【入選】兄の鳥葬(著:飛鳥休暇)
おにいの死体には今日も鳥が群がっている。
丘の上の平たい大岩に放置されたおにいの身体は、三日目にもなると原形はほとんど留めておらず、熟したザクロみたいな塊が骨の周りにいくつか散らばっているだけだ。
大きい鳥は大きい肉を、小さい鳥たちは小さな肉を、自分が食べるべき肉がどれかを理解しているかのように行儀良く分け合っている。
ときおり吹く風は冷たく、遠く向こうの山のてっぺんにはうっすらと雪が積もっているのが見えた。
わたしはあれから毎日おにいの様子を見に来ている。わたしが殺したおにいの様子を。
「おーい、ムイや」
後ろから声が聞こえたので振り向くと、少し離れた所からおばあが手招きしているのが見えた。
わたしは少しの名残惜しさとともに、大岩を囲っている木の柵から手を離しおばあのほうへと駆けだした。
「危ないから見に行ってはいかんと何度も言っとるじゃろ」
「ごめんなさい」
わたしは小さく頭を下げてから、足の悪いおばあの手を取って一緒に丘を下っていく。
しばらく歩くと土壁造りの自宅が見えてきた。
家につくと、わたしは浸けておいた羊の毛をお湯で洗い、日当たりの良い場所に干していく。刈ったばかりの羊の毛は汚れているから、洗剤を入れた水に一晩ほど浸けておくのだ。
そうして今度は綺麗に乾いた毛を袋につめて家の中に入っていく。
先に家に入っていたおばあは入り口から入ってすぐの広間にいて、規則的な動きで織機を動かしている。昆虫の足がいくつもからまったような織機を動かし、ゆっくりと、でも確かに編み上がっていくおばあの織物を隣で見ているのが好きだった。
わたしはおばあのすぐそばに座って、袋につめた羊の毛を道具を使ってほぐしていく。丁寧にやらないと綺麗な糸にならないとおばあにきつく言われているから、おばあの作業を眺めつつもしっかりと手は動かしていく。
こうしてできた織物や木で彫った工芸品はこの村の大事な収入源のひとつだ。
「チュムカの魂はもうあそこにはないからの」
おばあが突然ひとりごとのように呟いた。でもきっとそれはわたしに言い聞かせるために言ったのだ。
「あそこにあるのは器だけじゃ」
分かってる。死んだ人の魂は先に天へと還り、残った器の肉体は自然へと還す。そうすることで新たな魂として生まれ変わることができるのだ。
「わしもこの織機が使えんようになったら、それで仕舞いじゃ」
かこんかこんと織機が音を立てて糸を編み上げていく。おばあの目は薄い灰色になっていて、最近はかなり見えづらくなってきたと言っていた。
「人のために生き、人のために死ぬ。それがこの村の掟じゃからの」
おばあは乾いた風みたいな声でそう言う。それが当然のことだから。悲しいことではないのだから。
「それまでにはお前にも織機の使い方を教えといてやるからの」
おばあには死んでほしくはないけど、織機を使えるようになるのは楽しみでもあった。
「おーい、ムイ! そろそろ稽古の時間だぞ!」
窓から差す光が赤みがかってきた頃、外からソンギが呼びかけてきた。
「いま行くよ!」
大きな声でそう応えてから、おばあに行ってきますと声をかける。おばあは集中し出すとまわりが見えなくなるから、反応はなかった。
家を出ると、暇つぶしをするようにソンギが細い木の棒を振って遊んでいた。
「本番は明日だから、今日は仮面をつけてやるんだぞ」
「わかってる」
わたしとソンギは同い年の十二歳だから、踊るのは今年の収穫祭が最後だった。
ソンギは木の棒を振りながらわたしの少し前を歩いていく。もう肌寒くなってくる季節だというのに、上半身に薄い肌着一枚しか着ていない。髪の毛も坊主に近い短髪で、寒がりなわたしは寒さに強いソンギが少しうらやましかった。
いま向かっている先生の家に続く一本道はなだらかな上り坂になっていて、周りを見渡すと村が一望できた。
高い山に四方を囲まれたこの村は、まるで器の底のようにも見える。底の部分にあたる平たい草原にはたくさんの家畜が放し飼いにされていて、村人は山羊や羊や鶏なんかと共に暮らしながら慎ましく日々を過ごしている。
大人の男の人はたまに山を越えて町に行き、織物や工芸品や羊の肉を売っては鉄製品や薬などを調達してくるのだ。
