。そこは黙ってちょうだいしてきた。
 するとこれがまた、腕にすっぽり納まるちょうどいい大きさで、テレビを見ている時など、無意識に抱きしめていたりする。その仕種を皐月からは「女子か!」と突っ込まれ続け、実際大分くたびれてきている。
「まあとにかく、弥生くんが泣きながら書いた話に間違いはないわ。そのあとすぐに公募で新人賞を獲ったデビュー作だって、ぼろ泣きして書いてたもんね」
「人前でどんだけ泣いてんの、お兄ちゃん
 皐月は完全にドン引いているが、
「私は弥生くんの涙を信じるわよ!」
 榊さんからは力強い頷きをもらった。
で、公園で泣いてたら、何があったの?」
 皐月が強引に話を戻す。
「帰ったと思ってた彼女が、こっちにやって来たんだ。これまでの元気で強気な印象から、しかられるんじゃないかと思った。男がこんなところでめそめそするな、って」
「まさに私だったらそう言いたいけど、違ったの?」
黙って僕に、ハンカチを差し出したんだ。それからしばらく、何も言わずに隣に座っていてくれた。ついさっき、小学生と本気で言い合っていたのと同じ人だとは思えないような、穏やかな空気が漂っていた」
「なるほど、ギャップにやられたってことか」
「そこで何か話したの?」
 僕は首を横に振った。
「そうするうち、彼女のポケットでスマホが鳴って、誰かに呼び出されたみたいで帰っていった。その時の僕は、とにかく思いついた展開をしっかり組み立てることで頭がいっぱいで、まともにお礼も言えなかった
「その時点ではまだ、筆は止まってなかったのね」
「うん。家に帰ってから一頻ひとしきりプロットの修正作業をして、形が整って一息ついたところで彼女のことを思い出して借りたハンカチを返さなきゃと思って、それから毎日公園へ行ったんだけど、見かけなくて」
「つまり、消えた彼女のことが気になって、原稿が手に付かないってこと?」
「いや、消えたわけじゃなくて。数日後の夕方、やっと見かけたんだけど」
「何よ、消えたんじゃないなら何なの」
泣いてたんだ」
「今度は彼女の方が?」
「あの時と同じベンチに座って、ひとりで涙を流してた。今こそハンカチを返す時だと思ったけど、動けなかったんだ。静かに流れる涙が、とても切ないものに見えて、その涙にれて、足が一歩も動かなかった」
「ポンコツ兄貴
 皐月がぼそっとつぶやく。
「結局、声を掛けられないまま、またスマホが鳴って彼女は帰っていった」
「安定の押しヨワね、弥生くん
「でもそのベンチに、手帳が置き忘れられていたんだ。追いかけて届けようと思って、その手帳を取り上げた時中に挟んであった写真が落ちた」
「何の写真?」
彼女が男性と一緒に写ってた。旅行先みたいな外国の風景に、お揃いの帽子とアクセサリーで」
「あー、そりゃ彼氏ね」
「何だったら、ダンナじゃないの?」
 当然、僕もそう思った。写真は数枚あり、風景入りでポーズを取ったものや、ふたりで顔を寄せ合ったアップのものなど、とても仲が良さそうだった。
「そこへ、忘れ物に気づいて彼女が戻ってきたんだ」
「おお、それで?」
