2024年ノベル大賞 選評/今野緒雪

疑問に思ったら、まず調べてみましょう。恐ろしいのは、疑問に思わないことです。


 暴力、虐待、だめな親、年下の男の子、一人称で進むストーリー。示し合わせたわけではないはずなのに、今回最終候補に残った作品は、テイストは違えども、取り上げるテーマやキャラクターに共通点があって、すべて読み終えて不思議な気分になりました。たまたまかち合ってしまったのかもしれないし、心から書きたいテーマがそれだったなら誰と被ろうと構わないのですが、どうせだったら「こんなの私以外書けないでしょう」というのを見せてほしい。自信満々の、道場破りみたいな作品待っています。
 とはいえ、今回受賞した三作品を否定しているわけではありません。残念ながら大賞のレベルには達していなかったけれど、どの作品もそれぞれ魅力があり、作者は才能にあふれ、今後が楽しみです。選考会では、さまざまな意見が飛び交いましたが、結局仲よく三作品が準大賞に決まりました。

 『いつか忘れるきみたちへ』
 文章は上手で、するすると読めました。誰かが誰かのふりをしていた場合、混乱しがちですが、「すずり」から「(かおる)」への移行もスムーズにできていて感心しました。キャラクターも、それそれ立っていていいですね。特にダイキなど、好青年で好き。
 途中、さわらの登場で真相が明らかになるわけですが、それより前に、馨の言動や表情などでもっと彼ら兄弟のトラウマを匂わせておいてもいい気がしました。また、本物のすずりは最後まで出てこないので、彼がどうして引きこもってしまったのかが「なるほど」となりません。そのように心にダメージを受けてしまった彼の繊細さを、馨を通してでも描いてくれたら、と思いました。
 (うい)奈々(なな)さんにそこまで心酔する理由も、よくわかりませんでした。奈々さんの片づけは、世にいる数多の片づけのプロと比べても、特別真新しいことも言っていないし、カリスマと呼ばれるほど強烈な個性もない気がします。憂にとっては、弱っていた時に手を差し伸べてくれた人、自分にないものを持っている人、で十分なのかもしれないけれど、できればもう一押し、彼女にしかない特徴、他者との差別化を出してもらえると納得できた気がします。
 このお話、憂と馨の同居生活が読ませどころの一つだと思うのですが、その日常を細かに描かれていないのはとても残念。馨は憂の生活を極力邪魔しないで暮らしているにしても、それでも小さなトラブルはあったでしょう。読者はそこを読みたかったはず。特に、お金の問題は適当にスルーされていますが、二人で決めたルールを説明してほしいし、家賃や依頼料がいくらだったのか、受け渡しはどうしていたのか、などを書くことで、ドラマにより深みが生まれたのではないでしょうか。
 居酒屋で知らないグループに入り込んで飲む、というエピソードは具体的でとても面白かったです。
 ラスト、憂が、馨やさわらと多分もう会わない、という締めはおしゃれです。片づけを仕事にしている憂らしくもあります。ただ、それをタイトルにするのはどうでしょう。これが、『いつか忘れるきみたちへ』という連作短編集の中の一編であるならわかります。
 何度も同じ表現、同じ説明がされている箇所があったのですが、それは整理したほうがいいですね。

