桑原水菜スペシャルインタビュー

※このインタビューは、2023年『荒野は群青に染まりて 相剋編』単行本刊行時、WEBニュースサイト「集英社オンライン」に掲載されたものの再録です。

KUWABARA MIZUNA
千葉県出身。1989年下期コバルト・ノベル大賞読者大賞を受賞。コバルト文庫『炎の蜃気楼』シリーズ、『赤の神紋』シリーズ、角川文庫『遺跡発掘師は笑わない』シリーズなど著書多数。

『炎の蜃気楼』著者が描く、敗戦後の男たちの物語!
引揚船、旧日本軍、満州鉄道、闇市……
終戦の混乱の中で絆を結んだ少年と青年が目指したものとは

『荒野は群青に染まりて』完結おめでとうございます。今の率直なお気持ちを教えてください。

ようやく、という気持ちです。相剋編(上巻)は『青春と読書』で約一年間の連載でコンスタントに書き重ねていけたのですが、書き下ろしの相剋編(下巻)は苦戦して、書き上げた時は「よく戦ったねお疲れさん」と自分と登場人物たちを思わずねぎらいました。

この作品を構想したきっかけはありますか。また、戦後を舞台にしたのはなぜでしょう。

発端は、ある日「少し上の年代の男性会社員」あるあるの話をしていて、上の人間が下に対してする「忠誠を試すような行動」が興味深いと思いました。たとえば、かわいがっている部下を夜中にいきなり店に呼び出つけ、残業中でも駆けつける部下を見て「おまえは俺の組」を確認するとか。

そういう「男社会の主従行動」を踏まえて、当初は過去の因縁を持つ男ふたりの社内復讐劇のような話を考えていました。紆余曲折を経て、ストーリーは別物になりましたが、相剋編でそのあたりの機微は書けた気がします。

男社会がより如実だった昭和、せっかくなら終戦から高度経済成長期にかけての泥臭さと勢いのある時代を舞台にしよう、と決めて下調べする中で、当時の担当氏のお父様が大陸からの引揚げを経験されたと知り、お話を伺いました。

その中に「引揚船から身投げした女性の話」があり「あのときの、どぼん、という(海に落ちた)音が忘れられない」とおっしゃっていたのがとりわけ印象的で、そこから物語が一気に起ち上がりました。

必然的に終戦直後の比重があがり、群青と赤城の絆が育まれていく過程を十分に書けたと思います。

衣食住もままならない中での「人間らしさ」とは

「現代の少し前の時代である昭和」を舞台に物語を書くことには、どんなご苦労がありましたか。

私自身が昭和四十年代生まれなので割と昭和の感覚は身になじんでいる方ですが、登場人物の立ち居振る舞いや言葉遣いなどは、昭和二、三十年代に書かれた小説や映画を参考にしました。九段下の昭和館でアーカイブのニュース映像を見たり。日活の大衆映画は当時の若者の美意識が如実に出ると思うので見てよかった。遼子は「嵐を呼ぶ男」の北原三枝さんに影響を受けていますね。

登場人物たちは今とは異なる「時代の価値観」で生きてますから、ジェンダーや倫理観などにおいて読み手が違和感を覚えるところもあるだろう、あって当たり前のものとして、あえて忖度はしない。とはいえ、読むのは現代の人たち、というところで表現の匙加減にはこだわりました。地味に苦労したのは「今のひとたちがよく知るものでもこの時代は微妙にちがう」というところで、当時はまだない製品や言い回しなどの言い換えにも気を遣いました。

引揚港博多にも行きました。港から駅までの道のりを、赤城と群青それぞれになりきって歩いたのは思い出深いです。

主人公の群青と赤城が打ち込む仕事を「石鹸製造」にしたのはなぜですか。

やはり終戦直後という時代背景からではないかと。群青自身も引揚者で、戦災孤児や復員兵が出てきますが、食べるので精一杯だった時代、彼らにとって清潔になるというのは人間らしさを取り戻すということでもあり、それを起業のきっかけとするのは自然だし、その過程も踏まえてテーマにふさわしいと思いました。

当初の予定では「ドロドロの復讐劇」

群青と赤城、二人の主人公の人物像はスムーズに決まったのでしょうか。また、執筆していくうちに二人が成長・変化したと感じる部分はありますか。

仇かもしれない相手と義兄弟になる、そうならずにはいられなくなる相手とは? を考えた時に、赤城の造形はできたのですが、どうにも侠気があって、私が思っていた以上に群青がなついてしまったので、当初予定してた「ドロドロの復讐劇」は早々に捨てました。無理に方向修正しようとするとキャラから「俺はそんなこと言わない」とNGを出されるので、ふたりの人間性ありきで舵をまかせることにしました。

