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小説家・裏雅の気ままな探偵稼業 SHORT STORY

 『醜い女』 丸木 文華

小説執筆のため逗留した田舎の宿で、裏雅は……!?
『醜い女』
 「それでは、女の中で最も醜い者を呼んでください」
宿の亭主はキョトンとした顔をして、聞き間違いかと思ったか、「すみません、今一度」と愛想笑いで聞き返してくる。
 裏雅は執筆の際、本郷の家を出て適当な温泉宿へ入りしばらく過ごすのがお決まりだったが、今回はかなり田舎の、俗悪な土地柄の宿を選んでいたようで、逗留を始めて数日経つが、毎晩亭主が「芸者を呼びませんか」とうるさい。
 これには些か閉口し、一度呼べば黙るだろうと考えて女の注文をつけたのだが、あまり一般的ではない内容だったらしく、再度同じことを口にしても目を丸くして承服しかねる様子である。
 「別に歌や踊りや三味線が上手くなくてもよいのです。ただ、僕の要望はひとつです。醜い女をお願いします」
 「はあ、しかし、本当にそれでよろしいので」
 「はい。お願いします」
 何度も確認されて面倒臭さが顔に出たのか、ここで引かれては大変と亭主はハイハイと笑みを作って部屋を出て行った。
 まったく、男が誰でも毎晩女を欲しがっていると思ったら大間違いである。この男らしさの欠片もない風貌を見ればわかりそうなものだが、毎日部屋に籠もって書き物をしている鬱憤が溜まっているだろうとでも推察したのだろうか。
 しばらくして、女がやって来た。失礼しますと引き戸を開け、畳に白魚のような手をつき、深々と下げた束髪の頭を持ち上げたとき、雅は失望のため息を落とした。
 「これはこれは……がっかりですね」
 「え……。な、何か失礼を?」
 「あなたはちっとも醜くないじゃありませんか。それどころか美しい。この土地では、あなたのような美人を醜いと呼ぶほど、天女のような女性ばかりなのですか」
 女は白粉を塗った白い顔を俯けて、何と答えたらよいのかわからぬ様子で黙り込む。
 亭主は、雅の言を冗談だと捉えたのだろうか。娘をひと目見て、他の事情を察したものの、ひどく興ざめである。しかし、この娘に罪はない。十七、八の品のある顔立ちのたおやかな美人だ。
 娘はこのまま黙っていても埒が明かないと心を決めたか、おずおずと口を開いた。
 「お話は伺っております。旦那様は、少し変わったご趣味のようで」
 「別に、趣味というわけじゃないのです。僕はただ、話を聞きたかっただけなんですよ」
 「話を?」
 娘は怪訝な顔つきだ。そう、雅は別段顔の整っていない女を好むというわけではなく、そういった境遇の女の話を聞いてみたかったのである。
 「あなた方は様々な客の相手をするでしょう。まあ、男の美しい女への対応なら大体想像がつきます。しかし、とてもそうは言えない女の場合、きっと嫌な目や思いもかけない場面に遭遇するかもしれません。僕はそういう少し変わった話を聞いてみたかったのですよ」
 「まあ……。そうでしたか」
 娘はみずみずしい目を瞠って、どこかほっとした表情で頬を緩める。
 「話を聞きたいということでしたら、そういったことの得意な者を呼びますけれど」
 「いいえ、あなたで構いませんよ。何やら複雑な事情がおありのようだし」
 雅の言葉に、え、と小さく声を漏らし、娘は硬直している。
 「あの、私は、別に」
 「だって、あなたはそもそも芸者じゃないでしょう」
 はっきりと断言すると、娘の細い喉が哀れに震えた。
 「白粉の塗り方も雑だし、何より指に撥だこがない。それにあなた、そんな上品な束髪の芸者がありますか。ここいらで見かけるそういった女たちは大体島田でしたよ。髪を結い直すのは間に合わなかったが、着付けだけはそれらしくしてもらったのがまた不釣合いで奇妙です。少しお粗末な変装ではないですか」
 滔々と述べると、娘はすっかり項垂れてほろほろと涙をこぼした。
 「申し訳ありません」
 「入れ替わったのでしょう。なぜですか」
 「醜い子を、と寄越されたのが、私の友人なのです。あの子は以前、お客さんにひどいことをされました。今回もきっとそうなのだろうと……」
 「なるほど。僕の注文の仕方がちょっといけなかったですね。あなたにも悪いことをしました」
 目当ての風変わりな話は聞けなかったが、芸者の替え玉などなかなかお目にかかれない。真珠姫へのよい土産話ができたと、雅はひとまず満足したのだった。