【入選】三日後の天気は晴れ(著:猫街 文)


「三日後は雨だよ」
 店長が言った。
 別にどうでもいい情報だった。三日後の天気なんて気象庁のサイトを見れば()っている。週間天気予報という人類の(えい)()がある。わざわざコンビニの店長から教えてもらう必要はない。
 ただ問題は、この人の天気予報が気象庁より当たるということだった。
 俺の名前は(いの)(また)(しゅう)。二十一歳。大学三年生。四国の実家を出て、大阪の大学に通いながらJR線沿いの古いアパートで一人暮らしをしている。就活が近づいている現実からは目を()らしつつ、コンビニ「エブリディ(なか)(ざき)(ちょう)店」で週四日バイトをしている。時給千二百円。年末年始は五十円増し。実家からの仕送りは(すずめ)の涙という慣用句がぴったりな程度には少なく、バイト代はほぼ生活費で消える。有り体に言うと「貧乏」というやつだ。口座残高は嘘をつかない。「いいから働け」と冷たく語りかけてくるだけだ。
 店長の名前は(きり)(しま)。下の名前は知らない。年齢()(しょう)。俺の親よりは若いと思うが、正確なところは分からない。身長は俺と同じく百七十センチくらいで、体型は細くも太くもなく、顔は整ってもいないが崩れてもいない。すべてにおいて中間値の男。パラメータがすべて平均の初期キャラ。カスタマイズを一切せずにゲームを始めた人、そんな印象だ。
 そんな人間にも、ひとつだけ飛び抜けた能力があった。
 三日後の天気が分かる。
「だけ」である。
 正確には、毎朝三日後の天気が頭の中に流れてくるらしい。晴れか雨かだけじゃなく、朝は晴れるけど夕方から崩れる、みたいな一日の流れもざっくり分かる。だからメモしておけば、今日から三日先までの天気はほぼ埋まる。ただ、四日目以降は分からない。場所はだいたいこの店の半径一キロくらい限定。東京の天気は分からないし沖縄も分からない。中崎町のこのコンビニ周辺だけ。ガチャで出たらリセマラ対象の性能だ。
「店長、その能力っていつからあるんですか」
「中学くらいかな。朝起きたら、三日後は雨だなって分かるようになった」
「何のきっかけもなく?」
「ない。()いて言えば前日に激辛カレーを食べた」
「カレーは関係ないでしょ」
「そうだね」店長はとぼけた顔で笑った。
 いつもこんな調子だ。自分の超常的な能力について、びっくりするほど無関心。小説や漫画の世界では、超能力者は「この力を何のために使えばいいんだ」と苦悩するのがつきものだが、店長には一切そういった様子は見られない。そりゃそうだ。苦悩のしようがない。三日先までの天気が分かったところで世界は救えないし、悪の組織も倒せない。できることは、事前に(かさ)を持っていくか決められるくらいだ。ステータスを傘に全振りした男。スケールが小さすぎて涙が出る。

 俺が店長の能力に気づいたのはバイトを始めて二ヶ月目くらいのときだった。きっかけは、おでん。
 コンビニのおでんは天気に売上が左右される。寒くて(くも)りの日にはよく売れるが、晴れていたり暖かいとさっぱり売れない。だから仕込みの量を天気予報と相談して決めるのが普通なのだが、店長のおでんの仕込み量はやけに正確だった。大根が余ることがほとんどないし、こんにゃくが足りなくなることもない。この人仕込みのセンスあるな、くらいに思っていた。
 ある日、急に冷え込んだ。十一月にしては寒すぎる。ただ天気予報では翌日から気温が戻るらしかった。おでんの仕込みを追加するか迷って、店長に聞いた。
「店長、明日のおでんってどうします? 予報だと晴れて暖かくなるっぽいんで、少なめでいいですかね」
「いや、雨だから追加しておこう」
「え。なんで分かるんです?」
「三日前に見たから」
「週間天気予報ですか? でも、予報では晴れっすよ」
「天気予報じゃなくて予知。三日前に、明日の天気を見たんだ」
「へー」と聞き流しかけて、止まった。
いや、意味が分からないんですけど」
「毎朝、三日後の天気が分かるんだ。だからメモして、三日先までの天気を()(あく)してる」
 当然、信じなかった。仕込みのセンスがある人だと思っていたが、ボケの仕込みは(かい)(めつ)的らしい。

