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『夜の緊急召集』

キャスリーンがヴィクトリアのために仕立てたウェディングドレス。
その影にはこんな苦労が…。

時をかける眼鏡 椹野 道流

『夜の緊急召集』

「アスマ、葱は切れたか?」
「はーい、持っていきます!」
 端材で作ったまな板を手にやってきた遊馬は、暖炉の火にかけた大鍋の中に、輪切りにした太い葱を入れた。
 師匠のクリストファーは、遊馬が知っているのよりずっと葉が硬く、縮れたようになっているキャベツを手で一口大にちぎっては、鍋に投入している。
 二人が作っているのは、今日の夕食になる具だくさんのスープだ。
 遊馬としては、汁物というのはご飯とおかずに添えるものというイメージだったが、この時代の庶民の食事は、だいたい一品、つまり一皿で完結してしまう。
 今日の夕食も、具だくさんのスープに、小麦粉とハーブをこねて作った団子を投入し、すいとんのようにして食べる予定だ。
 鍋には葱の他にも塩漬け豚と平たい茶色の乾燥豆が入っていて、グツグツと煮えていい匂いを漂わせている。
 素朴だが、栄養たっぷりの美味しいスープに仕上がる予定だ。
 あの「妖精の涙」を巡る冒険が終わって以来、それなりに穏やかな日々が数日あったものの、今度はポートギースに戻るための準備で忙しくなり、この数日は、小屋で料理をする余裕などなく、ずっと城の食堂で三食済ませていた。
 しかし今夜は少し時間がありそうなので、久々に作りたて熱々の食事を食べようということになったのだ。
「団子、もう練っちゃいましょうか」
「そうだな、そろそろいいだろう。水を多めにして、ゆるい生地を練ってくれ。スプーンですくって落とすくらいだ」
「わかりました。ハーブは?」
「干したセージがまだあったんじゃないか?」
「見てみます。なかったら、適当に入れますね」
 そう言って、小屋の片隅の、台所とも呼べないような小さなスペースに小麦粉と乾燥ハーブを取りにいこうとした遊馬は、扉をノックする音に立ち止まった。
 扉越しに誰何すると、相手は伝令を名乗る。遊馬は慌てて扉を開けた。
 実際、扉の外には、城内で連絡役を担っている、軽装の少年が立っていた。
 用件を聞き、お駄賃にリンゴを一つあげて送り返してから、遊馬は大急ぎでクリストファーのもとに戻った。
「クリスさん、お城から呼び出しです!」
 キャベツをちぎり終え、呑気に鍋の中味を掻き回していたクリストファーは、それを聞くなり顔色を変えた。
「何だと?」
「ロデリックさん直々のお呼び出し、しかも二人揃って大至急で居室までって」
「何が起こったんだ」
「わかりませんけど、とにかく」
「うむ。飯を食っている場合ではなくなったな。アスマ、すぐ支度を」
「わかりましたっ!」
 登城用の一張羅に着替えるべく、遊馬は寝室へ向かう。
「いったい、今度は何が起こったというんだ」
 クリストファーは険しい顔で、重い鍋を楽々と火から下ろし、急いで身支度に取りかかった……。

