- 白井 愛
- かつては将来を期待された若手フィギュアスケーターだったが、高一になった今、不調に悩んでいる。スケートクラブでも「窓際」と呼ばれるグループに入れられてしまった。6年前に悠理と交わした“ある約束”を果たすために練習を続けるが、経済的な理由などから、スケートを続けることすら難しくなり……?
- 白井 華
- 愛の姉。昨シーズンで世界ジュニア二位に輝いた。しっかり者で、責任感が強い。美少女スケーターとしてテレビで紹介され、周期の期待も大きいが、華は自分のスケートに“致命的な欠点”があると自覚していて……?
- 佐藤悠理
- 愛が小学生のころ、カナダからやってきた帰国子女。同じリンクで滑っていたが、悠理のスケートはずば抜けて美しかった。
ある日を境に、突然リンクに来なくなってしまったのだが……。
『マスカレード・オン・アイス』は、フィギュアスケートがテーマ。読み進めるうちに、ペアのこと、ロシアのフィギュアスケートのことなど……日本にいる私たちには未知の領域のお話が展開していきます。そこで、今回は、ロシアのペアについて詳しい方々にインタビューをお願いしました。タマラ・モスクヴィナコーチと、川口悠子選手です。
4組の教え子ペアを五輪金メダリストへと導いた名コーチタマラ・モスクヴィナ氏
世界的に大変有名で力のあるコーチ。女子シングル選手時代には、世界で最初にビールマンスピンを披露し、ペアになってからは、アレクセイ・ミーシンとのモスクヴィナ&ミーシン組として、1969年世界選手権2位に。その後ペアのコーチとなり、これまでに4組の教え子ペアを、五輪金メダリストへと導く。選手時代のペアのパートナーのミーシンは、この20年ほど、エフゲニー・プルシェンコ選手のコーチをしている有名なコーチ。現在は、女子シングルの2015年世界チャンピオンであるエリザベータ・トゥクタミシェワ選手も指導している。
世界的なペアスケーター川口悠子選手
もともとは、日本の女子シングル選手として、ジュニアグランプリシリーズで優勝するなど活躍。ペアに憧れ、モスクヴィナコーチに「指導してほしい」と手紙を書き、コーチのいたアメリカ、そしてロシアへと拠点を移して、ペアを続ける。2006年春先に組んだアレクサンドル・スミルノフ選手とのペアでロシア代表となり、その後、国籍を日本からロシアに変えて、2010年バンクーバー五輪では4位入賞。そのほかにも、2009年と2010年世界選手権3位、2010年と2015年ヨーロッパ選手権優勝など、現在も、輝かしい成績を残し続けている。
▲ モスクヴィナコーチと川口&スミルノフ組モスクヴィナコーチと、川口&スミルノフ組。
モスクヴィナコーチは小柄な方ですが、とってもパワフル!
ある秋の朝、練習前に、モスクヴィナコーチと、コーチのご自宅に立ち寄ってくれた川口選手とに、Skypeを通じてお話をうかがいました。リンクの上でもリンクサイドでも元気に走り回っているモスクヴィナコーチは朝からお元気で、次から次へとお話ししてくださり、川口選手はそんなコーチのお話にうなずいたり苦笑したり……そうやってインタビューは進んでいきました。
読者の方にぜひ読んでほしい
- フィギュアスケートの「ペア」というカテゴリーを知るには……
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―ペアのスケートを観戦するときには、どんなことを意識したらいいでしょうか?