 だが翌日たしかに店長の言った通り、天気予報は(はず)れ、冷たい雨が降った。
たまたまでしょ」
「そうかもね」
 たまたまじゃなかった。この会話を以後数十回繰り返した。店長は超能力を隠す気もないようだった。危機感がないのか。いや、こんな能力を知られたことで起こるような危機もないか。誰かに三日後の天気が分かると伝えたところで「へー」以上の反応も期待できないだろうし。俺の最初のリアクションもそんなものだった。
 何十日か連続で的中を確認した時点で、店長の能力の検証をやめた。気象庁のスーパーコンピュータが、コンビニの店長に負けている。日本の科学技術とは何だったのか。

 俺は店長の能力を活用できないか考えた。
「店長。日曜に友達とバーベキューするんですけど、天気どうですか」
「晴れだよ」
「気温は?」
「それは分からない」
そういうもんなんですね」
「そう。その程度の能力。三日前にバーベキュー()(より)って知ったところで何も変わらないしね」
 実際、変わらなかった。三日前のアドバンテージはバーベキューにおいてゼロだった。バーベキューはそれなりに楽しかった。だが、人類は三日後の天気を知っていても、炭を買うのを忘れるし、焼きそばを()がすのも防げないらしい。

 常連の()(がみ)さんでも試した。七十代くらい、ゴルフ好き。毎週水曜にビールの六缶パックを買いにくるおじいさんだ。
「土曜にゴルフ行くんやけど、天気ってどうかなぁ」
「店長によると夕方から雷雨です」
「ええホンマかぁ。朝はどうなん?」
「店長、朝は?」
「朝は晴れ。午後二時くらいから曇って、四時にドカンと来る」
「朝晴れてるんやったら行くわ。早めに回って昼で上がりゃええやろ」
 三日前に正確な情報を得た結果、田上さんは「じゃあ朝のうちに行けばいい」という判断をした。実に合理的だ。だが、人間は合理的な判断を合理的に実行できない生き物だ。
 田上さんは予定通り朝にゴルフへ行き、昼には帰るはずが仲間に誘われてもう一ラウンド回り、四時に雷雨でずぶ()れになり、翌日コンビニに来て「店長の言う通りやったわ」と笑っていた。正確な情報をもらった上で()(めつ)している。もはや天気予報の精度の問題ではない。情報を取り扱う人間側の問題だ。
「店長の能力って(のろ)いなんですかね。分かるのに何もできないカサンドラ的な」
「カサンドラは預言を信じてもらえなかった。俺のは信じてもらえるけど役に立たないだけだから、もっとタチ悪いね」
 店長は段ボールを開けながら笑った。困ったような、でも別に困っていないような、どこか()()(ごと)みたいな笑い方だった。