 『Decksーハンティングエリアー』は、今回唯一現代日本を舞台にしていないお話でした。
 海上を漂う豪華客船が舞台。逃げられない状況で一人ずつ殺されていったり、初期に死んだと思われていた人物が殺人犯だったり、といったミステリーでは定番の手順を踏んでいながら、選択子(セレクション)・非選択子(ノンセレクション)という格差が加わることで、独自の世界観が生まれています。
 描写が上手く、特に船内を逃げ回るマイラの姿など、ちゃんと目に浮かびました。一人称が成功しています。美しい海と豪華客船内の景色、スリリングな展開、バトルがあったり、ほのかな恋愛模様が差し込まれたり。映像化するのに向いている作品でしょう。ただ、小説として読んでいると、途中立ち止まって考えてしまうのです。
 この状況を作り出した首謀者、リンク・ダンチの意図とか計画性とかがまずわからない。復讐だというなら、マイラがいったい何をしたのでしょう。フレイの妻というだけで、殺されなければならないほどの罪だったのでしょうか。乗客たちは、なぜ疑問ももたずに豪華客船に乗ったのか。傭兵を雇うほど慎重なせいまで騙されてしまっているのは、どうにも解せません。
 もし復讐がなったとして、船に乗り込んだ数名が死亡もしくは行方不明になってしまったとしたら、さすがに警察も動くでしょうし、遠からずリンク・ダンチにたどり着くはず。乗客を見殺しにして船から下りた船員たちの口から、事の顛末が明らかになるかもしれません。
 殺人請負人である藻洲もずは、どういった依頼でこの仕事を受けたのでしょう。詳しく書かれていないので、死体を梱包する理由もわからないままです。
 鷹や毒蜘蛛やネズミといった動物。どうせ出すなら、もっと見せ場を工夫した方がいいと思います。あっけなく死んでしまうのは、中途半端でもったいない。
 選択子、非選択子とともに特性(ネイチャー)というキーワードが出てきますが、ストーリーに生かせていない気がします。マイラが自分の特性を分析するのはともかく、「あの人の特性はたぶん○○」と想像することに意味があるのでしょうか。設定は面白いのですから、「特性」がもっとストーリーに絡んでいけたらよかったですね。
 そもそも、ですが。どうやって選択した特性を有する受精卵を作るのでしょうか。精子ならば、特性を特定して選別するのは可能かもしれないけれど、数が限られている卵子ですと難しそうです。それとも、体外受精させた後に、薬剤とか電気ショックとか、外からの刺激で特性を有するようになるのでしょうか。作者の考えたシステムをチラリとでも示してくれていれば、引っかからずに済むのですが。
 マイラとテグ、言葉が通じないところを含めて、ぎこちないその関係は読者心に刺さります。殺伐としたシーンの合間、またどうかしている人たちの言動にうんざりした後などに、二人のふれあい、模索しながらのバディっぷりはホッとしました。ただ、テグは実はこの事件の重要な鍵を握る人物でないか、と密かに推理していたので、それほどの秘密はなかったことに拍子抜けはしました。
 ラスト、マイラとテグは生き残ることはできたものの、私には二人の明るい未来がどうしても見えませんでした。それを含めてのエンディングなのかな、とも考えました。

 『みなと荘101号室の食卓』
 一貫した重いテーマを食事を通して描き、共通する痛みを抱えた人々が関わり、心を通じ合わせて傷を癒やしていく過程が、説得力をもって描かれていました。キャラクターも、みんな厚みがあります。
 (あかね)側からしか描かれていないのに、周囲の人々の言動がちゃんと伝わってくる。()()君が茜のことを好きで、同級生たちがそのことをちゃんと理解し応援していることまで、そうと直接言わなくてもわかります。
 過去の描写も、小出しにしながら、地の文でつながっているにもかかわらず、混乱せずに挿入できています。
 茜が甘味を感じられなくなった理由が、ペットロスだけではなく、義父の虐待、母との関係の葛藤であると明らかになり、納得できました。
 犬のちーちゃんのボールは、茜の甘味の象徴だったのですね。なるほど。
 ラスト近く、茜がすべての味覚を失ったのはなぜか、そこは説明不足の気がします。
 たまに比喩や「~のような」の例えに、しっくりこない表現がありました。さらりと書いて終わりにしてしまわずに、時間をおいてから読んで、自分でも想像してみるといいと思います。
 新天地に旅立つ茜の、爽やかなラストが良かったです。

 『春になれば、桜は。』
 亡くなった優秀な兄になり代わろうとする少年と、ヤングケアラーの少女。心に傷を抱える二人が、親しくなっていくことで互いのつらい状況から一歩踏み出す、という設定は前述の『みなと荘101号室の食卓』とほぼ同じです。
 しかし、長年こじれてしまった母と子の関係を「話し合う」だけで解決させてしまうのは無理があります。もちろん話し合いは必要ですが、だったらもっと具体的に詰めるべきですし、子供を追い詰めてしまった母の苦悩を深掘りして描く必要があります。
 また、(さく)()の家庭は父親不在なのかと思えるほど父の影が薄いのが気になります。同じ家に住んでいながら、彼は妻と息子の不穏な空気を感じていないのでしょうか。しかし、それなのに「話のわかるいい父親」のように描かれているのに違和感を感じました。いっそ、問題を見て見ぬふりをしているダメ父にしたほうが、この家庭の闇をあぶり出せたかもしれません。
 あと、未熟な緑のトマトは毒性があるのでサラダで食べさせないほうがいいです。後に()()の色覚異常が発覚する時の伏線にしたいのなら、すぐには食べずに追熟させるか、チャツネなどの料理にする。それでも、大勢に影響ないのでは。
 細かいことですが、梅雨明け、かなり早くないですか。
 咲良の章で時折出てくる「カリ、カリ。」のくだりを生かすなら、昼間学校にいる咲良の言動をもう少しそちらに寄せてもいいのかな、と思いました。
 波留の章に変わると、読んでいて引っかかる部分が途端に多くなり難儀しました。
 波留の母親はずっと水商売をしているのに、生活保護を受けるほど貧困なのはなぜなのか。
 波留のお祖母ちゃんが受けているのは、デイサービスではなく訪問介護です。その訪問介護に来てくれるホームヘルパーさんは、波留の家でいったい何をしているのでしょう。お風呂の介助はしてくれないのでしょうか。お祖母ちゃんは介護認定を受けていると思われるので、ケアマネージャーさんに相談して波留の負担を軽減するべきです。お祖母ちゃんは寝たきりじゃないのだから、それこそデイサービスを利用して、お昼ご飯とお風呂を施設で済ませてきてもらったらいいんです。
 お祖母ちゃんのことがあるから南京錠を二つ付けているのかと思いますが、どういう場合にどの南京錠を使っているのか、説明がほしかったです。
 お祖母ちゃんが自宅で急に亡くなってしまったとしたら、医者を呼んで死亡診断書を書いてもらうだけでは済みません。普通に病院で亡くなったのとは違うので、葬式までの経緯くらいは書いておく必要があるでしょう。
 日本でジンベイザメがいる水族館は限られています。たぶん作中で行ったのは、大阪の海遊館ではないかと想像したのですが、だったらいっそのこと登場人物たちに関西弁を話させたらどうでしょう。キャラクターたちが、より生き生きと輝く気がします。
 誤字、脱字、説明不足、矛盾点が多く気になりました。でもこれは、推敲を重ねれば改善されることです。気にしすぎて小さくまとまらず、まずは楽しんで書きましょう。続ければ、技術は後からついてきます。