モスクヴィナ
ペアを見たことのない方々の中にも、音楽や文化、モード(流行)、劇場、スポーツが好きな方はいらっしゃるんじゃないでしょうか。ペアの中には、それがすべて含まれています。
また、フィギュアスケートには、スケートにしかない動きやバレエの要素、民族舞踊もありますし、様々なジャンルの美しい音楽を聴くことができます。若く美しい男女が、体の線が見える衣装を着ていますから、衣装を含めて、体の動きの美しさも楽しめますし、振付師がつくったプログラムの物語を想像することもできますね。
ほかにも、F1とか猛スピードで競いあうことが好きな方、ペアにもそういうスピード感がありますよ。リフトで女の子が持ち上げられたり、男の子が女の子をものすごいスピードで投げたりするので、ちゃんと着氷できるかなと思ったり。ぺアは、シングルよりアクロバティックな大技が多いことが魅力ですね。
とはいえ、好みは皆さんそれぞれですから、総合芸術を見る気持ちでいると楽しめると思います。フィギュアスケートには、速く、高くといったスポーツ要素もありますけれど、表情づくりや衣装、動き、自己アピール、困難を克服することなど、芸術的な部分も兼ね備えていますから。なかでもペアは、男女の息の合った演技、2人がひとつとなるユニゾンの美しさですね。いろいろなタイプのスケーターががんばっているのを見て、自分もがんばろうと思ってくれたらいいと思っています。―おススメのペアや、ペアの演技を教えてください。
川口
エカテリーナ・ゴルデーワ&セルゲイ・グリンコフ(旧ソ連、ロシアのペア。1988年と1994年五輪金メダリスト)の一糸乱れぬ、スピードのある軽やかな滑りが素晴らしいですね。それから、エレーナ・ベレズナヤ&アントン・シハルリドゼ(ロシアのペア。モスクヴィナコーチの教え子。2002年五輪金メダリスト)の2000年のカップ・オブ・ロシアのフリー『チャップリン・メドレー』が好きです。
モスクヴィナ
川口&スミルノフ。2人にはおもしろいプログラムがたくさんあって、特にエキシビジョンナンバーにはオリジナリティあふれる技がいくつも入っているんですよ。
それから名字をど忘れたんですけどすごくいいペアがいて……ああ、(ナタリヤ・)ミシュクテノク&(アルトゥール・)ドミトリエフ(モスクヴィナコーチの教え子。1992年五輪金メダリスト)! それから、ゴルデーワ&グリンコフね。(リュドミラ・)ベルソワ&(オレグ・)プロトポポフ(モスクヴィナコーチの夫のモスクヴィンコーチの教え子。1964年、1968年五輪金メダリスト)が五輪に出たときの演技も好きです。べレズナヤ&シハルリドゼ、(ジェイミー・)サレー&(デイヴィッド・)ペルティエ(2002年五輪金メダリスト)、イナ・キョウコ&ジョン・ジマーマン(モスクヴィナコーチの教え子。2002年世界選手権3位)。
今、名前を挙げたペアは、ただプログラムがおもしろいっていうだけでなく、プログラムに独創的なエレメンツが入っています。他の選手をマネするのではなく、独自性で際立っています。ソ連、ロシアのペアは、スポーツとして芸術として、高いレベルに達しましたね。川口&スミルノフ組 2015年グランプリシリーズのロステレコム(ロシア杯)の、川口&スミルノフ組。2位に輝きました。その後、エカテリンブルグで行われた2015年のロシア選手権でも迫真の演技で2位に!
- ペアスケーターとして……
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―ペアのパートナーと人生のパートナー、どちらを探すことの方がより難しいと思われますか?
モスクヴィナ
人生のパートナー、と言いたいところですけれど、ペアのパートナーを探す方が難しいと思いますよ。相手がどんなに素晴らしい人でも、ペアを組むことを考えると、男の子が女の子を投げたり持ち上げたりするので、少なくとも20~25センチの身長差が必要なんですね。身体的条件だけではなく、自分とほとんど同じジャンプが跳べる相手を探さないと。ジャンプはペアにとっても、重要なエレメンツですから。同じリンクで練習できる環境にあるかとか、2人の親御さんの許可があるかとかもね。
もっとも大事なことは、2人の相性とか、同じ目標を持って同じモチベーションを持って長く一緒にいられるかということ。まあこれは、人生のパートナーにおいても大事なことですね。だから、世界中を見渡してパートナーを探すことも少なくないし、それで見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。本当にペアのパートナー探しは難しいですね。―川口選手は、どちらが難しいと感じていますか?
