第6回
タイトルの「かげろう堂」は、本作の舞台、東京の京橋(きょうばし)にある骨董品店の名前である。
主人公の二十四歳の青年・白澤(しらさわ)は、「かげろう」について「陽炎、蜃気楼の意味。あるいは一週間程度しか生きない短命な虫」と感じているが、この本に触れた読者もまた陽炎を見たときのような、視界のピントの揺らぎを感じるのではないだろうか。
この本は、一冊のなかに、中国の何千年もの歴史を漂わせているのだ。
とある一件から、かげろう堂でアルバイトとして働くことになった白澤。二十九歳という若さでかげろう堂の店主を務める心優しい黒岩(くろいわ)。母のようにみんなを見守りながら事務を担当する榛原(はいばら)。豪快でちゃっかりした一面も併せ持つ美術品のディーラー榊木(さかき)。
彼らが、それぞれの事情をかかえた店を訪れる客たちに伝える骨董品の知識は、作り手の技術だけでなく中国の歴史にまで広がっており、骨董品を通して広い視野を読者に与えてくれる。
小説の面白さはこういったところにもあると、私は思う。読者は、一冊の物語を通して、主人公の日々を追体験し、自分の知り得なかった世界や歴史に触れ、学ぶことができるのだ。
一括りに中国の骨董品といっても様々な種類があり、それぞれの時代背景や、骨董品がどんな想いで預けられ、譲られているのかということを知る。それは、まっさらな器の素地に色がのせられていくように、骨董品のイメージが変わる、鮮やかな学びである。
学びといえば、この物語のなかでもうひとつ大切な学びをもらった。骨董品に執着しているだけだと自分を卑下(ひげ)する白澤が、骨董好きの老人・門脇(かどわき)にもらった言葉にあった。何かに対して抱く「好き」に、理由や定義なんていらない。自分ではただの妄執(もうしゅう)だと思っていても、その何かに心を砕いている時点で「好き」なのだということ。
ソースは? 科学的根拠は? と問われがちな現代に、なんと心強いメッセージだろうか。
先に述べた「かげろう」には、蜻蛉――トンボの意味もあるらしい。トンボはベトナムでは、幸せを運ぶ虫。幸せを運ぶかげろう堂を描いたこの一冊は、私たちにも幸せを運んでくれる。