夕陽に立つ吸血鬼 最終回
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容疑
表に出ると、河辺みずほは足に力が入らず、よろけて転びそうになった。
「しっかりして!」
駆けつけて、みずほを支えたのは、〈M女子高〉の元校長、陣内広代だった。
「あ……。校長先生……」
みずほは頭を振って、
「すみません。ほとんど寝てないので……」
「ひどいわね、本当に! さあ、タクシーが待ってるから」
「お手数かけて……。でも、校長先生――」
「もう校長じゃないわよ。広代でいいわ」
「そんな……。もったいない……」
支えられながら、タクシーに乗ったみずほは、タクシーが動き出すより早く、眠ってしまった……。
「――可哀そうに」
みずほの頭を膝の上にのせて、広代は呟いた。
「あら、ケータイが」
広代のケータイが鳴った。しかし、その音ぐらいでは、みずほは全く目を覚まさなかった。
「――陣内でございます。――は? ――まあ、クロロックさん」
広代はホッとして、
「ええ、みずほさんが今、警察から。――そうなんです! ――はあ。でも、どうしてホテルに……」
広代は言われるままに、タクシーを都内のホテルへと向かわせた。
ロビーで待っていたクロロックは、眠っているみずほを軽々と抱いて、部屋へと運んだ。
みずほは全く目を覚まさず、ベッドで深い寝息をたてていた。
「ひどい話ですね」
と言ったのはエリカだった。
「本当に……」
と、広代はため息をついて、
「あの校舎から見付かった死体は、DNA鑑定で、やはり修学旅行のときいなくなった香山靖子さんだったと分かったのです」
「聞きました」
と、クロロックは肯いて、
「いたましいことだ」
「ところが、突然、刑事がみずほさんの所へやって来て、連行され、みずほさんは女生徒を殺しただろうと言って責められたのです」
と、広代は怒りで顔を紅潮させ、
「何の根拠もありません。香山さんは、検死の結果、首を絞められたということでしたが、その死体が保健室の中に隠してあったからといって、みずほさんを犯人と決めつけ……」
「何日も眠らせてもらえなかったのだろうな」
と、クロロックはベッドで深い眠りに落ちている河辺みずほを見て言った。
「でも、みずほさんは頑張って、絶対に殺したと認めなかったそうです。結局、みずほさんと殺人を結びつける証拠は一つもないのですから、警察も諦めて釈放せざるを得なかったのです」
「すばらしい意志の力だ」
と、クロロックは讃えて、
「それにしても妙だ。なぜ彼女を強引に引っ張って来て、犯人に仕立てようとしたのか」
「得をするのは、本当の犯人」
と、エリカが言った。
「その通りだ。これには何か裏の事情がありそうだ。そこをつつけば、何かが出て来る」
クロロックはそう言うと、
「ところで、あの校舎のあった土地はどうなっておるのかな?」
と、広代に訊いた。
「消滅した〈M女子高〉は、古い歴史のある学校だった。そのため、女子校としては校庭が広く、充分に正式なコースを作ることができます」
跡形もなくなって、ただの広い土地になった、元の〈M女子高〉の土地を見渡して、得意げに言ったのは、〈M女子高〉の教師だった小島吾郎だった。
「なるほど。校舎を作っても、なお充分な余裕があるというわけですな」
小島のそばに集まっていた七、八人の男たちは満足そうに肯いた。
「新たな学校として、認可されるのにも問題ない。ちゃんと手は打ってありますからね」
「初代校長が小島さんというのも決定済みでしょうな」
「いや、理事会が決めることですからな」
と、小島は笑って言った。
「理事会は我々だ。小島先生の志をよく理解しておりますよ」
「ありがたいことです」
小島は、笑顔になるのを抑え切れなかった。そして、
「期待に違わぬ名門校にして見せますよ」