川口
(苦笑いのあと)人生のパートナーの方が難しいです。
モスクヴィナ
誤解のないようにつけ加えると、私が『ペアのパートナーを見つける方が難しい』と言ったのは、私が、プロフェッショナルなペアのコーチだからです。私の仕事は、ペアで成功できる才能のある男女のスケーターを探して、ペアを組ませ、世界の舞台で結果を出すことですからね。スケート選手ではない方には、もちろん、人生のパートナーを探すことのほうが大切だと思いますよ。
―ペアの場合、1人が怪我をしたとき、練習はどうするのでしょうか?
川口
私たちの場合、どちらかが怪我をしているときでも、その間にもう片方の人はトレーニングできるようにコーチにしてもらっていました。パートナーがいないからこそ、自分の弱いところや足りないところを重点的に練習できたので、どちらかが怪我をしていても、時間を無駄にしてしまったっていう感じは今までなかったです。2年前(2013年秋)にサーシャ(アレクサンドルの愛称)が怪我したとき、1人の時間を使ってすごくたくさんスケーティングの練習ができたので、『今回、この課題があったから、サーシャが怪我してくれたんだな』って考えて練習しました。
―教え子の1人が怪我で練習に来られない時、モスクヴィナコーチはどんな指導をされていますか?
モスクヴィナ
パートナーが怪我をしたときは、別のことをするように、別のことで頭がいっぱいになるように指導します。
サーシャが怪我をしたときユウコに、大学の勉強や振付けのクラスを一生懸命やるようにアドバイスしました。それから、いろいろな人と会ったりする機会を作ったりもね。パートナーがいると、練習は楽しいんですよ。練習がうまくいくと、お互いに充実感を共有できるので。でも1人が怪我や病気になると、残された方は、パートナーがいつ戻ってくるのかと不安になりますね。以前は2人で楽しくやってうまくなっていたのに、1人で練習するのはつまらないし、1人の練習では(ペアとしての)技術が衰えていくので、気持ちが重くなってきます。そうやって、健康な選手の方も気持ちが落ちてくるので、落ち込まないようにとサポートします。怪我・病気をしたパートナーと交流するよう指導することもありますよ。たとえば、『ユウコ、サーシャに電話した? サーシャの具合はどう?』という感じで。ユウコが毎回私の言うとおりのことをしたわけではないですけれど、いずれにしてもコーチ陣は助言をしていました。
サーシャの怪我の時期は、本当に辛かったです。長かったですからね。ユウコには、『こういう時期は必ず終わる、サーシャの怪我は必ず治る』いうことと、どうやってパートナーをサポートしていくか、どうやってこの時期を乗り越えていくのか、ということを話しました。パートナーに大変なことが起きても、悩まないように、自分で自分の精神状態をコントロールできるように、私は指導しています。
- ロシアのフィギュアスケート事情
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―毎日、どのくらいの時間、どんな練習をしているのですか?
モスクヴィナ
ペアを組み始めた頃は新しい技などたくさんやることがあったので毎日2時間半~3時間ほど練習していましたし、夏にプログラムを作るときには3時間も4時間も氷上にいることもありますけど、普段は、時間を有効に使って体を疲れさせてしまわないようにしています。試合のない時期には休みは週1日で、月、火、木、金曜は1日2回、水、土曜は1日1回、それぞれ1時間くらいずつの氷上練習。試合を想定して、(すべてのエレメンツを入れて)プログラムを滑ったり、5、6分のウォームアップをやってから滑ったりすることもありますね。毎日、決まった量、時間の練習をするというのではないし、試合前の時期には、たくさん練習することよりも、集中した練習をすることの方が大切です。
オフの期間に2週間ほどの休みがあり、その間はまったく練習しないのですが、以前ユウコはずるいことをしたんですよ。休暇で日本に帰るときにスケート靴を一緒に持って帰って滑ったんです(笑)。でももう今は、休みの間はしっかり休んでいると思っています。みんな、心身ともに疲労をとる休みが必要ですから。川口
(笑)。氷上だけでなく、オフアイスでもいろいろなことに取り組んでいます。基礎体力づくりやバレエの基礎レッスン、ジョギングなど、自分が必要だと感じるときに必要な分、やっています。
―選手たちは、いつからペアやアイスダンスのカテゴリーに分けられるのですか?