 十一月半ば。水曜日。シフトは俺と店長の二人。夕方の客が途切れた時間帯に、店長がぽつりと言った。
「猪俣くん、土曜(ひま)?」
まあ、暇ですけど」
 大学の授業もないし、バイトも休みだ。一日中YouTubeを見る予定だった。
「ちょっと手伝ってほしいことがあって」
「なんすか」
「嫁さんの命日なんだ。毎年墓参りに行くんだけど、ついてきてほしくて」
 俺の知らない情報がいきなり二つ同時に来た。店長が結婚していたこと。奥さんが亡くなっていたこと。
 気の毒ではある。俺には家族を亡くした経験がないから実感はないが、相当(つら)いことだろうというのは想像できた。
 しかし、だ。
「いや俺が行くのおかしくないですか?」
「そうかな。あ、場所はここから歩いて十分くらいだよ」
「場所の問題じゃないですよ。俺、奥さんに会ったこともないし」
「だから気楽でいいんだよ。親族が来ると気を(つか)うし」
「俺の気は重いんですけど
 店長は少し黙った。ガムテープの(はし)を指先で(いじ)(くせ)が出ていた。
去年、一人で行ったんだけどさ。結構きつくて」
 その声は、いつもの(あい)(まい)な調子とは違っていた。
「あと弁当のおかず作ってほしくて。俺、卵焼きと唐揚げしか作れないから。で、近くの公園で一緒に食べよう」
 またもや情報量が多い。俺が弁当を作る? 公園で一緒に弁当を食べる?
それなんか()(づら)きつくないですか?」
「特別手当出すから」
いくらですか」
「時給の倍」
「行きます」
 屈してしまった。でも仕方ない。プライドより金だ。就活資金が必要な大学生に選択肢はない。
「てか、なんで俺なんですか。弁当なら(そう)(ざい)買えばいいじゃないですか」
「猪俣くん、毎日弁当作ってきてるでしょ。あれ結構ちゃんとしてるなと思って」
 見られていた。バイトの休憩中に食べてる俺の弁当を、この人は見ていた。
「あ、あれは節約ですよ。食費高いんで」
 嘘ではない。最初は節約だった。大学二年の春、口座残高がやばくなって昼飯代を(けず)るために渋々始めた。でも半年くらい()った頃から妙に()り始めた。卵焼きの巻き方とか、きんぴらのごぼうの切り方とかを、YouTubeで研究するようになった。弁当箱に()めるときの配色を考えるようになった。茶色いおかずが続くと気分が沈むので、ブロッコリーかミニトマトで(いろど)りを入れる。もはや節約の範囲を(いつ)(だつ)している。完全に趣味だ。だが「弁当作りが趣味です」と公言できるほど、年頃の男子大学生である俺のプライドは柔軟にできていない。
「あの(とり)そぼろ弁当は本当にうまそうだった」
ありがとうございます」
 ()められると普通に嬉しい。嬉しいが、()()ずかしいので顔に出さないようにした。出ていたかもしれないが。
「何作ればいいですか」
()()()妻が好きだったもの。ポテトサラダとれんこんのきんぴらと(さけ)の塩焼き」
「普通っすね」
「普通が好きだったんだよ。あの人は」
 店長はぽつぽつ話してくれた。実和子さんは二年前に亡くなったこと。心臓が弱くて、亡くなる前はしばらく入退院を繰り返していたこと。
 退院が近づくと、実和子さんはいろんな話をしたらしい。あそこに行きたい、あれが食べたい。
「あなたの作ったきんぴらが食べたい、って言われてさ。退院したら、弁当持って公園に行こうって約束してた」
 退院の三日前、店長はいつものように三日後の天気を見た。晴れだ。よかった、と思ったらしい。
「でも前日に、急に(よう)(だい)が悪くなって
 店長はそこで少し間を置いた。
「三日後は晴れたよ。すごくいい天気だった」
 それだけだった。公園には行けなかった、とは言わなかった。言わなくても分かった。
「俺の能力って、天気が分かるだけで、変えることはできないんだ」
 店長はそう言って、口元だけで笑った。視線は手元に落としたまま、段ボールのガムテープの端を指で弄っていた。
「でもさ」と店長は言った。「命日に晴れるかどうかが三日前に分かるのは助かるんだよ。花買ったり、事前に準備できるから。だから一年に一回だけ、この能力が役に立つ」
「一年に一回て」
「一回で十分だよ」
 俺は何も返せなかった。さっきまで特別手当ではしゃいでいた自分がちょっと恥ずかしくなった。
 店長はもう段ボールの作業に戻っていた。中身を確認して、(たな)に並べる。いつも通りの手つきだった。
 いや、ちょっと待てよ。奥さんは「あなたの作ったきんぴらが食べたい」って言ってたんだよな。
「店長」
「ん?」
「きんぴら、俺が作っちゃだめでしょ」
 店長の手が止まった。
「奥さん、店長のが食べたいって言ってたんすよね」
でも俺、作れないし
 店長はごにょごにょ言いながら、ガムテープの切れ端を指先で丸めたり広げたりしていた。
 はぁ。
 俺は大げさにため息をついて、手元のカップ(めん)を棚に戻した。
「俺が教えますよ。前の日に一緒に作りましょう。教える分は手当に上乗せで」
ありがとう」

