【佳作】発光する車谷くん(著:岡林石子)

私の目が君をどんな風に見ていても、他言しなければ合法の範疇だ。
視力の違いといった単純な理由だけではなくて、『視』には、各々の感情が宿るから見える景色の正確なところは、絶対に本人しか分からない。それでも、私は『視』の秘密がバレやしないかとヒヤヒヤしている。
「水島さん。請求書の処理、お願いします」と、車谷くんが近寄ってくる。
「そこ……置いといて、ください」
私は精一杯のクールな調子で答えた。
なんなんだ。眩しいよ。今日も元気いいね。調子良さそうじゃない? だって、車谷くん、君のイチモツは、交換したての裸電球みたいに煌々と発光している。
私の名前は水島久美。工事現場事務所で働く派遣事務のおばちゃんである。いや……38歳という年齢は、おばちゃんなのか? 少なからず、お姉さんではないと、自覚しているが、『おばちゃん』という言葉には、ある種の放棄感があってなんか嫌だ。おばちゃん寄りのお姉さん? と、抗っておこう。
そして、発光するイチモツの主、車谷虎男くん。
ご両親は阪神のファンなのか? 字面がトラック野郎っぽいぞ、車谷くん。
彼は33歳。ゼネコン職員で職種は現場監督だ。
ギリ昭和生まれのおばちゃん寄りのお姉さんは思う。平成生まれは、それなりにビジュがいい。顔が驚くほど小さく、手足が長い。私は、出産経験がないが、産道で引っ掛かるリスク回避がされていて、圧倒的に産みやすそうである。食生活の変化なのか? 昭和の人間と骨組みが違う。別人種の様に、どの子もスタイルがいい。
平成生まれの例外代表、車谷くん。
大きな顔に短い手足。天パと寝癖の共演する、もじゃもじゃの頭。大きな顔面をもて余すように小さなパーツが真ん中にギュッと寄って配置されている。どことなく、チャウチャウに似ている。
車谷くんのナニは、一週間前の朝、突然に発光しだした。
正確に記述するならば、車谷くんのナニが私の目には、発光して、見え始めたのだ。
Xデー。私たちは偶然にプレハブ建ての現場事務所に二人きりだった。
朝が弱い彼は、見ていてこっちの気分が滅入るほど、覇気がない。
車谷くんは小さな目でチラッと私を見て、相も変わらず貧血気味の若いOLみたいな気怠そうな挨拶をしてきた。
「……おはようございます」と、彼が言った途端に、ナニが発光し出したのだ。
「ㇰかッ!!!!!!」
私は、驚き過ぎて、喉仏が痙攣したみたいな音が出た。
車谷くん、君は何かに閃いたのか? イチモツが電球になっている!
私は彼の股間を見て心の中で絶叫した。
「どうかしました?」
訝しい声にハッとした。私は、車谷くんの下半身を、まばゆそうに眼を細め、(たぶん30秒くらい)睨みつけていた。
どうかしましたじゃないよ。どうかしてるのは、君の息子じゃないか!
「車谷くん……体調、どう?」
「……普通です」
「それは、それは……よかったね……」
その日、どんな風にして仕事をしたのか? もはや、仕事をしてなかったのか? 定かでない。
現場監督の車谷くんはずっと、事務所にいるわけではなく、基本は工事現場で働いている。工事現場は事務所から、歩いて10分ほどの場所にあり、彼は時々現場事務所に帰ってくるわけである。私は彼が事務所に帰ってくる度に、「こいつ、まだ、発光してやがる」と、こっそりと輝くイチモツを睨みつけた。私以外で事務所にいるのは、大概が小松倉所長(工事現場所長)くらいだ。小松倉所長は、定年間際のお爺さん寄りのおじさんで、いつも、デスクのパソコンを見るフリをしながら、うたた寝をしているし、他の同僚にも、バレてないはずである……たぶん。とにかく、その日の記憶は曖昧だ。「明日になったら、普通になってるかも」とか、「今、私、生理中だからかな?」なんて車谷くんの発光の理由を考えた覚えはある。まっ、翌日になっても、生理が終わっても車谷くんのイチモツは煌々と発光し続けているんだけど……。
発光する車谷くんのイチモツ。心療内科、もしくは眼科の受診を考えてもよい案件だけど、私は私の精神と視覚を疑わなかった。実のところ、輝くイチモツとの出会いは、「はじめまして」ではない。「二度目まして」なのだ。
最初に発光するイチモツを見たのは、24歳の時。私の旦那、水島和彦のそれだった。彼は、26歳だった。
和彦は工事現場の監督で、私は、派遣事務員で、シチュエーションは現在と一緒である。ただ、唯一違う大事なポイントは、和彦は私のタイプだった。
ちょっぴりたれた目に丸っこい瞳が収まっていて、愛らしかった。筋肉質で高身長。
和彦は、職人から『テリーマン』というあだ名で呼ばれていた。キン肉マンのモテ超人、テリーマン。確かに和彦の顔の造形は、どことなくテリーマンに似ていた。
私には、二人兄がいて、一般的な同世代の女子よりキン肉マンに精通していた。テリーマンは推し超人の一人だった。
それが故、和彦のイチモツの輝きは、私の人生で、一番素晴らしい光景だった。
この人で間違いはない!
