今回のお悩み
哲学者 エーリッヒ・フロムの「The Art of Loving」(和訳:愛するということ)を読んでから人の愛し方が分からなくなりました。「資本主義社会の現代では、恋人は人ではなく消費物として見られるようになり、そこに愛はなく物としての価値を見出しているにすぎない」的な内容と読み取りました。確かに、相手を恋人にするか、という判断は、ショーケースに並ぶ人間を品定めして、外見、容姿、性格、収入、価値観など、まるで欲しい物を購入しようか迷っているように思えます。結果、私も誰かを好きになる際に、相手を消費物として見ている気がして、人を好きになることに抵抗感を覚えてしまいました。さらに言うと、相手から告白されて、好意を向けられても、相手は私のステータスを見て好きになっている。と捻くれて考えるようになってしまいました。
そういう風な考え方を持ってしまった私はどうすればいいのでしょうか。
さっさと割り切って、消費物としての恋人を求め探すべきでしょうか。
それとも諦めずに、相手の本質を見て(そもそも人の本質がなんなのか定義する必要はありますが)恋人を探すべきでしょうか。
(鈴木大説 さん)
みなさんこんにちは、いぬじゅんです。
今回も皆様のお悩みにズバッと、時にはゆるっとお答えします。
「頭で考える恋は、決して愛へと成長しない」
「選択の果てに辿りついた恋は、選択されて終焉を迎える」
私は周りの人に比べ、恋愛に興味を持った時期が遅く、
「人を好きになるのってどういうことなんだろう?」
「そもそも、恋ってなに?」
と、自称『恋愛マスター』たちに質問ばかりしていました。
彼らは先輩風を吹かせ、「いいか、恋っていうのはな……」と得意げに教えてくれたものです。
その時は納得し、実践してみたりもしましたが、他人の教科書がすべて自分に当てはまるわけではありません。
結局、恋がどういうものなのかわからないまま、情報だけが蓄積されていきました。
相談者様も、ひとつの考えに縛られるのではなく、真逆の意見に耳を傾けてみるのはいかがでしょうか?
恋愛について語っている書籍はたくさんあります。
どれが正しいかを決めるのではなく、多種多様な意見の中からマイブックを作ってみることをおすすめします。
ちなみに、私が大恋愛に堕ちた時のことを書きますと、どんな名言も哲学でさえも太刀打ちできないほどの嵐が吹き、新しい世界が目の前に広がりました。
あまり考えすぎず自然体でいれば、マイブックを捨て去るほどの大恋愛があなたを待っているはず。
ラッキーアイテムは「フライパン」です☆(占い風に)
最後にお伝えします。
冒頭の名言っぽい文章は、さっき考えたオリジナルです。