わたしもいつかは町に出ることができるのだろうか。
四方の山を見ていると、まるでおにいの鳥葬場所と同じような感覚がしてくる。
囲っているのが山か木の柵かの違いだけで、わたしもここで何かに食べられるのを待っているような気持ちがした。
先生の家につく頃にはあたりはすっかり暗くなっていた。
先生の家の前には本番と同じように松明が円を描くように配置されていた。
「ソンギ、ムイ。早くしなさい。他の子はもう準備できているよ」
踊りの先生であるプンさんが松明に火をつけながらわたしたちに言ってきた。プンさんの家は代々村人に踊りの指導をしていて、三歳になるプンさんの子どもも、きっと将来踊りの先生になるんだろう。
用意されていた衣装に着替え、仮面をかぶる。
明日は年に一度の収穫祭が行われる。八歳から十二歳までの子どもはその収穫祭の時に仮面をつけて踊ることになっている。
神様を表したこの仮面は男子と女子で形が違っていて、ソンギの仮面は楕円形でまわりには馬のたてがみがついている。そしてわたしの仮面はソンギの仮面より丸い形をしていて、男神と女神を表しているということらしい。
円になった松明の中に子どもたちが集まり、その中心にわたしとソンギが立つ。
今年の年長者はわたしたちふたりだけだから、自然と主役を任されることになる。
プンさんが太鼓を叩き、奥さんが笛を吹く。
わたしたちは音に合わせて手足を動かす。始めは両手を下に、次は上に。大地に感謝を、空には畏怖を。そして先祖に祈りを。
わたしとソンギのまわりを、年下の子たちが囲むように舞う。
どうか次の一年も豊かな実りがありますように。大きな災いが訪れませんように。
踊りの基本は八歳の頃からやっていることと同じだからそこまで難しくはない。でも今年は中心で踊らないといけないということが少しばかり緊張を高ぶらせる。
ひとつひとつの動きを確かめながら、松明の火に目を奪われる。
これはあの日と同じ。おにいの鳥葬の儀式とおんなじような光景だった。
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鳥葬の儀式は夜に行われる。弔いの最中に鳥がやってくるのを防ぐためだ。
あの日も今日と同じように、大岩に置かれたおにいの周りを松明の火が囲っていた。
祈禱役の人が鎮魂の歌を歌っているあいだに、わたしたち家族はおにいの身体に近づいていく。
松明のゆらめく明かりのなか、ぼんやりと浮かぶおにいの身体は見えづらく、おにいの命を最後に奪った首の絞め痕も、ここでは影に隠れてほとんど見えなかった。
おにいの身体を家族が取り囲むと、おとうが腰につけていた短刀を抜き出した。おかあの目から音もなく一筋の涙が流れ落ちた。
まずはおとうがおにいの太ももに短刀を当てた。そのまま力を込めておにいの身体に刃を沈み込ませていく。死んだ者の家族が遺体に切り傷をつけるのがこの村のしきたりだ。おとうの表情は変わらない。
おにいの身体から血が流れ出てきた。それは噴き出すわけでもなく、熟れた果実から溢れた果汁のように、どろりどろりと流れている。
おとうは刀を引き抜くと、それをおかあに手渡した。
おかあは指で軽く涙を拭き取り、おとうが切った場所とは違うところに刃を当てて、おにいの身体に傷を付けていく。
わたしとおばあは一緒に切ることになっていた。
おかあから受け取った刀をふたりで握り、また別の、切れていないところを選んでその刃を当てた。
ぐっと力を入れると、研がれた刃は思ったより簡単に皮膚を切り裂き手に肉の弾力が伝わってきた。病で痩せ細っていたおにいの身体にもこんなに肉があったのだとわたしは不思議な感動を覚えていた。
家族が遺体に傷をつけ終わると、そのあとは何人かの男の人がおにいの身体をばらばらに切り分けていく。鳥たちが食べやすいようにするためだ。
わたしも見たいと言ったが、おとうはだめだと言ってわたしを松明の外に追いやった。
骨を砕く音だろうか。だん、だん、という大きな音がこちらまで伝わってきた。
心の中で「おにい、おにい」と何度も声をかけた。
もうそこにはいないんでしょ。おにいは自由になれたんでしょ。
わたしは願った。祈った。そう信じた。
