今回のお悩み
私は少し前から自分の意見や意志がなくなったり他人に流されるようになってしまいました。昔はあまり他人の意見を気にしないタイプで「そうなんだ、私はこう思うになぁ」って思う程度だったり、はっきり自分の意見を伝え、否定されても気にしなかったし流されることもありませんでした。
でも最近では実際に経験したこと、実際に自分の目で見て耳で聞いたことでも「それは科学的に有り得ない」「それは事実だと思っているだけで嘘だよ」と大勢から言われるときっと私が間違ってるんだ……と思うようになってしまいました。
確かに私が見たり経験したことが全てというわけではないかもしれません。しかしこれがきっかけで「一般論とか固定概念が常に正しいわけではないなと思ってたけど、皆が言う一般論や多数意見のほうがきっと正解なんだ」と、まるで自分がない人間になってしまいました。
素直な人間になれて多数の人と同じ普通の考えになれて良かったんだと思いつつ、やっぱりモヤモヤしてしまうこともあります。私のこのモヤモヤについて、いぬじゅんさんはどう思いますか?
(ぴよぴよ さん)
みなさんこんにちは、いぬじゅんです。
今回も皆さんのお悩みにズバッと、時にはゆるっとお答えします!
若かりし頃、職場で挨拶をしてくれない上司Aさんがいました。
新入社員だった私はずっと疑問に思っていましたが、先輩から「Aさんはいろいろ大変なんだよ」「本当はやさしい人なんだよ」とよくわからない説明をされ、「挨拶をしないことと関係ないじゃないか」とさらに疑問が深まりました。
ある日の全体会議で「新人さんたち、なにかわからないことある?」と聞かれ、意気揚々と「Aさんは、どうして挨拶をしないのですかあ?(無邪気な声)」と尋ねてしまい、大騒動になってしまいました。
自分の言い方も悪かったと反省していますが、世の中にはいろんな考え方があると学ぶ一方で、この疑問を大切にしたいとも思いました。
「正しさの多様性」という言葉があります。
Aさんが思う真実と、Bさんが思う真実は違い、どちらも見方によっては正しいということです。
自分だけが正しいのではなく、相手だけが正しいのではない。
ぴよぴよさんのお悩みを読む限り、たとえ意見に流されても、自分が間違っていると思っても、実際は疑問を持っていますよね。
だからこそモヤモヤするし、違和感を覚えているのでしょう。
多数決で決まる世論にうなずいたとしても、流されたことになりません。
あなたが持つ正義を、あなただけは信じていきましょう。
そういう仲間は、ほらここにいますよ。