 『筆と踊る』
 パフォーマンス書道という題材に目を付けたのは成功しています。
 気になったのは、構成や作品の体裁が整っていないこと。例えば、最初のうちは(くり)()の一人称で物語がずっと進んでいたのに、途中「☆()(ばや)(かわ)(さき)」とか「☆(ねこ)(もと)駿(する)()」の表示とともに彼女たちの一人称に切り替わる。来栖が見ていない「あちら側」を書きたいのはわかるし、視点の移動があっても構わないんです。ただ、バランスが悪い。「*全臨完成後 ()()(ざくら)先生の車中にて」も同様。そういうト書きのような説明ぬきで、文章を駆使して伝える工夫をしてください。小説なんですから、はしょっちゃもったいないですよ。
 書道をしている描写などは、生き生きと書けていました。ただ、過去の事情やそれぞれの心情については、会話で説明するに留まっている。会話のみで長々と進行している箇所も多く、誰が話しているのかわからないセリフも多々ありました。
 内容的には、登場人物たちの闇の部分にもっと説得力のあるエピソードがほしかったです。栗栖は、今の彼からは、カッとなって仲間を殴った過去などまったく想像できない。そのギャップを埋めるため、何かあった時に拳が出そうになって抑えるシーンを入れるとか、戒めのためのお守りを持っているとか、逆に極端に暴力を恐れたりする場面を作るとか。野球をやめた事情が明らかになった時に、違和感なく受け入れられるよう、事前の準備があったほうがいいように思います。
 咲に関しては、そこまで姉に執着する理由がわかりませんでした。彼女のコンプレックスが生まれた背景をもう少し突っ込んで示してくれないと、共感できません。昔はよく遊ぶ間柄だったのに急に意識し出したのなら、どこかの地点で相当の出来事がないとおかしいです。
 残念なのは、女性キャラクターのバリエーションが少ないことです。八重桜先生と(つき)()なんて、ほぼ印象が一緒です。()()先輩はバリバリ広島弁で特徴を出していますが、強い女性という意味では似ています。猫本先輩も、(ゆき)()も同じ路線上にいる気がします。いろんなタイプを描き分けられたら、物語がもっと豊かになるのではないでしょうか。
 ところで、八重桜先生の暴走は大問題です。咲に書道教室を使わせるために選択授業を潰すなんて、彼女の一存でしていいわけがありません。また、書道展の締め切り日をわざと隠していたなんて、言語道断。そのせいで、咲の首を絞める結果になってしまったわけですし(まあ、先生が隠そうとも締め切り日は調べればわかることでしょうから、咲も()(かつ)だったわけですが)。
 他にも、自分の入学式の日に朝早く来て初めての教室で書道なんてするだろうか、とか、早朝に長身の男子がランニングしていて補導されるだろうか、とか、天谷先輩って誰? とか、いろいろ疑問に感じるところはありました。
 女の子のことを「せがれ」と呼んだり、慣用句が間違っていたりするのは少し気掛かりです。
 ラストを二年後に持ってきた点は、とても気が利いています。タイトルは、今回の最終候補作の中で一番作品に合っていました。

 今の世の中、わからないことはいろいろな方法で検索することができます。疑問に思ったら、まず調べてみましょう。恐ろしいのは、疑問に思わないことです。自分で間違った知識を保存してしまっていると、正しいと思い込んでいるので調べもしません。たまに、自分の常識を疑ってみる必要があるかもしれません。
 自戒の念を込めてのアドバイスでした。