成長&変化したのはやはり群青ですね。特に相剋編のガラリと大人びて登場するところ。青臭かった群青が、得体の知れない男として登場できるくらいには人間性の幅が広がったので、ギャップの部分も書いていて面白かったです。

群青と赤城の名前には「青」「赤」という正反対の色の名前が入っています。これは何かを託して命名されたのですか。

わかりやすく青コーナーと赤コーナーですよね。リングの上に立つ。相剋編での対立がまさにそれです。

群青の青は夜明け前の空。冒頭出てくる「海」の象徴でもある。赤城の赤は荒野。昔、カンボジアに行った時、赤く乾いた大地の色が印象深かったので。荒野は終戦直後の焼け野原のイメージでもありますが、ふたりそろって乾ききった大地の夜明けです。

「悪い人になって」考える

群青と赤城の脇を固めるキャラクターたちも非常に個性的です。彼らの人物造形にはどんな思いを込められましたか。

ヒーロー物のように特技を持った仲間がひとりひとり集まってきて「ありあけ石鹸」を作る流れにしたかった。赤城と近江はバディーで、群青と勅使河原は師弟といった関係性も意識しました。あとは群青たちバラックの家族。見知らぬ同士が擬似家族になるにあたって、真ん中にいたのが実は佳世子で、彼女はありあけの母であり、ありあけの客層となる主婦でもある。何役も担ってもらいました。

抜群に楽しかったのはやはりリョウ。相剋編のリョウは我ながらかっこよく書けたと思ってます。ハードボイルド風な場面も書けて満足です。

やや苦労したのは東海林ですが、振り返ると私自身を仮託できる人でした。あと黒田。敵役なんですが、さじ加減を間違えると、すぐにどこかで見たことのある感じになってしまうので、奥行きを出すため、試行錯誤しました。

書いて好きになったのはアゴ。「不忍池の人食いワニ」のヤバさが相剋編で生きてくるところは書いててスカッとしました。

嫌いなキャラはいないですね。小悪党も含めて、みんないい。

前編である「相剋編」は、集英社の読書情報誌『青春と読書』で連載されていましたが、「相剋編」で描かれた物語の着地点はいつ頃から決まっていたのですか。

相剋編は「群青と赤城の対決」でしたが、大まかな方向性は決めていたものの、具体的にどこを落としどころにするかは、締切三週間前まで悩みました。担当さんに近所まで来てもらって熱くブレストしましたね。焼き鳥食べながら。ただ終章手前の展開は担当さんにも告げてなかったので驚いてもらえました。力技になりそうな部分も設定自体が解決してくれたので物語の底力を感じました。

執筆中、もっともご苦労されたのはどんな点ですか。

「昭和三十年代の製造業」を描くこと。これに尽きます。

消費財メーカーの友が力になってくれて、それがなければ書けなかったと思います。友は洗剤工場の現場にも長く携わっていた人で、一緒に知恵をしぼってくれました。すごく真面目な友人なんですが、どういう不正をどうやらかすか、みたいなのを「悪い人になって」考えてもらったりして、ちょっと罪悪感がありました(笑)

彼らの夜明けを見届けてもらえたら

桑原先生としては、この作品を特にどんな方に読んでほしいとお考えですか。

どんな方にでも読んでほしいです。

少し心が渇いたなと感じる方、デジタルに疲れアナログな手触りに飢えてる方、せわしい日々の生活の中で自分に戻る時間がほしい方、通勤通学病院の待ち時間を埋めたい方、昭和の空気に浸りたい方、心躍る物語に没入したい方、汗かいて格闘した人たちの息づかいに触れたい方、こういう作品からしか得られない栄養を摂取したい方、明日がんばるための心の糧を補給したい方……、どんな方にでも読んでほしいです。

読者へのメッセージをお願いします。

終戦直後からの昭和三十年代は、あまりなじみがないと感じる方も多いと思いますが、今と地続きの時代に生きてる人たちのドラマとして読んでもらえるかと思います。

群青と赤城の生き抜く様は、決して過ぎ去った時代のモノクロ写真ではなく、今も鮮やかに躍動するリアルそのものだと感じながら、書きました。

彼らの夜明けを見届けてもらえたらうれしいです。

―取材・構成:増田恵子 オレンジ文庫編集部