モスクヴィナ
ロシアでは、子どもたちは最初、男女一緒の10~15人くらいのグループで練習を始めます。中級、上級と上がっても、グループレッスンを行いますね。グループだとスケーター同士、お互いに切磋琢磨しますし、コーチもそこにいるスケーターがいい滑りをしたら、皆にお手本を示すことができますし、失敗したら、それを皆に説明することもできますから、グループレッスンは効果的なんです。ソ連時代も現在のロシアでも、レッスンは主にグループで行われています。選手たちがまだ小さい頃には、将来どのくらいの身長・体重になるのかまったくわかりませんので、皆、シングルスケーターとしてジャンプの練習をしていきます。
その後、シングルではいい成績を収められないかもしれないと思われた選手たちを、ペアやアイスダンスのコーチたちが、『ペア(アイスダンス)の可能性があるのではないか』と見ることもあります。『どの子とどの子を組ませようかしら』と、裏で考えていたりね。
でもそうやって考えていた子たちが必ずしもいいペアになるとは限りません。本人がペアの技を怖がったり、親御さんの意向があったりしますから。いいペアになるようにとジュニア時代から鍛えるんですけど、背が伸びすぎたり、2人の技術が揃わなくなってきたりして、その子たちがいいペアになるとは限らないんですよね。―スケーター、特にリフトで持ち上げられたりするペアの女子選手は、食事制限をしているのでしょうか?
モスクヴィナ
ペアの女の子は普通、食事制限をして体重管理をします。リフトやスロージャンプなどで、男の子の負担にならないようにね。
ですけれど、ユウコと私との戦いはまた別のもので、私はユウコに強制的に食べさせました(笑)。私が好きなケーキとか、ほかに何だっけ? (と、川口選手を見る。川口選手は苦笑い。)バターをたっぷり塗った黒パンとか、チーズのオープンサンドイッチ、サラミなどなど、ユウコはカロリーの高いものを何も食べないから、私たちは最初、戦っていたんですよ。『ユウコ、食べなさい、食べなさい!』って。あとになってわかったことですが、ユウコはきちんと自分の体重管理をしていたんです。とてもヘルシーな日本食を食べているんですよ。―スケートを続けていくのは、経済的にも楽なことではないそうですが、川口選手の場合、どんな風に費用をまかなっているのですか?
川口
ロシアで強化選手になると、スケート靴やエッジは支給されますし、コスチューム代やリンクの貸切り代金も出してもらっています。生活費については、ロシアの強化選手の場合、試合で勝ったりいい成績を収めていったりすれば(賞金もあって)それなりに収入があるし、アイスショーの出演費もあるから、やっていけるんじゃないでしょうか。その代わり、勝てなくなったらもうそれで……。
- 『マスカレード・オン・アイス』にまつわることなど
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―『マスカレード・オン・アイス』にも出てくるサンクト・ペテルブルグですが、川口選手は長いことサンクト・ペテルブルグにお住まいで、モスクヴィナコーチは、生まれも育ちもこちらという生粋のペテルブルグっ子、かつ、名誉市民でもいらっしゃるんですよね。そちらはどんな街なのでしょうか?