そうでなければわたしがおにいの命を奪ったことに意味がなくなってしまうから。
******
踊りの稽古が終わると、プンさんが先頭で松明を持ちわたしたちをそれぞれの家まで送ってくれる。
子どもたちは一列になって、はぐれないようにプンさんについていく。わたしと松明を持ったソンギが最後尾だ。
夜になると辺りは真っ暗で、雲間から覗く月のあかりだけがぼんやりと村を照らしている。遠くのほうで獣の遠吠えが聞こえてくる。村の周辺には獣よけの鈴が張られているが、夜は視界が限られているため危険なことにはかわりない。
わたしたちはできるだけ寄り添いながら坂を下っていく。
「おれさ、羊のさばき方を習ったんだ」
となりを歩くソンギがそんなことを言い出した。
「今度おれがさばいた肉をムイにあげるよ」
松明に照らされたソンギの顔は濃い橙色になっている。
「うん。楽しみにしとく」
わたしは近いうちにソンギと結婚することになるだろう。同い年の男の子はソンギだけだし、それは生まれたときから決まっていたんだと思う。
別にソンギのことは嫌いではない。彼もきっとわたしとの将来を考えて、わたしを安心させるためにそんなことを言い出したんじゃないかと思う。
それでいい。
わたしはおばあから織物を習って、ソンギは家畜の扱いを勉強し、そのうち大人と一緒に山越えにもついていくのだろう。
人のために生き、人のために死ぬ。それがこの村の掟なのだから。
でもほんとは、できることなら、わたしはおにいと一緒になりたかった。そんなこと天地がひっくり返っても無理だとはわかっていたけれど。
家につくとおとうとおかあも帰っていて、居間の囲炉裏には大きな鍋が煮えていた。
ご飯はいつもみんなで囲炉裏を囲んで食べるのだ。
「ムイ、おかえり。お腹空いたでしょ。今日は鳥鍋よ」
おかあが手招きしてくるので、急いでみんなのところにいく。
目の前に差し出されたお椀を受け取ると、すぐにお腹が反応して音を鳴らした。
山羊の乳と香草で煮られた鳥肉は甘塩っぱくて、歯を当てただけでほろりとほどけていく。
この鳥は、おにいの肉を食べた鳥だろうか。
絶対にそんなことはないんだけど、なぜかそんなことを考えてしまう。
「ムイ。今度町に行くとき、なにか欲しいものはあるか」
黙ってお酒を飲んでいたおとうがそんなことを言い出した。
「もう薬を買ってくる必要がなくなったからな。たまにはお前の好きなものを買ってきてやるぞ」
一瞬、なんて無神経なことを言うのかと思った。おかあも少し目を伏せている。
「いまは欲しいものなんてないよ」
「そうか。まぁなにか思いついたらまた言いなさい」
おとうが杯に残ったお酒をぐいっと飲み干してから、寝室へと向かっていった。
「あの人なりに、ムイのことを考えているんだろうね」
おかあが寂しげな笑みを浮かべながらそう言った。
わかっている。おとうは不器用な人だ。だからそんなおとうを利用して、わたしはおにいを殺したのだ。おとうはあの日のことを後悔しているだろうか。わたしは――。
「すっかり静かになったねぇ」
おばあがぽつりと呟いた。
囲炉裏で燃えている薪の音が、ぱちぱちとやけに大きく聞こえてくる。それはいままでは聞こえなかった音だ。
わたしの脳裏におにいの咳き込む声が響いてくる。
おにいの寝床は居間にあった。体調が悪くなってもすぐに分かるようにだ。
おにいは寝床にいるあいだ、いつも本を読んでいた。外国の本だと言っていた。
おとうが暇つぶしができるようにと買ってきた、出店で叩き売りされていた古びた本が外国の本だったらしく、それでもそれを読みたかったおにいは、おとうに頼み込んで外国語の辞書を買ってもらって、少しずつ言葉を覚えながらそれを読んでいたのだ。
本を読んでいるときのおにいの横顔を見るのが好きだった。ぱっちりとした目から伸びるまつげが本をめくるのにあわせてふわふわと上下する。
「おれは身体が弱いから、もし外国の言葉を覚えたらいつかそれがみんなの役に立つかもしれないだろ」
家からほとんど出られないおにいが、それでも村の掟を守るために考えたことだった。
人のために生き、人のために死ぬ。