 金曜の夜。バイト上がりに、店の(うら)()の階段を上がった。店長はコンビニの二階に住んでいる。職住一体。仕事とプライベートの境目が消滅している。この人の人生はコンビニでできている。
 玄関を開けた先は、思ったより広かった。2DKらしい。テーブル、()()、テレビなど、必要最低限の家具があるのみで、あまり生活感を感じない部屋だった。
 ただ、キッチンだけは意外と清潔に保たれていた。
「料理しないのにきれいっすね」
実和子、きれい好きでさ」
 店長はシンクのあたりに目を落としていた。俺は何か気の()いたことを言おうとしてやめた。
 れんこんは買ってあった。(しょう)()、みりん、砂糖、ごま油、(たか)の爪。俺がLINEで送った材料リスト通り、過不足なく(そろ)っている。
「じゃ、まずれんこん洗って皮()いてください」
 店長がピーラーを手に取った。慣れない手つきだが、(てい)(ねい)ではあった。薄めに切れと言うと、厚みはだいたい均一に揃った。(いた)める工程も、味付けのタイミングも、一回言えば覚えた。
 いや、やればできるのかよ。じゃあ最初から自分でやれよ、と言いたくなったが、時給が発生しているので何も言わないことにした。資本主義社会の前では白旗を上げるほかない。
「味付け、どうします」
薄味で。砂糖(ひか)えめ」
 砂糖を控えめにした。店長が味見をして「もうちょっと醤油」と言った。作ったことないくせに、味の微調整はやけに迷いがなかった。
 完成したきんぴらは、普通のきんぴらだった。見た目も味も特別なところはない。俺が作った方がたぶんうまく作れるだろう。でも、たぶんそうするべきじゃない。奥さんは店長の作ったきんぴらが食べたいと言ったのだから。
 店長は一切れ食べて「うん」とだけ言った。それがどういう意味なのかは分からないが、少なくとも味は悪くはないようだった。
 帰り際、店長が棚の奥から二段の弁当箱を出してきた。花柄の弁当箱だった。
「これに詰めてもらっていい?」
 俺は何も聞かずに受け取った。

 土曜日。天気は晴れだ。空はバカみたいに青かった。
 コンビニの前で待ち合わせた。店長は黒い礼服で来た。いつものエプロン姿とは別人みたいだった。俺も一応、就活用に買ったスーツを着ていった。
 近くの墓地まで歩いた。十分もかからない距離のはずなのに、やけに長く感じた。
 中崎町のあたりは普段だって歩いている。コンビニ帰りに通る道もあるし、見慣れた建物ばかりだ。それなのに今日は、同じ道なのに、どこか知らない場所みたいだった。店長はほとんど(しゃべ)らなかった。いつもは「三日後は晴れだね」とか言ってくるのに、今日は前だけ見て歩いていた。歩く速さも、ほんの少しだけ遅い。俺も何を話していいか分からず、スマホを取り出したが、結局ポケットに戻した。
 人通りのある通りを一本外れると、急に静かになった。墓地は、そんな街のすぐ(となり)にあった。
 実和子さんの墓石は小さくて控えめだった。(こけ)もなくきれいに保たれていて、花立ての水も濁っていなかった。最近来たばかりなんだろう。花を供えた店長の手つきは丁寧で、水をかけるときも一()(しょ)ずつ、汚れを落とすように()いていた。墓石を(みが)く仕草にはバイトの品出しのような手早さはなくて、ゆっくり、ただ静かだった。
 俺は少し離れて待った。墓石に手を合わせる店長の後ろ姿を眺めながら、俺も小さく手を合わせた。
 やがて店長が振り返って「行こうか」と言った。
 近くの公園のベンチで弁当を広げた。俺のポテトサラダと鮭。店長のきんぴらと卵焼きと唐揚げ。店長から預かった弁当箱に詰めるとき、配色のバランスが気になったので、ブロッコリーで彩りを足した。
 鮭は少し焼きすぎた。自分の弁当ならどうでもいいが、他人に食べさせるとなると気になる。
「おいしい」と店長が言った。少し目が赤い。店長は一口ずつ、()み締めるように食べていた。
 俺もきんぴらを一切れ食べた。少し味が薄かった。
 弁当箱が(から)になった頃、風が吹いた。少し冷たい。俺は花柄の弁当箱の(ふた)を閉じた。