「僕の手にその写真があるのを見て、顔色が変わったように見えた。手帳の中を勝手に見たと思われるのが嫌で、慌てて言い訳をした。手帳の忘れ物を見つけたので、手に取ったら写真が落ちてと」
「信じてくれたの?」
「うん。怒ってはいなかった、と思う。黙って手帳を受け取って、お礼を言ってくれてそのまま帰ってしまいそうだったから、急いで呼び止めた」
「今度はやったじゃん!」
「でも、振り返った彼女に何を言ったらいいのかわからなくて頭の中がパニック状態になって、口をいて出たのは『カッコイイ彼氏ですね』なんてどうしようもない言葉で」
「あぁ
「しかもそれを聞いた彼女は、ひどく複雑な表情になってぽつりと言ったんだ」
「なんて?」
「でも、もういないの
「もういない? 別れたってこと?」
「もしくは、故人?」
「わからない。ただ、手帳を手に取った時、すぐに写真が落ちた理由がわかったと思った。彼女はその写真を見て泣いていたんだよ」
「あー、そういうことね
「とにかく、せっかくの機会だから、ハンカチも返した。それ以上、会話も続かなくて、陽も暮れてきたし、お互いに帰路にいた」
「それで? その後は?」
 僕はかぶりを振った。
「ハンカチは返してしまったし、もう彼女に話しかける理由もないし見かけても声は掛けられなくてでもそれ以来、ふとした拍子に彼女の泣き顔を思い出しては、落ち着かない気分になって原稿に集中しようと思うのに、出来なくて
「なーにが『僕にもわからない』よ!」
 榊さんが僕の肩をバシッと叩いた。
「スランプの原因ははっきりしてるじゃない。完全に恋わずらいじゃないの!」
「え?」
「え、って、ちょっと信じられないんだけど、自覚ないの?」
 皐月がかわいそうな子を見るような目で僕を見た。
「でも、だって彼女の指結婚指輪はしてなかったと思うけど恋人らしき人がいるのは確かなのに好きになってもしょうがないのにまさかそんな
 僕はおろおろして頭を抱えた。
「世の中には、『よこれん』って言葉があるのよ。誰かのものだとわかっていても、惚れてしまうことはあるわけよ。なるほどなるほどわかってきたわよ」
 榊さんがうんうんと頷く。
「自分がそんな横恋慕なんてするわけがない。でも相手は別れたか死んだかでもういないらしい。だったら自分にも目はあるかも。いやいや、泣いている彼女の姿を見ていながら、そんな風に考えるのは駄目だなんて思いが深層心理の中で渦巻いて、恋を自覚するに到らない如何にも弥生くんらしい面倒臭めんどうくさいこじらせ方だわ」
 僕の心をわかったようにすらすら言って、榊さんはさらに続ける。
「でも、そんな事情なら話は簡単よ。彼女に告白して、上手うまく行くか断られるかのふたつにひとつ。過去の例に照らすなら、玉砕ぎょくさいしても三日三晩寝込めばスッキリするんでしょ? だったら明日にでも失恋してもらって、それから三日寝込んだとして弥生くんの爆速っぷりならまだなんとかなるかも!?」
 手帳のスケジュールを確認し始めた榊さんを僕は睨んだ。
「僕の恋をやっつけで片づけようとしないでくれる」
「あら、恋だって認めるのね?」

 改めて経緯いきさつを人に話してみると、そうなのかもしれないと思えてきた。
 僕は彼女が、好きなのか?
