敬川先輩の怪異否定録 ―おはぎコロッケ―

「ずっと気になってたんすけど、歌クンってどこに住んでるんすか?」
西日に照らされた埃がきらきらと舞う、屋上へ向かう階段前。その一角、敬川歌が不法占拠しているスペースに、赤崎在人の問いかけが反響した。
敬川はもともと都市伝説みたいな存在だったのでさほど気にならなかったが、接するにつれて彼にも帰るべき家があるのだとわかった。今日だっていつものように帰路につき、家の扉の鍵を開け、三和土で気だるげにローファーを脱ぐのだろう。
しかし、在人にはその姿がまったく想像できなかった。
敬川にはこの学校で生まれ、この学校で暮らしているような気配が漂っているのだ。
夜は体育倉庫のマットで暖を取っていそうだし、浴室でシャワーを浴びる姿よりも理科室の蛇口に頭を突っ込んでいる姿のほうがしっくりくる。
だから敬川の自宅が知りたかったし、あわよくば部屋に上がりたかったのだが、偏屈人間がそう簡単に教えてくれるはずもない。
案の定、敬川は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「断る。僕はネットリテラシーが高いから、そのような質問には答えられない」
「俺のことをインスタか何かだと思ってます?」
「何かと言うより、そのものじゃないか」
敬川はノートパソコンから顔を上げ、長い前髪の隙間からじろりと在人を睨みつける。
「貴様のような輩は、他人の家の内装だろうとおかまいなしにネットの海へ放流する。仮にその投稿が特定班に見つかってみろ。カーテンの隙間から覗くわずかな景色から住所が特定され、嫌がらせの電話が鳴り響くようになるんだぞ」
「アイドルじゃあるまいし、ただの高校生を特定する人なんて居ませんよ」
「貴様が今まさに特定しようとしているだろうが」
ぴしゃりと言い放たれ、在人の動きが止まる。
やや屁理屈に近いが、事実なので何も言い返せなかった。
在人はぐぎぎと奥歯を噛み締め、やがて大きなため息をついた。
「歌クンのバカ! 長髪のくせにシャンプーインリンスで済ませてそう!」
「論点と関係がない偏見をぶつけてくるな」
「だって、まともにやりあっても勝てないですし」
「だからと言ってルールを無視するんじゃない。だいたい、偏見が許されるなら僕だって容赦しないぞ。貴様はアレだ。一度見た番組を再放送だと気付かずに楽しんでそうだし、スポーツ中継のリプレイを生放送だと勘違いして大喜びしてそうだ」
「それって、ハッピーな時間が多そうってことっすよね?」
「ポジティブも度が過ぎると怖いな。まあいい」
勝利を確信したであろう敬川は、満足気に頷いてからゆっくりと立ち上がる。
「そもそも僕と貴様は友人ではなく、ビジネスライクな関係でしかない。よって自宅に招き入れる理由がない。そこを履き違えるなよ」
「はぁ、相変わらず冷たいっすね。てか、もう帰るんすか?」
「用事があるんだ」
敬川はそう言い残し、ノートパソコンをリュックサックに詰め込んで去っていく。
かと思いきや、踊り場でくるりと反転して在人をぴしり指差した。
真っ直ぐに伸びた人差し指は在人の眉間に照準を定めており、スナイパーの銃口ばりの威圧感を放っている。
「赤崎。ひとつ忠告しておくが、絶対についてくるなよ?」
「……そんなベタな振り方をされましても」
「違う、そうじゃない。これは本気の忠告だからな」
何度も「本気のやつだ」と連呼して、今度こそ敬川は去っていく。
念の押しようから察するに、本気で嫌がっているのだろう。しかし敬川は、基本的にすべての事象に対して否定的だ。彼の言葉や態度を額面通りに受け取っていては、一切のコミュニケーションが成立しない。
「うんうん。本気のやつね」
在人は屈伸を三度繰り返し、音を立てないようにして階段を駆け下りた。
在人たちが通っている高校の最寄り駅周辺には、小さな商店街がある。全盛期の賑わいは失われつつあるが、シャッター街になるほど閑散ともしておらず、ほどよい活気に溢れている。自転車に乗った主婦が青果店の店主と立ち話をする姿は、都会ではあまり見なくなった光景だろう。
そんなノスタルジックな空気を、痩身の仏頂面が切り裂いていく。
足取りはやや遅く、しきりに左右を確認している。
