【最終選考作品】川沿いに桜(著:寝癖)
二度目の賃貸契約更新の紙切れが届いて、当たり前みたいにあたしたちの関係も更新されないことが決まった。
四年前、大学を卒業してしばらくしてから、ただ一緒に居たいという理由で始めた同棲。結婚という目標を掲げていなかったせいで、お互いの熱量が減っていくことに抗えないまま、いつしか好きの延長線上を惰性で暮らしているだけになっていた。明確に嫌いになったわけではない。一緒に居たい、から、ただ一緒に居る、に変わっただけ。それだけのこと。
「部屋良さそうなところあった?」
L字型の無駄に大きいソファの長い辺に寝転びながら足先をバタつかせて、短い辺に座ってスマホをイジる陽司に話しかけた。
「うーん。いくつかあったんだけどどれも決め手に欠けるよな」
画面をこちらに寄越すのでしかたなくあたしは起き上がって隣に座り直した。二人でこのソファを買ったとき、あたしが二人掛けの小さいのでいいと言うのに、ソファは結衣と俺が一番長く過ごす場所にしたいから窮屈じゃない方がいい、と陽司は譲らなかった。いまとなれば、陽司が正しい。あたしか陽司のどちらかがソファで寝転び、もう片方が短い辺に座る。この譲り合いがあたしは好きだった。
「ワンルームでいいの?」
陽司が見ていた画面には、ワンルームの部屋が表示されていて、絞り込みの欄の1K、ワンルームにチェックがあった。いまの部屋は2LDKだからずいぶんと狭くなる印象だ。
「まあ一人だし」
「寂しいね」あたしがふざけて笑うと、
「やかましい」とすぐに笑う。
「お互いさまだろ」と付け加えて、あたしはそれにまた「寂しいね」と返す。
なんとも言えない二人の微笑だけを残して少しの間、リビングに沈黙が落ちた。
「どけーい」
スマホを渡して手持ち無沙汰になったのか、陽司があたしを邪魔者扱いして、ソファに横になった。
「ずるい。あたしが寝てたのに」
「いま座ってたろ?」
「うるさいー。じゃまー」
抱き付くように、あたしも横になった。背もたれと陽司の隙間に入り込む。
「うわ。あぶねっておい」
ずるずるとゆっくり確実に陽司はあたしからズレて離れていって、あたしはそれを支えることもできずに、こらえきれず笑っていた。やがてソファから落ちていった。
「いたい」
陽司がソファの下で横になったままの体勢で肩をさすりながらこちらを恨めしそうに睨む。あたしはまた笑う。
「いたかったね」
「いたいよ。なんだよ他人事みたいに」
「他人事じゃないよ。いたかったよね」
あたしも一緒に陽司の元にゆっくりと落ちていく。
「うぇ、重い」そう言いながら、腕をあたしの背中に回す。
「うるさいよ」
陽司の胸に顔をうずめる。風呂上がりの匂いがした。ここから何かが始まるのも、何も始まらないのも耐えられなくて、さえぎるように無理矢理に立ち上がって陽司を見下ろす。無防備な姿が馬鹿みたいで愛おしい。
「あたしもお風呂入ってくるね」
「うん」
後ろで、位置のズレたソファを戻すにぶい音がした。簡単に元に戻せることが少しだけ羨ましかった。
大学で出会った頃、あたしたちは教員を目指していた。あたしは希望通り中学校で国語の教科を受け持った。陽司は歴史、地理の教員免許を取得したが、教師にはならず市役所に就職した。理由は詳しくは聞いていないけれど、ちょうどあたしたちが教員を目指していた頃が、モンスターペアレントの問題や、いじめ問題といった良くないニュースが頻繁に流れていた時期でもあったからそれが影響したのかもしれないし、ただ安定を選んだだけかもしれなかった。
土日休みのあたしたちは、週に一度、土曜日か日曜日に一週間分の食料を最寄りの大型スーパーに買いに行く。とはいえ毎日家で食べるわけではないので、必要最低限のものと、冷凍食品や必要な日用品を買う。
「あと一ヶ月だし、使い切れる分だけにしないとな」
何気なく言った陽司の言葉をあたしはまともにくらってしまった。気取られないように振る舞おうとしたけれどもう遅かったらしい。