結婚相手に会ったら鐘が鳴るなんてよく聞くが、私の場合はイチモツの発光なのだ。
ありがとう。神様。なんて、単純で恥ずかしいバカみたいな目印なんだ!
人間は可視化された情報に、強気になる。
最初のデートで、直ぐにセックスした。私が和彦を食べちゃったと言っても過言ではない。若かったし、毎日のように好きな男のイチモツの発光を見ていた私は、恥ずかしながら和彦と、それは、もうしたくてしたくて仕方なかったのだ。もしも、和彦が私を受け入れてくれていなかったら、私は訴えられていてもおかしくないと思う。
思いを叶えた私に予期せぬ光景があった。事が終わると、彼の神々しい発光は、消灯してしまったのだ。ラブホでコトを終えて、生々しい余韻に浸りながら和彦のモノを見て、ぎょっとした。「えッ!? なんでッ!?」と、真っ裸でたじろぐ私に、「えッ!? 何がッつ!?」と、真っ裸の和彦の方もわけが分からず、アワアワした。
これから、結婚して一生を添い遂げるであろう男のイチモツの消灯を、「いつまでも、発光し続けるわけじゃないのね」と、安心しながらも、とても残念に思った。
私たちは出会った年に結婚した。私は仕事を辞め、専業主婦になった。
どんなに、頑張っても子供を授からなかったけど、自然に任せようと二人の意見は一致した。
「私は充分だよ。運命の人と結婚できたんだもん」
「すぐ、運命の人って言うよな」
「だって、そうだから……」
私は『どれだけ和彦の発光が素晴らしいモノであったか』を本人に伝えたかったけれど、言えずにいた。単純に『ヤバいヤツ』と思われたくなかったし、神様との秘め事を他言していいのだろうか? という祟りの部類の不安もあった。
こんなに、幸せであり続ける訳がない!
発光するイチモツという目に見える印で結婚した私は、ふわふわとした目視できない幸せをずっと疑って、「いつか消えてしまうのでは?」と怯えていた。
五年前、和彦は死んでしまった。
車谷くんをついつい、見てしまう。
これは、好きな人を目で追ってしまう現象とは、断じて違うと言っておきたい。だって、ヤツは発光してるんだ! 見ずに居られないじゃないか!
好意はないが、私は、ものすごく車谷くんを観察している。そして、彼を形成する三つの大事な要素を発見した。
まず、第一。車谷くんの渇きが尋常でない。
季節は四月。桜満開の心地よい気候とはいえ、工事現場は暑いだろう。
事務所の冷蔵庫には、水とお茶とスポーツドリンク、2リットルのペットボトルを常備していて、皆、現場から事務所に帰ってくると、水分補給を必ずする。
車谷くんの水分補給はスポーツドリンクのバカ飲みなのだ。飲み干しては、紙コップに注ぎ、飲み干しては注ぎを、5回はする。見ていて、若干気持ち悪い。
「飲み過ぎじゃない?」
ある日、私はついに注意してしまった。
「飲み溜めとかないと、干からびますよ」
屈託のないチャウチャウみたいな顔でスポーツドリンクをグビグビ飲んでいる。ぷよぷよとした体形の車谷くんは、ちょっとやそっとでは干からびそうにもない。
「せめて、一回、水かお茶ハサミなよ」
「せっかく飲むなら、甘い方が得じゃないですか?」
甘味への執着……この子は、本当に平成生まれなんだろうか?
