2026年ノベル大賞 選評/今野緒雪

私が惹かれるのは決まって、「心から湧き出る何かを形にしてみたらこうなった」という作品です。


 今年の選考会は意見が大きく分かれることもなく、粛々と進んだように思います。昨年の大賞二本という華やかさはありませんが、候補作は五者五様で楽しく読ませていただきました。

『君の声を読む』
 声が綺麗で文章を書くのが好きな女性と、識字障害のある男性の恋愛物語。題材として目の付け所がいいな、と感じました。ただ、その設定を生かし切れていなかった感があります。
 登場人物に関しては、主人公シャルロッテの日常生活、特に自宅にいる時の様子が見えてきません。家族に隠れて小説を書いているのはわかっていますが、それを際立たせるためにも子爵令嬢としての日常を描いておくのは必須です。朝起きてから寝るまでを事細かに書く必要はありません。何気ない会話や行為、回想、心の動きの中にほんの少しちりばめるだけでも、垣間見せることはできます。シャルロッテ自身がどのように教養を身につけたか、なども紹介できればいいですね。立体的でぬくもりを感じるような、リアルな主人公をぜひ作り出してください。
 そのためには、物語の時代背景をしっかり決めてその中で登場人物たちを動かす必要があります。違和感があったり矛盾を感じながらでは、読者も物語世界に没入できません。名前一つとっても、同じ言語圏で統一する気配りが必要です。
 リチャードについては、彼の苦悩が切実に伝わってこないのが残念でした。ここはもっとページを割いて、訴えかけないと読者は共感できません。本を読むことが苦手なのに本屋通いを趣味としていることなども、突き詰めていけばいい素材となるはずです。リチャードのつらさを理解できないと、シャルロッテによる「救い」が生きてこないでしょう。
 その二人の心を通わせる重要アイテムのはずの『王様と金糸雀(カナリア)』も、うまく使い切れていません。そもそも、この本自体がイメージしにくいのです。内容も、さほど二人の恋愛にリンクしているように思えませんでした。
 脇役のパトリックやキンドリー侯爵。彼らの上流貴族にあるまじき言動が、気になって仕方ありませんでした。徹底した紳士であり続けながらも物語をうまく回していく道、もあるはずです。パトリックなど、そっちのほうがいい道化役になるかもしれません。
 シャルロッテが言葉を紡ぎ出す描写などは美しいので、彼女の「書く姿勢」はもっと深掘りしてもいい気がします。
 障害者に対しての差別的な言い回しは、コンプライアンスなんて言われなかった時代が舞台であっても避けるべきです。
 タイトルは、今回の候補作の中で一番好きでした。

『もし!』
 模試を作る人たちのことは知らなかったので、興味深い作品でした。文章は読みやすかったです。ページ数が多いのにそう感じさせないのは、会話文で進んでいる部分が多いからでしょうか。
 主人公()()が新たな職場で失敗しながらも成長していき、理央が側に居ることで指導担当の(じん)(ぐう)()の頑なな心も少しずつほどけていくという、ある意味王道のストーリーですが、事件やエピソードも上手く回っていると思います。
 終盤、神宮寺と理央の過去や理央の亡き父と神宮寺の関係が(せき)を切ったように明らかになっていくのは、やや唐突に感じられました。後々の種明かしに必要な手がかりは、序盤から小出しにしておくと、読者も受け入れやすくなります。理央の、神宮寺に対する第一印象を変えるとか、母親の何気ない言葉に理央が引っかかるとか、ちょっとした隙間にヒントを挟むことはできるのでは。
 神宮寺が「人を信用しない」という文章が何度か出てきますが、大事な台詞は量産させると薄れます。ここ一番で効果的に出す道を選びましょう。そのためには、言葉ではなく、行動を積み重ねて彼がそういう人間であると感じさせておくことが大事です。
 それから、せっかく一緒のフロアで働いているのだから、(くに)()(ふか)()のことももう少し書いて欲しかったです。特に国見は、理央との女性同士ならではのエピソードはいくらでも作れるはず。大きな事件はなくても、職場の雰囲気を伝えるのに一役かってくれそうです。
 登場人物の名前が担当教科に(ちな)んでいるのは、ちょっとやり過ぎな気もします。
 作中、一人称と三人称の混在が見られます。章ごとに統一はされているので、作者は意図してやっているのでしょうが、全編三人称で書くことも可能な話です。
 プロローグ後の第一章の冒頭、「七年後」はないほうがいいです。

『鍵』
 タクシーの運転手が、客の話を聞くという形式で進むオムニバスストーリー。全編を通して、悪夢をみているような気持ち悪さが他にない魅力として、私には感じられました。
 第一章の『金庫』と第四章の『偽物』は舞台が一緒なのに、語り手が変わるとまったく別の話になってしまうのが面白いです。
 『偽物』では、サヨコが自分が何者であるのかわからずに存在しているかのようで切なかったです。彼女はいつの間にかそこにいて、ただ画家を愛していただけなのではないか、と。人ならざるものに、感情移入してしまいました。
 『底流』は、ヒントがあったにも関わらず気づけず、ラスト「騙された」と悔しい思いをしました。ただ、タクシーののりしろがあるのに、その後に三人称の病院のシーンがあって、またその中に一人称の回想シーンが入っている二重の入れ子の構成になっているのが残念でした。内容が内容だけに回想前に客観的な視点が必要なのかもしれないですが、オムニバスなのだから、どの章も同じ体裁で揃えた方が美しいです。
 『井戸の底』もビジュアル的にかなりグロテスクで不気味ですが、それ以上にその地域の大人たちがその存在を知りながら口をつぐんでいるという事実にぞっとさせられます。東京に行くと言っていた(きり)(はら)先生は、他の章に登場していた「誰か」だったりして、とか想像して読みました。
 それにしても、各章共通のおどろおどろしい水の妖怪のような物は何なんでしょう。その地域に根ざす魔物なのかな。その正体を最後まで明らかにしないところがまたいいですね。何かわからないけれど、それは関わる人間の心の中の闇の部分に反応し、心の隙間に入り込んでしまうように感じました。同じ後悔を抱えて生きている松永と画家の魂が、呼び合ってしまったのではないか、とか。
 読み返すたびに、いろいろ発見があるかもしれません。
 文章に関することで他の選考委員の方から多々ご指摘はありましたが、私は内容にやられてしまったのでそこまで(あら)は感じませんでした。もし出版されることになったとしたら、文法的に正しく直すとか、足りない説明を補う程度の修正に留めて、この独特な雰囲気はぜひ維持してもらいたいものです。