「ごめん。無神経だった」
陽司はこういうときちゃんと謝る。あたしはそこが好きだったけど、いまは謝らないでほしかった。陽司が悪くなるとその分だけあたしがみじめになるから。
「あっちがう。考えてなかっただけ。ほんとだよね。いつも通り買っちゃうところだったよ。もうそろそろ考えて買い物しなきゃだよね。食材は腐っちゃうと困るし、日用品は使い切れなかったらもったいないもんね」
明らかに喋りすぎだ。動揺を隠すための薄い言葉はいくら重ねても、あたしを隠すのには適していないのに。わかっているのに黙っていられない。
「何買うんだっけ?」さらに続ける。
「とりあえず今週分の食料かな」
「そうだね。使い切れる分、ね」
「うん」
料理はあたしの担当だから、冷蔵庫の中身はあたしの方が詳しい。いつも通り、減った分だけ追加すればいい。簡単だった。そう、簡単なことだったんだ。減った分だけ足せば良かっただけなのにあたしたちはそれが上手くできなかった。
買い物袋を一つずつ持ってスーパーを出た。それぞれが外側の手に買い物袋を引っ下げて、空いた方の手を繋いだ。帰り道には小さな公園があって、休憩がてら端っこにあるベンチに腰かけるのが習慣になっていた。
「この木って桜だよな」
少し腰を浮かせば触れる距離にある一本の木を、陽司が見上げる。すっかりと青々とした葉に変わっている。
「うん桜だね。綺麗だったよね」
春にはここでささやかながら花見をした。といってもスーパーで買ったおにぎりを二人で食べただけで、花見と呼べるかはあやしいけれど。
「上野公園とかさ、目黒川とか二人で行ったけど、俺はここで結衣と二人で見るこの桜が一番綺麗だと思う」
陽司がこうやって丁寧に何かを言う場合、大抵はふざけている。だからたぶんこれもそう。
「そんなわけないでしょ。絶対、上野公園の方が綺麗だったし、目黒川沿いなんて感動してたじゃん」
あたしが返すと、陽司はやっぱり嬉しそうに顔をくしゃくしゃにした。期待に添えたあたしも嬉しくなる。
「バレたか? やっぱ圧倒的に量が違うもんな」
「川沿いの桜が一番綺麗って何度も言ってた」
「それは結衣も共感してなかった?」
「してた。あれはずるいよね」
「ずるいってなんだよ」
「鬼に金棒じゃんね」
「そうか?」
「虎に翼だよ」
「うん」
「獅子に鰭」
「ん?」
「弁慶に薙刀」
「わー、わかったよ。急に国語教師の本気出してくんな」
「駆け馬に鞭」
「もういいって。どんだけあんだよ同じような意味の言葉」
「うーん……」
「もうないならいいから。十分出した方だから、すごいって」
「あっ。竜に翼を得たる如し」
「翼かぶってんじゃん。それだけちょっとテイスト違うし、如しとかうるせーよ」
「で、川沿いに桜ね」
「増やすな。そんだけあったらもういいよ。足りてない言葉いっぱいあるんだからそっちに分けて」
「でも川沿いに桜って語呂もいいし、なんか気に入ったかも」
あたしがそう言うと、試すように陽司も二度、三度、川沿いに桜、と繰り返した。まるで流れ星でも見つけたみたいに。願い事をつぶやくみたいに。
「たしかに気持ちいいかもな」
「でしょ? これから鬼に金棒みたいな意味を使いたいときは川沿いに桜って言ってみようかな」
「鬼に金棒みたいな意味を使いたいときなんてある? いままでの人生で一回もなかったんですけど」
「いままさにあったでしょ」
「いやそうかもだけど、これ絶対説明いるよ?」
「そっか。じゃあ陽司といるときだけ使うことにするね」
「それならまあ。もう使いたいときなんてないと思うけどな」
「そう、かもね」
「あ、いや、でもさ、俺はほんとにここで結衣と二人で見るこの桜が好きだったよ」
「それはあたしも」
そこで話が途切れて、どちらからともなく立ち上がった。九月の風に緑の葉が揺れる。この木はまた来年も変わらず綺麗な花を咲かせるのだろう。もう見ることもない桜を思って息がつまった。隣では陽司も見上げていた。名残惜しそうに見つめる目には、あの日の桜の花が映っているのだろうか。