第二の要素。「クルマダニくん」としての、プライドが半端ない。
彼は、「クルマタニ」と呼ばれると、食い気味に「タに濁点を、お願いします。クルマダニです」と、訂正する。『ヤマサキ、ヤマザキ』『ナカタ、ナカダ』といった、日本人あるあるの苗字連濁問題である。
私も何度か訂正された。「クルマダニくん」と分かっていても「クルマタニくん」の方が、口が動かしやすくてつい、間違えてしまうのだ。早口でも小声でも、彼は自分を「クルマタニ」と呼ぶ声だけは聞き逃さない。車谷くんは容赦なく「タに濁点を、お願いします」と訂正してくる。
選挙カーから聞こえてきそうなセリフで何度でも訂正する車谷くんを、スゴイと思う。
外国から来たカタコトの職人に、本社から、来た偉い人に、宅配便の配達員さんに、誰に対しても同じ熱量とスピードで彼は訂正する。
「タに濁点を、お願いします。クルマダニです」
車谷くん、君は、なんて、平等な子なんだ!
そして、車谷くんの第三要素。
彼は割り箸を割るのが物凄くうまい。
工事現場で朝まとめて注文する仕出し弁当についてくる割り箸は、とても割れ目が甘い。その割り箸を割る車谷くんは実に大胆で男らしい。チャウチャウ似の大きな顔の前で見事にパッカーンと、真っ二つに箸を割る。拍子木を打つ人の逆再生映像みたいで、それは見事なモノだ。
私は昼休憩の時、イヤホンをつけ持参した弁当を食べる。「話しかけないでね」オーラマンキンで、昼時の無駄なお喋りを避けている。
仕事を復帰するにあたり、派遣会社に、和彦が働いていたゼネコン以外の現場を要望した。もともと、和彦を知らない人たちには、私が言わない限り、和彦が死んだ世界は存在しない。旦那に先立たれたおばちゃん寄りのお姉さんだと、知られたくなかった。私が周囲に興味を持たなけば、周囲も私を放っておいてくれた。それが故、車谷くんの見事な箸割りに気がつかなかった。
本能は自分にない要素に引かれると、言うじゃないか。そうか、そういうことか……いや、そういうことなのか? だけど、それしか、理由なんてないじゃないか!
私は割り箸を綺麗に割れない。38年間、上手く割れたことがない。
意を決して――。勢いをつけて――。歪に割れてしまう。必ずどちらか片方は、「殺意を感じる尖った木片」になってしまう。
だから、和彦はいつだって、私の割り箸を割ってくれた。
和彦は肺がんだった。
健康診断で異変に気がついた時には、すでに、手術でどうこうできるレベルではなかった。彼に宿ったがん細胞は、猛スピードで彼を乗っ取っていた。
医者から説明を聞いた後、私と和彦は病院の食堂に立ち寄った。
午後三時過ぎ。食券を買って、席で待つスタイルの食堂に人はいなかった。一番安い、430円のうどんの食券を買った。
お腹が減っていたわけではない。家に帰りたくなかった。日常に触れたとたんに、全部が現実になってしまう気がして、ダラダラと私たちは抗った。
和彦は食堂をキョロキョロと見回して、「なんか、色々面倒くさいな」そう言いながら、セルフの水を入れに行った。彼の言う「色々面倒くさい」の指すのは、決して水のことじゃない。「面倒くさいって、何?」と、私が食ってかかった時「水のことですけど」と、逃げる腹づもりだろう。
「子供、いなくてよかったよ。子供いたらさ、死んでも死にきれないだろうな」
私に前に水を置きながら彼は、ひょうひょうと言った。
さっきから、何なの、コイツ!
内心、ぶち切れた。怒りの中で、「健康な体を失っても治療をすれば、生きてはいける」と、強く思った。
「できる限りの治療に挑戦しようよ」
「え~、治療、したくない。どうせ、いつかは人って死ぬじゃん……」
和彦は冷めた調子だった。
コイツの頭、ぶっ叩いてやろうか!