川口
ネヴァ河を中心に建設された街で、教会や宮殿、劇場、美術館、公園などの芸術作品に囲まれた街ですね。街自体はそれ程大きくないので、散歩しながらいろんなものを見ることができると思います。もう12年住んでいるんですけど、ここ5年ほどでお洒落なカフェやレストランが急増して、街全体が明るくなった気がします。
モスクヴィナ
ペテルブルグ! ペテルブルグのような素晴らしい街に住めるのは、私たちにとって大いなる幸せです。ソ連時代に国際試合で外国に出て、パリやドイツの村、そのほかにもいろいろな国に行きました。すべてが新鮮でしたけど、帰ってくるといつも『ペテルブルグはなんてきれいなの! なんて美しい建物ばかりなの!』と思ったのですよ。ピョートル大帝によって築かれた街は、すべての建物が美しいアンサンブルになるように計算されて作られているんです。それは、ここが帝政ロシアの首都だったからですよ。 2003年には建都300周年を迎えたので、大規模な修復作業が行われました。建物を塗り替えたり植樹したりして、街はさらに美しくなりました。
外国の人たちは、どれだけここが美しいか知らないんですよ。1990年代の話ですが、アメリカにいた私のところに(タチアナ・)タラソワが来て、お医者さんを呼ぶことになったんですけど、そのときそのアメリカ人のお医者さんに『すみません、ロシアに冷蔵庫はあるんですか?』って聞かれてびっくりしましたね。ロシアに対してそんなイメージを持っていたとは。
それに、(『マスカレード・オン・アイス』にも出てきた)メトロのエスカレーターはすごく速いですよ! ペテルブルグの地下には水脈が走っているので、メトロはその下に作らないといけない。それでエスカレーターが長くて速いんです。それに、ロシアのメトロの駅は美しい建築芸術でもあるので、私はペテルブルグに来る人に『メトロの駅めぐりをしてください』って言っているんですよ。―『マスカレード・オン・アイス』に、外国の皆さんに日本食をふるまうシーンが出てきますが、モスクヴィナコーチは、日本食を食べたことはありますか?
モスクヴィナ
日本食が好きで、いつも食べています。ペテルブルグにも日本食レストランがありますけれど、ユウコが味の違いを教えてくれたので、繊細な味つけの本物の日本食とそうでないものの違いがわかるようになりました。ユウコは、お寿司とか本物の日本食をごちそうしてくれますし、よくお菓子もつくってくれますね。
日本に行くといつも、日本の友達・知人と本場のレストランやカフェに行くんですよ。生きたままのエビも食べたことがありますよ。あれ、なんて言うんでしたっけ? 生きているのを、バッ! ってやって食べるもの。日本食で一番好きなのは、刺身ですね。毎回日本に行くたびに、味噌スープを買って帰ってきます。ロシアの日本食レストランでは、『お箸をください。フォークはいりません』って言うんですよ。―川口選手は、サンクト・ペテルブルグに12年間、その前にはアメリカにも住んでいらっしゃいましたが、海外生活をしている人にとっての日本食とは、どんなものだと感じていらっしゃいますか?
川口
海外で生活していると、日本の味を食べてホッとすることがありますね。最近は、こちらのスーパーでも日本の調味料、お菓子、日用品を見かけますし、以前ほど日本食に対する執着はなくなったとは感じています。とはいっても母に、月1回のペースでたくさんの日本のものが入った大きな箱を送ってもらっていて、今は化粧品や洗剤などで日本のものを使っています。限られた材料で日本の味になるように試行錯誤して料理するのも、ここでの生活の楽しみだと思っています。
- 読書について
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―川口選手は、普段、どんな本を読まれるのですか?