「第一回、家具争奪戦〜」
休日の昼下がり、あたしは高らかに声をあげる。気分はテレビスタジオ、場所はいつものリビング。突如始めた司会に、陽司が夏服を段ボールにしまう手を止め、困り顔で一応の拍手をこちらに送る。
「家具争奪戦?」
「うん。家具争奪戦」
「いや、説明をください。オウム返しではなんともならないです」
長くなりそうだと思ったのか、陽司はキッチンに向かいコーヒーを淹れる準備を始めた。二人分のマグカップを手に持ちこちらに掲げるので、あたしは大きくうなずいた。
「ああ、そっか。じゃあ説明するね」
「ぜひ」
ソファに座り直し、身体ごと後ろを向く。背もたれに両腕を置いてその上に顔を乗せると、対面型キッチンにしたおかげで、こうして座りながらでも陽司の顔がよく見える。
「あたしたちはこれから別々の家に住みますので、新たな家具が必要です。ですが、この部屋にある家具を全て処分するのは非常にもったいないです。そこで、この部屋の家具をあたしと陽司の二人で奪い合うのです。そうそれこそが……」
わざとらしく間を開けると、頭の中でドラムロールが鳴った。適度なタイミングを計っていると、「長い長い」と文句が飛んできた。
「第一回、家具争奪戦〜」
「奪い合うって言いかたにしないでよくないか? 分け合うとか、譲り合うの方が平和だろ」
「それだとゲーム性出ないじゃん」
「ゲーム性出す必要あんのかよ」
あるよ、と強く返そうとしたのに意味を持ちそうになって言葉に詰まった。代わりの言葉も出なくて、無視した形になってしまったけれど、ちょうど二人分のコーヒーが注がれたようで、陽司がマグカップを両手にこちらに近付いてきた。
「てか説明聞いた上で、冒頭の第一回ってなんなんだよ。第一回で終わりだろ」
ソファの前のローテーブルにあたしの分を置き、ズレろ、と言わんばかりに身体を押し当ててきたので、しかたなくまた座り直す。ありがとう、と言ったタイミングと陽司があたしに身体を押し当てたタイミングが被り、陽司が少しだけ笑ったので、コーヒーを指差した。『身体押されてお礼言うってどんな卑屈な奴なんだよ』と陽司。『違うわ、コーヒーのお礼じゃ』とあたし。頭の中で勝手に会話を想像する。たぶん、大枠では外れていないと思う。
「それは雰囲気じゃん。盛り上げ下手だね」
「俺が悪いの?」
「いいから早く始めようよ」
「わかったよ。じゃあゲームマスター兼プレイヤーの結衣さん。ゲームの進行よろしく」
「それいいね。雰囲気出せるじゃん。じゃあまずは、ファミリータイプの大きな冷蔵庫から」
「おお、いきなりメインからだな」
「ああ、そっか。最初は小さいのからにする? この小さい加湿器とか?」
「いいよ。さあ、どうやって決めるんだ?」
「えっ、ジャンケンでいいでしょ?」
「まあそれしかないか」
「では、改めて。加湿機能に特化したコンパクトでそれでいてインテリアとしてもかわいい加湿器を賭けてジャンケン勝負……」
「あれ、これって一発勝負? それとも三回勝負とか、三本先取とかにする?」
「えっ、とりあえず一発勝負でいいんじゃない?」
「おっけー。まあ加湿器は欲しいよな」
「それではジャンケン一発勝負。ジャンケンとは果たして運なのか、それとも読み合い、心理戦となるのか、泣いても笑っても一発で決まる……」
「えっと、これ、勝ったらもらえて、次は相手が選べるのか? それとも一回ずつ勝負する形式か?」
「えっ、一回ずつなんじゃない。どっちでもいいからこれ終わってから決めようよ」
「それもそうだな。わかった」
「それでは運命の初戦、グーチョキパー出したその手で見事加湿器を摑むことができるのは果たしてどちらなのか……」
「これって最初はグー? それともいきなり……」
「冷めるって」
「えっ?」
「せっかく雰囲気出して盛り上げてるんだから。途中途中でルール確認しないでよ。その度に一回、うーんってなる時間あるんだから。ゲームマスターから人に戻る瞬間すごい恥ずかしいんだからね」