 十二月。就活が始まった。
 エントリーシートを書き、Webテストを受け、スーツに(そで)を通す。二十一歳の冬の通過儀礼。なのに不合格があるのは設計ミスだと思うが、文句を言っても仕方ない。
 第一志望の一次面接が金曜に決まった。場所は大阪駅近くのビル。自宅から電車で四十分。天気予報を確認した。金曜日晴れ。降水確率ゼロパーセント。(かん)(ぺき)だ。
 火曜。バイト中に店長がいつものように言った。
「三日後、荒れるよ。朝から暴風雨。警報出るかも」
 は?
「天気予報、晴れなんですけど」
「そう」
「降水確率ゼロパーセントなんですけど」
「そう」
暴風雨ですか」
「うん。朝からがっつり。たぶん電車止まるね」
 天気予報は晴れ。店長予報は暴風雨。
 普通なら天気予報を信じる。国家予算で運用されている気象観測システムと、コンビニのおじさんの直感を(てん)(びん)にかけて、後者を選ぶ人間は正気ではない。
 しかし俺は、この人が外したのを一度も見ていない。
 頭では分かっている。が、天気予報では降水確率がゼロパーセントだと言っているのに、暴風雨の方を信じるのは、感覚が追いつかない。これ、店長が(はず)す初めてのケースなんじゃないか。そう思えてならなかった。
 金曜は第一志望の面接だ。ここを逃したら次の手持ちはない。
 俺はバイト後、家に帰ってスマホで面接会場近くの宿を検索した。ビジネスホテル、()()まり六千八百円。痛い。口座残高が悲鳴を上げている。天気予報は晴れだぞ。六千八百円をドブに捨てることになるかもしれないぞ。
 店長の的中率。六千八百円。第一志望。店長の的中率。六千八百円
 そうだ。ネットカフェなら二千円台で泊まれる。一瞬そっちに傾いた。が、以前一度だけネカフェに泊まった時のことを思い出す。隣からのキーボード音、消臭剤と汗が混ざった独特の空気、()(みょう)(せま)くて体を伸ばせない空間。朝起きたら全身がバキバキで、服にはよく分からない(にお)いが染みついていた。あの状態でスーツを着て面接に行くのは、安物買いの(ぜに)失いだ。いやちょっと違うか? とにかく、目先の数千円を()しむべきではない。
 俺はホテルを予約した。
 店長にはLINEで「すみません、木曜のシフト休みもらえませんか。面接の前日で準備したいんで」と送った。店長は「了解」とだけ返してきた。スタンプもない。この人のLINEはいつも事務連絡みたいだ。
 木曜の夜にホテルへチェックインした。窓の外は穏やかな夜空だった。明日ほんとに暴風雨なんて来るのか? 天気予報アプリを開いたらまだ「晴れ」のままだ。気象庁のスパコンは晴れると言っている。店長は暴風雨だと言っている。国家か、コンビニか。勝つのはどっちだ。
 そんなことを考えながら、俺は明日の面接の用意を済ませ、眠りについた。

