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時をかける眼鏡 王の決意と家臣の初恋 SHORT STORY

 『姫様のお願い』 椹野 道流

ポートギース王国の王女・キャスリーンが、突然「お菓子作りを教えてほしい」と遊馬に言い始めた。彼女の思惑とは?
『姫様のお願い』
「ねえ、アスマ!」
 ポートギース城の廊下で突然背後から呼びかけられて、遊馬は大量の書類を抱えたまま振り返った。
 案の定、そこにいたのはキャスリーン王女である。
「どうしました?」
「今、暇? 暇よね?」
 ワクワクした顔で距離を詰めてくるキャスリーンに、遊馬は呆れ顔で言い返す。
「この姿を見て、どうしたら暇だと思えるのか謎過ぎるんですけど」
「紙を運んでるだけでしょ?」
「ただの紙じゃありません。書類ですよ」
「でも、運んでるだけでしょ?」
「うっ……それだって大事な仕事ですし!」
 痛いところを突かれた遊馬は顰めっ面で言い返したが、キャスリーンは笑顔で、そんな遊馬から書類をほんの十枚ほど奪い取った。
「あっ、ちょ、ちょっと」
「ありがたくも、王女が手伝ってあげるって言ってるの。もっと喜びなさい」
 キャスリーンは恩着せがましくそう言って、ちょんと顎を反らしてふんぞり返った。生意気盛りの十二才は、小憎らしいが、決して本当に憎めはしない天性の愛嬌を供えている。
「それ言うなら、半分、いやせめて三分の一くらいは持ってほしいんですけど。……まあいいや、とにかく書類を奥方様に急いで届けなきゃいけないので、歩きながら聞きますよ。何のご用ですか?」
 遊馬が訊ねると、キャスリーンは遊馬と並んで、独特の子鹿が跳ねるような足取りで歩きながらこう言った。
「アスマ、料理が得意なんですって? マージョリーに聞いたわ」
「またマージョリーは、そんな余計なことを! 僕、料理上手なわけじゃないですよ」
「でも、料理をするんでしょ?」
「それは、まあ」
 遊馬が曖昧に頷くと、キャスリーンは満足げに頷いた。
「だったら、十分に料理上手ってことじゃない? だってポートギースじゃ、料理人以外は、男の人は滅多に料理をしないのよ。たまに趣味でやる人はいるけど」
「へえ。じゃあ、ジョアン陛下も?」
「しないわ」
「そうなんだ。意外と『男子厨房に入らず』なんですね」
「何それ?」
「こっちの話。僕のいた世界……じゃなかった、国でも昔はそうだったらしいですよ。今だって、『料理男子』なんてヘンテコな言葉で表現されたりするくらいですけど、でも、毎日の食事を自分で作る男の人も多いです」
「ふうん。面白い国から来たのね、アスマは」
「ええ、まあ。それで?」
 遊馬が重ねて用向きを訊ねると、キャスリーンはこんなことを言い出した。
「私に、教えて。何か凄く美味しいお菓子の作り方!」
「は?」
「お菓子だってば。今、ここにいる料理番って、お菓子は全然得意じゃないのよ。果物を煮るくらいしかできないの」
「……ああ」
 日々の食事にたまにつくデザートといえば、確かにリンゴの甘煮ばかりだ。遊馬の相づちに、キャスリーンは「そうでしょ!」と語気を強めた。
「だけどマーキスにいるときは、色んなお菓子を食べさせてもらったわ。こう、生地を編んで綺麗に焼き上げたパイとか、宝石みたいな砂糖菓子とか、甘い砂糖衣をかけたパンとか」
「ああ、そういうのが恋しくなったんですか?」
「私がじゃないわよ。ううん、勿論私だってちょっとくらいは恋しいけど」
 口ごもるキャスリーンの顔を、遊馬は不思議そうに覗き込む。
「姫様じゃなければ、誰の話ですか?」
「ヴィクトリアよ」
「……ああ!」
「あんなに贅沢なご飯や美味しいお菓子を食べて育ったのに、ここに来てからは、粗末なご飯に、煮たリンゴばっかり。それなのに、文句一つ言わないでしょ」
「ヴィクトリアさ……奥方様は、そんなことに文句を言う人じゃないですよ。覚悟を決めて、ここに来たんですから」
 遊馬は重い書類をよいしょと抱え直して、キャスリーンに笑顔を向けた。だがキャスリーンは、難しい顔で前を向いたまま口を開く。
「黙って我慢する人こそ、ほっといちゃいけないと思うんだけど」
「!」
 思いがけない言葉に、遊馬は驚いて足を止める。三歩ほど進んでから振り返ったキャスリーンは、訝しげに遊馬を見た。
「何よ? どうしたの?」
「……いえ、姫様があんまり立派なことを言うので、ビックリしちゃいました。そんな風に奥方様を思いやっていたなんて」
 遊馬のストレートな驚きに、キャスリーンは照れ臭そうに顔をくちゃっとしかめた。
「このくらいで、思いやったなんて言わないで。国王になるなら、国民みんなのことを思わなきゃいけないのよ。まずは、自分の周りの人のことをちゃんと考えられないと……って、フランシス伯父上が」
「……なるほど。姫様は、マーキスで色んなことを学ばれたんですね」
「そうよ! 学んだことを、ちゃんとここで生かさなきゃ。まずは身内からよ。だから、お願い、アスマ。ヴィクトリアが喜んでくれるようなお菓子を、作ってあげたいの」
 なるほどと感銘を受けたものの、遊馬も料理のエキスパートというわけではない。
 うーんとしばらく悩んでから、彼は再び歩き出した。
「ね、何か思いついた?」
「贅沢なお菓子ではないですけど、僕の母が子供の頃に作ってくれたおやつで、ここでも作れそうな奴をひとつ、思い出しました」
「ホント? どんなの?」
「リンゴのドーナツ」
「どー……なつ?」
「リンゴなら、売るほどありますからね。リンゴの皮を剥いて芯を抜いて、小麦粉と泡立てた卵白と合わせて作った衣をつけて、油で揚げて……」
 キャスリーンは、茶色い柴犬を思わせる目を輝かせる。
「美味しそう! それで?」
「グラニュー糖……なんでないので、そうだな、はちみつを少しかけて食べるってのは、どうでしょう」
 話を聞いているだけなのに、食べ盛りの少女の喉がごくんと鳴る。どうやら遊馬のアイデアは、ずいぶん魅力的に受け取られたようだ。
「この書類を届けたらちょっと時間ができると思いますから……料理番さんに厨房の片隅を借りて、作ってみましょうか」
「うん! 今から作れば、お茶の時間に間に合うわ。やった、そうと決まれば、さっさと届けるわよ、こんなもの」
 大事な書類をこんなもの呼ばわりして、キャスリーンはダッと走り出す。
「ちょっと姫様! 廊下は走らない! フランシスさんに告げ口しますよ」
 小言を言っているのに顔は笑ってしまいながら、遊馬は自分も小走りでキャスリーンを追いかけた……。