「でもゲームマスターさんね、ルールを……」
「やめて。いま完全に人だから。ゲームマスターの要素出せてないから」
ゲームマスターに少しでもなりきろうとした自分が急に恥ずかしくなった。コーヒーを一口飲んで落ち着かせる。
「もうやめよ。普通に分け合おう」
二人のものを分け合うなんてことが、なんの感情も抱かずに終えられるとは思えなかった。だからせめてふざけた形にしたかったけど、遊びにすることで思い出が増えてしまうのも怖くなった。二人の行動があと一カ月もしないうちに思い出に変わるのが決まっているから。
「なんだよ。最初からそうすればよかったのに。ゲーム性なんていらない。平和的解決をしようじゃないか」
「なんでちょっとだけゲームマスターっぽい喋りかたなのよ」
意外にもお互いの必要なものが一致していなかったということもあって、感傷に浸る間もなく、淡々とお互いの所有物が決まった。二人ともいらないものは売ることにした。
「ほら、ゲーム性なんていらなかっただろ」
「うるさいな」
「これが最後だな。このソファはどうする?」
座っていたから気がつかなかった。
「これは、あたしいらない」
このソファだけは思い出が詰まりすぎていて重かった。
「俺も、いらないかな」
「かわいそう」
「いや、いらないっていうか、これは持っていけない……重いよ」
陽司も同じ気持ちなのかもしれなかった。
「そうだよね」
「一人で暮らすには無駄にでかいし」
「えっ? 重いって何? 物理的な話?」
「それ以外に何があんだよ」
「違うでしょ。二人の思い出が詰まってて重いって話でしょ」
「思い、と、重い? え、ダジャレ?」
「もう黙って」
「冗談だよ」
陽司が突然立ち上がってこちらを振り返る。ソファの座面をぽんぽんと優しく撫でた。
「このソファはさ、売らないでちゃんと処分しよう」
「なんで?」
「二人だけのものだろ? このソファは二人だけのものとして終わらせたい。俺たちのどちらか一人のものでも、他の誰かのものでもなく、二人のものとして」
やっぱり好きだな、と思えた。いつもふざけていても、大事な核の部分はいつでもちゃんとしている。
「だね」
「それまでは大切にしような」
「うん」
こうして第一回家具争奪戦は、中止からの平和的解決で終了した。
陽司の部屋が決まったらしい。入居日は二週間後の秋分の日。一応この部屋の退去日は九月の末日だけど、新しい部屋の契約上の関係で一週間程早く出ていく。
あたしの部屋も審査が通れば決まる。入居日は月末の土日になるように調整してもらっているし、審査は問題なく通ると不動産屋からは言われているので心配はしていない。勤務先の学校から近すぎず一時間圏内で通える本蓮沼駅から徒歩五分程度の部屋にした。いま住んでいる津田沼駅より近くなるし、駅からも離れていないから条件としては良かった。部屋は1LDKで少し狭くなるけれど一人だから問題はない。問題は家賃だけれど、贅沢しなければ大丈夫だろうと思う。
冷蔵庫を開けるたびに空きスペースが増えていくのが気になった。替えのトイレットペーパーも着実に減っていて、いつもなら買い足しに行っているはずだ。日用品の消耗が直接、残り少ないあたしたちの時間の消費をあらわしているようだった。
片付けもおおまかには終わっていて、部屋の風景が物足りない。完成したジグソーパズルのピースを一つ一つ剥がしていくみたいな気持ち悪さがあった。引越しの準備は進んでいくのに、気持ちの整理だけがどうしても片付かない。それでも日常はあたしの感情とは関係なく勝手に過ぎていき、二人で過ごせる最後の週末があっという間にやってきた。
せっかくの休みに目が覚めると昼過ぎだった。隣ではまだ陽司が寝ていて、お酒の匂いをかすかに感じた。週末はどこかに出掛けようか、という陽司の提案には乗らなかった。最後にというような言いかたはしなかったけれど、明確に最後というのが浮き彫りになるのが嫌だったから。