在人が確認する限り、学校を出てからずっとこの調子だ。在人の追跡を警戒しているのかと思っていたが、それにしては違和感がある。警戒というよりは、自身のスペースを見つけようとするサッカー選手のような身振りなのだ。
「……歌クン、何を捜してるんだろう」
後方の電柱に隠れながら、在人も倣うようにして首を振ってみる。しかし、視界は精肉店と蒲鉾店を捉えるばかりだ。傍から見れば、コロッケと丸天を天秤にかけて悩んでいる男子高校生に見えるだろう。もしくは不審者だ。
事実、道行く人が敬川を見て怪訝な表情を浮かべている。敬川は他人からどう思われようが気にしないタイプだが、物には限度がある。不健康そうな見た目も相まって、薬物使用を疑われる可能性だって否めない。敬川が何をしているのか読めないが、場合によっては大事になる前に取り押さえなければならない。
在人がそんな決意を固めていると、いつの間にか敬川を見失っていた。
「あ、ヤバ」
とはいえ、商店街の道は入り組んでいない。すぐそこにある角を曲がったのだろう。
在人は電柱の影から飛び出し、急いで敬川の後を追おうとする。
その瞬間、小学生くらいの男の子が前を横切った。
男の子は首を左右に巡らせ、何かを必死に探している素振りだった。つい先ほど同様の動き方をする不審者を目にしたばかりだったので、思わず吹き出してしまう。
「もしかして歌クン、真似されてる?」
小学生は基本的に、格上と格下を瞬時に見分けるスキルを持つ。敬川は残念ながら後者にカテゴライズされるだろう。そんな人物があれだけ目立つ行動をしていたのだから、こうして馬鹿にされるのは自然の摂理ともいえた。
男の子は誇張したように首を振りながら、商店街の角を曲がっていく。敬川を尾行しているのだろうか。なんだか面白いことになってきたので、在人も急いで後を追う。
駆け足で角を曲がると、すぐ目の前に男の子が立っていた。
「――ッ!」
在人は咄嗟に避けようとするが、間に合わない。
そのままバランスを崩し、右肩から倒れ込んでしまう。
男の子を下敷きにしてしまった。
そう思い、アスファルトに手をついて起き上がろうとする。しかし男の子の姿は眼前になく、濃灰色の路面が広がるばかりだった。違和感を覚えた在人がおそるおそる振り返ると、男の子が見下ろすようにして立っていた。
「お兄ちゃん、僕が見えるんだ」
質問の意味がわからず、在人は呆けてしまう。
「へ?」
そこに立っているんだから、見えるに決まっている。
在人は男の子を凝視しながら、眉間に皺を寄せる。
やがて思考が追い付いてくると、とある恐ろしい可能性が浮上した。
刹那、男の子の首が左側に傾いた。
否、首が回転したのだ。
皮膚が捻れ、渦を巻くようにして中央部が細くなる。重心が乱れた頭部は回転するように揺れ、肉の繊維が断ち切れる音が鳴り響いた。
在人は弾かれるように立ち上がるが、足がついてこなかった。そのまま尻もちをつき、壁際へと追いやられる。なんとか立ち上がろうとするも、両手を側溝に突っ込んでしまい大きく体勢を崩してしまった。
この男の子は、明らかにこの世のものではない。
「……誰か!」
助けを呼ぼうとして周囲を見やるが、先ほどまで賑わっていた商店街は嘘のように閑散としている。人どころか、空を流れる雲すらも見つからない。傾きかけた太陽の日差しさえ、在人を世界から切り取るスポットライトのように機能していた。
男の子は首を揺らしながら、一歩ずつ在人へと近づいてくる。
夢か、現実か。それすらもわからないまま、在人の呼吸が荒くなっていく。
やがてつんとした腐臭が鼻孔に流れ込み、胃液がこみ上げてくる。
「お兄ちゃんも、捜してくれる?」
「なに、を」
咄嗟に答えてしまうが、こういうのは無視したほうがいいのかもしれない。
いや、そもそも反応してしまった時点で遅いか。
在人の頭は危機回避のために回転し続けるが、これは明らかに怪異だ。知識に長けた敬川が居なければ、最善の選択肢を選び続けるのは不可能に近い。
それでも、考えなければならない。
少なくとも、この問いかけは絶対に外せないだろうから。
この男の子は何かを捜している。それは商店街で紛失したのだろう。だから首を左右に振り、あちこちを歩き回っていたのかもしれない。
「……あれ」
だとしたら、敬川の行動も同じ理由だろうか。この男の子と同じ視点を体感することによって、無くした何かを見つけようとしていたのかもしれない。