川口
本読むのは好きで、歴史小説、ジャンルで言うと歴史ロマンっていうのかな、歴史を背景にした小説が昔から好きですね。つい最近読んだ日本の本は、よしもとばななさんのものでした。特定の作家さんを意識しているのではなくて、空港で目についた本を買うことが多いです。それでおもしろかったら、その人の他の本を読んでみますね。
ロシア語で読むのだったら、探偵ものが好きです。ロシア語の本は、4、5年前から読むようになりました。ロシア語で本を読まないと自分のロシア語の言葉のパターンが決まってきてしまうし、読みだすとロシア語を話すのも少し楽になるんです。日本語の本を読んでいるときはロシア語が入ってきにくくなるから、自分の中に日本語が多いなって思うときは、がんばってロシア語で読むようにしています。ロシア語の本を読み続けて習慣になってくると、読むのがだんだん速くなってきて、今度はロシア語が多くなってくるので、そのあたりは調整しないとって思っています。―一原みう先生の小説も、これまで読んでいらっしゃると聞きました。
川口
一原先生の小説は、ペテルブルグやロシアが舞台になっているものが多いですよね。ペテルブルグが舞台になっていると、『あ、この通りのことかな?』とか想像できるから、現実味もあってとてもおもしろく読んでいます。
今回、『マスカレード・オン・アイス』も読ませていただきましたが、この小説を読むことで、日本のスケートファンや読者の皆さんに、ペア大国ロシアのスケート文化やサンクト・ペテルブルグを知っていただけたり、その美しさを肌で感じていただけたりしたらいいなと思います。それに、私たちのスケートがその助けになればいいな、とも強く願っています。モスクヴィナ
『マスカレード・オン・アイス』の話をしているのね。この小説について、私も話します。この小説は、フィギュアスケートについてだけの本ではありません。2人の少年少女の物語であり、異なる国籍、異なる文化を持つ人々の交流の物語です。現在では、外国に住んだり、外国の人と交流することも珍しくなくなって、人々は積極的に交流し合うようになりました。この本は、たとえば、日本人のユウコ、ロシア人のサーシャ、私のような、国籍の異なる人たちの交流、外国生活の苦労、様々な困難を克服する模様を描いています。スケーターは目標を達成するために、犠牲を払わなければなりません。人生の小さな苦楽を犠牲にして、先に進まねばならないことがあります。どんな人にも、どんな職業の人にも人生の目標はあるでしょう。その目標を達成する途中には、試練がふりかかることもあるでしょう。そういう方はこの本を読まれると、目標を達成する秘訣が、何かがつかめるかもしれませんよ。どうか物語を楽しんでください。
インタビュアー:長谷川仁美
フィギュアスケートファンの方々必読!
スケートに関してもっと突っ込んだインタビューの続きはコチラ!
さてこちらは、ペアや川口選手、モスクヴィナコーチについてもっと知りたい方向けの、ディープなインタビューとなっています。モスクヴィナコーチのマシンガントークと苦笑いしている川口選手の様子を想像しながらお楽しみください。
―モスクヴィナコーチが、ペアを始めた経緯をお聞かせください。
モスクヴィナ
私は、ソ連の女子シングルのチャンピオン(1962年~1966年までの5回連続)でした。当時のソ連ではペアはとても人気があって、(私のシングル時代、)素晴らしいペアが3組(ベルソワ&プロトポポフ、イリーナ・ロドニナ&アレクセイ・ウラノフ、ロドニナ&アレクサンドル・ザイツェフ)いたんです。私の夫でありコーチでもあったイゴール・モスクヴィンも、ペアの国内チャンピオンでした。そんなことから、ソ連時代、シングルスケーター同士がペアにトライするのは、ごく自然なことだったんです。
私の最初のパートナーは、ミーシンじゃないんですよ。ミーシンの前に、1人いたんです。アレクサンドル……アレクサンドル……アレクサンドル……(と一生懸命名前を思い出そうとして)アレクサンドル・ガヴリロフ! 彼はもともと、スタニスラフ・ジュクというとても有名なコーチの妹(タチアナ・ジュク)とペアを組んでいました。私と彼は数か月しかペアを組んでいません。彼にはすでに妻も子どももいたんですけど、その時、私たちはロシア代表になれなかった。それで彼が『タマラ、申し訳ないけど、僕はこれ以上スケートを続けられないんだ。(生活のために)コーチの仕事をするよ』と言ったんです。私はペアが気に入っていましたし続けたかったので、モスクヴィンコーチに相談しました。背が低いことと6種類のジャンプすべてが跳べた私を見て、身長がマッチして技術レベルも同じだったアレクセイ・ミーシンとのペアを、コーチが提案してくれたんです。
―ミーシンさんと初めて会ったとき、どんな印象を持ちましたか?
モスクヴィナ
グループで一緒に練習していたので、ミーシンのことは、ペアを組む前から知っていました。とても信頼できるスポーツマンで、素行もよく、教養がある人でした。だから、ペアを組むことになったときも、知らない人に対する気づまりや恐怖心というようなものはありませんでした。
トゥクタミシェワ選手とミーシンコーチ モスクヴィナコーチのかつてのペアのパートナー、アレクセイ・ミーシン氏。ミーシン氏は日本でも絶大な人気を誇るエフゲニー・プルシェンコ選手や2015年世界選手権優勝のエリザベータ・トゥクタミシェワ選手のコーチ。
―川口選手がペアを始めたきっかけは?