寝室を出てリビングに入ると、缶ビールやツマミといった昨日の残骸が昨日のまま放置されていた。昨日の夜は二人で近くの居酒屋で飲んだあと、さらに部屋で映画を観ながら飲んだ。映画の内容は覚えていない。
とりあえず洗面所に行って顔を洗った。鏡の中の女はひどい顔をしていて、目の下のくまがどんよりと暗い。指で目の下の血行を良くするマッサージを軽くしたあと、歯を磨く。化粧水と乳液を簡単に肌に馴染ませてから、再びリビングに向かう。ゴミを捨てて、空き缶をキッチンに持っていく。
陽司が飲んだ方の缶の底に少しだけ液体が残っている。いつも飲みきらない陽司の悪い癖だ。流し台に残りを捨ててから水ですすぐ。
「あ、ごめん。ありがとう」
まだ眠そうな陽司が頭を搔きながら、キッチンの横を通る。片目をつむったままの顔がとても不細工だった。鏡のなかのあたしも相当だったけれど、よりひどくて安心する。
「あとやるから置いといて」
あくび交じりに洗面所に向かう陽司に、もう終わるから、と返したが聞こえたかどうかはわからなかった。
二人分のコーヒーを淹れる。普段の陽司はブラックのまま飲むけれど、朝だけはミルクを入れて飲むので、いつからかあたしも真似をしている。
ソファに座って二人でカフェオレを飲む。寝起きの陽司は喋らない。テレビもつけないから、無音のままゆったりとした朝が流れる。正確にはもう昼過ぎだけれど。陽司の寝癖に手ぐしをいれると、その間は大人しくじっとしているのに、終わった途端に鬱陶しそうに頭を振る。動物みたいだな、といつも思う。
しばらくして、頭が起きてきたのか、「どっか行く?」と改めて聞かれたので、「行かない」と改めて断った。まだ、この部屋で過ごしたかった。残り少ない時間を陽司と二人で。
「腹減った」
陽司が子どもみたいにお腹をさする。
「もう冷蔵庫なんもないよ」
「そっか」
「うん」
「結婚しよっか?」
「うん」
どっか食べに行こうか? みたいな気安さで、あたしは意味を理解しないまま応えていた。
「え?」
「え?」
そこで目が合った。あたしはともかく、どうして陽司が不思議そうな顔をしているのかがわからなかった。
「するの?」と驚いたように陽司が再確認してくる。
「しないの?」
陽司が大きく笑ったあと、「する」と勢いよく立ち上がった。ようやく理解が追いついて、ことの重大さに気がついた。
「あたしたち別れるんじゃなかったの?」
「そのつもりだった」
「そうだよね?」
「でも別れるって決まってから、なんで別れるんだろうってずっと考えてた」
「うん」
「同棲始めてずっと一緒に居たから、それが当たり前みたいになってて、でも別れるってなってからそれが当たり前じゃなくなって。ありえないって思った。結衣と別れるってことが」
「何それ」
「二人の気持ちの熱量が減ったんじゃないかって」
「わかるよ」
「けど、たぶん、減ったわけじゃなくてさ、好きの種類が変わっただけなんだよ」
よくわからなかった。理解できたわけじゃないのに、それでも拙い説明を必死に紡ぐ陽司に、あたしはなぜか嬉しくなった。
「これからも好きの形は変わっていくと思う。でも、結衣のことを好きってことだけはこの先も変わらない」
あたしも陽司のことが好きだ。減ったわけじゃなく、たぶん形を変えて。
「要するに量じゃなくて質ってこと?」
「要するな、こんなこと。プロポーズの言葉を聞いて要約する奴なんかいないんだよ」
「長いんだもん。端的に言って」
「なんだよそれ」
「ほら」
「ずっと好きだから、結婚してください」
「よろしい」
「よろしいってなんだよ。プロポーズ添削すんな」
「それより、部屋どうすんの? 二人とも部屋借りちゃったじゃん」
「俺、借りてないよ」
「どういうこと?」
「途中から別れるつもりなかったから部屋借りてない」
「バカでしょ。別れてたらどうするつもりだったの」
「考えてなかった」
「あきれた」
「笑ってんじゃん」
「笑ってないし」
【おわり】