 何かうるさい音で意識が浮上した。
 半分寝ぼけたまま、スマホに手を伸ばす。アラームは鳴っていない。まだ六時か。
 じゃあこの音はなんだ? 窓の外を見た瞬間、息を()んだ。
はは」
 雨が窓ガラスを激しく叩きつけ、風がビルの(すき)()でゴーゴーと(うな)っている。(こら)えきれなかった。ビジネスホテルの狭い部屋で、一人で朝六時に声を上げて笑った。隣の部屋に聞こえたかもしれないが、知らない。
 勝ったのはコンビニのおじさんだった。何連勝かはもう数えていないが、とにかくまた勝ったのだ。天気予報アプリは(あわ)てて「暴風雨」に更新されていた。朝六時に更新すな。遅いわ。
 テレビをつけた。JR運転見合わせ。地下鉄大幅遅延。ニュースのアナウンサーが「急な天候の変化にご注意ください」と言っている。気象庁が億単位の予算をかけて出来なかったことを、コンビニ店長が直感でやっている。
 ホテルのロビーでコンビニのおにぎりを食べた。買ったのはエブリディじゃなくてホテル近くのコンビニだったが、これは店長には黙っておこう。スーツのシワを確認して、持ってきていた(かさ)をさして会場まで歩いた。徒歩五分。スーツは()れていない。髪も乱れていない。
 面接は十五分遅れで始まった。五人の集団面接のはずが三人。二人は電車で来られなかったらしい。面接官が「大変な天気の中ありがとうございます」と言った。
 ()(ごた)えがあったかは分からない。俺には面接の合否を予知する能力はない。でも、暴風雨の中ずぶ濡れで飛び込む人間と、乾いたスーツで五分前に着席している人間では、印象は違うだろう。少なくとも、俺の声は震えていなかった。

 翌日のバイト。
「面接どうだった?」
「分かんないです。でもちゃんと行けました。店長の予報やばいっすね。天気予報晴れだったのに」
「たまたまだよ」
「たまたまで一回も外さないのおかしいでしょ」
「はは。でもそれだけだから。天気が分かっても、起きることそのものは変えられないからね」

「いや、もういいっすよそれ」

 自分でもびっくりするくらい低い声が出た。でも、これ以上このおじさんがうだうだしてるのを見てられなかった。
「え
「そのセリフ何回目ですか。聞き()きました。変えてんじゃないですかちゃんと」
何を?」
「俺の面接ですよ! 店長が三日前に暴風雨って教えてくれたから、俺はホテル取って、前乗りして、濡れずに面接行けたんです。天気予報は晴れって言ってたんですよ? 店長がいなかったら俺はスーツでずぶ濡れか、そもそも電車止まって辿(たど)り着けてないですよ」
「ホテル取ったのは猪俣くんの判断
「店長が天気教えてくれなかったらその判断もクソもないでしょうが! 命日だってそうでしょ。晴れるって三日前に分かってたから、ちゃんと花買えて弁当作れて俺にきんぴら頼めたんでしょ。変えられない変えられないって、変えてるくせに何言ってんすか」
 煮えきらない店長に腹が立って、どんどん声が大きくなっていた。客がいなくてよかった。
 店長は段ボールのガムテープを()がす手を止めたまま、ぽかんと口を開けていた。バイトを始めて一年程度の付き合いだが、初めて見る顔だった。
 しばらく黙って、店長は視線を落とした。ガムテープの()(はし)を指先で(いじ)っている。
そうかなぁ」
「そうですよ」俺はすかさず答えた。
あ、新商品のポテチ入ってるよ」
「話()らさないでくださいよ」
「のり塩の、わさびバター味」
「なんすかそれ。のり塩なのかわさびなのかバターなのかどれですか」
「分かんない。食べてみるか」
 店長と俺は新商品のポテチを開けて食べた。のり塩でもわさびでもない、バターでもない中途半端な味がした。うまいかまずいかで言うとまずい寄り。普通にのり塩味でいいだろ。
「微妙っすね」
「微妙だね」
「発注します?」
「うーん。三個くらい入れとこうか。物好きが買うよ」
 店長は小さく息をついて、それから「ふ」と笑った。いつもの(あい)(まい)なやつじゃない、どこか晴れやかな笑顔だった。
「猪俣くん」
「はい」
「三日後の天気は晴れだよ」
「じゃあ、おでん少なめにしときましょうか」
「だね」
 三日後のバイトには、上着を一枚減らしていくことにした。三日前に天気を知って、今日できることをやる。それだけで未来はちょっと変わる。かもしれない。

 世界は救わなくていい。おでんの仕込みが妙に当たるなら、それでいい。

【おわり】