「35歳は若過ぎるでしょ」
「いくつなら納得するの?」
「いくつでも、納得なんてしない! 80でも90でも和彦が死ぬなんて嫌だ! 私は一秒でも長く、和彦と一緒に生きたい!」
「……治療ってさ。がん細胞を攻撃するってことじゃん。そしたらさ、相手も暴れ出すって」
「病気と闘って、やっつけたらいい!!」
興奮した自分の声が、思っているより大きかった。
「闘うとか、やっつけるとか……平和に死にたいよ。食べられなくなって、歩けなくなって……骨と皮になって、苦しんで死ぬなんて怖いじゃん」
「そう、ならない為に治療するんでしょ!」
私は自分の意見の正しさを疑わなかった。エンドロールは、自分に都合のいいストーリーでしか流れない。そんな、愚かな自信があった。
つゆが変な色のうどんが運ばれきて、私たちはひとまず、この話を止めた。
430円をぼられた様な嫌な気がした。和彦も同じようなことを感じたのだろう。
「430円か……」と、彼はいつもの様に割り箸を割って私に渡した。
こうして私たちは『いつも=日常』に触れた。この時から、私たち夫婦の残り時間のカウントダウンが始まったんだ。
私は、彼が綺麗に割った箸で、いつもの様に当たり前にうどんを食べた。
430円の不味いうどんを食べた割り箸は、彼に割って貰った最後の割り箸となった。
和彦は、私の意見に折れる形で治療をスタートさせた。彼は「嫌になったら途中で治療止めっからな」と、四の五の言いながらも入院した。
抗がん剤と放射線の治療を受けた。治療の度に和彦の中の健康な細胞たちまで悲鳴を上げているようだった。
剛毛で広がると悩んでいた和彦の髪は抜け落ちた。想定外の眉毛とまつげ、鼻毛の脱毛を見て、私は恐ろしくなった。
あっという間に、割り箸なんて割ることもできないほど、握力は衰えた。
足の筋肉はなくなって、自分で歩行することができなくなった。和彦はおどけて「自分で歩いて病院へ来たのに、ざまあないよな」と笑った。なんにも、おかしくなかったけれど、私も笑った。
和彦はここにいるのに、私のテリーマンは、どこに消えてしまったの?
骨と皮になったグロテスクな彼の肉体に触れ、私は、彼に治療を勧めたことを後悔した。それは、『絶対にしてはイケない後悔』だった。私は私の後悔を無視して、治療を続けてほしいと医者に迫った。治療の継続を懇願しておいて、和彦の惨い姿を見ては、こんなはずではなかったと、医者を恨んだ。
やがて、和彦の肺は、活動することをボイコットするようになった。その度に、彼は水の中で溺れているように苦しんだ。もはや、『死』しか、彼の苦しみを救うことができなかった。しかし、人は、そう簡単に死なないし、医療は、簡単に人を死なせない。
投薬治療の打つ手がなくなった頃、和彦の苦しみを緩和する為、モルヒネの投与がスタートした。すると、僅かな時間、彼に穏やかな時間がやってきた。それは、彼が死に至る一週間前のことだった。
「なんで、俺だったの?」
「……えッ?」
「俺のこと、誘ってきたの久美だし……いっつも自身満々に運命の人だって言うから」
長居しすぎた個室の病室は、生活感で溢れていた。薄汚れた窓から、差し込む日の光が、ベッドの上の和彦の股間を柔らかく照らしていた。
「……だって……和彦のそれが裸電球みたいに発光した」
和彦の股間を指差した。
「チンコ?」
私は、頷いた。
「……マジで言ってる?」
私は、更に大きく頷いた。
彼は軽蔑と驚嘆が混じったような、なんとも変な顔で私を見た。
息を呑んで「マジだよ」と答えた。
生き続ける人同士の付き合いでは、隠し事は時間を円滑に流してくれる。1分後に死んでしまうかもしれない人と対峙する場合、真実を打ち明けることで、時間は僅かに淀んでくれた。
「久美……お前、色んな男のチンコが光って見えるのか?」
「いやいや、和彦だけだよ。だから、和彦が運命の人って、言ってるの」
「……今でも、光ってんの? 俺のチンコ」