その可能性に行き当たった瞬間、目の前に泥まみれのキーリングが差し出された。輪の部分には自宅のものとおぼしき鍵が取り付けられていて、鈍色の輝きを放っている。
在人と男の子は、ほとんど同時に手の主を確認した。
橙色の日差しが逆行となり、鍵を差し出した人物に深い影を落としている。
誰かはわからない。
けれど、温かい。
そんな感覚が全身を駆け巡った瞬間、在人の意識は泥濘から引き上げられた。
「――起きろ、馬鹿」
そして、愛想の欠片もない言葉が降ってくる。
在人が目を覚ますと、見慣れた仏頂面がそこにあった。
「あれ、歌クン。てか俺、今まで何を……」
在人は周囲を見渡す。そこは先ほどの商店街で、在人は電柱にもたれるようにして眠っていたようだ。あちこちから賑やかな声が届き、揚げ物の香りが空腹に気付かせてくれる。
首が捻じれた男の子の姿なんて、どこにもなかった。
「え、怪異。怪異はどうしたんすか? 俺、さっきまで首がギュルンってなった男の子に絡まれてたんすけど」
「なんだそのギュルンって。よくわからないが、悪い夢でも見ていたのだろう」
「……いくら俺でも、こんな場所で眠らないっすよ」
「寝ていたから電柱に寄りかかっていたんだろうが」
「えー、そうなんすかね」
在人は金髪を掻きむしりながら立ち上がる。いまいち腑に落ちないが、悪い夢だと言われたほうが納得できるのは間違いなかった。
「それより貴様は、どうしてこの商店街に居るんだ」
けれど、目の前の現実こそ夢であってほしかった。怒り心頭の敬川に詰められた在人は視線を逸らし、口笛交じりに言い訳を添えるしかできない。
「いやほら、帰り道なんすよ」
「貴様はたしか自転車通学だったはずだな。徒歩でこの商店街に立ち寄る理由が、僕の尾行以外に何かあるのか?」
「えーと、その。そこのコロッケが絶品なんすよ。俺、常連なんで」
「ならば問う。その精肉店のメニューで存在しないコロッケは?」
「なんか変なクイズ始まった」
「A:すき焼きコロッケ。B:プルコギコロッケ」
「しかも絶妙な二択」
「本当に常連なら即答できるはずだ」
「……もし、外したらどうなるんすか?」
「貴様の頭がマッシュポテトになるだろうな」
「俺、コロッケで死ぬんすか」
在人は半泣きになりながらも、敬川の思考を読むことにした。
敬川は性格が悪いので、きっと裏の裏をかいてくる。一見するとプルコギコロッケは攻めているが、学校帰りの若者を狙うために韓国料理を取り入れるのはありそうな気がした。
逆に言えば、すき焼きコロッケは無難すぎる。どこにでもありそうだからこそ、敬川がブラフの選択肢として用意しそうなメニューだった。
「正解はAっすね!」
「残念だな。正解はどっちも存在しない」
「はぁ? そんなのズルじゃないっすか」
「問題文をよく聞け。僕は『存在しないコロッケは?』と言ったが『存在しないコロッケはどっちだ?』とは言っていない。よって、両方が存在しないパターンも考慮すべきだったな」
「……歌クンの馬鹿! 詐欺師! インチキポテト!」
敬川の手が迫り、マッシュポテトにされそうになった寸前、在人はとある変化に気付く。
「なんか歌クンの指、めっちゃ汚れてません?」
敬川の細長い指は、あちこちが黒ずんでいた。爪の先にまで泥のようなものが入り込んだ汚れ方は、必死に側溝の奥を掻き分けたようだった。
その手は、夢の中で見たキーリングと結び付く。
「あれってやっぱり、歌クンの手だったんじゃ……」
「なんのことだ?」
「いや、歌クンが怪異を解決したんじゃないかと思って」
在人がそう言うと、敬川は表情を隠すようにして背を向ける。
「だからそれは、貴様が見た夢だと言っているだろう。だいたい僕は、怪異の存在を否定しているんだぞ」
「じゃあ、なんで手がそんなに汚いんすか」
「これはその、おはぎだ。僕は商店街の入り口にある和菓子屋の常連でな。中でもおはぎには目が無い」
「じゃあ、おはぎクイズ出しますね」
「……ちなみに、外したらどうなるんだ」
「歌クンの名前がおはぎになりますね」
「アイドルが飼ってるペットの名前か」
在人と敬川は口論を繰り広げながら商店街を歩いていく。
その不毛なやり取りもまた、いつもの日常として町に溶け込んでいた。
【おわり】