「……は?」
 息を切らして国王居室に駆け込んだクリストファーと遊馬の口から同時に発せられたのは、そんな間抜けな声だった。
 国王のものにしては質素すぎる居室には、国王ロデリック、宰相フランシス、それにキャスリーン王女が顔を揃えていた。
 しかも彼らは丸いテーブルを囲んで座り、軽く前屈みになって、せっせと手を動かしているのである。
 テーブルを覆っているのは、純白の布……いや、ドレスだ。
 遊馬がそれに気付くのとほぼ同時に、ロデリックは渋い顔で二人を手招きした。
「さようなところで突っ立っておらずに、早う加わらぬか。そなたらの席は空けてあるのだぞ」
 確かに、丸テーブルの周囲には、誰も座っていない椅子が二脚ある。どうやらそれは、遊馬とクリストファーのためのものらしい。
「……陛下、これはいったい」
 軽く放心していたクリストファーがおずおずと訊ねると、キャスリーンが振り向き、抜群の笑顔で代わりに答えた。
「お裁縫よ! みんなでやれば、早く終わるんだから、あんたたちも早く来て」
「姫。……もしやそれは、ヴィクトリア様の婚礼衣装でありますか? よもや、皆様で裁縫を? 我等をお召しになったのは……」
 国王と宰相の手に細い縫い針を見てとり、クリストファーはますます驚きの表情になる。
 キャスリーンのほうは、当たり前と言いたげな顔つきで答えた。
「そうよ。ドレスのスカート部分にちっちゃい真珠を縫い付ける作業が、やってもやっても終わらないの。でね、どうせなら私たちみんなで仕上げたほうが、ヴィクトリアも喜んでくれるんじゃないかって思いついたのよ! 名案でしょ?」
「そ、それで、ご多忙な陛下と宰相殿下にこのような……」
 クリストファーがキャスリーンを叱責しそうな気配を感じて、遊馬は慌てて会話に割って入った。
「確かに、名案ですね! お兄さんたちがドレス作りに加わってくれたって知ったら、きっと奥方様、喜ばれますよ」
「おい、アスマ!」
 クリストファーは顔を引きつらせたが、キャスリーンは我が意を得たりとますます笑みを深くした。
「でしょ! やっぱりアスマはわかってるわ。ほら見て、フランシス伯父上は、とっても手先が器用なのよ。女官の誰よりも上手」
「さようなことで褒められても、如何なる顔をすればよいのかわからぬが」
 フランシスは渋い顔で、それでも少しも手を休めない。勤勉なのは、宰相の職務においても、こういう手仕事においても、まったく変わりないらしい。
 ロデリックに剣呑な視線で「早く席に着け」と促され、クリストファーと遊馬も、幾分気抜けしつつ、作業の輪に加わった。
「この小さな箱に、小粒の真珠に穴を開けたのが入ってるから、それを一つずつ……ほら、布に薄く印が入ってるでしょ? そこに縫い付けていってね。ただし、緩めに」
 キャスリーンは二人に縫い針を渡し、テキパキと作業内容を指示する。
 小指の頭ほどの小粒な真珠を一つずつ縫い付けていくのは、実に細やかで注意のいる作業だ。布地が薄くて繊細なので、あまり強く縫い付けすぎると、布地自体を傷めてしまう。
「あー、僕、ここに来てから靴下の繕いは嫌ってほどやってますけど、こういうちゃんとしたお裁縫は高校の授業以来だな……」
 そんな遊馬の戸惑いがちな呟きに、キャスリーンは小首を傾げる。
「コウコウ? 何?」
「あっ、いえ、子供の頃以来だなって。上手く出来るかな……」
「大丈夫だってば! こんなにいっぱいつけるんだもの、少しくらい不出来なのがあっても目立たないわ」
「それもそうか。……じゃあ、頑張ります。ほら、クリスさんも」
 遊馬は覚悟を決め、縫い針に糸を通して真珠を手にする。
「うう……俺は、こういうちまちました仕事は、どうにも苦手なんだがな……」
 クリストファーも、太い指でおっかなびっくりに針を持ち、意外と手際のいい弟子に驚きの目を見張りつつ、大きな背中を丸めて作業を始めた。
 しばらく一同は無言で手を動かしていたが、やがて口を開いたのは、やはりキャスリーンだった。
「ねえ。ここにいるのは私以外男の人ばっかりだから、知らないのかもしれないけど」
「……何だ?」
 ロデリックは、針の先で指を突き、小さく舌打ちしてから姪っ子の言葉に応じた。
 ただでさえ陰鬱な顔の王が、顰めっ面で小さな傷を負った指をくわえている姿は実に滑稽なのだが、本人はそんなことに気付く様子もない。
 キャスリーンも明らかに笑いをこらえている微妙な表情でこう言った。
「こうしてみんなでお裁縫をしているときは、面白いお話をお互いに披露して、みんなが楽しく手仕事を続けられるようにするものだって、女官長が教えてくれたわ。女官たちはみんな、そういうときのためのちょっとした話を、たくさん持ってるのよ」
 遊馬はそれを聞いて、感心したように「へえ」と言った。
「それ、楽しそうだな。明るい百物語って感じで。この作業、いつまで続けるつもりか知りませんけど、確かにお喋りしたほうが気が紛れそう。……でも、どんな話を?」
「なんでもいいのよ。女官たちの話は、たいていちょっとだけろくでもない噂」
「たとえば?」
「たとえば……そうねえ。フランシス伯父上に浮いた噂がないのは、お顔があんまり美しすぎて相手がくすんでしまうから、どんな令嬢もお隣に立つのを嫌がるからだ、とか」
「……馬鹿馬鹿しいことを」
 フランシスは呆れ顔で吐き捨てたが、その、確かに遊馬の世界では「美しすぎる宰相」とでも表現されそうな整った顔には、まんざらでもないとでかでかと書かれている。
 遊馬は、片手を口元に当てて笑いをこらえながら、「他には?」と訊ねた。
「んー。あとは、ロデリック伯父上がたまに真夜中、お城の裏の畑に燭台片手に立っておられることがあるって。あれは虫を集めてるって噂だとか……伯父上、それは本当ですか?」
「まさか、さようなことは!」
 フランシスは即座に打ち消そうとしたが、ロデリックは平然として肯定する。
「まことだ」
「兄上!」
「さすがに今の季節に虫はおらぬが、春から夏にかけては、野菜の葉にイモムシがつく。それを育てて蝶やら蛾やらにするのが、わたしのささやかな楽しみでな」
「あ……兄上……。国王御みずからさようなことを」
 フランシスはさすがに渋面になり、針を持ったままの手で器用に眉間を押さえたが、ロデリックは涼しい顔で言い返した。
「城下に行くとなればいささか不都合もあろうが、城内ならば構うまい。その程度の息抜きは許せ」
「……お気持ちはわかりますが、城内とて、無法者が忍び込む可能性は皆無ではござりませぬ。どうしてもと仰せならば、次回よりはわたしにお供をお申し付けくださりませ」
「お前もイモムシを捕るのか?」
「それは御免被ります。兄上のために、灯りをお持ち致しましょう」
「ああ、それは助かる。春が来たら、頼むとしよう。お前となら、採取もいっそう楽しかろう」
 本当に嬉しそうに痩せた顔をほころばせ、ロデリックは新しい真珠に手を伸ばした。
 フランシスは、実に複雑な顔でそんな兄を見ていたが、やがてボソリと「わたしも楽しみです」と応じる。
 自分たちはポートギースに戻ってしまうので実際に見ることはできないだろうが、深夜の畑で、国王と宰相が小さな灯りを手にイモムシを捜す光景を想像して、遊馬とクリストファーはついにこらえきれず同時に噴き出したのだった……。