「……最初のデートでセックスしたでしょ。そしたら、光らなくなった」
「どういう、システムなんだよ……」
「……和彦のイチモツがピッカーンって、勢いよく発光して……綺麗だったなぁ」
「イチモツが、綺麗って……何、言ってんのッ!?」
彼は力なく、だけど大笑いした。途端に、酸素量を計測するパルスオキシメーターがアラームを知らせ、看護師が病室に慌ててやってきた。彼は、それでも、苦しそうに笑い続けていて、私は、こっぴどく看護師に叱られた。
夫婦の最後の長尺の会話だった。
私は今も和彦と暮らした家で、住んでいる。賃貸の平屋は、一人で住むには広すぎるし、少々物騒だ。
箪笥には、和彦の服も下着もそのままで、食器棚には彼の使っていた、茶碗もお箸もある。褪せていく日常に私は手をつけれない。彼が、触れたことのない唯一の家具は、和彦の仏壇だ。薄情な私は、基本、仏壇の前に座らない。
だって、手なんて合わせたくないんだもん……。
久々に、埃の溜まった仏壇の前に座って、これでもかというほど、勢いよくリンを鳴らしてみた。音の大きさに比例して、何かしらのスピリチュアルな効果が働く気がする。
リ――――――ン。
音の余韻を聞く時、私はいつも、「音が消えてなくなってしまうのが、嫌だ」と、思いながら、音が消えるのをじっと待つ。
テリーマンだった頃の和彦の遺影に笑いかけられて、私は私の罪深さを再認識する。
和彦は私の願いのままに、1秒でも長く、この世に存在してくれた。人間の生を全部吸い取られながら、死ぬ為に生きた和彦の姿を忘れたことなんてない。
なのに! 車谷のイチモツが発光して見えるなんて! 私は、最低だ! クズだ!
自分の視覚を咎めてみても、車谷くんの発光は収まらなかった。
私は派遣会社に、勤務先の変更依頼を申し出ようと、心に決めた。
「人間関係で悩んでいて、勤務先を変えてほしいんです」と切実な感じで訴えたら、今月末の勤務締めで、誰かと交代となるだろう。所属する派遣会社は、コンプラとか、そういうモノに異常に、敏感で(以前、集団で訴えられたらしい)この手の要望は迅速に対処される。今の工事現場の人たちには心苦しいが……人間関係で悩んでいるのは、まったくの嘘ではないし、第一、本当の理由なんて言ったら、一生派遣先は紹介してもらえないだろう。
色んな事を悶々と一人思って、心の中は忙しかった。一人で勝手に決断して、一人でたまらなく切なくなった。
別れがたいよ、車谷くん……君のフルハーネスに食い込むお尻のフォルムも、ヘルメット焼けして、額に線の入ったあの顔も、本当は、触れてみたいんだ……発光するナニだって、減るもんじゃなし、ちょっと、触らせてよ!
うららかな、現場事務所の午後。
請求書の2685万という結構な金額をパソコンに打ち込みながら、自分の変態加減に泣けてきた――と、その時だった。
車谷くんの後輩(イケメン平成生まれ)が、顔面蒼白で現場事務所に駆け込んできた。
「車谷さんが二階の足場から、落ちて、今、救急車が!」
事務所にいた数名の職員が騒然と動き出した。
私は反射的に事務所を飛び出すと、やってくる救急車の音がはっきりと耳に届いた。工事現場に向かって正気の沙汰じゃない勢いで走った。
私と小松倉所長は車谷くんに付き添って救急車に乗った。
個室病室のベッドで眠る車谷くんのイチモツは消灯している。
私は、呆けてその股間を見つめていた。
命に別状ないんだし……発光しなくなって、よかったじゃないか……。
車谷くんは、約4メートルの高さから落下した。ぽっちゃり体形の彼が自分の重さでストーンと真っ直ぐ落ちた先は、たまたま本日、大量に搬入された防音シートの山の上だった。もう、数センチずれていたら、彼は舗装したばかりのアスファルトの上に叩き付けられていただろう。外傷は軽い打撲程度だった。気を失ったままなので、一応CTなんかも撮ったけれど、骨、頭、共に異常はなかった。