と、小島は校庭に向けて両手を広げると、
「我が校は、『男らしい男』を育てるのです! 何よりまず肉体をきたえ、スポーツ万能の若者。政治だの社会だの、余計なことを考えず、親と教師に従順な若者こそ、我が校の理想です」
「全く同感です。生意気な理屈を言い出すような奴は即退学させればいい。今は女が大きな顔をしすぎとる」
と、どう見ても九十才近いかと思える男が言った。
「ご心配なく」
と、小島が肯いて、
「スポーツに熱中させておけば、つまらん考えなど起こりません。夜はくたびれて寝るだけ。それについて来れない落ちこぼれは、どんどん除外していきます」
「心強いお言葉だ。政府も正にそういう教育を望んでおるのです」
――校庭の土地は今、金網で囲まれていたが、その外で、男たちの話を聞いていたのはクロロックとエリカだった。
「――お父さん、今話してたの、現役の大臣だよ」
「そうだな。どうやら、〈M女子高〉が閉校になったのも、上の方の思惑があったのだな」
「でも、そのために人殺しまで?」
「香山靖子と谷崎ゆかりの会話を立ち聞きして、危ないと思ったのだろう。それはつまり、新学校の認可についても、相当な無理をしていて、調べれば容易に分かることだったのだろうな。それで口をふさぐしかなかった」
そのとき、話していた小島のケータイが鳴り出した。
「――誰だ?」
小島はいぶかしげに、
「もしもし? ――誰だ、そっちは?」
少し静かな間があって、
「先生。お久しぶりです」
と、女の声がした。
「誰だ?」
「分かりません? 憶えといて下さいよ、自分で絞め殺した子の声ぐらい」
「何だと? 悪ふざけもいい加減にしろ!」
と、小島は怒鳴って、通話を切った。
「失礼しました。今の若い子たちは、たちの悪いいたずらを考えるものですな」
小島はそう言って、
「では、今後のプロセスについて、皆様とご相談したいと思います。いいお店を取ってありますよ」
「料理だけかね?」
と、大臣が訊くと、小島は笑って、
「その後も、たっぷり味わっていただけるように、いい子を用意してあります」
と言った。
「さ、お車の方へ」
――待機していたのは、豪華なサロンカーで、車が走り出すと、たちまちアルコールを飲み始めて、「走る宴会場」の状態になったのだったが……。
「うむ……。何だ?」
小島が身動きして、
「どうなってる?」
と、車の中を見回した。
サロンカーには違いない。しかし、車は停まっていて、窓の外は真っ暗だ。
「――眠っていたのか?」
いつの間にか眠ってしまったらしい。
車内の明かりは点いているが、一緒のはずの大臣を始め、誰も乗っていない。
「こんな馬鹿な!」
こんなはずはない。
車は予約した料亭に向かっていたはずだ。しかし、外は真っ暗で何も見えない。
「おい、誰か――」
と、立ち上がった小島は、床が大きく揺れて、びっくりした。
「ワッ! どうなってる!」
あわてて座席の背につかまった。――ケータイが鳴る。急いで取り出すと、
「おい! 誰か助けてくれ! 車がどうかしてるんだ!」
と怒鳴った。
「――先生、怖いですか?」
「何だと?」
「私は苦しかったんですよ。先生に首を絞められたとき」
「お前は……」
「やっと分かりましたか。香山靖子です」
「くだらんいたずらはやめろ! お前は死んだはずだ!」
「ええ。ですから、もうじきお会いできますよ、こちら側の世界で」
「そんな……。俺をからかったって、俺は何ともないぞ。俺は力を持ってるんだ!」
と言いつつ、小島は汗がこめかみを伝い落ちていくのを感じていた。
「外をご覧なさい」
「外を? 真っ暗じゃないか」
窓の外が、急に白々と明るくなって来た。
そして――小島は目を疑った。
車は前方へ大きく傾いていた。その先には――とんでもなく深い谷が口を開けていた。
「おい! どうなってるんだ!」
小島が動くと、車はユラユラと揺れた。