おにいはどこかで引け目を感じていたのだと思う。人の役に立っていない自分自身のことが。そんなこと思わなくてもいいのにとほんとは言ってあげたかった。
「なあ、ムイ。世界のどこかには海ってものがあるらしいぞ」
羊の毛をほぐしているときにおにいが話しかけてきた。
「海?」
「そう。大きな大きな、この村よりもっと大きな水たまりで、その水はしょっぱいらしいぞ」
おにいが本の一部を指さしてそう言う。わたしは想像する。この村よりも大きな水たまりとはどんなものだろう。
「いつか見てみたいよな」
「うん!」
わたしはそこまで海に興味はなかったけど、おにいがとても嬉しそうな顔で言ってくるので、なんだかわたしも嬉しくなった。
体調が悪いときおにいはずっと寝ていた。少しでも無理をすると咳が出て止まらなくなるからだ。
おにいは肺の病気で、それは年々悪くなっているようだった。
わたしはおにいの咳が聞こえてくるとすぐさま枕元にある薬をおにいに手渡す。
口から吸い込むその薬を使うと、少しだけおにいの咳はましになる。そのたびに「ありがとう」と言うおにいはいつも悲しそうな目をしていた。
「チュムカというのは強い心って意味だ」
いつかおにいがひとりごとのように呟いたことがあった。
「付けてもらったこの名前のように強い人間に生まれたかったよ」
くちびるを嚙みしめて悔しそうな顔をしているおにいに「おにいは強いよ」と言ってあげたかった。
小さい頃、まだおにいが元気だった頃、わたしはおにいに助けてもらったことがある。
ふたりで山羊をさわって遊んでいたとき、一匹の雄の山羊が興奮してわたしに突進してきたのだ。
そばにいたおにいがとっさにわたしをかばい、かわりに山羊に突き飛ばされた。
ぐるんぐるんとおにいの身体が地面を転がった。怖くて大声で泣いていたわたしに、おにいはすぐさま駆け寄ってきて「大丈夫だよ」と言って抱きしめてくれた。
「おにいが死んだかと思った」
いまだに震えているわたしの頭を撫でておにいが優しく言ってくれた。
「お前のために死ねるならそれでもいいよ」と。
そんなおにいが弱音を吐いている。わたしはおにいの病気を恨んだ。強かったおにいを返せと心で叫んだ。
でも、わたしの願いもむなしくおにいの病気は悪くなる一方だった。
起きているあいだ、咳をしている時間のほうが多くなった。本を読むことも少なくなり、おにいはほとんど動かずに寝込むようになっていた。
おにいは泣いていた。
わたしに背を向けるようなかっこうで丸まりながら、声を殺してずっとずっと泣いていた。
だから、だからわたしは決心したのだ。
おにいの魂を救ってあげようと。
おとうとおかあが外に出ていたある日、おにいの咳が止まらなくなった。
おにいが枕元にある薬を取ろうとしたとき、わたしはそれを奪った。
「ムイ?」
おにいが咳き込みながら充血した目でわたしを見てくる。
わたしが薬を両手で抱え込んでだまって首を横に振ると、おにいは一瞬大きく目を開いた。咳はどんどんとひどくなっていく。おにいは身体を丸めて苦しんでいる。だけどそのなかで一度だけ、確かに一度だけおにいはわたしと目を合わせ、小さくうなずくような仕草を見せた。
そうしておにいは、もうわたしのほうを見ることはなかった。
おにいの顔がどんどんと青ざめてきて、喉からは笛みたいな音が鳴り出した。となりの広間からはかこんかこんとおばあの織機の音が聞こえてくる。
かこんかこん、ひゅーひゅー。
かこんかこん、ひゅーひゅー。
他の音は聞こえなかった。
わたしは願っていた。はやく、はやくと。
しだいにおにいの息が小さくなっていき、織機の音のほうが大きくなってきた。
おとうとおかあが帰ってくるころには、おにいの顔は真っ青で口からはすきま風のような音しかしなくなっていた。
すぐに異変に気付いたおとうとおかあが駆け寄って、おにいの名前を何度も呼んだ。
「ムイ、なにがあったの?」
おかあがわたしに近寄り言ってきたけど、わたしは目をつぶって首を横に振った。
ふいに、おにいの名前を呼んでいたおとうの動きが止まった。おにいの手がおとうの服を摑んでいる。
おにいが何か呟いた。
それはおとうにしか聞こえないほどの小さな声だったけど、口の動きはかすかに「お願い」と動いているように見えた。
「マオ、ムイ。外に出てなさい」