 親切で行動的で子供っぽいところもあって、けれど悲しい恋の思い出がある(らしい)彼女のことが
「その人、見た感じ年上なんでしょ? お兄ちゃんさ、自分から好きになるのはいつも年上の人だよね。でも何も言えずに陰からこっそり想ってるだけで、実際付き合うのは年下の子。ぐいぐい来られると、押し切られちゃうんだよね」
「まあ弥生くんの年上好きは何となく気づいてたけどやっぱそうなんだ? 前にサークルの合宿で温泉に行った時、売店のお姉さんをうっとり見てたりしたし」
「テキパキあねはだタイプですか?」
「文豪気分に浸るためにひなびた宿を選んだら、従業員も少なかったみたいで、売店以外にもいろいろ飛び回って仕事してたわ。旅館の壁に落書きしてる地元の不良を捕まえて、しかりつけてるところも見たわね」
「うわー、もろにお兄ちゃんのタイプ。テキパキしててハキハキしてて強気な年上の女の人が好きなんですよ。塾の事務のお姉さんもそうだった。自分がうじうじしてるから、正反対の人に惹かれるってやつですね」
「でも弥生くんはさ、黙って立ってればクール眼鏡めがねキャラに見えるからね。表情のタイミングによっては、ドS眼鏡路線にも見えたりして、一部の年下女子にはモテるんだけど、年上受けはどうだろう
「いくら見た目がクールでも、中身がコレだから、ギャップえですよ。とにかく性格がじめじめしてて、何かというと自分語りが長いし、あげに泣き虫だし」
「や、泣き虫に関しては、セールスポイントにならないでもないと思うけどね?」
「えっ、どこがですか!?」
「弥生くんて、めっちゃ綺麗な泣き方するじゃない。静かに涙が盛り上がって、ほおにすーっと流れるの。例の夢オチ選手権の時に初めてそれを見かけて、とっに『映画でも撮ってるの!?』と思ってカメラ探しちゃったくらいだしね。小説の構想が盛り上がって泣いてたってわかった時は引いたけど、づらだけなら一部の女子はたぎるわね。クール眼鏡キャラの一筋の涙」
すごくニッチなところ狙ってません?」
「まあ公園の彼女が、弥生くんの涙を見てどう思ったかだけど案外そこを押して行けば、もしかしてもしかするかも? 人の好みなんて思いがけないものだったりするしね。それこそ多様性の世界よ」
ふたりして勝手なことばかり言わないでくれるかな」
 もう聞いていられずに僕は口を挟んだ。
 妹と同級生の間で、僕の個人情報の暴露合戦が行われている。なぜこんな目にわなければならないのか
 だが皐月はわるれもせずに言い返してくる。
「情報を共有しつつ、作戦会議をしてるだけじゃない。このままじゃ埒が明かないし、お兄ちゃんだっていつまでもうじうじ片想いしていたいわけじゃないでしょ?」
「別にふたりに協力してもらわなくても
「ひとりでなんとか出来るつもりでいるの? 今だってこうやって原稿書けなくなって担当さんに迷惑かけて、スランプの原因すら自覚してなかったポンコツのくせに」
「うっ
 兄を絶句させておいて、皐月は早口に続ける。
「それにこれは、私にとっても重要な問題なの! このままお兄ちゃんが原稿書けなくて、収入なくなって、この部屋を引き払って家に帰ってきてニートにでもなったら、私のパラダイスがなくなっちゃうじゃない! 息を抜ける場所がなくなっちゃうじゃない!」

 詰まるところ、それでこんなに熱くなっているのか。基本、自分の趣味に関すること以外にはローテンションの皐月が、今日はやけに僕のことへ首を突っ込んでくると思ったら。
「彼女に忘れられない恋人がいるなら、どうせ自分なんかとか言ってても、ちゃんと振られるまでは諦められなくて、ず~っとうじうじし続けるんでしょ。わかってる、お兄ちゃんはそういう性格だから。だったら、さっさと告白してスッパリ振られてもらいたいの!」
「鬼か!」
「あんなヒキで作品を放置する方がよっぽど鬼畜の所業でしょ!」
 言い合う僕たち兄妹のかたわらで、榊さんがつぶやきをらす。
「そうね。うっかり上手く行って、今度は幸せボケで原稿が手に付かなくなったとか言われたら目も当てられないわ。だったらここはいさぎよく玉砕して、三日三晩寝込んでリフレッシュしてもらった方が
「鬼がふたりいる!」
「まあまあ、弥生くん。もし、万が一、上手く行ったら、それを別れさせようとまでは思わないからさ。とにかく、その彼女がどこの誰かを調べて、当たってくだけるのよ!」
「やっぱり砕ける前提じゃないか
 ぜんとする僕を無視して、榊さんと皐月は熱い握手を交わしていた。
「五月同盟の締結ね」
「はい。協力してこの難局を乗り切りましょう」
「まずは彼女の身元を突き止めるところからね」
「兄に任せておいたら、名前を聞き出すだけで何年もかかりますからね」
 なんでこうなるのか
 僕はただうなれて、ふたりの作戦会議を聞いていた。

【つづく】