川口
シングルで練習していた(千葉県松戸市にあった)ダイエーのリンクで、井上怜奈さん(元全日本女子シングルチャンピオン。その後アメリカでジョン・ボールドウィンとペアを組み、全米選手権で2度優勝。アメリカ国籍に変えて出場した2010年五輪で7位入賞)と川崎由紀子さん(ロシア人のアレクセイ・ティホノフとの日本ペアで1993年NHK杯3位)、それにアレクセイ・ティホノフ(川崎さんとのペアの後、マリア・ペトロワと組んだペアで2000年世界選手権優勝、2002年五輪6位、2006年五輪5位入賞)がペアをやっていたのを見ていたのでペアが身近だったのと、『愛のアランフェス』(槇村さとる著。ペアの物語)と『アラベスク』(山岸凉子著。旧ソ連のバレエの物語)という漫画を読んで影響を受けて始めました。
―スミルノフ選手をパートナーにした決め手はどんなことでしたか?
川口
サーシャと組む前にアメリカ人のパートナーと滑っていたとき、サーシャはほかのパートナーと滑っていましたし、私のペアが解消して私がパートナーをさがしていたときもサーシャはまだその選手と滑っていたので、まさかサーシャがパートナーになるとは思っていませんでしたね。その後、サーシャもペアを解消してパートナーを探している、ということだったのと、(それまでなかなかパートナーがみつからなかったので)私にとっては最後のチャンスだと思ったこともあって、パートナーにした決め手などはまったくありませんでした。サーシャがトライアウトしてくれて一緒に滑ってくれたことがただ嬉しいっていう気持ちでした。その後、『パートナーとして滑ろう』っていう言葉もなく、ひたすら『この人はパートナーになってくれるのかな?』と思い続けながらここまできている状況です(笑)。
―旧ソ連時代は、外国とはどう交流されていましたか?
モスクヴィナ
当時、ソ連では外国に行くためのヴィザを取るのも大変でしたし、外国のコーチや選手とコンタクトを取ることもほとんどありませんでした。シェンゲン協定(ヨーロッパの提携国内では国境検査を不要とする協定)の締結後、ヨーロッパ方面のヴィザを取るのが楽になったので、外国選手やコーチたちと交流しやすくなって、外国人のパートナーを探すこともできるようになりました。ソ連時代は、別の国の選手とペアを組むことはとても珍しいことでしたね。
ユウコたちの前に、日本生まれでご両親の仕事の関係でアメリカに移り住んだキョウコ・イナとアメリカ生まれのジマーマンというペアを教えたことがあります。トレーニングを始めてすぐ、2人の違いを感じました。生まれ育ちによる性格や考え方の違いです。キョウコはアメリカ国籍で長いことアメリカで生活していましたけれど、彼女のメンタルにはどこか日本的な部分がありました。日本人は、義務をとても重んじていて感情を表に出さないし、目上の人を敬って、言われたことはしっかり守りますよね。ジマーマンはとてもいいスケーターでいい人でしたけど、そういうタイプではなかったので、2人が同じモチベーションで、一緒にトレーニングするのはなかなか難しかったです。
私たちコーチ陣は、時間をかけてこの2人を一致させなければならなかったんです。同じ動きができるように、2人とも同じ姿勢で練習に臨めるように、お互いを思いやって批判することがなく、現役のペア選手として長く続けていけるようにとね。これはコーチの課題ですね。コーチというのは、エレメンツだけでなく、ほかの人やパートナーへの接し方も指導するんですよ。
―川口選手が日本人であることで、なにかおもしろいエピソードなどありましたか?