しかし、血液検査の結果に問題があった。彼の血糖値は基準よりもはるかに高い数値だった。ペットボトル症候群と診断された。彼は、急性の糖尿病になっていたのだ。やはり、スポーツドリンクのバカ飲みがイケなかったのだ。
車谷くんが落下した現場を目撃した職人の証言では彼は、クラッと体が揺れて足場を踏み外したそうだ。
担当の医者は、ヒョロヒョロとした若い医者だ。
「糖尿病による、めまいの発作が起きたようですね」
「命に別状はないんでしょうね!!」
耳に入ってきた医者に対する声が理不尽に喧嘩腰で、自分で驚いてしまった。
「大丈夫ですよ。今は、高所から落下したショックで、ただ、眠っている状態です。念の為に、目が覚めるまでは、だれか付き添って下さい」と、若い医者は不慣れな調子で言って、そそくさと去っていった。
私と一緒に病室に残された所長が「……逃げたな」と呟いた。
それから私と所長は半時間ほど、車谷くんの目覚めを待ったが、車谷は一向に目覚める気配はなかった。ぽた……ぽた……と落ちる点滴を見ながら、所長が「ジジイの残尿じゃ、あるまいし」と、じれったそうに言って貧乏揺すりを始めた。
「俺、一旦、現場に帰る」
「えッ!」
「色々と、会社に報告あるし……水島さん、傍にいたいんじゃない?」
「えッ!?」
「車谷のこと、好きだろ?」
「がッ! なんで、違います!!」
「そうなの? でも、気になるんだろ?」
「だぁッ!! 何でですか?」
「……車谷の事、よく睨みつけてるし」
「睨んでませんッ!!」
「まッ、大したことなくて良かったな……目覚めるまで頼むよ」と、車谷くんを私に委ねて小松倉所長は工事現場に帰っていった。
小松倉所長が帰って1時間が経っても車谷くんは目覚めなかった。とうに点滴も終わったのに、起きそうにもない。
糖尿病は「大したこと」じゃないのか? 1週間も入院治療が必要だと言っておいて、あのヒョロヒョロ医者も、「大丈夫」って、何がどう大丈夫なんだ?
消灯したままの車谷くんの股間を凝視していると、不安でおかしくなりそうだ。
堪えて鼻を啜っていたが、涙が一粒、ポロッと溢れたら、もう、ダメだった。熱い塊が胸からぐっと押し沸いてきた。私は、おいおいと子供のように泣きながら、車谷くんを見た。
眠る車谷くんのほっぺは、ふくよかで血色がいい。Aカップはありそうな胸が、呼吸に合わせてゆっくり上下している。全てが愛おしい。私はもう、どうしようもなく車谷くんが好きだ。今、好きになったのか、随分前から好きだったのか分からないけど、この人が、好きで好きで仕方ない!
「目を覚ましてよ……私の割り箸を……割ってよ。ねえ、車谷くん!」
その時、車谷くんの体が全体的にビクリッと動いた。エクソシストみたいな、妙な動き――そして、彼のイチモツはフワァと、発光し始めた。
「……車谷くん?」
「……はい」
車谷くんは薄目を開け、私を確認しながら恐る恐る聞いてきた。
「僕、生きてますよね?」
私は車谷くんの手を握った。瑞々しい皮膚で覆われた手は、指が短くて、ブヨブヨで肉肉しい。彼の手を頬に寄せた。車谷くんの皮膚の匂いに胸がときめいた。
「生きてるよ。車谷くん! 車谷くんは、生きてる!」
車谷くんのイチモツは燦然と強く発光した。
「水島さん……タに濁点を、お願いします。僕はクルマダニです」
入院中に何度かお見舞いに行って、彼の就寝中、イチモツは消灯してしまうことが発覚した。何しろ、和彦の時は、慌てて(ラブホで)結ばれてしまったので、就寝中の発光については、知る由もなかった。私の瞳がそういう、システムだと知っていれば、不安で泣いたりしなかったのに、なんとも、悔しい。
事故から、1カ月後。
車谷くんは、投薬治療に切り替えて、無事に現場復帰している。
日々、物凄く私を意識している。毎朝の挨拶すら、たどたどしく「おはようございます」と言い、そして、残念なビジュのくせに顔を赤らめて、恥じらう。
控えめに言って、カワイイじゃないか!
恥じらってる場合じゃない。車谷くん。
君のイチモツは、狂おしいほど、発光しているんだよ!
【おわり】