「先生。その車は、崖から半分落ちそうになって、微妙なバランスを取ってるんです。バランスを失うと、谷底へ落下しますよ」
「そんな……。どうして俺を……」
「正直に白状してください。〈M女子高〉を潰すために、裏工作していたこと。その電話を修学旅行先で私に聞かれて、私を殺したこと……」
「何を言うか! 俺には――俺には政府のお偉方がついてるんだ! お前一人殺したぐらいが何だ!」
小島はかすれた声で叫んだ。
すると、突然車は普通に走り出した。
そして、社内には客たちが戻っていたのだ。
「これは……どうかしたようです」
と、小島が汗だくになって言った。
「小島君。君があの女子高生を殺したのか」
「大臣! とんでもない! 私がどうして――」
「しかし、今、君はそう言ったじゃないか」
「これはまずいぞ」
と、他の一人が首を振って、
「我々も、金の不正ぐらいは大目に見るが、人殺しとなるとね……」
「待って下さい! 今のは夢だったんです! 私は悪い夢を見て、あらぬことを口走ってしまったんです!」
すると、女の声が、
「悪あがきはおやめなさい」
と言った。
振り向いた小島は目を見開いて、
「君は……」
谷崎ゆかりが立っていた。
「私は幽霊でも幻でもありませんよ」
と、ゆかりは言った。
「助けられたんです。あの崖の上の小屋から」
「そんなことが……」
「私が証言します。あなたが香山さんを殺したことを」
小島は床にペタッと座り込んでしまった。
「おい車を停めろ」
と、大臣が言った。
「この車に乗っていたことは、お互い忘れましょう」
「まあ、小島さんとも付き合いはなかったことに……」
車が停まると、客は次々に降りて行った。
「ドライバーさん」
と、ゆかりが言った。
「近くの警察署へ行って下さいな」
かつて校庭だった土地に、赤い夕陽が射していた。
風がクロロックのマントをフワリと広げる。
「――本当にふしぎな方ですね」
と、元校長の陣内広代が言った。
「クロロックさんのおかげで……」
「大したことではありません」
と、クロロックは首を振って、
「小島の平衡感覚をちょっといじってやっただけです。小島は内心罪の意識を抱えていたから、勝手に幻覚を見たのですな」
「私の電話も効いたでしょ」
と、エリカが言った。
「別人の声でも、殺した女の子の声に聞こえたんですよ」
「可哀そうなことを……」
と、谷崎ゆかりが言った。
「谷崎先生まで殺されなくて良かったわ」
と、広代が言った。
「私にずっと言い寄っていたんです、小島先生は。それで、言うなりになれば殺さないでいてやると……。もちろん拒みました。そしたら、あの小屋へ閉じ込められ……」
「無事助け出せて良かった」
「ありがとうございました。いっそ飛び下りて死のうかと思っていましたが」
「希望を捨てないことだ」
と、クロロックが言うと、
「お父さん、見て」
エリカが、元の校庭に入って来る少女たちを見て言った。
「まあ! 〈M女子高〉の生徒たちです!」
と、広代が嬉しそうに声を上げた。
「校長先生!」
と、呼びかけたのは、河辺みずほだった。
「小島に騙されていたというので、政府が謝罪して、〈M女子高〉を再建してくれることになったそうです」
「まあ!」
「生徒たちも、戻って来ますよ。元の通りの学校が開けます」
「すばらしいわ! 校舎ができるまで、プレハブで授業をしましょう。一日も早く、元の日々を取り戻して」
何十人もの少女たちが、話を聞きつけて駆けつけて来た。河辺みずほも、谷崎ゆかりも、生徒たちに囲まれている。
「お父さん」
と、エリカがクロロックをつついて、
「女の子に囲まれる前に、引きあげた方がいいんじゃない?」
「そうか。うちの奥さんを怒らせてはいかんな」
そう言って、クロロックはエリカと一緒に急いで〈M女子高〉を後にしたのだった……。
【おわり】