考え込むようにしばらく固まっていたおとうが静かな声でそう言った。
「あなた!」
何かを悟ったおかあが訴えかけるようにおとうに叫んだけど、おとうはこっちを見なかった。
おかあは顔を伏せて、わたしの手をとって家の外に出た。おかあはわたしの身体を抱きしめてずっと震えている。
それから少しして、おとうが家から出てきた。
「マオ、村のみんなに知らせを。……チュムカの魂は空に還った」
その言葉に、おかあは泣き崩れた。おとうはそんなおかあの肩に手を置き「チュムカは、わたしたちの息子は立派に生きたよ」と言った。
おとうとおかあが村のみんなのところを回っているあいだ、わたしはおにいのそばにいた。
ほんとは外で待っていろと言われたけど、おにいの顔が見たかったから。
手足を伸ばして寝ているようなおにいの顔は真っ青になっていて、首には絞められたような痕があった。おとうがやってくれたのだ。
分かっていた。
おにいは強い人だから。優しい人だから。
そしておとうは真面目な人だから。不器用な人だから。
ふたりとも、村の掟を守ろうとするだろうと。人のために生きることができないのであれば、人のために死ななければならない。
こうなることを分かっていて、わたしは薬を渡さなかった。おとうはおにいの、おにいとわたしの望み通り手を下してくれた。
だから、おにいを殺したのはわたしだ。
「良かったね」
わたしは静かになったおにいにそう語りかけた。
******
松明に火が灯される。
空はまだ赤く染まっていて、向こうの山のてっぺんに大きな太陽が沈み込んでいく。空を飛ぶ鳥が真っ赤な太陽に被さっていくつかの影を作った。
あれがおにいの身体を食べた鳥だったらいいなと思った。高く高く、太陽に向かって飛んでいけと願った。
「ムイ、準備はいい?」
ソンギはすでに仮面を被って準備をしていた。
「うん」
わたしも仮面を被り、ソンギの横に並ぶ。
わたしたちの準備ができたことを確認すると、プンさんが太鼓を叩き出す。
収穫祭当日。村人はそれぞれが持ち寄った料理やお酒を楽しんでいたが、太鼓の音が鳴り出すとそこかしこから拍手が沸き起こった。おとうとおかあも笑顔でこちらを見ている。
太鼓の音に合わせて円になった松明の中心へと歩いていく。太鼓の拍子が変わる。そこに笛の音が入ってくる。
わたしとソンギはひときわ大きな動きで両手を広げる。年下の子どもたちがそれを合図にわたしたちのまわりで隊列を組む。
プンさんのかけ声と共に舞を始める。はじめは両手を下に、それから上に。
大地に感謝を、空には畏怖を。そして先祖に祈りを。
わたしはおにいのことを思って踊った。
おにいの魂が、もうここにないならそれでもいい。生まれ変わるなら、もうこの村の子として生まれないでほしい。
どこか遠く、海というところがある場所に生まれたおにいは、元気にその大きな水たまりを泳いでいるはずだ。
おにいの魂が、まだここにあるならそれでもいい。わたしの踊りを見終わったなら、おにいの身体を食べた何十という鳥と一緒に山の向こうへ飛び立ってほしい。
わたしは死ぬまでこの村から出ることはないだろう。
だけどおにいは違う。
おにいを苦しめ縛っていた身体はもうここにはない。わたしがその縄をほどいたのだ。
人のために生き、人のために死ぬ。
この村のために生き、この村のために死ぬ。
おにいの魂はきっとこんな小さな村にとどまるべきではなかったのだ。
だけど、わたしがこの先ずっとおにいのことを覚えていることだけは許してほしい。
いつかソンギと家族になって、そしていつか子どもが生まれて、その子どもも大きくなって、わたしの身体が弱ってきて、織機の前に座っている時間が長くなって、そうやって日々を過ごしていても、わたしはきっとおにいのことを思い続けるだろう。
かこんかこん、ひゅーひゅー。
かこんかこん、ひゅーひゅー。
あの日を思い出すたび、わたしがかすかに笑みを浮かべてしまうことをどうか許してほしい。
わたしが望んであなたの命を奪ったことを誇りに思っていたいのだ。
収穫祭の演舞は続いている。
仮面のなかでひとしずくの水滴がほほを撫でた。
それが汗なのか涙なのか、わたしは分からないでいる。
【おわり】