モスクヴィナ
ユウコとのトレーニングは、最初から幸せな時間でしたよ(笑)。何時間練習しても、ユウコは何ひとつ文句を言わずに黙々と私からの課題をこなしていました。
最初は英語で指導していたんですけど、ユウコは何も反論せず、無駄なことも話さず……これは素晴らしいことではあるんですけど、少し問題でもありました。ペアでは、(スロージャンプのタイミングやリフトの手の位置などについて)練習中にパートナーが自分にとってあまり都合のよくないことをしたかもしれないので、そのたびにお互いに感じたことを言い合わないといけません。ですがユウコは感情をサーシャに伝えずに、コーチやパートナーの言うことをすべてそのままやっていたので、私は、日本人女性はあまり口答えしないものなのだと思っていました。ですのでユウコに言いたいことや提案したいこと、エレメンツやプログラムについての考えがあれば、必ず彼女の希望や知識を考慮して、ユウコを理解しようとしました。
いつだったか、サーシャが私のところに来て、『ユウコ、何にも話してくれないんですよ』って言ったので、『少しずつ歩みよっていけばいいじゃない』と伝えました。それから私は、2人の前でわざと忙しいふり、たとえば電話で話しているふりなんかをするようにしましたね。2人で会話せざるをえなくなりますから。そうやって2人が会話をするようになったんですよ。何語だったんだっけ? 英語?
川口
ロシア語です。
モスクヴィナ
そうね、2人はロシア語で会話していました。そうやって長~~い時間をかけて、2人は打ち解けて、お互いに理解しあえるようになったのです。
―モスクヴィナコーチは、ミーシンコーチと一緒に、フィギュアスケートの学校を作られたんですよね?
モスクヴィナ
そうなんですよ。(世界的に有名なコーチである)ミーシンと私への敬意、フィギュアスケートの伝統を存続させること、そしてペテルブルグの子どもたちに親世代が好きだったスポーツに触れる機会を与えたいという市の要望から、ペテルブルグ市の予算で創立されました。名前は「Звездный Лёд」(英語で「Ice Starsの意味)で、ユビレイヌィのリンクを使っています。次世代のスケーターを育成するための学校ですね。
この学校ではフィギュアスケートだけでなく、規律も学べます。自己犠牲の精神やモチベーション、目標に向かうこと、集団行動、スケートと学業の両立、礼儀正しさ、人前に立つときのふるまい方、語学、国際交流の方法、マナーなどを指導します。フィギュアスケートを習うことによってこれらのことが身につくのですから、日本の親御さんもぜひお子さんをこの学校に連れてきてください。募集は、秋です。まったくの初心者には有料レッスンがありますが、応募して審査に通ったスケート経験者の子どもたちのレッスンは、完全に無料です。
―日本のスケートファンへのメッセージをお願いします。
モスクヴィナ
コーチになって間もないころ教え子たちと日本の試合に行ったとき、日本の観客の多さやスケートファンの多さに本当に驚きましたよ。私たちは日本の試合に行くのが大好きなんです、だっていつも満席ですからね!これは、本当に選手たちを奮い立たせてくれるんですよ。
試合では、観客席も見ているんですよ。観客の皆さんがどんな風に試合を見ているのか、どんな顔で楽しんでいるのかを見るためにね。演技後に投げてくれるぬいぐるみやプレゼント、あれは応援してくださる方々の心だと感じています。選手の演技を見てどれだけ心を動かされたか、満足したか、という心です。そうやってプレゼントを投げてくださっている様子を見ると、本当にあたたかい気持ちになるんです。遠くから来ている人もいるでしょう。応援する選手にどんなプレゼントをしようかと時間をかけて考えて……ファンの皆さんからの贈り物には、皆さんの心が詰まっていると思います。
そんな皆さんに私たちができるのは、喜んでいただくための、ビジネス用語でいうところの『製品をつくる』ことです。もちろん、ユウコは『製品』ではないですよ。とっても賢くて、ハンサムなサーシャというパートナーと一緒に滑って、ペアの芸術を作っている女性です。ファンの皆さん、このペアの芸術を見て楽しんでください。そして、その芸術作品を見て、『タマラ、マラジェッツ(よくやったわ)』って思ってください。私もそう思いますから(笑)。
インタビュアー:長谷川仁美