(りょう)(せん)の彼方』
 山に登るという行為が、人間の成長にもなぞらえるようで、正統派の小説、という印象です。文章はとても達者で、言語化力に長けています。山での描写は一緒に登っているかのような臨場感があり、美容情報も具体的でイメージしやすい。
 いいなと思ったのは、()(りん)の生活が感じられる点です。会社でちゃんと仕事をしているし、仕事終わりに飲みにいって友達に愚痴ったりする。休日の山登りだけではなく、平日の日常もさらりと描かれています。たくさん言葉を重ねなくても映像が浮かんでくるのは、言葉選びのセンスがあるからでしょう。
 キャラクターも個性的で描きわけができていました。果林は見た目に反してすごく真面目。(にっ)()はイケメンで派手な服ばかり着ているのに、中身は面白みがない誠実なヤツ。二人ともギャップがいいです。美しさを追求しすぎて一線を越えてしまった(こう)(さか)は、一つ間違えれば果林もこうなっていたかもしれない、と思わせてくれる見本。当初は果林と正反対のキャラとして配置されていた(みつ)(しま)が、話が進むにつれどんどん印象が変わっていったのは、果林の気持ちの変化と呼応させているようにも見えます。
 ラスト、果林と新田がつき合うことになるのは、予定調和とはいえ私の中では正解です。

 『胡桃(くるみ)(ざわ)()の三姉妹 これも私の生きる道』
 作者がこの作品で訴えたかったことを、残念ながら私はキャッチできませんでした。サブタイトルにもあるのだから、彼女たちが選んだ「生きる道」が何かを描ききってもらいたかったのです。
 でも、感心する点も多々ありました。嫌な男のオンパレードなど、具体的でとても面白かったです。特に、選考委員みんなが大好き「スーツの四番」など秀逸。この貴重なキャラクターを、序盤のバスツアーのみで潔く切り捨てたかと思えば、逆に好印象のタクヤを実はすごい癖のある人物として後半に再登場させたり。ほぼ犯罪者のわかりやすい悪役や、女性を傷つけているという自覚症状がまったくない不倫男とか。そういう男たちが次々出てくると、お隣の若い男の子や、独身の中年上司なんかが「いい男」に見えてくるから不思議です。
 しかし、嫌な男はこんなにも描き分けられるのに、主役の三姉妹はそれぞれの個性の違いを出せずに終わった感じがします。同じ環境で育ったのだから、考え方感じ方醸し出す雰囲気が似るのは仕方ないかもしれません。でも「三姉妹」とタイトルに入れたからには、似ても似つかない三人に仕立てるべきで、そこが腕の見せどころだし、書き手にとっても面白いところのはずです。
 ラストですが、お互いにちょっとだけ前に踏み出してみて、今後三人の生活も変わっていくかもしれない、と提示して終えるほうが前向きでいいのでは、と思いました。例えば、()()がお見合い相手と遠距離恋愛してみるとか、()()がリベンジで再度バスツアーに参加するとか。なので、()(のん)の就職活動は無論支持します。
 茉美の施設利用者との会話や、莉子のカスタマーセンターでの仕事のシーンなどは生き生きと描かれていました。ただ、全体的に会話文で進んでいるシーンが多いので、言葉のキャッチボールに頼り過ぎない技術も今後は磨いていって欲しいです。
 介護士が施設利用者から金品をもらうことは禁止されているのではないか、とか、胡桃沢家はなぜ花音を特別養子にしたのだろうか、とか、急に辞令が出ることが多い銀行勤めで半年前に転勤が決まっているのは珍しくないか、とか。細かい疑問が多々浮かんだのですが、そういう小さなひっかかりで読者が立ち止まってしまうのはもったいない。書いている本人が見つけるのは難しいことですが、できるだけ客観的に読んでみて、引っかかる場所があったら、調べた上で補足を加えるなり、思い切って別のエピソードに差し替えるなりして対応してください。

 ノベル大賞選考会では、「この作品は今回の問題作ですね」みたいな会話が交わされることがよくあります。それは、他の候補作と同じ基準で評価できないという意味で、同じ計測器に入れられない、とでも例えましょうか。
 新人賞の選考委員としての私は、そういうはみ出た作品を高く評価してしまう傾向にあります。
 もちろん、奇をてらったものを書けと言っているのではありません。私が惹かれるのは決まって、「心から湧き出る何かを形にしてみたらこうなった」みたいなものなので、狙ってできるものではないのです。
 今回は、『鍵』がその問題作でした。